『スパイ教室 二人のスパイ』 side story 作:眼鏡鏡眼
「グレーテ先輩と仲良くなる方法っすか?」
陽炎パレスにある飼育所にて。
ジキルの問いに茶髪の小動物のような少女──サラが飼っている子犬を優しく撫でながらうーん、と唸った。
「そうっすねぇ。それならまず、グレーテ先輩が何で男性が苦手なのか知るべきだと思うっすよ」
「……なるほど、確かにまずは苦手な理由を知るべきだな。そこからグレーテと仲良くなる方法が見つかるかもしれないしな」
サラの答えに、ジキルは神妙に頷く。
現状、ジキルに対するグレーテの好感度はマイナス値だろう。これ以上、差を広げないためにも把握しておく必要がある。
「ちなみにサラは、グレーテが何で男性が苦手なのか知っているか?」
「いえ、自分は知らないっすけど……でも、男性のどういう所が苦手なのかは知ってるっすよ」
「へぇ、どういうのがあるんだ?」
「大声で喋るところ、らしいっす」
「なるほど、大声でね。それなら俺には関係な──」
そこまで言いかけて、ジキルがはたと口を止める。
(──いや、待て。そういえば俺って結構ハイドに対して怒鳴る事、多くないか?)
口を止めたジキルの様子に、サラが不思議そうに首を傾げる。
「ジキル先輩、どうかしたんすか?」
「あぁ、いや。何でもない……他にはあるのか?」
少し引き攣った笑みを浮かべるジキルに、サラは首を傾げつつ、言葉を続ける。
「あとは、男性の威圧的な態度とか、人相の悪さとか……もう、男性と話すだけで胃が痛くなるらしいっすね……て、ジキル先輩? どうしたんすかっ」
グサァッと、刺突音が何度も聞こえてきそうな勢いで、胸を抑えながら身を小さくしていくジキル。額から、滝のような汗も流れ始めている。
「いや、うん……なんか、心当たりあり過ぎて……俺、もう少し大人しくするよ……」
最後にサラにお礼を言って、ジキルはその場を去った。
「──グレーテと仲良くなる方法?」
場所は変わって。
自室で優雅に読書をしていた黒髪の少女──ティアがジキルの問いに「そうね」と口を開いた。
「まず、男性が苦手な女性と仲良くしたいのなら、女性に『この人は他の男性とは違う』っていう意識を持たせるべきね」
ティアの言葉にジキルが、おぉっ、と感嘆の声を上げた。
何やらそれっぽいアドバイスが出てきて、ジキルが期待に胸を膨らませる。
「具体的な方法ってあるのか?」
「もちろんあるわよ。まずはグレーテが今まで接してきた男性の傾向を知るべきね。そこにはきっと彼女が男性が苦手になった理由があるはずよ」
「ああ、それなら多分だが分かるぞ。サラから聞いたんだが、グレーテは声の大きい男性が苦手らしい」
「そう、それならそれを参考にしてもいいわね。グレーテと接する時は声を荒げず、穏やかに話すべきね。ジキルはハイドちゃんに何かと怒鳴る事が多いからそれも控えた方がいいわ」
ティアの指摘に、やっぱりそうだよな、とジキルは苦虫を潰したような顔になる。やはり、今後はハイドを叱るのは避けた方がいいだろう。
「他にも、あるか?」
「そうね、あとは清潔感や相手との適切な距離感を保つって所かしら。人の印象って見た目で9割は決まるものなのよ。ジキルは癖っ毛だから髪型を整えた方がいいわ。目つきが悪いのは仕方ないかもしれないけど、せめて目の下の隈は化粧とかして隠しなさい。あとグレーテと早く仲良くなりたいかもしれないけど急がずに。まずは挨拶とか小さな会話から、笑顔と声のトーンが今よりも明るくなるように気を付けて──」
