アサルトリリィーTrinityー   作:門番

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低気圧くん、あっち行って!


第十七話 困ったときのヲタク頼み

 ごきげんよう! 二川二水です! 

 百合ヶ丘女学院に入学して早くも一月半の月日が経ちました。

 一般中学出身の私は生え抜きの皆さんのように体が出来ておりませんし、マギの操作も拙いので、授業や訓練に付いて行くのがやっとです。

 ですが、趣味というよりも使命感を抱きながら発行しているリリィ新聞も順調にファンが付いて来ているようですし、なによりも私と同じ補欠合格組の梨璃さんが現在立ち上げようとしているレギオンのメンバー勧誘のために走り回って、多忙ながらも充実した毎日を送っています。

 ワールドリリィグラフィックやリリィトピックスに載っているような憧れのリリィの皆様にお会いすることも若干ではありますが慣れてきまして、廊下ですれ違っても興奮の余り鼻血を噴く機会も減りつつあります。

 百合ヶ丘女学院の校門を跨いで以来、私にとって何もかもが新鮮な初体験ばかりで、特にリリィオタクの皆さんがSNSで日夜呟いているようなリリィ達の秘め事を目撃して一喜一憂している私ですが、本当にこんな事があっていいのか、と思うほどに珍しい出来事に遭遇しました。それも現在進行形で。

 

「よぉ、パパラッチ。お前、入学式の日に千秋のこと隠し撮りしたよな? いい趣味してるじゃねぇか」

 

 漫画のように不良に呼び出されて強迫される体験は流石に初めてです。それも、リリィから。

 

「い、衣緒里さん。あれは何というか誤解でして……そう、あれはジャーナリズムの一環です! 報道の自由はけして侵されないのです!」

「へぇ、隠し撮りは否定しないんだな」

 

 私、身長が低いことに少々コンプレックスを抱いているのですが、今ほどそれを怨んだことはありません。恐ろしい目付きで数個上の目線から睨みつけられることがこんなに怖いとは、公民館に置いてあった不良漫画からは伝わって来ませんでした。

 衣緒里さんは自分のスカートのポケットに手を入れてガサゴソとまさぐり、折り畳まれた一枚の紙、もとい見覚えしかない私が編集を務めている『リリィ新聞』の切り抜きを取り出しました。

 

「よく取れてるじゃねぇか。ん? ……シスターの事にもやけに詳しく書いてあるな。お前、もしかしてアイツのことが好きなのか?」

「いえいえいえ! そういう訳ではありません! 私が好きなのは……じゃなくて、アンナマリアさんのような海外からいらしたリリィと言えども、有名なリリィであろうとなかろうと、その情報に精通するのはリリィオタクに課せられた義務です!」

「お、おう。そうか……?」

 

 衣緒里さんは若干引き気味に頬を引き攣らせました。……もしかして私のリリィオタクトークが効いているのでしょうか? 

 つまり、これはチャンスです! 

 

「この学院で私が知らないリリィは殆どいません! このタブレットの中に身長体重誕生日にスリーサイズや趣味嗜好、そしてその関係性についても網羅しているつもりです! ですが、そんな私にもまるで記録の無いリリィがいます!」

「……うん?」

「真榊衣緒里さん! あなたにインタビューを申し込みます! 是非とも取材させてください!」

「……えぇ?」

 

 心底嫌そうな顔をされて顔に皺が寄っていますが、ここは押し通るところです! 

