『スパイ教室 二人のスパイ』 side story 作:眼鏡鏡眼
続きは今週中に投稿する、かも。
ティア&ジキル『ハニートラップ講習編』①
とある一等地に建てられた、ホテルの一室にて。
「失礼します」
ノックと共に、ホテルマンの服装に身を包んだ灰色髪の青年がワゴンを押しながら入ってきた。
ワゴンは青年の腰ぐらいの高さであり、一番上にはティーセットやお茶菓子が置かれていた。
ベッドに腰掛けていた黒髪の少女が「ありがとう」と微笑む。
濡れたように艶やかな黒髪の少女だ。大きく胸元が空いた紫のネグリジュは少女によく似合っており、少女というにはあまりに妖艶な色香があった。
「時間通りね。仕事熱心な男は嫌いじゃないわ」
立ち上がった少女がホテルマンの青年の顔を覗き込むように見上げてくる。吸い込まれそうな黒い瞳。その下には魅惑的な谷間があった。
「でもたまには息抜きした方がいいわよ? ──なんなら、私が相手してあげるわ」
少女の白く細い指がホテルマンの青年の顎を這うように触れ、唇に触れる。
どんな勤勉な者も思わず唾を飲み込んで、我を忘れてしまいそうな甘い誘いだ。
「お断りだ、色欲魔。というか、まだ任務中だからな?」
しかし、ホテルマンの青年──ジキルはその手を払った。
一瞬だけ目を丸くした黒髪の少女──ティアが意地の悪い笑みを浮かべる。
「あら、別にいいじゃない。任務はほぼ終わったようなものだし……少しぐらい息抜きしたって大丈夫よ」
そういったティアが視線をベッドへとずらす。そこには半裸の状態でベッドに大の字で縛り付けられた男の姿があった。口は拷問器具で使うような道具で塞がれていて、声が出せないようになっていた。
現在、ティアとジキルは防諜任務中だ。今回の任務はディン共和国の情報を流出させているスパイを捕えること。ベッドに縛り付けられている男はその一人だった。
芋虫のように身を捩らせ、唸る男を見てジキルがため息をこぼす。
「こいつを仲間に引き渡すまでが任務だ。ティアもさっさと着替えろ」
そう言って、ジキルはワゴンの一番上に置かれたティーセットやお茶菓子をどけ、ワゴンを覆っていた大きな布を取り払う。ワゴンの下には大人を一人入れられそうなケースがあった。
「えぇー……ちょっとぐらい、いいじゃない。ほら、見て? この下着とか今回の任務のために、お気にりの一つを引っ張り出してきて──」
「は や く 着替えろ……二度は言わせるなよ?」
ドスの利いた声音。どうやら怒らせてしまったらしい。
額に青筋を立てるジキルに、「わ、分かったわ……」と若干顔を青くしたティアは大人しく着替え始めるのだった。
♢♢♢
今回の標的を同胞に引き渡したジキルとティアは別々にホテルを出て、繁華街の一角で合流することにした。
田舎な小国であるディン共和国内では発展が進んでいる街だった。空はすっかり陽が落ちてしまったと言うのに、多くの人たちが大きな一本道を行き交う。
「今回はキミのお手柄だから、あんまり言うつもりはないんだが……さすがに遊びがすぎるんじゃないか?」
「ん? 何がかしら?」
ジキルの避難めいた視線に、隣を歩くティアが首を傾げる。
「今回の任務のことだよ。標的が国会議員だからハニートラップで堕とすのまではいいが、あそこまでやる必要があるか? ロープで拘束したり、大声を出さないように口を塞ぐのは分かるが、あんな形で……はたから見たら、変態の所業にしか見えなかったんだが」
何があったにせよ、祖国を裏切った人間に同情の余地はない。しかし、一人の男としてあんな醜態を晒して人生を終わらしてしまうというのは不憫にも思う。
「仕方ないじゃない。実際に彼、責めれられるのが好きなタイプの人間だったんだもの」
「……仮にそういう願望の持ち主だったとしてもな。それに、あの口を覆っていた拷問器具は何だったんだ。あんなものまで用意しなくてもいいだろう?」
「失礼ね。私でもさすがにアレは用意していないわよ。アレは彼の私物よ。アレを付けて責められるのが一番興奮するみたい」
「………………そうなのか」
前言撤回。不憫に思う必要は全くなかったようだ。あまりの衝撃に、ジキルは二の口を告げれなかった。
「ジキルにはお遊びのように見えたかもしれないけどね。私だってスパイなのよ? 任務達成のために、あらゆることに手を尽くすのは当然でしょう?」
「……その通りだな。俺の失言だ、悪かった」
頬を膨らませるティアに、ジキルは頭を下げる。
ティアだって立派なスパイなのだ。彼女なりに真剣にやっているはずだし、女性スパイには女性スパイのやり方がある。
それを非難するのは間違っていたなとジキルは反省した。
「本当に、悪いと思っているのかしら?」
確認するように、覗き込んでくるティア。今のティアは淑女然とした服装だ。紺色のポンチョコートをも織っているので、先ほどのネグリジュ姿よりもだいぶ刺激が少ない。
「あ、あぁ……まぁ、な」
思わず、目を逸らす。歯切れ悪く、ジキルは首肯した。
すると、言質をとったティアは花が咲いたような晴れやかな笑みを浮かべる。
「そう! なら、私のご機嫌どりをしなくてはね?」
「は? お、おい……っ?」
急に腕を抱き寄せるように掴まれ、横へと引っ張られる。もうあとは停めてある車に乗って、陽炎パレスに戻るだけなのだが、ティアの向かう先は車を停めている場所とは九十度違う方向だった。
「ちょ、ティア? どこに行く気だよ?」
「私が今一番行きたいところよ。当然、付き合ってくれるわよね?」
瞳を輝かせるティアに、流石に嫌だとは言えない。まぁ、どうせご飯を奢れとか、そのぐらいだろう。
急いで帰る用事もないので、ジキルは応じることにした。
「仕方ないな、付き合うよ」
「そうこなくっちゃ」
半ばティアに引っ張られるようにして、人混みをかけ分けながら歩いていく。だんだんと街を照らす光が淡い赤色に変わっていき、行き交う人々の服装も派手なものとなっていく。
「さぁ、着いたわよ!」
ネオン色の看板。四階建てのホテルだった。開放的な入り口には二人組の男女が何組も出入りしている。ちなみに、飲食店などではない
いわゆる、えっちなホテルだった。
「………………帰らせてもらう」
ゴミを見るような目でティアを一瞥したジキルは、回れ右して来た道を歩き出した。
慌てたティアが腕を掴んでくるが、乱暴に払い除ける。勢いで転んでしまったティアが何やら非難めいた声をあげているが、ジキルは無視することにした。