「性転換したいんだ」
健全な高校生らしく、昼休憩に校舎屋上で親友と二人弁当を食べている最中の出来事だった。
親友の唐突な宣言を聞いたにもかかわらず、口の中のタコさんウインナーを吐き出さなかった俺は偉いと思う。
よく噛んで飲み下し、親友と目を合わせる。
「考え直せ」
他にどんな言葉があるというのだろうか。
俺の意見は真っ当なものだったと思う。
親友は困ったように曖昧な笑みを浮かべていたが、困っているのはこちらの方である。
一応説明が必要だろう。
20XX年、人類はいわゆる異世界文明と初遭遇した。
様々な未知の技術や文化、概念が俺たちの世界に流入してきたのだが、その中に魔法と呼ばれるものがあった。
そう、魔法だ。
かつて俺たちの世界では空想の産物であったもの。
それが今では現実のものとして運用されている。
さらにはその中に『性転換魔法』と呼ばれるものがあるのだ。
何でそんなピンポイントな魔法があるんだよ、と突っ込みたくなるが、あるのだからしょうがない。
実際、性転換魔法の存在は多くの人々を熱狂させた。
ある者にとってそれは福音となり、また別のある者にとっては格好の娯楽となった。
悪魔の所業として忌み嫌う人々もいるが、まあそれは措いておこう。
肉体を造り替え、性別を転換する法。
これまで人類が保持していた外科的な転換手術とは一線を画する、完全なる生まれ変わり。
いかなる理論でもってそんな芸当が可能なのか分からないが、とにかく性転換魔法は実在する。
そして、よりによって目に前にいる俺の親友がそれを受けたいという。
何でやねん。
いやもう本当に何でやねん。
これまでそんなそぶりを見せたことはなかったと思うのだが。
「ふふっ、反対されるかもとは思っていたけど、実際面と向かって言われるとショックだね」
「ふふっ、じゃねーよ。ショックなのはこっちなんだが?」
「僕が女の子になりたいというのがそんなにおかしい?」
「おかしいに決まってんだろ……と言いたいところだが、色んな事情で性別を換えたいと思う人がたくさんいるのは事実だからな。一応理由を聞いてやる」
別に上から目線で理解ある友人を気取っているわけではない。
一杯いっぱいでこれしか言葉が出てこなかっただけである。
が、これに対して親友はなぜか顔を赤らめた。
だから何でやねん。
今のやり取りのどこに赤面する要素があるんだよ。
耳まで真っ赤にする必要ある?
ちなみに目の前にいる親友はかなりの美少年だ。
身長は162cmと小柄だがすらっとしていて、少女漫画からそのまま出てきたような印象がある。髪の毛などあり得ないほどさらさらで、知り合ってこの方親友の髪から天使の輪が消えたのを見たことがない。
なお2.5次元とか男の娘とかいうあだ名で呼ぶとキレる。
以前からかおうとしてそう呼んだ馬鹿が親友をブチギレさせ、その結果ボコボコにされた。主に俺に。
そんな親友に対する女子からの評価はおおむね『可愛すぎる、たまらん』というものと『自分より美人な男と付き合うとか無理』というものに二分されている。前者はともかく後者はなぜ付き合う前提になっているのか謎だが、まあ妄想を抱くのは自由だ。
ちなみに男子にもうっかり惚れる奴がいるし、中学生当時、教師から進路相談で男子校へ行くのを止められたという逸話もある。男の園にこんな危険物を送り込むわけにはいかんという判断だったのだろう。
ご近所では昔から可愛がられ、奥様方から勝手に実の息子のように扱われるそうだ。幼少時から顔を合わせれば抱っこされたりハグされたりしていたせいで、我が親友はご近所の奥様方のおっぱいの感触をほぼコンプリートしている。
何なら昨日も学校帰りに顔見知りの奥様にハグされて頭をなでなでされたらしい。はっきり言って高校生になった現在ではこれは事案だと思う。俺にはそんな経験ないのに。ないのに。
