『スパイ教室 二人のスパイ』 side story 作:眼鏡鏡眼
やっぱりサイドストーリーを描いてる方が筆が進むな……
「あ、あそこに美味しそうなパフェが!」
「こら、勝手に動くななのハイドっ」
涎を垂らしながら、露店に向かおうとするハイドをエルナが腕を引っ張って制止する。
「えー、でも拙者お腹空いてきたでござるよ……」
「さっきレストランでパンケーキを食べたの」
「いや、パフェは別腹でござるよ」
「『甘いものは別腹』みたいな言い方をするな、なのっ。そんな事を言ってたらお金がいくらあっても足りないの!」
不満を漏らすハイドを引きずりながら、エルナが目的地へと進んでいく。その姿はまるで、幼い姉が駄々をこねる妹を連れて歩くような微笑ましさがあった。
実際、宗教学校の制服に身を包んだ二人の少女の様子は、周囲からは姉妹にでも見えたのだろう。すれ違う人々から時折、生暖かい視線を向けられている。
そんな二人の少女に視線を向ける者が、ここにも一人。
(エルナ……迷子になりそうとか思ってごめん。お前は立派なお姉さんだよ……)
建物の壁に背を預けて、持っていたクレープの残りを一口で平らげた灰色髪の青年──ジキルはエルナに仕掛けた盗聴器から聞こえる会話を聴きながら、心の中でそう謝った。
エルナとハイドに少し遅れるようにして出発したジキルは、二人の尾行を開始した。丸眼鏡をサングラスに変え、水色のジャケットを基調に今時の若者っぽい格好に変装した。
(さて、ここまでは何とか二人で行けたが……)
予想外にも、エルナが何とかハイドをコントロールしてくれたお陰で問題なく目的地の八百屋に近づいている。
今晩の夕食はカレーだ。買う物は玉ねぎ、馬鈴薯、にんじん。あとはデザート用の林檎。ついでにジキルの個人的なお使いとして、本屋で文庫本を一冊頼んでいる。
(本屋は八百屋がある通りの一本隣の道にあるが……そう遠くない距離だ。この調子で行けば問題ないだろう)
ジキルは安心して息を吐く。一時はどうなるかと心配して、ストレスに備えて胃薬まで持ってきたが……杞憂だったようだ。
ジキルがそんな事を思っていた矢先──問題は発生した。
「おっと、なの」
エルナが大人の男性とぶつかる。陽が沈みかけて、帰路につく人達もあいまって、人通りが増えてきた頃合いだった。
「おいガキ! 気をつけろやっ」
「ご、ごめんなさいなのっ」
決してわざとぶつかったわけではないが、男の気に触ったらしい。怒鳴り声を上げられたエルナはビクっと肩を震わせるも、直ぐに頭を下げた。
頭を下げるエルナを尻目に男が舌打ちしながら去って行く。
「ふぅ、ビックリしたの……」
エルナが息を吐く。ちょっとしたアクシデントはあったものの、大した問題にはならなかったようだ。
「さ、気を取り直して八百屋さんに行くのっ! ……の?」
エルナが首を傾げる。さっきまで手を握っていたはずの黒髪の少女が見当たらない。周囲を見回すが、それらしい人物はいない。まさか──
「しまった、なの!? ハイドとはぐれてしまったのっ?」
ここに来て、相方を見失う──まさかの失態に、エルナは顔を青くした。
(うわぁ、やっちまったなぁ)
一部始終を見ていたジキルは空を仰いだ。エルナが男に謝るため頭を下げた時、ハイドと繋いでいた手を離したのだが──その時にハイドは、人混みに飲まれて押し流れされてしまった。
一瞬の出来事だったので、ジキルもハイドを見失ってしまった。エルナが居なくなったハイドを探そうとすれば、八百屋は閉まってしまうだろう。
これは、買い物を諦めるしかないだろうなと思ったが──
「……仕方ないの。ハイドなしで買い物を続けるの」
エルナはハイドを探す事を諦めて、買い物を優先した。
ジキルがお、と感嘆の声を上げる。スパイたるもの、任務達成のためなら時には仲間を見捨てる非情な判断を下さなければならない時もある。
か弱い少女の姿をしているが、その心は一人のスパイだった。
「それに、やっぱりハイドがいない方が楽なの」
それがエルナの本音だった。聴いていたジキルも思わず、同感してしまう。
そういうわけで、エルナは八百屋へと向かう。色々あったが、閉店する前には辿り着くことができた。買い物をする客はエルナが最後だった。
買い物のメモにあった食材を袋に詰め、お会計をしようとポケットを探る。
「……の?」
そこで、異変に気づく。財布がない。反対のポケットも確認するが……やはり、ない。
まさか、どこかで落とした?