 

「さぁ、行きましょう。紅茶を一杯奢らせて頂きますので、お手数ですけど一緒にカフェテラスへご足労いただけませんか!」

「嫌に決まってるだろ。……だけど、付き合って欲しけりゃその前に頼みがある」

「なんですかなんですか! 私に手伝える事だったらなんでも協力いたしますよ!」

 

 衣緒里さんがまたポケットに手を入れると、今度は一枚のネガ用紙が出てきました。このデジタルが主流の時代においてフィルムカメラで撮影された写真はあまり見たことがありません。

 そこに映っていたのは見覚えのある一人の女性、そのお名前は、

 

「「ドロシー・バレンティア・マッカートニー!」」

 

 衣緒里さんと私の声が重なりました。

 

「げ、本当にリリィのことならなんでも詳しいのな」

「勿論存じ上げておりますよ! 十年ほど前にボストンブレイヴァーズガーデンに在籍していらしたリリィですよね! こちらの方がどうかされたんですか?」

「シスターの奴がこの女の戦譜(スタッツ)やらなんやらをを参考にしたいんだとよ。だけど、アイツの悪名(……)は多少通ってるらしいからな。まともに申請しても手に入るかわからないから、お前の伝手でどうにか入手できないか?」

「伝手どころか、持っていますよ! 中学の頃は戦譜を眺めるのが趣味みたいなものでしたし、ボストンブレイヴァーズはシューティングモード主体の近代的な軍事的戦術に重きを置いているガーデンですから、ボストンブレイヴァーズの有名どころのリリィの戦譜はだいたい入手済みです!」

 

 中学の頃、戦術研究の趣味のために我武者羅に色々なガーデンに戦譜の閲覧申請を出しては読み込んでいたのです。

 中でも第二次世界大戦以来の歩兵戦術を対ヒュージに用いる軍隊的な戦闘陣形を採用している軍事色の強いガーデンは、私に戦術論に多大な影響を与えているガーデンです! 

 

「でかした二川! それ、貰えるな!?」

「勿論ですよ! ……ですが、分かりますね?」

「あぁ、勿論、取材でもなんでもやってやるよ。シスターの奴にもアポをついでに取ってやるぞ。特にシスターの奴に関しては、あのデカいケツの穴の皺を数える権利をやる!」

「流石にその情報はいりませんが、その約束忘れないでくださいね!」

 

 むふん。

 中学時代の私、ナイスです! 

 夜な夜な戦譜と地形図を片手に戦況を妄想する趣味がこんなところで活きて来るとは思いませんでした。

 

「じゃ、悪いがそのデータ明日の朝、出来れば今日の夜までにまとめてシスターの奴に送っておいてくれ」

「わかりました! すぐに送らせていただきますね!」

 

 

◇◆◇

 

 

 三浦半島の西岸と東岸は陸路で十五km弱、鎌倉に位置する百合ヶ丘女学院と横須賀に居を構える聖メルクリウスインターナショナルを結ぶ横須賀鉄道はかれこれ一世紀以上前から健在であり、駿河湾と東京湾という国内のヒュージ戦線において脅威となる二大ネストに挟まれる激戦区の物資や人員武装に一般人の観光にまで使われている。

 スプリングのたるんだシートに塗装が禿げかけたつり革やくたびれた車内広告の紙面。レトロな、という懐古主義的な表現では言い表せない程の退廃的な旅車に腰掛けるのはロスヴァイセ付きの三人組

 窓枠から見える景色はどこか精彩を欠いて寂れた住宅街を映し、北側の山間部の岩肌には若い緑の葉が色づき始めているのが衣緒里や千秋にも遠くに見えた。

 

「なんか落ち着かないな。この服」

 

 モノトーン調の少女趣味の強い百合ヶ丘女学院制服では無く、白い海兵(セーラー)服風の制服に身を包んだ衣緒里が、付け襟の首筋に指を掛けて呟いた。発育不良の薄い胸に衣替え前の分厚いベロア生地が覆っているが、悲しいかな。胸元の生地が余っている。

 

「ですわねぇ。お胸が締め付けられて息苦しいですわ」

 

 衣緒里と同じ意匠の制服に身を包んだアンナマリアもそれに倣い胸元をパタパタと引っ張った。

 モデル顔負けの豊満で肉付きのいい肢体には既製品らしい制服には収まりきらないようだ。

 口には出してはいないが、千秋はでけぇ、と興奮気味に自分の胸とアンナマリアの双丘を見比べている。

 

