『スパイ教室 二人のスパイ』 side story 作:眼鏡鏡眼
てな訳でどうぞ
「──ちょっとモナさん? 挨拶ぐらいしなさいっ」
ディン共和国の東部の街中にある、三階建てのとある邸宅にて。
邸宅の裏にあるゴミ捨て場から中庭へ向かって歩いていたジキルは女性の怒鳴り声を聞いて、思わず曲がり角から一歩引き、邸宅の壁に隠れた。
何事かと持っていた小さな手鏡越しに様子を伺う。玄関前でスーツに身を包んだ長い黒髪の女性が、青銀髪のメイド服の少女を叱りつけていた。
「……すみません。窓拭き掃除に集中してたもので」
頭を伏せた青銀髪の少女が少し面倒臭そうに答える。その態度が気に障ったのか、黒髪の女性はより厳しい口調で言葉を続ける。
「貴女ねぇ! その態度はなんなの!? 最近入ったばかりだか知らないけど、メイドとして最低限のマナーってものがあるでしょうっ?」
黒髪の女性の言葉に、青銀髪の少女が不愉快そう口元を歪める。多分、舌打ちしてるなと思う。
「まぁまぁ。クレアくん。彼女、まだ来て間もないんだろう? 大目に見てあげてよ」
そんな黒髪の女性を宥めるように、側にいた若い金髪の男性が口を開いた。柔和な相貌の穏やかな雰囲気のある男性だ。黒髪の女性が「ダメですっ」と言葉を続ける。
「大体、ウォルター先生は甘すぎます! そんなんだから使用人たちの中にも怠けたりするものが出てくるんです!」
「あはは、それもそうだね……ごめんね、クレアくん」
「ウォルター先生が謝る必要ありません!」
頬を膨らませる黒髪の女性──クレアに金髪の男性──ウォルターが苦笑いを浮かべる。
「まぁ、そういう事だから。モナさん……だったかな? 僕は一応、キミの主人であるわけだし、それでなくとも客人が来た時は挨拶してほしいかな」
ウォルターが優しい口調で、少し申し訳なさそうにそう告げる。
今まで反抗的だった青銀髪の少女も立場上、主人にあたる人物にそんなふうに言われては悪態をつくわけにはいかない。
背筋を正し、「かしこまりました」と言って恭しく頭を下げた。
「お帰りなさいませ、ご主人様──先程は失礼致しました。以後気を付けてまいります」
「うん、これからもよろしくね」と、笑ってウォルターが邸宅へと入っていく。後に続いたクレアがまだ何か言いたげだったが、とりあえず場は収まったようだ。
(さて、じゃあ俺もそろそろ戻ろうかな)
そう思い、ジキルが手鏡をしまおうとした瞬間、青銀髪の少女がこちらに向かってきてるのが見えた。
手鏡をポケットに突っ込み、咄嗟に先程立ってた位置よりも奥へと体が動く。
(いや、俺はなんでまだ隠れるようなマネをしてるんだ?)
頭を傾げる。再び隠れる必要もないのだが……なぜか体が寒気を感じて、そう動いてしまった。
大丈夫だ、隠れる必要はないと自分に言い聞かせ、ジキルは壁から離れて曲がり角の前に出た。
「やぁ、モナさん。そっちの掃除は終わったの──ぐえっ!?」
ネクタイを引っ張られ、再び先程隠れていた位置へと叩きつけられた。
「げっほ、げっほ…………モナさん? いきなり何するんだよ?」
「…………なんで」
「ん?」
「なんで、ボクがメイド服なんか着てるんだよっ?」
メイド服を着た青銀髪の少女──モナ、ことモニカはそう声を荒げた。
クラウスに任された任務にあたってから三日目の事だった。
任務の内容は政治家の護衛。護衛対象であるウォルター・バスパールは若輩でありながら将来を有望されるディン共和国の若手政治家だ。さらに、その父もディン共和国の政界では重鎮にあたる政治家だった。
その父親がニ週間前、何者かに殺害された。その殺害にはどうやら、ガルガド帝国のスパイが絡んでいるらしい。
「それを調査していた同胞の一人も五日前に音信不通……まぁ、ガルガド帝国のスパイにやられたと考えるべきだろうな」
同胞が失敗した任務を引き継ぐ──つまり、この任務は不可能任務にあたる。そこで不可能任務専門のチーム『灯』の出番、というわけなのだが。
「だからって、なんでジキルさんのペアがボクなのかなぁ?」
不満を隠すこともなく、メイド服を着た隣のモニカが睨み付けてくる。ジキルは言い分けがましく答えた。
