アサルトリリィーTrinityー   作:門番

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スランプ明けだから初投稿です


第十六話 Guilty No.2 Pope

 この星で最も神聖で穢れ無き地があるとしたら、そのバチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に他ならない。悪魔(ヒュージ)ははびこり、無辜の民の屍を積み上げ、ヒンノムの谷を(ねぐら)とする者共が跋扈するこの時代においても、かの地は神の御許に最も近く、その威光は五世紀も以前から変わることは無い。

 白亜の教舎は黄金の月光を浴びて、厳かで華美な存在感の中に静かに佇んでいる。

 その主聖堂へと続く回廊を二人の男女が歩いていた。

 一人はくたびれた青い背広に薄汚れた白髪の初老の男。もう一人は大聖堂外壁のように白い膝下丈の修道女服を纏った十代中盤程度の少女。その背には槍型のCHARMを背負っており、その刃には浮彫細工のような装飾が刻みこまれていた。彼女が儀礼的な聖堂の守護者であることは瞭然だろう。

 戦闘用のブーツと茶色の革靴が鳴らすタップ音が廊下の壁に反射して響き渡る。

 背広の襟元に輝く機動警備部隊(カラビニエリ)の紋章を輝かせた男は居心地悪そうにリリィの後ろを歩いているが、幾度とこの聖堂に通っても、歴史と信仰が醸す重厚さに慣れることはない。だからこそ、前を歩く少女の揺れる腰を眺めるぐらいは役得としても、神はお許しになるだろう。

 脳裏によぎる破廉恥な想像を理性で押さえつけるのは、神の御許から離れ世俗に生きながら伝道師達を守る任務を執り行うその男の立場。ローマ市警警部のレストラーデ警部はこれから会う御方への畏れに背筋を正した。

 

 主聖堂の入り口、そびえる正門の正面に並ぶ二人の衛兵達。一人は槍の石突を床に立てた妙齢の男性、もう一人は同じくして槍型のCHARMを構えたリリィ。二人へと交互に無言で頭を下げ礼を垂れる先導のリリィに、衛兵たちは無言の会釈で答え入堂するように促した。

 厳かに開かれる大扉が地響きのような音を立てた開く。奏でるは重厚な開閉音は、ただ大質量の金属が動くことによるものだけではない。その扉に刻まれた信仰の歴史が夜の聖堂に鳴り響く。

 大扉の奥に佇むのはこれ以上にない程に豪奢かつ華美な祭壇。もっとも神の永遠たる偉大さを祀るに相応しい場においてはこれ以上に無いという表現すら無礼だろうか。

 手入れされた長椅子が幾列も並び、その中央にて祭壇へと続く絨毯が、かの聖人が切り開いた海のように祭壇への道を作っていた。

 そして、その最奥の長椅子に腰掛けていた男が一人、神の御許への客人へと親し気に口を開いた。

 

「待っていた。久しい友よ」

「やぁルイージ、会えて嬉しいよ。元気そうで何よりだ。変わりは無いようだな、その腹以外は」

 

 レストラーデと親愛の抱擁を交わすその男は黒い修道服に身を包み頭には紅のズケットを載せており、客人と年の程は同じくらいだろうか、白色以外の毛髪が見えない頭部と顔に刻まれた深い皺の数が彼の歩んだ年月をを感じさせる。

 

「相変わらずの酒太りか?二日酔いで礼拝が無しになったのが懐かしいな」

「いつの話だレストラーデ。私はバチカンで聖下に拝謁した時から神に誓って一滴のアルコールも口にしてはいないよ。……シスター・エレナ、悪いが彼と二人で話がしたい。席を外してくれないか」

 

 客人に不躾な視線を投げ続けていたリリィ、エレナは一拍おいて深く礼をすると、渋々といった様子で立ち去って行く。重い音を立てて再び扉が閉じ、聖堂には年老いた男達が二人きりとなった。深い夜の帳がステンドグラスを暗く覆ってはいるが、聖堂内は祭壇に灯された蝋燭の灯りに照らされゆらゆらと二人の影法師が踊っている。