「前回の任務の時はロザリンデ様にお召し物を用意して頂けましたが、今回はどういうことなんですの?」

「向こうさんが用意してくれたからロザ様の出番が無かったんだろ。というかあたしの服ⅩSサイズだぞ。国際学校(インターナショナル)なんてぐらいだけど、外人って奴らはどんだけ発育いいんだよ。……愚問だったな」

 

 頭の真横ではち切れんばかりに張っている布生地を見て衣緒里がため息を吐いた。

 真榊衣緒里十五歳、下着のサイズで悩んだことは一度も無い。

 

「それにしても二水さんから送って頂いた資料、軽く目を通しましたがバチカンが収集した資料と比べても謙遜ない程にこと細かですし、なんなら戦術行動の記録においては当時のガーデンの内部の人間にしか知られていないようなことまで網羅されていましたわ。あの方、一体何者なんですの?」

「知らね。リリィオタクの人脈とか持ってるんじゃねぇの。それこそ『神のみぞ知る』って奴じゃないのか?」

「……ふむ。そうですわね」

 

 衣緒里の上段を真に受けたのかアンナマリアが整った顎に撫でながら考え込んでしまう。少なくとも衣緒里の浅知恵で考えるに、十字教における造物主とリリィ新聞の主筆の関連性を見出すことは出来なかった。

 

「こいつ、時々本当に馬鹿だよな。いや、いつもか。……そういえば千秋、ムラマサの塗装が愉快なことになってたんだけど、これ必要だったのか?」

 

 赤革のCHARMケースの隙間からちらりと見えるムラマサは夜の帳に隠れるような暗い外装が、白黒灰のマーブル模様に塗り直されている。それはアンナマリアの愛機に施されている塗装と同じもの。

 

「いいでしょ? シスターさんと同じ柄の都市迷彩(シティカモ)! 今回は学園都市の市街地だから市街地戦仕様なの! 二人でお揃いだよ!」

 

 ふぅん、と興味無さげに衣緒里はCHARMケースのジッパーを締め上げた。

 塩辛い海の匂いが空気に紛れて来た。目的地である三浦半島の東側、横須賀の駅は近い。

 

「そうそう! 祇恵良ちゃんから聞いてるんだけど、メルクリウスで私達を案内してくれる人がいるんだって。横須賀の駅前で落ち合うように、だってさ」

「なるほど? 。さしずめ水先案内人ってわけだな。港町らしく気が利くじゃねぇか」

「後、もう一つ」

 

 千秋がこれ見よがしに指を立てた。

 

「ムラマサに仕込んだアレは人命がかかった時以外は使うな、だって」

「どれの事だ?今回の主役はシスターだろ。どこで使うんだよ」

「少なくとも『ヒートエッジ』なら市街地でも使えるよ。メルクリウスは石畳と石造りの街並みが多いからね。でも、今回の任務はヒュージが湧いてこなければ関係ないけどね」

「まぁ、B型なんて今回は使う機会は無いだろ。ひょっとしてあたし達は理事長のババアに信用されて無いのか?」

 

 年季の入った線路と架線が擦れる甲高い鉄の音が聞こえると、電車の速度が落ち始めた。

 既に窓枠の外には青い海が見える。

 衣緒里が一瞬顔に険しい皺を浮かべたが、それに気づく者は誰もいなかった。

 

「行くぞ」

 

 衣緒里が赤革のCHARMケースを手にシートから立ち上がった。

 

 

◇◆◇

 

 

「失礼、あなた達が百合ヶ丘からお越しのお三方?」

 