「そう言われてもな。アネットとハイドをこの手の任務に連れていくのは不安があるし、リリィはドジだしな」
「……ジビアかティアもいたでしょ?」
「2人は別の任務があるらしくてな。誘えなかった」
ジビアとティアに関しては嘘だった。いや、実際には任務に出ているし、まるっきり嘘というわけでもないが、その任務はジビアとティアであたる必要もなかった。
納得しきれていないモニカが「ふーん」と、訝しげに目を細める。
「まぁ、いいよ。任務なら仕方ない……すごい不本意ではあるんだけど」
追求はされずに済んだようだ。一応、一言だけ謝っておく。
現在、ジキル達は使用人としてバスパール家に従事していた。同胞が残してくれた情報では暗殺に関わったガルガド帝国のスパイがまだこの邸宅に潜伏してるの事だった。その目的はウォルター・バスパールの暗殺らしい。
なぜ親子一緒に暗殺しなかったのか、流石に任務を失敗したと諦めて逃走しているのではないか──疑念もいくつかあるが、暗殺の可能性がある以上見過ごすわけにもいかない。
深夜──ジキルとモニカは割り当てられた使用人用の部屋で、盗聴器から聞こえる会話に耳を傾けていた。執務室に仕掛けたものだ。
『──ウォルター先生、お疲れ様です。少し休憩された方がいいですよ』
『ん。そうしようかな……ありがとうクレアくん。このお茶、良い香りだね』
『今日、良い茶葉が手に入って……ハーブティーです。癒されますよ』
ウォルターとクレアの和気藹々とした会話が聞こえてくる。この三日間で分かった事だが、ウォルターとクレアはかなり親密な関係のようだ。やましい意味などではなく、互いに信頼し尊敬しあっている──そんな関係。政治家と秘書という関係の中では今時珍しいなと思う。
「ていうかさぁ、ボクもうメイド服着る必要なくない? 早く着替えたいんだけど」
不満げに口を開くモニカ。
「いや、まだダメだろ。前にクレアさんから『私が休んでいいと言うまでメイド服でいなさい』って言われてただろ?」
「あー。言ってたね、あのオバさん。毎回ボクにケチつけてくるからウザいんだよね」
忌々しそうに舌打ちするモニカ。その様子に苦笑する。
「まぁまぁ……だいたい、なんでそこまでメイド服着るの嫌がるんだよ?」
「奉仕する側ってのがムカつく」
「……モニカらしい理由だな」
「あと、こんなのボクじゃ似合わないでしょ」
ベッドに腰掛けるモニカがスカートの端を摘み上げた。白のニーソックスとスカートの間から健康的な太ももが視界に入り、咄嗟に視線を外す。
モニカの着ているメイド服はバスパール家から支給されたものだ。フリルの付いた可愛らしいデザインでスカート丈が膝上と短い方。メイド服のデザインは使用人達からの強い要望らしい。
「そうか? 俺はそんな事はないと思うけどな」
素直な感想だった。『灯』は容姿の優れたメンバーが多い。モニカも目鼻がハッキリして整っているし、スタイルも悪くない。それにいつも不遜な態度でクールな彼女が可愛らしいメイド服を着ているというだけでギャップがある。
リリィに茶化された時は特に気にも留めなかったが、悪くないな、と思ってしまう。少しだけ驚いたような顔をして「……あっそ」とモニカが視線を外した。
その瞬間にジキルは曖昧に相槌を打ちながら片手でネクタイを緩めるフリをして、胸ポケットに挿してあったボールペンをワンプッシュした。
アネット特製のペン型小型カメラだ。モニカのメイド姿を盗撮するようリリィ達に言われていたからだ。
決して、自分のために撮っているわけではない。
『──ん。どうにもダメだな……睡魔が』
『お疲れなんでしょう。一度、お休みになられては?』
『それもそうだね。すまない、クレアくん。30分ほど仮眠をとるから時間になったら起こしてくれるかい?』
『かしこまりました』
盗聴器からそんな会話が聞こえる。どうやらウォルターは仮眠を取るようだ。
「……まぁ、いいよ。どうせ、このメイド服も今日までの話だしね」
会話を聞いていたモニカが立ち上がって、口の端を吊り上げる。ジキルも「まぁ、そうだな」と首肯した。