ともあれ、以上のように俺の親友は万人が認める美少年なのである。
そんな彼が俯き加減になって羞恥に耳まで赤く染めている。
少し離れた場所から抑えようとして抑えきれない黄色い悲鳴が上がった。俺たちと同じように屋上で昼食を摂っていた女子のグループだ。あれはどうやら『たまらん』派のようだな。というかクラスメートだ。
どうでもいい話だが『たまらん』派の中でもさらに過激な集団が、俺と親友がぐちょぐちょに絡み合う世にもおぞましい書物を製造して回覧しているらしい。
本当にやめて頂きたい。これまで熱さましの座薬しか入れたことのない俺の肛門に親友のご立派なものをねじ込もうとするな。その逆も同じだ。
ついでに腹がよじれるようなセリフを俺たちに言わせるのもやめろ。「愛してる」は百歩譲ってまだ許すが、「濡れてるぜ」は正直ないし、俺たちは天地が引っ繰り返っても「妊娠しちゃうぅっ」とか言わないぞ。
どうでもいい話はここまでにするとして。
外野から聞こえてくる嬌声をよそに、俺は我が母ちゃん入魂の卵焼きを頬張った。
うむ、今日もしみじみ美味い。
もぐもぐやっている俺の顔をなぜか親友がじっと見つめてくる。
性転換したい理由については一向に話そうとはしない。が、言いにくい理由なのだろう。デリケートな問題だしな。性転換魔法が出回ってからはわりとカジュアルに性別を換える人もいるが、普通の人間にとっては一大決心が必要だろうし。
俺は弁当箱に残った卵焼きの片割れを箸でつまむと、親友に差し出してやった。
「ほら、やるよ。お前も好きだっただろ」
我が母ちゃんの卵焼きは天下取れるレベルだからな。親友ももちろん大好物だ。
俺としては少しでも気分を解してやろうという思いがあった。
純粋な善意だったんだ。
俺は顔の高さに持ち上げていた卵焼きを親友の弁当の上に置こうとした。
だけど、ここで親友が思いも寄らない行動に出た。
いまだに赤いままの顔を近づけたかと思うと、下から受け止めるようにして卵焼きを口に咥えたのだ。
またしても外野から「きゃー」とか「ぎょえー」とかいう悲鳴が聞こえてきたが、ここは無視しよう。
こぼれないよう口元を手で押さえながら咀嚼する親友に、俺は呆れ声で言った。
「何で直接食うんだよ。置こうとしたのに」
「ご、ごめん。何かつい」
つい、でナチュラルにあーんしてしまうところに親友のこれまでの人生の軌跡が窺える。
幼少期から現在に至るまで散々にあーんされてきて、もはや習性として身についているのだろう。ひな鳥かよ。
それにしても口元を押さえてもぐもぐやっている我が親友、顔は真っ赤だしよく見ると目も潤んでいるし、もしや熱があるのでは?
先ほどからのおかしな言動は熱に浮かされてのものなのだろうか。
心配だから弁当を食い終わったら保健室へ連行しよう。
「交換にぼくも何かあげるよ。何がいい?」
相変わらず理由については語らず、親友は俺によく見えるように弁当を持ち上げる。
「じゃ、これな」
俺が指差したのは親友のママン謹製のポテサラだ。アスパラの肉巻きにも心が惹かれたが、肉には肉を。おかず取引は等価交換が大原則。
ママン謹製ポテサラを箸で持ち上げた親友は、なぜか神妙な顔で口元を引き結んで小さく頷いてから、俺に直接食べさせようと箸を近づけてきた。
「はい、あ、あーん」
「いや、何でだよ。普通に弁当に置いてくれよ」
「えっと、つい……」
震える声で親友が言い訳する。
ついじゃないだろ。明らかに何か決意を固める仕草をしてたじゃねーか。
俺は親友の行動にかなり困惑していたが、いまだに箸を下げようとせずポテサラを差し出したまま固まっているのが気の毒になり、仕方がなくそのまま食ってやることにした。
うむ、美味い。親友のママンはポテサラで天下取れるな。
それにしても外野がうるさいな。
もはや隠す気もない大きな悲鳴と繰り返し名前を呼んで安否を確認する声……ん?