 

「彼女に気を悪くしないでくれ。少々不愛想だが、思慮深く優しい子だ」

「だろうな。バチカンの守護に当たるリリィが無能であるわけがないだろう。それにしても久しぶりだな。いつ以来だ?」

「君がローマ市警の配属になった時以来だろう。南極の戦いの後、君が軍を退いて警察官として勤め始めて挨拶に来たのが昨日のように懐かしいな」

「あぁそうだな。今や、あの不良従軍牧師が今やローマの枢機卿か。世も末だな」

 

 レストラーデが長椅子にドカリと腰を下ろした。見上げた天井の梁が、蝋燭の炎に照らされ精巧な浮彫細工が揺らめいている。

 

「だからこそ私のような者へ猊下は枢機卿へと任ざれたのかもしれん」

 

 絨毯を挟んで反対側の長椅子へとルイージは静かに腰を下ろした。佇まいのまったく異なる二人の男達。紅の絨毯は語られる南極戦役以来の二人の生き様を分かった血の川のようであった。

 

「今やローマ市警の捜査課長にまで上り詰めた君が、二人きりで会いたいとは何か余程重大な話があるのだろう?」

「まさか主聖堂に通されるとは思わなかったがな。ここには一応確認だが他に誰の耳も無いんだな?」

「何を言っているんだレストラーデ。もう一人いらっしゃるだろう」

「……あぁそうか。ここは」

「そう、ここは主の家だ。まさか、神の御前で話せない話では無いだろうね?」

「勿論だ。と、言うよりも神の前でこそ話すべき内容だ」

 

 ここまで親し気に話していたレストラーデの声色が引き締まる。彫りの深い顔に浮かんだ表情を揺らめく影で見えない。

 

「G.E.H.E.N.Aの奴らがバチカンそのものを揺さぶる暗殺計画を裏で進めている」

「暗殺だと!?」

 

 ここまで柔和な笑みを浮かべていた枢機卿の顔が驚愕に歪んだ。無理も無い。俗事からかけ離れた聖地で殺し等と言う穏やかではない凶事を耳にするとは思ってもいなかったのだ。

 

「それも標的は猊下じゃない。ビセン・ヴァン・トゥアン枢機卿のようだ」

「トゥアン枢機卿だって?」

「あぁ。時期法王有力候補の一人であり史上初のアジア人法王誕生か、と法王庁以外でも注目を集めている人物であっていたか?」

「勿論だ。対ヒュージ戦争の真っ只中のこの時代だけでなく、宗教界全体の未来を担うべき男だ。ベトナムの出身で東南アジア人の彼が法王となればその影響は計り知れないだろう」

「つまり、連中はそれを快く思ってはいないということだろう」

 

 憎々しいようにレストラーデが吐き捨てた。

 

「だが不思議だ。最も、お前なら知っていてもおかしくは無いと思っていたがな」

「私が、と?」

「バチカンの情報網を一手に握り、もう一人の法王とまで裏では呼ばれる程の男が入手していない情報を警察が先に掴んでいたとは思わなかった」

「……それは買いかぶり過ぎという物だ」

 

 闇の中でも身振り手振りが豊かなレストラーデに対してルイージは祭壇の揺らめく蝋燭の火を見つめていた。

 

「いいや、ヒュージ戦争勃発当初にロシアの国庫の穀物不足をアメリカが明らかにした時、バチカンはCIAよりもその情報を先に掴んでいたらしいじゃないか。バチカンの捜査能力は大国の情報機関をも凌駕する巨大な情報網から成り立っているだるう?ある者は教師として教鞭をを振るい、ある者は技術者として工場で働き、また政府中枢の高官までいるらしい。そして、そいつらが世界各国からせっせとバチカンに逐一の報告をしてくる。その情報網の頂点に位置するのがルイージ、お前なんだろう?」

「……神のみぞ知る、だよ」

「だが、そのバチカンの情報網も今度の暗殺計画の情報は掴めていなかった……まだまだカラビニエリの捜査能力も捨てたもんじゃない。これを見てくれ」

 