致命的なミスを犯したエルナは「不幸……」と涙目になって視線を下に落とした。
「お嬢ちゃん。もしかして、財布がないのかい?」
八百屋の、人の良さそうなおじさんが心配そうにエルナの顔を覗き込む。気まずそうに、コクリと頷くエルナ。
そんなエルナを見て、「参ったなぁ」と困ったように八百屋のおじさんが首の裏を撫でた。
お金がなくては、買い物ができない。折角ここまで来たのに。肝心なところでドジを踏んでしまう自分に嫌気が差す。
早くここから立ち去りたいという気持ちに駆られ、エルナが八百屋から立ち去ろうとした──その時。
「これ、キミの財布じゃない?」
突然、目深くベレー帽を被った黒髪の少年に声をかけられる。どこにでもいそうな雰囲気の少年だった。
少年に突き出された財布を見て、エルナが声を上げる。それはエルナがジキルに手渡された皮財布だった。
「そ、それ! エルナの財布なの!」
「あぁ、やっぱり。お店の前で落ちてたからもしかしてと思って。それじゃあ、ボクはこれで」
「あ、ありがとうなの! 助かったのっ」
去って行く少年に頭を下げる。どこかで会った事があるような気がするが……深く考えるのをやめた。
ともあれ、これで買い物ができるのだ。エルナは八百屋でお会計をするため財布を開いた。
「──やっぱり保護者じゃん」
八百屋から数百メートル離れたところで。
前を通り過ぎようとした少年に、ジキルが声をかける。少年は声をかけられる事が分かっていたように立ち止まり、変装を解いた。
「……別に。たまたま気分が向いただけだよ」
目の前には現れたのは超然とした雰囲気をまとう青銀髪の少女──モニカだ。
「ふーん? まぁいいけどさ……ところで俺、エルナが財布を落としたところなんて見てないんだけど?」
「あぁ、それ? エルナは財布を落としていないよ。夕暮れ時に男にぶつかったでしょ? あの時の男がエルナから盗んだんだよ……まぁ、直ぐにボクが盗んだけど」
まったく気が抜けてるよね、とモニカが鼻を鳴らす。
(……つまり、割と最初の方からモニカも付けてたって事か)
モニカは自分の失言に気づいていないようだ。素直じゃないなと思いつつ、ジキルは苦笑する。
「……なに笑ってんの? キモ」
「うるせぇよ。元々こういう顔だ」
悪態を叩かれ、軽口で流す。
ともかく、これで買い物は無事終えたわけだ。お会計を済ませたエルナが八百屋から出てくる。
「さ、俺たちも陽炎パレスに戻ろう。あいつらに尾行してた事をバレるわけにはいかないからな」
そう言って、ジキルは足早にその場を去る。それに続くモニカが思い出したように口を開いた。
「そういえば、ハイドはどこにいるんだろうね?」
「え?」
思わず、固まる。言われてみれば、ハイドとははぐれたままだ。
「モニカは見ていないのか?」
「知らないよ。ボクはエルナのあとを付けてただけだし」
「マジか……」
片手で顔を覆う。ハイドは未だ迷子のままのようだ。陽は完全に落ちてしまっている。ここからハイドを探すのは困難だ。
「まぁ、大丈夫でしょ。もしかしたら先に帰ってるかもしれな──」
「エルナ殿ーーっ! ようやく見つけたでござるよっ」
突然、後ろから聞き慣れた大声が聞こえる。ハイドだ。
飛びかかるようにエルナに抱きつき、そのまま彼女を押し倒した。