明らかに異変が起きていることに気付き、俺は同じクラスの『たまらん』派と思しき女子グループの方へ視線を向けた。
するとそこには一人の女子がぐったりと横たわっており、その周りで友人たちがおろおろと呼びかけている光景があった。
「どうしたんだろう?」
「ああ。貧血でも起こしたか?」
親友の心配げな声に俺も応じる。
様子を見に行きたいのか、そわそわと落ち着かない様子の親友。相変わらず優しい奴だ。
「ちょっと声かけてくるか」
「うん」
弁当をその場に置き、俺たちは騒然としている女子グループに近づいて声をかけた。
「おーい、何があった。大丈夫か?」
倒れた友人を取り囲んでいた女子たちはいっせいにこちらを振り向き、そしてなぜか悲鳴を上げた。
「ひええっ」
「……クラスメートからこんな反応されるほど俺って嫌われてるのか?」
さしもの俺も凹みそうになったが、隣に並んだ親友がぽんと背中を叩いて言った。
「心配しなくてもそんなことないよ」
親友へ顔を向けると、柔らかい微笑を向けてくれる。うーむ、美少年。
俺たちがそんなやり取りをしていると、魂が抜けるような変な声を漏らしながら二人目の女子が崩れ落ちた。
「お、おい、どうした? 何でこいつまで倒れたんだ?」
俺も親友も慌てて倒れた女子の元へ駆け寄る。
彼女はほとんど意識を失っているようで、かすかにうわ言というかうめき声のようなものを発していた。
え、怖い。一体この空間に何があるんだ。
あ、いかん。スカートがまくれ上がってパンツが丸見えになっているじゃないですか。
吸い寄せられる視線を必死に引きはがそうと戦っていると、脇腹に鋭い痛みを受けた。
「うごっ」
「こんな時にどこを見てるんだよ」
「ちゃうねん」
我が親友はかなりの紳士であるため、俺が女子をスケベな視線で見ていると決まって凍り付くような眼差しを向けてくる。ごく平均的な男子高校生らしくエロ大好きな俺としてはつらいところだ。
でも俺は知っている。表では紳士な態度を崩そうとしない親友が、実はエロいことに興味津々だということを。
あれは忘れもしない中2の夏、とあるルートから手に入れたスケベ動画を二人で鑑賞し、一緒に性の扉を開いた仲じゃないか。それ以来、親友がその手のデータをこっそり収集しているのを俺は知っているんだぞ。
まあ、それはいいとして。
とりあえず俺は弁解することにした。親友の視線もそうだが、それ以上に女子たちから向けられる視線にいたたまれなくなったからだ。
「これは不可抗力なんです」
「ばか」
どうもすみませんと女子たちに頭を下げる俺と、そんな俺に罵倒の言葉を投げつける親友。
すでに倒れた女子のスカートは整えられいる。
女子たちは一連のやり取りに毒気を抜かれたのか、スケベな俺を許してくれた。ただし額を押さえて天を仰いでいたり胸を押さえて身を震わせたりしていたから、内心ではかなり呆れたり憤ったりしているみたいだ。
女子グループに声をかけて早々に脇道にそれてしまったが、俺たちは本来の目的を果たすことにした。
倒れてしまった二人の女子には特に持病の類はないらしい。
熱中症になるほど今日は気温も高くないし陽射しもきつくない。食中毒なら吐いたりするだろう。
二人目の女子が倒れた様子は、恐ろしいものを見て気絶してしまうホラー映画の登場人物をどこか彷彿させるものがあったのだが、もしやこの屋上には『出る』のだろうか。倒れた二人とも『見える』体質とか?