 駅の改札を出て三人を待ち受けていたのは、今の三人と同じ制服に身を包んだ女子学生だった。

 身長は衣緒里やアンナマリアのような極端な体格ではなく平均的な女子並み。すらりと伸びた背筋が育ちの良さを感じさせる。

 立ち上がった眉がどこか高飛車な雰囲気を醸している。

 三人と違い、セーラー襟の下に赤いマントがひらりと舞う。

 この軽暑の候、温暖化が進むこの時勢にただでさえ分厚い生地の制服の上に更に布を纏うのは暑くは無いのだろうか、とは衣緒里は口に出さなかった。

 

「そうだ。あんたが噂の水先案内人か?」

「なにそれ。聖学ジョーク?」

 

 クスクスとその少女は微笑んだ。唇に当てた手に嵌められた指輪がきらりと光った。

 当然のことだが、メルクリウスインターナショナルのリリィなのだろう。

 

「私はレミエ・アレッサンドリーニ。メルクリウス第一空挺団のリリィよ。よろしく!」

 

 握手を求め差し出して来た手を衣緒里が握り返した。

 か細く折れそうな見た目と違い、触れる手の平の皮は硬くごつごつと張っている戦士の手だ。

 どうやら見た目だけの勝気なお嬢様という訳ではないらしい。

 

「あたしは真榊衣緒里。そっちの瓶底メガネがアーセナルの霞千秋」

 

 よろしく、と千秋が胸の横でレミエに手を振った。

 

「それでこっちのデカいのがシスターだ。……あれ? アリアンナ、マリアンナ? ……ん? シスター、お前、名前なんていったけ?」

「まぁ騎士様! もう半年近いお付き合いなのに、まだ私のお名前を憶えてくださりませんの!?」

 

 アンナマリアが素っ頓狂に声を上げた。

 騎士様と慕う相手が自分の名前を憶えていないのは流石に衝撃的だったようだ。

 

「いや、名前が長いからシスターって呼んでくれって言うから……」

「でも流石に半年ですよ!? 何回寝食を共にしたと思っていますの!? ……まったく。レミエさん。私は」

「アンナマリア・レギーナ・フェラーリさんですよね!」

 

 レミエがアンナマリアの青い瞳を見据え口を開いた。

 彼女と同じ青い瞳が羨望に輝いて潤んでいる。

 

不外(はずさず)のアンナ、銀弾の御手! お会い出来て光栄だわ!」

 

 アンナマリアの差し出した手を掴みぶんぶんと振る様子は憧れるアイドルに出会って感激するファンガールのようだ。

 

「お前結構有名人なんだな」

「極東ではそうでもないでしょうが、大陸では名が広まっているかもしれません。何しろ私と騎士様とマザーの三人で、西はボルドー東はイスタンブールまで行きましたのよ?」

「イタリア出身のリリィでアンナマリアさんのことを知らない者はいません! 公式の狙撃スコアは大陸トップクラス、非公式の記録においてはヘイムスクリングラの王姉妹の中姉をも凌ぐ対ヒュージ戦争勃発以来の名狙撃手ですから!」

 

 これから半ば後ろめたい任務に就く身であっても、水先案内人から初対面で好印象を受け取ったのは喜ばしい事だ。現地での活動がやりやすくなるに越したことは無い。

 しかし、ファントークばかりでは話も足も進まない。

 アンナマリアがすらりと長い足を駅舎の外に向けたことで、それに気づいたレミエが足を進め始めた。

 先導するレミエはアンナマリアへ話しかけるばかりで衣緒里と千秋は蚊帳の外。レミエが笑みを浮かべて矢継ぎ早に話しかければ アンナマリアは慈しみに満ちた笑顔でそれに答える。

 

「二年ほど前、お姉ちゃんがイタリアに里帰りしていた時にアンナマリアさんにお世話になったって聞いています!」

「お姉さん? アレッサンドリーニ……もしかしてアルテアさんですか?」

「はい! まったく、アンナマリアさんにお会いできるなら私も里帰りすればお会いできていたのに!」

「ふふふ、懐かしいですわね。確かあれは、バチカンに私と騎士様とマザーの三人で訪れた時でした。迷子になられていたアルテアさんとバチカンを巡りましたのよ」

 