 レストラーデが取り出したのは、一枚の写真。それは白いサマードレスに身を包みサングラスをかけた白人の女性がレストランらしき場所のテーブルに座り食事を取っている風景が写っていた。不自然なアングルはおそらくは隠し撮りのせいだろう。

 

「これは?」

「うちの捜査官が入手したG.E.H.E.N.Aの工作員が接触した暗殺者らしき女だ。残念だがその正体までは一切掴めなかったがな」

「……ありがとう、友よ。この後の処置はバチカンに任せていただく、ということでいいかな」

「勿論だ。俺達イタリア人にとってバチカンは至上の存在だ。俺たちはバチカンを信じている。だから、頼む」

「友よ。君たちの働きに感謝する。後は任せてくれ。彼奴等の企みは我々が必ず阻止する」

 

 二人の男達が暗闇に向かい十字を切る。それあれかし(アーメン)、その小さなつぶやきを聞き届けたのは祭壇に祀られた神だけだった。

 

 

◇◆◇

 

 

 理事長室の扉を潜るのはアンナマリアにとっては二回目であった。一般高と違い生徒の九割以上がリリィを占めており、生徒による自治が主流となっているガーデンである百合ヶ丘女学院の生徒であっても、生徒会役員や主力レギオンの主将でも無ければ理事長室へ呼び出される機会は皆無に等しいだろう。一度目は理事長直々の特務レギオンへの参加要請、今度は自分への来客と来た。既に懐かしい潮風の香る地中海が一望できるイタリアからの客だろうか。旅続きの護送生活の関係で一期一会の出会いが多かった生い立ちのせいか、固定された交友関係が宗教関係者ばかりに偏っているアンナマリアにとって、自身を訪ねて来る人物に心当たりある人物はけして多くなかった。

 

「ルイージ枢機卿……!」

 

 白人(アングロサクソン)の平均からしても大柄な修道女はあまりの驚きに口を手で覆いへたり込んでしまった。無理も無い。彼女からしてみれば自身の信仰において、神や天使や聖人が最上の者であったとしても、体系化された宗教という組織の頂きに近い高徳な人物が自身の下に訪れたという事実は、傍若無人が目に付き始めた今日この頃の彼女であっても感激の余りに腰が抜けるのも仕方がないということだ。

 

「誰だこのオッサン。シスターの親父か?」

「口の利き方に気を付けなさい!こちらの方をどなたと心得てらっしゃるのですか!?」

「いや知らんけ、ど、おッ!?」

 

 アンナマリアが連れる二人の生徒、その人影の小さい方である真榊衣緒里の無礼千万な言葉を、振り下ろした拳骨で諫めた。騎士様と慕う衣緒里へ実力行使とは彼女らしくも無い。

 

「あはは、いおりん怒られてる~」

 

 そして千秋はいつも通りに緊張感の無い気の抜けた調子を崩さない。明らかに高貴な身なりの異性が待ち受けていても普段通りの振る舞いが出来るのはどういう胆力をしているのだろうか

 

こんばんは(ボーナセーラ)、シスター・アンナマリア。と、そのご友人たち」

 

 恰幅良く仕立ての良い修道服に身を包んだ初老の男が来賓用のソファに深く腰掛けている。贅に肥えた腹はオリュンポス山のような中年腹ではあるが、人の良さそうな優し気な微笑みを浮かべた顔は深い皺が数えきれないほどに刻まれていた。

 親し気で柔らかい声色の異国の言語の挨拶にアンナマリアは踵を揃え指先が膝株の下にまで上半身を深く曲げ、尊敬と服従を示す最敬礼で返した。一方、神の偉大さを知らぬ蛮人の二人は軽い会釈だけで済ませた。

 

「……三人共、早く掛けなさい」

 

 ため息を吐きながら、アンナマリア達に声を掛けたのは北欧風の司祭服に袖を通した青い髪の年若い女。リリィなのだろうか。右手にはCHARMを振るうための契約の指輪が嵌められている。

 

「あ、しえらちゃんだ!しえらちゃんも呼ばれてたの?整備したムラマサブレードはどう?もう試し斬りはしてみた!?」

 