ティアの解説に、真剣な眼差しでジキルが食い入るように耳を傾ける。
それからしばらくティアの解説が続き──。
「──なるほどな。凄く、参考になったよ。すぐに実践してみる。ありがとうな、ティア!」
そう言って、ジキルは満足気に部屋を後にした。「頑張ってね」と、笑顔でその様子を見送ったティアが息を吐く。
「……まぁ。今のグレーテは先生にゾッコンだから、ジキルの努力が身を結ぶかは微妙、かしらね」
そんな今更な事を呟いて、ティアは再び読みかけていた小説に視線を落とした。
ティアの部屋を後にしたジキルは意気揚々と一階へと階段を降りていく。
(サラとティアに相談して正解だったな。グレーテと仲良くするための方針と方法も固まりそうだし、何とか解決できそうだ)
そうして一階へと降りたジキルは、小腹が空いたので冷蔵庫の食べ物を適当に持って自室で今後の具体的な方法を詰めていこうと思い、そのまま調理室に向かう。
「──たっだいまー! でござるよっ」
玄関の扉を勢いよく開けて、天真爛漫な笑顔を振り撒きながら黒髪の小柄な少女──ハイドが現れた。
小脇には沢山の食材を入れた紙袋を抱えている。
「おー、おかえり……そうか、今日の買い物担当はハイドだったか」
ジキルとハイドが『灯』と交流してから、ジキルとハイドも『灯』の生活ルールに従うという事で、少女達に振り分けられていた当番制を担っていた。
「拙者だけでないでござるよ! グレーテ殿と一緒でござる」
「……はい。ただいま戻りました」
そう言って、顔を出したのは儚げな赤髪の少女──グレーテだ。彼女も両腕で包み込むように食材の入った紙袋を抱えていた。
(──これは、チャンスじゃないか?)
ジキルがふと、そんな事を思う。
サラとティアから受けたアドバイスを実践するチャンスが早くも訪れた。
まだ詳細を自分の中に落とし込む事は出来ていないが、自分はこれでも一流のスパイだ。作戦など立てる時間がなくとも、チャンスが来たのであれば、得た情報をその場で精査し、目的を達成するなど造作もない。
(なにより、想定外の状況の中で何とかするなんて、ハイドとの任務でいつもやっている事だ……俺なら、やれる)
抱えていた問題にやっと光明が見えた。今後の任務のためにも早く問題を解決したい……そんな思いが、ジキルの気持ちをはやらせ、そう判断を下させた。
「買い物ありがとうな、二人とも。荷物、重くないか? 良ければ調理室まで俺が運ぼうか?」
穏やかな笑みを浮かべて、ジキルがそう申し出る。
第一アクション──笑顔と、さり気ない気遣い。声のトーンも普段会話する時よりも少し上げて、優しく語りかけるように言葉を吐く。
誰だ? こいつ、と自分でもツッコミたくなるような声が出た。
「急に声を変えて、どうしたでござるか? ジキル殿」
その様子に、ハイドとグレーテも少し戸惑っている様子だった。
ハイドの言葉に、ジキルは首を横に振る。
「別に何もないが? 俺はいつも通りだよ」
「いや、嘘でござるよな? 拙者、ジキル殿と一年以上は一緒にいるでござるが、聞いた事もないような甘い声を出してるし、凄い笑顔だし……はっきり言って、気持ち悪いでござるよ?」
「あん? 誰が気持ち悪い──っ」
咄嗟に暴言が出かけて、ジキルが慌てて口を押さえる。
(我慢、我慢だっ。ジキル! すぐ近くにはグレーテがいるんだぞ? これ以上、好感度を下げてどうするっ?)
