「……聞いたよ、子猫ちゃん。最近君は睡眠不足気味みたいだね」
「まあそりゃたしかにウマがぴょいぴょいするソシャゲ始めてからあんまり睡眠時間取れてないけど……それがどうしたんだ?」
「ゲームが楽しい気持ちは分かるけれど……ちゃんとした睡眠を取らないとダメだ。それに、ちゃんと眠って体力を養わないと、いずれ君の大好きなゲームをする元気さえも無くなってしまうよ? そうなる前に……」
「あっうそデビュー前なのにカイチョーが夜更かし気味になった……ちゃんと寝て……」
「……ふむ」
今日の用事も終わり、いつも通りうまだっちな育成周回をしようと自室のドアを開けるとそこに彼女はいた。いやほんといつもいるなこの子。
目の前の彼女はどうやら俺を心配してくれているようだが、俺はあと少しで始まるイベントのためになんとして早く長い距離を走れるウマを育てなくてはならないのだ。そのためには少しの睡眠不足も仕方がない……そう思っているのだが。
「……そんなに寝て欲しいの?」
「……ああ」
「分かった、少しぐらいなら付き合ってもいいよ。ただ、ひとつルールがある! 制限時間内に俺を寝かせられなかったら俺はそのまま周回始めるからな!」
「望むところさ。この瀬田薫、必ず君を寝かしつけて見せよう」
そう言って、薫は持ってきたリュックから中身を取り出す。
それにしても、なんかすごい大荷物だよな今日の薫。一体何持ってきたんだろう? と思い、彼女に聞いてみるが。
「……それ、何入ってんの?」
「主に小豆とザルを持ってきたよ」
「さては薫懲りてない?」
この子、親の小豆ザルよりも見た小豆ザルで俺を寝かせるつもりだった。薫からしたらそうでもないのかもしれないけど、耳元での小豆ザル、普通に爆音なんだよなぁ……
っていうか小豆ザルってなんだよ。定番化してるのかよ。俺も馴染んでるじゃん。
「でも、こうやって私が君の耳元でこのザルを揺らせば……」
「薄暗くてむさ苦しい俺の部屋が、薫の儚いASMRで常夏気分の爽やかビーチに! ……絶対ならないからな」
「……そうか……」
「すっごい落ち込むじゃん」
俺がそう言うと、しゅん、とオノマトペが付くかのように目に見えて落ち込む薫。なんか子犬みたいでかわいい……って何考えてんだ俺! 薫、絶対犬ってガラじゃないだろ。
そんなことを考えながらも、小豆を両手に持って俯く薫の頭を撫で、俺はこう言う。
「……いいよ使えば! 使いたいんだろ! っていうかさ、薫はこの前の小豆どうしたの? 食べたの?」
「ああ、この前の小豆ならぜんざいにしたよ。とても儚い味がしたね」
「そうだよな〜、本来小豆って波の音出す用じゃなくて食べる用のものだからな〜」
「……でも波の音も出せるよ!」
俺の言葉を聞くなり、キラキラした顔で笑って嬉しそうに小豆を揺らしてみせる薫。
なんでそんなに小豆にこだわりがあるのかはさておき、そんな顔見せられたら……もういいよ。別に小豆ASMRでいいよ。
「じゃあ、横になってもらえるかな」
「おっけー、いつものな」
「もちろん、私の膝を枕にして構わないからね。むしろ、私もそっちの方がやりやすいな」
「薫ってさ、本当に無自覚で爆弾発言するタイプだよな。俺以外の男の前では膝枕してあげるねとかなんだとか言うんじゃないぞ」
……ほんと、このままほっといたらどこかの悪い男に捕まりそうなくらい危なっかしいんだよな、薫って。
薫は一瞬戸惑った後、よくわからなさそうなまま頷いて、改めてASMRの準備をする。さて、夜更かし気味の俺を寝かせることはできるかな……?