 例によって空気を読まずに青髪の女に千秋が近づいていく。客人の目が点になっているのも気にしてはいない。

 

「まだ振るってはいないが聞いていた以上の腕前だ。古いCHARMは最新の整備機材に対応していな規格も多いからな。現代に手作業で完全なオーバーホールが出来るアーセナルは多くは無い」

「なんと、昨今のCHARMの事情にはあまり明るくはありませんが、シエラは南極戦役時代のCHARMを未だに使っているのでしょう?」

「何もかも当時のままという訳では無い。急ごしらえの粗成品では無くても未だ発展途上の技術でしか無く出力も不安定な実験機ではあったが、幾度も近代化改修を繰り返しているんだ。最新の機体と比べても、けして錆び付いた骨董品とは呼ばせん。だからこそ、完全な整備が出来る人材は限られる」

 

 視線の先にあるのは黒ニス塗りの刀掛けに置かれた機械的な機構による装飾がなされた一振りの刀型のCHARM。先日アンナマリアが千秋の研究室で見たものと同じだ。

 南極戦役、それは数十年以上も前に勃発した人間とヒュージの生存圏を賭した大規模な戦争の一つの筈。『しえら』と呼ばれた年若い女がまるで当時から戦い続けているかのような物言いをするのは何故なのだろうか。

 

「なになに?お二人は知り合いなの?」

「そうですよ、お若いアーセナルのお方。かれこれ四半世紀以上の親交でしょうか。シエラとコウゲツとは南極戦役以来のお付き合いなのですよ。彼らは全線で戦う兵士として、私はその後方の従軍牧師としての出会いでした」

「えぇ~ウソだぁ~。だって、しえらちゃんって私達と大して変わらないじゃない。南極戦役なんて私達が生まれるずっと前のお話だよ」

 

 千秋の疑問はもっともだ。『しえら』と呼ばれた女は明らかに年若い女性。老獪な雰囲気は醸し出している物のどう見繕っても二十代前半。張り良く柔らかそうな肌は十代後半の少女の様だ。

 

「おい千秋、このババァは……」

「真榊衣緒里」

 

 衣緒里を一睨みで黙らせるのは壁に掛けられたCHRAMの刃のように鋭い眼光。年若い乙女の外観に似合わぬ歴戦の戦士のような暗く尖った剣呑な雰囲気。百合ヶ丘の無法者(デスベラード)と呼ばれる衣緒里も背筋を震わせて思わず黙り込んだ

 

「改めて名乗ろう。私は高松(たかまつ)祇恵良(しえら)。私立百合ヶ丘女学院の理事長を務めている。お前の出身の公立校で言う所の校長だ。よろしく頼む」

 

 千秋はポカンと口を開けて目をパチクリとさせている。

 

「え、え~と、つまりリリィなのに校長先生もやってるってこと?若いのにすご~い!」

「千秋、そういう事じゃ無くてだな。見た目が若いだけで……」

 

 またしても衣緒里が黙り込んだ。目を細めて小生意気な小娘の口を噤ませる目力は年相応の物とは思えない。

 

「真榊。あまり乙女の年を弄る物では無いぞ」

「いや、乙女って年じゃ……分かった!分かったから!」

 

 細まっていく瞳孔に衣緒里はギブアップしたようだ。

 ここまで黙っていた理事長代理、高松咬月がわざとらしく咳ばらいをした。

 

「今回君たちに集まって貰ったのは他でもない。こちらルイージ枢機卿から直々の特務のご指名だ。心して聞く様に」

 

 枢機卿の名で改めて背筋を正したのはアンナマリア。模範的な教徒の鑑だ。

 対して興味深そうに顔を乗り出してはいるが、いまいち目の前にいる老人が何者であるのかピンと来ていない千秋。

 そして、衣緒里は興味無さそうに髪の毛先を指で弄っている。あ、枝毛だ。などとのたまった瞬間にアンナマリアの拳骨が飛んだ。

 その様子を苦笑いで見守っていた枢機卿が口を開いた。

 