 変わったところで人脈が繋がっていたようだ。聖メルクリウスインターナショナルは名称の通り国際学校であり、特にイタリア系の留学生が多い。衣緒里と千秋も聞いている限りではイタリアを中心に活動していたらしいアンナマリアの遠い友人がこの横須賀にいてもおかしくは無い。

 しかし、千秋が何か疑問を持ったのはそこでは無かった。

 

「ねぇねぇ、いおりんってイタリアの人だったの?」

「あ? あたしは東京の出だぞ」

「え、でもシスターさんが今言ってた騎士様っていおりんの事じゃないの?」

「あぁ、あたしの『前』の奴のことじゃないのか」

 

 衣緒里が髪を耳に掛けた。茶色の髪の下から野性味のある横顔が覗く。

 

「アイツの古巣だと、こっちで言う所のAZとBZの二人一組(ツーマンセル)が基本らしいんだけど、一緒に戦っている内に……まぁ、そういう関係になった奴らが自分の『聖女』と『騎士』って呼び合うんだとよ」

「……待って? その流れだといおりんとシスターさんってそういう関係ってこと?」

 

 アンナマリアがすらりと伸びた上半身を捻り振り向いた。顔出し帽(コイフ)を省略して直接頭にかぶっているベールの裾から金糸のような髪が舞い、太陽の光を反射し輝く。

 

「私と衣緒里さんは想像されるような関係ではありませんわ。清いお付き合いでしてよ?」

「へぇ~。じゃあ、『前』の騎士様とは?」

「千秋、そこらへんにしときな」

 

 衣緒里が千秋の耳を掴み、体重を掛けて思い切り引っ張った。

 

「アイタタたたたぁっ!」

「悪いなシスター。知っての通り、コイツはデリカシーって奴を田舎に置いてきちまったんだ。許してやってくれ」

 

 無作法な発言に反応を起こす間も無く千秋の耳に行われた仕置きに、アンナマリアが目をぱちくりと見開くと、細長い人差し指を口元に添え悪戯気に微笑んだ。

 

「ふふふ、ご想像にお任せいたしますわ」

 

 千秋が固まった。未だ捻られている耳の痛みも気にせずに固まった。

 レミエもだ。あんぐりと口を開けている。

 それを見た衣緒里もこれ見よがしにアンナマリアと手を繋ぎ、硬直している二人へニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるのだ。

 

「どうした処女共、さっさとホテルに行くぞ」

 

 まんざらでも無さそうに口元に手をやり微笑むアンナマリアと衣緒里が駅舎の外へと消えていった。

 

「……レミエちゃん」

「……何ですか?」

「都会の子達って進んでるんだね……」

「私もびっくりです……」

 

 

◇◆◇

 

 

 世紀末よりも一世紀は以前より指摘されていた二酸化炭素にによる地球の温暖化、それに加えてヒュージの出現に伴って世界的に発生した異常気象の数々。そのせいか、三浦半島の東海岸は常夏の模様にあった。

 気温は約三十度程、水着に着替えて海で遊ぶには絶好の天候だ。

 かつてより軍港として栄え、現在では東日本でも有数の強豪ガーデンの立地する三浦半島東部の横須賀よりフェリーで十分程の海上に位置する猿島は、ヒュージの影に怯えることも無く海辺のバカンスを満喫できる数少ないリゾートの一つであった。

 長距離外征を高頻度で行う聖メルクリウスインターナショナルの御膝元である横須賀は、数の少なくない地域純血主義者を黙らせるため、これ以上に無くケイブを掃討して広域にケイブの発生を抑制させるエリアディフェンス装置を敷いていることによって得られる恩恵である。