「……まず、耳かきをしていくよ」
「……ああ、よろしく」
そのやりとりの後、竹の心地いい音と俺の耳が掃除されていく感覚が俺を支配する。痛くないかな、辛くないかな、と俺を気遣う薫のささやき声も、俺をさらに癒している気がして。
薫のASMRを聴いてるといつも思う。やっぱ、人間の耳が最高音質のマイクだよな……って。いや、そりゃそうなんだけどな。
今回は耳かきをしてくれた後、梵天を使って俺の耳をそっとふわふわしてくれるようになった薫。思った以上にしっかり研究してくれてるところとか、薫らしくてかわいいな。
ふわふわ、ごそごそ、ふわふわと俺の耳を綺麗にしてくれた薫は、リュックからペットボトルを取り出し、それを同じくリュックから取り出した氷の入ったグラスに注ぐ。
「これは……炭酸水か?」
「ああ、炭酸水だよ。こうして炭酸のしゅわしゅわした音を聞くのは心地がいいだろう?」
「たしかに、氷の音と合わさると涼しげでなんかいいな」
「……喜んでくれてよかった」
そう言って薫はにこりと優しく微笑むと、俺の頭を優しく撫でてくれる。俺の耳元で、心が安らぐ言葉をささやきながら。
しゅわしゅわとした音を聞きながら女の子に頭をなでなでされ、優しい言葉をかけてもらえる。こんなに心が癒される空間はかつてあっただろうか。いや、なかったな。
心がホワホワと癒されていくうちに、俺はいつしか眠りの世界へ──行こうとしたら爆音の波音が聞こえた。
「あぁあぁぁあぁあああ!!!!!」
「どうしたんだい?」
「どうしたもクソもねえよなんだその小豆ザル! 後ちょっとで寝れそうだったのに!」
「私はただ、君に波打ち際でバカンスする気分を味わってほしかっただけなんだが……」
いやそれ絶対今じゃないだろ。あとちょっとで寝付けそうな時にすることじゃない。せめて寝た後、寝た後!
あーあ、もうおかげさまで目がぱっちり冴えちゃった。残念ながら、俺はもう薫のせいで寝れませーん! なんで負けたか明日までに考えて来てください〜!
でもまあ、手頃なあったかい抱き枕でもあれば、話は別なんだけどさ。そう、あったかい抱き枕。そういえば近くにあったような? というか、いたような。
俺はダメ元で薫に向かって手招きをしてみる。すると彼女は頭にハテナマークを浮かべながら俺の近くにやってくる。
俺はやって来た薫の身体をぎゅっと抱きしめると、そのまま一緒にベッドに寝転ぶ。薫はまさかの事態にびっくりした顔をしているが、寝れそうだったところを爆音小豆ザルで邪魔された刑だ。存分に抱き枕として楽しませてもらおう。
最初のうちはとても戸惑っていた薫だが、俺の魂胆に気付いたのか何も言わずに俺の体に身を寄せる。その姿がまるで小動物みたいでかわいいな、とか思ったけどこの子百七十あるんだよな。
ああ、でもそっか、身長で思い出したけど、薫ももう大学生になったんだっけ。たしかに大人になったよな、昔と比べて。
顔立ちも振る舞いも昔と比べてお姉さんになってさ。中身はそんなに変わってない気もするけど、このまま放っておいたら、俺の知らない間にどこか遠くへ行ってしまいそうで。
……それは、嫌だな。
いや、なんで今そんなこと考えた? 第一たかが雑煮繋がりの俺がそんなことを考える資格もないし、だいたい薫がどこに行こうかも薫の自由だし。何考えてんだろうな、俺。
そんな時だった。右耳の裏側に、柔らかい舌が触れたのは。
「うわーーーーーーっ!!!!!」
「びっくりしたかい? 子猫ちゃん」
「びっくりも何も、いきなり耳舐めるバカがいるか!? せめて告知しろ、告知!」
「フフ、すまないね。君の悩んでいる顔を見ていたら、ついいじわるしたくなってしまったんだ」
俺の耳を舐めてきた元凶はいたずらっぽく笑いながら俺にそう言った。ったく、いつどこでそんなこと覚えてきたんだろうな。おかげでさっき考えてたことも吹き飛んだし。