「はじめまして。私はルイージ・マルコ・グレガリオ。教会の末席を汚す者です。コウゲツとシエラとは南極戦役の頃からの友人でして、この度はその縁を頼ってこちらに訪れた次第です」

 

 教会の末席、と言う言葉はあまりにも謙虚が過ぎる。枢機卿とはカトリック教会における教皇の最高顧問、つまりキリスト教という巨大な宗教組織における事実上のナンバー2の一人であることを意味する。

 勿論、衣緒里と千秋はそんなことを知る由も無いが、それなりに高い地位にいる人間だという事は察せられた。それを嫌味な謙遜と受け取ってしまうのは衣緒里の悪い癖だ。

 

「シスター・アンナマリア。あなたはビセン・ヴァン・トゥアン枢機卿をご存じかな?」

「次期教皇と名高い御方だと存じております!」

「では、トゥアン枢機卿が来日することまでは知っているかな?」

 

 今度はアンナマリアがポカンと口を開けた。

 

「無理も無い。発表されてまだ五分も経っていないのだから」

 

 枢機卿が千秋の膝に乗せられた鞄に目を向けた。気付いた千秋が失礼、と会釈して中から愛用のCHARM整備用に用いている端末を取り出してニュースサイトを立ち上げた。

 そのニュース記事の発表時刻はほんの数分前、確かにアンナマリアが知らないのも無理はない。

 

「これのことかな?『ビセン・ヴァン・トゥアン枢機卿、アジア圏で戦うリリィ達の慰労のため来日!』。聖メルクリウスインターナショナルの昇天祭にて慰労演説をする予定?メルクリウスって百合ヶ丘と同じ鎌倉五大ガーデンの一つだよね。……昇天祭ってなんだろう?」

 

 千秋の疑問にアンナマリアが得意げに答える。

 

「昇天祭、復活祭(イースター)の四十日後のイエス様の昇天を祀る祝日ですね」

「ウチの国ってキリスト教の国だっけ?」

「確かに我が国には明確な国教という物は存在しないがメルクリウスに関してはまた別の話だ。あそこはガーデンを中心とした城塞都市でリリィとその関係者による自治の色濃い地域だからな。創立記念日のように各々のガーデンで独自に決めている祝日なのだろう」

 

 理事長の注釈に枢機卿が深く頷いた。

 

「その通りです。我らが教圏では昇天祭を国民の祝日とする国も無いわけではありません。聖メルクリウスインターナショナルもそのケースの一つでしょう。その来賓としてバチカンからトゥアンが訪問することとなったのです。彼はベトナム出身のアジア人の数少ない枢機卿であり、アジア圏での非法な活動を行うG.E.H.E.N.Aの活動を憂いている保守的なリリィ支持者でもあります」

「風説にはお聞きしております!」

 

 アンナマリアの言葉に枢機卿がにこりと微笑んだ。暫しの沈黙、唇を震わせながら口を重く聞いた。

 

「だからこそでしょうか。トゥアンは現在、命を狙われているのです」

「は?」

 

 礼儀にそれなりに五月蠅く、基本的に誰に対しても敬語を崩さないアンナマリアが己の宗教体系の長にも等しい人物に礼を欠いた振る舞いをするとは思えない女ではあるのだ、彼女らしくも無く同様にわなわなと手を震わせ枢機卿の言葉を信じることが出来ない様だ。

 枢機卿が白い鞄からA4サイズのクリアファイルを取り出して三人の方へと差し出した。

 

「こちらがバチカンとイタリア警察の手により判明した殺し屋(ヒットマン)の資料です。名前はドロシー・バレンティア・マッカートニー。アメリカのガーデン、ボストンブレイヴァーズ出身の元リリィです」

「なるほどな。リリィくずれ(・・・)ってことか」

「はい。ガーデン卒業後には民間軍事会社(PMSC)に三年ほど勤務した後に退役。その後は行方を眩ませてはいましたが、現役時代の狙撃手のポジションの経験を活かして活動しており、欧州圏での裏社会で数回目撃されていたとのことです」

 