「な、なあ。この二人ってもしかして霊感があったりしないか?」
俺の質問に対し、女子たちは揃って不思議そうな表情を浮かべた。
どうやら倒れた二人にだけ見える幽霊がこの場にいるわけではなさそうだ。
実は幽霊が大の苦手の俺がこっそり胸を撫でおろしていると、なぜか隣の親友がくすくす笑った。
ちなみに我が親友は幽霊の類をまったく信じておらず、オカルト話は鼻で笑い飛ばすタイプだ。
そして、幽霊を怖がる俺を時々からかってくる。
恥ずかしさを誤魔化すために咳払いする俺と、そんな俺をからかい交じりに笑う親友。
どこかで「ヒュッ」と息を吸い込むような音がした。
……何だ?
俺が詮索するような視線を女子たちへ向けると、彼女たちは一斉に目を逸らしたり毛先を指にくるくる巻き付けたりした。
ともあれ、二人が急に倒れた理由については皆よく分からないようだった。
女子の一人が呟いた「寝不足だったのかも」という言葉に皆が追従していたが、実際そうなのかは分からない。逆に「興奮しすぎたせい」と漏らした別の女子は、一斉に飛び掛かられて口を塞がれていた。
女子ってちょっと意味が分からなくて怖いところがあるよな。
二人が目を覚ます様子もないし、このまま放っておくのも気が引けるので保健室へ連れていくことにした。
怪我をしているわけではないし、倒れた際に頭を打ったりもしてないので別に構わないだろう。
さて、そこで問題になったのが意識のない二人を運ぶ方法だが。
いろいろ意見は出たのだが、結局俺と親友が一人ずつおんぶして運ぶことになった。
屋上から保健室までは階段もあるし、おんぶするのが一番安定するからだ。
倒れた二人のうち、一人は身長140cm台と小柄で、もう一人は170cm近くあるクラスで一番背が高い女子だった。俺と親友のどちらがどちらを受け持つかは自明の理というものだろう。
女子たちの手を借りながら意識のない体を背負い、ゆっくりと立ち上がる。
むう、これは……。
正直、俺は真顔を保つのに必死だった。
俺が背負っているクラスで一番背が高い女子だが、彼女は身長同様に他の部分もよく発育していた。具体的に言えばおっぱいが大きい。当人の意識がないので完全に体重を預ける形になっていて、俺の背中はいまだかつてない感触にさらされていた。
これが、これこそが我が親友が幼少期から味わっている境地なのかよ。
すげえ。
ちなみに彼女はバレー部所属で鍛えているせいか、ふとももがかなりむっちりしており、にもかかわらず信じられないほど柔らかかった。おんぶという体勢をする以上相手の脚に腕を回さないといけないのだが、俺なんかが触れて申し訳なくなるくらいに柔らかくてスベスベしているのだ。
これはいかん。
ちょっと勃起しそうだ。いや、白状するとすでに甘勃ちしている。
できれば中腰になって落ち着くまで待ちに入りたいが、小柄な方の女子を背負った我が親友はすでにすたすた先へ進み始めてしまっているし、いつまでも動かずにいると俺を補助するためについている女子たちに疑念を抱かれてしまう。
覚悟を決めた俺は親友の後に続いて歩き始めた。
多少へこへこした動きになっているかもしれないが、補助をしてくれている女子にはたぶん気付かれないだろう。気付かれないといいな。気付かれないでいてくれよ。
いざとなったら「重い」という禁句を使ってへこへこ歩きの言い訳をする手もあるが、意識を失っている女子の名誉のためにもできればその手は使いたくない。かといって勃起がバレるのも嫌だ。
俺はかつてない集中力で歩みを進めつつ、密着するおっぱいやふとももの感触を真顔で堪能することに腐心した。
ところで、おんぶしている女子が時々うわごとのように「だめ、二人の間にあたしなんかが挟まるなんて」とかどうとか言っているのが耳元で聞こえてくるんだが、どういう意味なんだろう?