昔の薫はこんな風に俺をからかうようなことはしなかったはずだし、もっとピュアピュアで俺を目にするなりなりふり構わず小豆ザルを鳴らすような子だったはず……いや、今日も普通に鳴らしてたけど。
こんな小悪魔スキル一体どこで身につけてくるんだ、マジで。おかげで心臓が何個あっても足りないっていうか、理性がいくらあっても持たないっていうか。
「ところで、耳が少し赤くなっているようだけど……もしかして、君はこうやって私に抱きつきながら耳元でささやかれるのが好きなのかい? フフ、いけない子猫ちゃんだ」
いや、いけない子猫ちゃんはどっちだよ、と言いそうになるが、薫が楽しそうにしている姿を見ると、反論する気も失せてしまう。
でもまあ、薫にやられっぱなしも釈なので。薫のくせに生意気だぞ、と言いながら俺は薫の頭をわしゃわしゃと撫でると、俺はベッドから起き上がる。薫も俺と同じように起き上がり、俺の隣に腰掛ける。
「……ところでさ」
「なんだい、子猫ちゃん?」
「薫は、こういうこと、他のやつにもやってんの?」
……実は、めちゃくちゃ不安になった。純真無垢な薫に俺がASMRという概念を教え込んだせいで、薫が誰彼構わず瀬田薫ASMRをしまくる変質者になっていないかって。
それだったら俺は全力で薫を止めないとだし、そのせいで薫が危ない何かに巻き込まれたらたまったもんじゃないし。
何より、俺以外の誰かに瀬田薫ASMRをしてほしくなかった。ふわふわとした吐息も、艶っぽい舌の音も、優しいささやき声も、うるさい小豆ザルの音も、正直他の誰かに聞かれたくなくて。俺だけが、独り占めしたかった。
薫は、そんな俺の気持ちを見透かしたように、優しく笑って。
「私が瀬田薫ASMRをするのは、世界でただひとり、君だけだよ」
小豆ザルを持ってそう笑う薫は、それこそ独り占めしたくなるくらいかわいくて。瀬田薫ASMRを独り占めできる君は幸せ者だね、と自慢げに笑う姿も、愛おしかった。
改めて、この小豆ザルの音を聞けるのは俺だけなんだと実感すると、なんとも言えない気持ちになるな。なんていうか、どっちの意味でも。
だけど、この特別な時間が少しでも長く続いて欲しいと考えてしまうほどには俺は瀬田薫ASMRの、いや、「瀬田薫」の虜になっていた。本当に大した子だよ、この子は。
でもそんな時間にも限りはある。気づけばもう夕暮れ、これ以上うちに居させるのはやばいし、何よりこの時間に薫をひとりで帰すのもなんだ。
駅まで送るよ、俺は薫にそう言ったが、薫はまさかの返事をしてくる。
「疲れている君を寝かせていないんだ、まだ帰るわけには行かないよ」
ああ〜! そうだったね〜! 薫、割とそこら辺忘れないタイプの子だったね〜! そういう真面目なところは薫のいいところだけど、もう夜だから流石に心配っていうか。
いや、待てよ? 薫、どうしてパジャマに着替えてるの? もしかして、俺を寝かせるついでに俺の家に泊まるつもりか……?
大慌てする俺だが、どうあがいても薫の意思は変えられるわけもなく。もうこうなれば仕方がないので、小豆ザルでもなんでもいいから寝かせてみろー、なんて冗談を言いながら俺はもう一度ベッドに倒れ込む。
薫はもちろんさ、と言わんばかりの顔をして小豆ザルを鳴らす。正直うるさすぎるが、楽しそうな薫を見られるだけで俺は満足だった。寝れないけど。
小豆ザルの音色を聴いていると、だんだんと瞼が重くなる。俺が寝そうなことに気づくと薫も小豆ザルを鳴らすのをやめ、ベッドに横になる。
あと少しで眠りに落ちるその時。薫の手のひらの温もりが、額に触れる。薫は俺の頭を優しく撫でたあと、こう言った。
「私は、どこにも行かないよ」
その言葉と同時に、俺の意識は夢の中へと溶けていく。薫のその言葉の真意がわかるまでは、あと、もう少し。