 紙の資料をペラペラめくって流し読みし一通りに目を通した衣緒里が表紙に張り付けられた写真を指で弾いた。驚愕の余りアンナマリアはその行儀悪さを指摘する気も湧かないようだ。

 

「典型的な奴じゃねぇか。引退してもリリィやってた時の事が忘れられずに社会に馴染めなくて問題行動ばかり。仕舞いにはクビになった挙句にヒュージから人を撃つ方に転職したろくでなし、って所だな」

「典型的、ってことはいおりんはこういう人に会ったことあるの?」

 

 足を組み直した衣緒里から枢機卿が目を背けた。徳高い男であっても年若い婦女のスカートから覗くドロワーズが見えるのは目に毒らしい。

 

「昔、東京のスラムにいた頃に何人か会った事がある。そいつらは二十代半ばだったけど腐っても元リリィだからな。どっかからかかっぱらって来た銃器で武装してやがって威張り散らしてたな」

「へぇ~。で、その人たちはどうなったの?」

「聞きたいか?あまり楽しい話じゃないぜ」

「……やめとく」

 

 「スラム」「リリィくずれ(・・・)」「銃器」ろくでもない単語の羅列に千秋はうへぇ、と声を漏らした。

 話し込んでいる衣緒里と千秋を横目にアンナマリアが

 

「つまりルイージ枢機卿の仰ることから僭越ながら推察致しますと、私達にはこの忌々しい不敬な神敵が弓引くのを阻止せよ、という事でしょうか?」

「そういう事になります。しかしながら、この依頼はバチカンからの物ではありません。あくまでも私個人からの依頼であり、バチカンからの依頼ではありません。それを承知の上でお願いしたいのです」

「はい。謹んでお受けいたします!」

 

 目を輝かせてアンナマリアが快諾する。現役枢機卿からの直々の依頼それを断る理由などアンナマリアには何一つ無い。むしろ、信託を受けたジャンヌ・ダルクのように自身が神に選ばれたが如き喜びようだ。

 だが、それの尾を掴む蛮人が横に一人いた。

 

「ふざけるなよクソジジイ」

 

 無礼千万慇懃無礼に枢機卿をねめつける衣緒里がぼそりと呟いた。

 

「テメェ!あの事件(・・・・)の時、シスターを碌に守るわけでもなく弁護するわけでもなく百合ヶ丘にまで追放した奴らが今更何を言いやがる!」

 

 一呼吸の内にアンナマリアに黙らせられる暇を与えずに枢機卿へと怒りの詰問を放った。思わずアンナマリアが衣緒里の口を手で塞ごうとするが、今度はその細腕を衣緒里が掴み返し捻り上げる。

 

「お辞め下さい騎士様!」

「いいや辞めないね!そもそもそのメルクリなんちゃらの連中に頼めばいいじゃねぇか!確かあそこも反G.E.H.E.N.A陣営のガーデンだろ。あたし達が出張ってまでやることじゃねぇだろうが!それとも冤罪着せられた女だったら使い捨てても自分の懐が冷めねぇからか?聖者見てぇなツラしてやがる癖に!」

 

 衣緒里の激しい糾弾に枢機卿が黙り込む。アンナマリアは衣緒里を取り押さえるでもなく顔を青く染め上げて枢機卿と衣緒里の間で視線を右往左往としている。彼女からしてみれば高貴な身分の聖職者を怒鳴り付けるような事態など考えた事すらないだろう。

 

「……シスター・アンナマリアとシスター・アウロラ、そしてマザー・ダイアナが巻き込まれた事件と陰謀は悲劇だと受け止めています。そして我々がシスター・アンナマリアにした行いも贖えるようなことではありません。だからこそ、彼女の汚名を返上する機会を設けたいのです」

「言ってろクソジジイ!テメェ達が押し付けた汚名を何処に返上するんだって!?テメェの面子とわが身可愛さにアンナマリアを罪人呼ばわりしたんだろうが!」

「騎士様、もうお辞め下さい」

 

 アンナマリアが衣緒里に縋りついた。

 目の端には涙が潤んでいる。

 