 地域純血主義、それはガーデンを拠点とした過剰なまでの人類の生存圏防衛思想であり、ガーデン一帯の安全性を保障するものではあるが、逆説的にヒュージによって陥落した地域の奪還へと兵力を裂かない事を意味し、未だ消えることないどころか進化をし続けるヒュージに対して後手にまわりかねる事となりかねないため、近年ではしばしば論争の種となっている。

 そのような事情もあってか、メルクリウスの守備地域一帯は極端にヒュージによる被害が少ない。

 ビーチで水球で遊ぶ子供達、それを見守る親達、水をかけ合って遊ぶ恋人達、そして複数のガーデンが乱立するこの三浦海岸は手を繋いで初々しく歩く見目麗しいリリィ達。

 はるばるローマから枢機卿が来訪するめでたいニュースも事もあってか、一帯を訪れる観光客の数は平時では考えられない程に多い。それは間違いなく聖メルクリウスインターナショナルのリリィ達の奮闘によって成り立っているのだった。

 

 そのような現代日本有数のリゾートビーチの一角、白いパラソルの日陰でリクライニング付きのビーチチェアに横になり佇む女がいた。

 女はアングロサクソン系の金髪に豊満で肉付きの良い体にレンズの暗いサングラスの縁から覗く青い瞳がステレオタイプの米国人女性を思い起こさせる。

 ビーチチェアの横に大量の氷の中に浮かべられた瓶ビールの瓶の結露が目に眩しい。

 女の名はドロシー・バレンティア・マッカートニー、数日後に来日する枢機卿の暗殺をG.E.H.E.N.Aから請け負った暗殺者だ。

 殺し屋稼業の客は多岐に渡る。特に狙撃手のリリィとしてかつて名を馳せた頃から磨き続けられた技術の標的は、たいていの場合は要人で犯罪組織の抗争に巻き込まれることも無く、大陸の裏社会をのらりくらりと雲のように立ち回り悠々自適な犯罪者生活を満喫していた。

 彼女の転機は七年ほど前にG.E.H.E.N.Aからの一通の依頼を受けたことだった。当時民間軍事会社(PMSC)に在籍していた彼女に接触してきた一人の男がいた。ボストンブレイヴァーズガーデンを卒業して鳴り物入りで入社した民間軍事会社では、要人警護や奪還された陥落地帯の先行偵察などの任務に就いていたが、周囲は年上の男ばかり。蝶よ花よとガーデンで育った彼女がその環境に適応できなかったのが不幸の始まりであったのだ。がさつで暑苦しく自身を特別視せず尊重もしないむさ苦しい男達。こんな人間達と働かなければならないのがたまらなく不快であった。全盛期を過ぎて減退していく超常の力。日に日に失われていく自身のアイデンティティが、見下していた同僚達に等しい無力な人間に成り下がっていくことが恐ろしかったのだ。

 G.E.H.E.N.Aから声がかかった時勢はその頃であった。リリィ現役時代に培った技術を活かした暗殺の仕事は、華々しい人類の守護者たるリリィから薄汚れた殺し屋への転落を意味するのだ。しかし、現役時代には遠く及ばない給金に加え、命を張る仕事でありながらもガーデンとCHARMメイカーズへの投資のために縮小していく防衛費の予算のせいで生活水準を維持できなくなって行くことを年若い女は許容できなかったのだ。

 提示されたのは現役の頃と比較しても顕色の無い金額。リリィ時代に体験したVIP待遇の生活水準を下げられるほど彼女は気高な女では無く、その誘惑に勝てるほどにも彼女の心は強くは無かった。

 

 最初に撃ったのは確かジュニアスクールのバスのタイヤだった。なんでもそのバスに乗っているガキがG.E.H.E.N.Aの人攫い共のターゲットだったらしい。山間部に差し掛かった所でタイヤを狙撃して事故を引き起こした隙に、人攫い達は標的のガキを抱えて立ち去って行った。勿論乗り合わせた目撃者達を消すのも忘れずに、だ。