何となくいかがわしい内容のようにも聞こえて、おんぶしている女子がクラスでもかなり真面目な優等生であることを知っている俺としては、真偽はどうあれ不覚にも興奮してしまう。
やっぱりこの年代は男子も女子も大概同じようなことを考えているんだな。俺だけが特別スケベなわけじゃなくてちょっと安心した。
首筋や耳の裏にかかる熱い吐息と共に妙に意味深なうわ言を聞きながら、俺はへこへこ保健室を目指す。
何となく補助してくれている女子たちの視線が冷たいような気もするのだが、何かの気のせいだろう。
親友から遅れること数分。
保健室に辿り着いた俺たちを待っていたのは、心配そうな女子たちの視線と我が親友の絶対零度の眼差しであった。
「ずいぶん遅かったね」
「まあな」
まあな、じゃないが、俺は他に言葉が思い浮かばなかった。
やばい、完全に勃起していたのがバレているぞ。今ちらっと俺のちんちん見たし。
というかどうして我が親友は平気なんだよ。小柄な女子だって胸がないわけじゃないし、絶対に柔らかくていい匂いがしたはずなのに。
紳士だから? 妹で慣れているおかげ? それとも近所の奥様方に比べるとお子様すぎるせい?
どちらにしても紳士ってすげえ。
俺なんか完全におんぶしている女子に恋しそうになってるもん。
得体の知れないうわ言とかがちょっと怖いから踏みとどまってるけど。
「保健室の先生は今不在みたいだから、とりあえず空いてるベッドに寝かせてあげて」
「分かってゃ」
噛んだ。
数人の女子が耐え切れないように吹き出し、俺は耳まで熱くなるのを意識しながら慎重に背中の女子をベッドに降ろした。
すぐに他の女子たちが介助してベッドに寝かせ、胸元までシーツを被せた。
彼女ももう一人の女子もまだはっきり意識は戻らないようだが、見たところ苦しそうな表情はしていない。
「あたし、保健の先生呼んでくるね」
「うん。お願い」
親友が微笑みながら応じると、相手は顔を真っ赤に染めながらバタバタと保健室を飛び出していった。
美少年やべえな。たった一言で女子にあんな反応をさせるとか。俺なんか完全にただのスケベ野郎としか思われてないのに。ここまでおんぶの補助をしてくれていた女子たちが今も俺の股間へちらちらと視線を向けている。
女子は視線に敏感という話を聞くけど、ちょうどこんな感じなのだろうか。視線の意味が欲望か軽蔑かの違いはあるだろうけど、すごく居心地が悪い。
いたたまれなくなった俺は女子たちの視線からさりげない角度で股間をガードしながら、ここまで持ってきてもらっていた俺と親友の弁当箱を受け取る。
「ありがとうな」
「ひえっ、こ、こちらこそ」
駄目だ、完全に怯えられている。
思わず込み上げてきそうになった涙をこらえ、親友の方へ向き直った。
「じゃあ、俺たちは行くか」
「うん」
親友の相槌に俺は心が浄化されるのを感じた。
エロいことを考えていると冷たい眼差しを向けてくることはあったりするが、やはり俺にとっては無二の存在なのだ。
たとえどんなことがあっても俺たちの間にある絆だけは断ち切られないという絶対的な信頼。
何十年後かも俺はこの男のことを親友と呼んでいるんだろうな。
……あ、そういえば男じゃなくて女に換わっている可能性もあるんだったか。
結局性転換したい理由を聞きそびれてしまったが、それはまた今度でいいだろう。
親友も話しにくそうだったし。
どちらにしても弁当の残りをどこかで食べないとな。
屋上まで戻るのも面倒だし、教室でいいか。
俺は親友と連れ立って保健室を出て行こうとし、不意に思い出した。
「あっ」
「わっ」
後ろをついて来ていた親友が、俺が急に立ち止まったせいで背中にぶつかって来た。
振り返ると鼻をぶつけたのか手でさすっている。
「何で急に止まるの」
「すまん。痛かったか」
上目づかいで睨む親友と謝る俺。
どこからか「ッフゥー」というため息ともつかないようなものが聞こえてくる。
俺が視線を向けると、ベッドの周りに集まった女子たちが「何でもないから気にするな」という風に首を横に振った。
……何だ?