「私が罪を被らなければ教会の権威は地に落ちていたでしょう。この世界には神に救いを求める子羊が数多といるのです。それを防ぐには仕方の無かったことなのは存じております」

「それとこれとは別の話だろうが!」

 

 その時、ルイージ枢機卿が静かに立ち上がった。

 法衣の裾が静かに擦れる音が理事長室に響く。

 

「真榊衣緒里、シスター・アンナマリアの現在の騎士よ。あなたの事はシエラとコウゲツから聞き及んでおります。困難多き旅路の果てにシスター・アンナマリアと出会い轡を並べてくれたと」

「それがどうした」

「私が極めて不誠実なお願いをしているのは分かっております。とすれば私があなた達に出来ることは、こうして誠意を見せる以外に無いと思っています」

 

 枢機卿が、一人の男が、崩れ落ちる様に両膝を突いた。豪奢な法衣が汚れるのも気にせずに。

 

「あぁ、ルイージ枢機卿、お止め下さい!」

 

 アンナマリアの金切り声にも近い制止の声にも聞かずに法王は手を床に突き頭を下げた。

 平身低頭、その姿勢は服従と赦しを請う日本独自の屈辱すら感じる謝意を示す行為、土下座だ。

 大の大人が頭を床に擦り付ける姿には流石の衣緒里もたじろぐ。

 

「私が聖メルクリウスインターナショナルに依頼しなかったのは、G.E.H.E.N.Aにこちらの動きを察知されたないためです。会場となるガーデンに直接私が赴いけば彼奴等にこちらの動きを察知されるかもしれません」

「完全にテメェの都合じゃねぇか!」

 

 逆上した衣緒里に流石に不味いと感じたのか千秋が取り押さえようと羽交い絞めを試みたが、悲しいかな、リリィと非リリィには天と地ほどに贅力に差があるのだ。ふんっ、と漏れた気合の一息と共に千秋は情けなく投げ飛ばされた。

 

「シスター・アンナマリアはマッカートニーよりも高い狙撃スコアの持ち主であり、市街地での防衛戦を幾度とこなした護衛における極めて優秀なプロフェッショナルです。何よりも……」

 

 枢機卿が顔を上げた。その双眸からはぼろぼろと涙が流れ落ちていく。男泣きだ。

 

「私達にシスター・アンナマリアに償う機会を与えて欲しいのです。この任務の詳細を公表するわけには行きませんが、教会内で秘密裏に共有する程度の事は私には出来ます。そして、それはシスター・アンナマリアに着せられた汚名を晴らす手助けとなるでしょう。どうか、私達に一人の少女にありもしない罪を擦り付けた事を贖わせて欲しいのです!」

 

 枢機卿の懺悔のような独白に流石の衣緒里も黙り込んだ。振り上げた拳の下ろしどころがわからず、虫の居所が悪そうに頬を爪で掻いている。

 気まずい雰囲気に包まれた理事長室で理事長代理が重々しく口を開いた。

 

「東南アジア出身の法王が誕生すればこの日本でもG.E.H.E.N.Aの活動にけして小さくない影響が出るだろう。バチカンは一貫してリリィ保護派を貫いており、我々百合ヶ丘女学院と反G.E.H.E.N.A側のガーデンにもいい恩恵が見込める。衣緒里くん、アンナマリアくん、千秋くん。どうかお願い出来ないだろうか」

「……報酬(ギャラ)はたっぷりふんだくれよ」

 

 衣緒里がお手上げとばかりに諸手をあげて首を振った。




ルイージ枢機卿
従軍牧師上がりのローマ正教の枢機卿
キリスト教という宗教体系を存続させるため、そして教徒と非教徒隔てなくヒュージのいない平和な争いの無い世界が実現することを心から願っている人徳者
だからといって腹芸をしないわけでは無い。

高松(たかまつ) 祇恵良(しえら)
私立百合ヶ丘女学院の理事長
見た目こそ年若いが、齢五十を超えているとかなんとか
千秋のCHARM整備の腕と年頃の乙女のように扱ってくれる所を気に入ってくれてるとかなんとか。
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