 色を付けて振り込まれた報酬は安月給の半年分、リリィ時代の討伐報酬金よりも多かったかもしれない。かつては守るべき対象であったモノを売った罪悪感は、年代物の葡萄酒の酔いが忘れさせてくれた。

 次に撃ったのは故郷に近いルイジアナ州の火薬工場の社長だった。米国防衛軍を太客とする企業であり、戦時下特需で大儲けした富豪だった。ブクブクに肥え太った男の脳漿をブチ撒けるのは不快の極みであった。不思議と殺しの実感は無かった。それが手を直接汚さずに済む銃の利点でもあるのだが。

 トップを撃ち殺された会社の社長の椅子に誰が座りたいと思う? 命惜しさに役員たちは席を押し付け合っていたところ、G.E.H.E.N.Aから賄賂をつかまされた男が社長の座を継いだ。その直後に会社は上場し、合法的に株式を買われてG.E.H.E.N.A傘下の企業になった。

 戦時では火薬の利権は凄まじい。私の年棒の倍振り込まれた報酬なんざ、それと比べればはした金だろう。分厚い極上和牛のステーキは下の上で溶けるように濃厚な味わいだった。ちらりと撃ち殺した男の事が脳裏をよぎったが、二枚目のステーキを注文する事の方が私にとっては大事だった。

 

 この頃には自分には狙撃の才能があることを改めて自覚していた。

 私はリリィとして戦っていた頃よりCHARMと超常の力(レアスキル)に頼り切っていたわけでは無いのだ。通常火器でもCHARMと変わりなく標的を狙い撃てるだけの技術と経験があるのだ。

 人類を守りたいだなんて高尚な思想を持ち合わせているわけでは無い。ただただ、いい生活をしたいだけなのだ。そう、リリィ達のように。

 そもそも、私だってリリィとして命を賭して戦ったのだ。なのにあんな安月給の民間軍事会社ぐらいしか就職凱旋が無かったのがいけない。だったら、もっといい暮らしをさせてくれる奴らに付く方が賢いだろう。

 それに現役のリリィだった頃とやることは何も変わっちゃいない。スコープで覗く相手がヒュージから人間になっただけだ。

 

 首にストラップでぶら下げていた仕事用の端末がバイブレーションの振動で音を立てた。

 こちらは既に現場の下見も済ませてバカンスを楽しんでいるのに、何の用なのだろうか? 

 画面を見やると見知った番号。上客だ。

 

「何? 今取り込み中なんだけど」

「私だ」

 

 聞き覚えのある声。G.E.H.E.N.Aの仲介人だ。

 

「レミエ・アレッサンドリーニが妙なリリィの三人組をメルクリウスに招き入れた」

「レミエ・アレッサンドリーニ? メルクリウスの暴君の妹君だったかしら。それが何? 小娘がよそのガーデンから新しい取り巻きを連れて来ただけでしょう?」

「そういう訳では無いようだ。その招かれざる客の一人にバチカンと因縁があるらしいリリィがいる」

「……聞かせて頂戴」

 

 今回のターゲットはバチカンからはるばる極東にまでやってくる肥えた豚だ。そしてバチカンと因縁があるリリィがおりよくやって来る。偶然にしては出来過ぎだ。

 

「名前はアンナマリア・レギーナ・フェラーリ。バチカンお抱えの警備組織出身のリリィだ」




二水ちゃん
リリィの事となると国家レベル諜報機関並みの捜査能力を発揮する。
ほんと……君さぁ。え、何?なんなの?


レミエ・アレッサンドリーニ
メルクリウスの暴君、アルテア・アレッサンドリーニの妹
本人も稀代の神童と称される実力を持つものの、常により優秀かつ多大な戦果をもたらす姉に対して大きいコンプレックスを持っており、その実力は不安定な物となっている。
百合ヶ丘の楓・J・ヌーベルとは同期であり、よく懐いていたようだ。
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