女子の中で一人だけ俺たちにサムズアップしている奴がいるんだが。
よく分からんが俺もサムズアップし返すと、周りの女子がそのサムズアップ女子をばたばたとベッドに押し倒して俺たちから隠した。どうでもいいけど、女子たちが積み重なったベッドには意識をなくした子が寝ているはずなんだが、大丈夫なのか?
やっぱり女子はよく分からん。
まあ、女子たちの謎の奇行はいいとして。
俺には思い出したことが一つあったのだ。
屋上で弁当を食べている時、親友の様子がおかしくて熱があるのではないかと疑ったのである。
今見たところ、顔色が特に赤いということはなさそうなのだが、せっかく保健室に来たのだから念のために熱を測った方がいいだろう。
戸棚をごそごそ探し回って、額にかざして計測できるタイプの体温計を見つけた俺は、親友にそれを見せながら言った。
「でこを出せ」
「え、何で?」
訝しげにする親友。どうやら自覚はないようだ。
「屋上にいる時、やけに顔が赤かったからな。熱があるかもしれないから測っておいた方がいいだろ」
「ないよ、熱なんて」
「分からないだろ。ほら早く出せよ」
「もう……」
俺の言葉に反論しつつ、仕方なさそうな様子で親友はあり得ないほどさらさらな前髪を手で持ち上げ、額を露出させた。
「ん」
計測されるのを待つ親友を前にして、俺は少し戸惑ってしまった。
……目まで閉じる必要ってある?
身長差の関係でこちらを見上げる形になるせいか、心持ち口元を差し出しているような姿にも見える。
これっていわゆるキス待ち顔という奴では?
美少年というのは本当に恐ろしいな。何をやっても絵になり過ぎてどういう解釈をしていいかわけが分からなくなる。
ただこうしてみるとまだ少し顔が赤いな。やっぱり熱があると見た。
外野? さっきから騒いではいるが今さら動じないよ。無視だ。
「うりゃ」
掛け声とともに体温計を親友のでこにかざすと、ピッという電子音と共に体温が表示される。
俺が表示を確かめていると、親友もこちらに回り込んで覗き込んできたので、見やすいように少し手の高さを下げてやる。女子がまた何か奇声を発した気がしたが、そろそろ何も感じなくなってきた。
「36.8度」
俺たちは声を揃えて体温表示を読み上げた。
……微妙。
高めではあるが、熱があるというほどではない。
「お子様体温か」
閃いた俺は指パッチンして音を鳴らそうとしたが、皮膚が擦れる音しかしなかった。
そんな俺の足を親友がぎゅっと優しく踏みつける。
「ぼくは子どもじゃない。ただ平熱が高めなだけだよ」
「なるほど湯たんぽ」
「違う」
もしやご近所の奥様方はこの温もりを求めている……?
長年の謎についに光が差し込んだような気がして、俺は「エウレカ!」と叫びながらふざけて親友へ抱き着いた。
「ふわっ、わああっ」
俺の胸元で親友が何かわめいているが、そんなことよりこの温もりはどうだ。
いや、マジであったかいな。想像以上にぽかぽかだ。
「ちょ、ちょっと離してよ」
「わはは、逃がさん。お前は一生俺の湯たんぽだ」
ふざけてじゃれ合う俺と親友。
うむ。性転換の悩みとか色々あるのだろうが、俺たちはこれでいいのだ。
たとえどんなことがあったとしても、俺たちの間には変わることのないものがある。
ちなみに保健室を満たす女子たちの悲鳴は、少し前に出て行った女子と共に保健の先生が現れるまで途切れることがなかった。
そして保健室でバカ騒ぎをするんじゃありませんとの叱責を受けることになった。
解せぬ。
とりあえず見切り発車で投稿してみたのですが、少しでも読んで頂けて楽しんでもらえると嬉しいです。