深く深呼吸をしたジキルが、また穏やかな笑みを浮かべて口を開く。
「や、何でもない……荷物、俺が運ぶよ」
「いや、さっきキレかけて……」
「な ん で も な い。荷物は、俺が運ぶよ」
「あ、そうでござるか」
「……ありがとうございます」
有無を言わせない迫力の笑顔に、ハイドとグレーテは大人しく紙袋をジキルに手渡した。
手渡された紙袋の中に入っていた食材をすべて冷蔵庫に入れ、その間に調理室にあるテーブルの席にハイドとグレーテを座らせたジキルは二人に提案する。
「ところで、二人とも。お腹、空かないか? 俺が簡単に何か作るよ」
「え? いえ、今日の料理当番は私達ですし、そういうわけには……」
「はは、遠慮するな。買い物で疲れたろう? ちょっとそこで休んでなよ」
ジキルの突然の提案に戸惑いの声をあげるグレーテ。ジキルはそれを無視して調理を始めた。
「それに私達はまだお腹が空いているわけでは……」
「よし、お待たせ。できたよ」
「え? もうですか?」
ジキルが爽やかな笑みを浮かべて、二人の前にグラスいっぱいにフルーツとクリーム、バニラアイス、チョコレートを盛ったパフェを置いた。
ハイドが「パフェっ!」と目を輝かせ、グレーテが「……信じられません」と、驚愕に目を見開く。
「冷蔵庫に入っていた果物とか使って、適当に盛り合わせただけだけどね」
そう言って、謙遜するジキル。しかし、その完成度はお店に出ているものと同等か、それ以上だった。
二人が揃って用意されたスプーンで一掬いし、口にする。甘味と果物のさっぱりとした味が絶妙に絡み合い、糖分が体内に染みていく。申し分ない味だった。
何より、少し雑談してただけでこの完成度のパフェが出てきたのだ。ギャグ漫画もビックリなぐらい、今回のジキルはガチだった。
(第二アクション──甘いもので、相手の胃袋を掴む……ふっ。まさか、パフェをしつこく要求するハイドを黙らせるためにその場にある食材でパフェを作り出せるようにしておいた技術が、こんな所で役に立つとはな)
甘いものが嫌いな女の子は、まずいない。更にティアから聞いた話だが、最近では料理ができる男性というのがモテるらしい。ここで今まで会ってきた男性とはジキルが違うという事が、グレーテにアピール出来たはずだ。
内心で、得意げにガッツポーズするジキル。
食べている途中でハイドが、何やらパフェに対して批評を挟んできたが、怒りを堪えて笑顔で聞き流した。
──因みに、余談だが。
大抵のスパイは男女に関係なく料理に限らず家事全般が出来るように訓練されている。また、『灯』の唯一の男性であるクラウスも料理ができるし、その腕は一流パフェ顔負けなわけで、ジキルの料理の腕じゃ足下にも及ばなかったりするわけだが。それについてわざわざ指摘するような人物はいなかった。
「ごちそうさまでござるっ」
「美味しかったです。ありがとうございました……」
二人がパフェを食べ終える。ジキルは率先してグラスを回収して、食器洗いを始めた。
「ふわぁ……拙者、パフェを食べたら何だか眠くなってきたでござるよ」
食べ終えたハイドが大きく欠伸をし、眠たそうに目を擦り始めた。
ジキルがすかさず、「大丈夫か?」と声をかける。
「疲れたんだろ。眠いなら、寝てきていいぞ?」
「ん〜〜……でも拙者、料理当番でござるしぃ……」
うつら、うつらと頭が左右に揺れ始めたハイドがぼやく。ジキルは呆れたように目を細めた。
「そんな状態で料理なんかできるか……仕方ない、料理当番は俺が代わってやるよ」
「──え?」
グレーテが戸惑いの声を上げる。
ハイドがもう一度欠伸をし、口を開く。
「そうしてくれると助かるでござるよ……今日のジキル殿、優し過ぎて気持ち悪いでござるなぁ」
「っ……はは、まぁ、俺だってそういう日ぐらいあるさ」
ハイドの失言を、ぐっと堪える。ジキルは素早くハイドを背負い、足速にハイドの部屋へと向かった。
第三アクション──対象と二人きりになる。グレーテと二人で、落ち着いて話ができる環境を作り出す事に成功した。
ハイドの失礼な物言いに、何度キレそうになったか分からない。邪魔者に早く退場してもらうために、ジキルはハイドのパフェにだけ持ち歩いていたゾウすら眠らせる強烈な睡眠薬を混ぜ込んでおいたのだ。
部屋のドアを開けた頃には、気持ち良さそうな寝息を立てていたハイドを背負い投げの要領でベッドへと放り投げる。
すぐに調理室へ戻ったジキルが、穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「相方がすまないな……今日の調理は俺が手伝うよ」
そう言って、てきぱきと調理の準備を始めていく。この時、ジキルは確かな手応えを感じていた。これほどまで自分の思惑通りに事が進むことなど、ほとんどない事だったからだ。
──しかし。
その時にジキルは、グレーテが困っているような、それでいて痛みを堪えているような……複雑な表情をしている事に気づく事はなかった。