エルナが目を丸くする。
「は、ハイドっ? 今までどこにいたの?」
「ん? この辺をずっと回ってたでござるよ。エルナ殿が急にいなくなるものだから拙者は必死に探し回って──」
「そ、そうなの? それは心配をかけて──」
「いたら、お腹が空いたのでご飯を食べ歩きしてたでござる」
「こいつ、最低なの!」
エルナに避難されるが、ハイドは反省する様子もなく「そうでござった」と自身の制服の下をまさぐる。
「ジキル殿に頼まれてた本は拙者が買っておいたでござるよ」
ハイドに文庫本を突きつけられて「そういえばそうだったの」と思い出したようにエルナが口を開いた。
夕食の具材を買うので頭が一杯だったようだ。
「ともかくこれで、任務達成なの! あとは帰るだけなのっ」
「やったでござるな、エルナ殿!」
エルナとハイドは、いえーいとハイタッチを交わした。
「──じゃ、ハイドも見つかった事だし。ボクらもさっさと帰ろうか」
「……そうだな」
モニカに続いて、ジキルも歩き出す。
「ハイド、お家に帰るまでが買い物なの! 離れないように手を繋ぐのっ」
「承知したでござるよ。またエルナ殿が迷子になっても困るでござるからなっ」
「エルナは迷子になっていないのっ」
付けた盗聴器からそんな会話が聞こえて、ちらりと後ろを振り返ると、二人の少女が仲睦まじそうに手を繋いで歩く姿が見えた。
──エルナがハイドとはぐれ、エルナから財布を盗んだ男からモニカが財布を取り返した後。
とある貸家の二階。その一室にて。
「なんだ、テメェ。どこから────ぁ?」
こきゃ、と首が捩じ切れる音がして男は白目を剥き、そのまま糸が切れた人形のように倒れた。
「ふぅ……まったく。手間がかかったでござるよ」
男を殺したハイドが、ため息を漏らす。
エルナとはぐれた時、エルナからこの男が財布を盗む瞬間を見ていたハイドはその後、男を探し回った。
奪われた財布を取り返すためだ。
「あ、でもついコイツを殺してしまったでござるよ。ジキル殿には『人を殺すな』って言われてたでござるのに……」
ジキルとの約束を思い出し、どうしたものかと男の死体の周りでぐるぐると回るハイド。
ふと、立ち止まる。
「これはどうしようもないでござるなっ。まぁ、言わなければバレないでござろう」
そう結論づけたハイドは男の服を物色し始める。
ハイドにとって、死は日常だ。さして、特別なものでも何でもない。しかし、それは人として致命的な欠落だった。
ただ、今この場にそれを指摘するものは誰一人としていなかった。
「……ん?」
ハイドが首を傾げる。おかしい。盗まれたはずの財布がどこにもない。ポケットというポケットすべてに手を突っ込み、男の着ていた服も全部脱がした。服を裏返してみても、やはり見つからない。
「見つからぬでござるな……」
むぅ、と唸るハイド。これでは男を殺した意味がない。
少し考えて……面倒臭くなってやめた。
「まぁ、他の財布があるでござるし。これを代わりに貰っていけばよいでござるな」
そう言って床に散らばった財布を拾い上げ、ハイドは男の部屋を後にした。
書き終わって思ったんですが、コレはタイトルを変えた方が良かったのでは……?
あと最後の方、文章を足そうか足さないか迷ったんですが……足した方が自分の中のハイドのイメージに近かったんですよね