今宵、君とエチュードを   作:イソギンチャク

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水着祈願小説第二弾です!!!
今年こそ……来ますよね……???(恐怖)


Mermaid Festa vol.1

 八月。両親に連れられ、父方の実家を訪れていた時のこと。興味のない親戚同士の会合にうんざりした俺は、家を抜け出しひとり海にやって来ていた。

 

 それにしても、海以外本当に何もないな、ここ。あるとしたら、田んぼか畑。それくらいで。

 

 正直、こんなところ来る気なんてなかった。親戚以外まともな知り合いもいない田舎なんかに、高校生最後の貴重な夏休みを潰してまで来る必要なんてないじゃないか。

 

 ……本当ならずっと、家で絵を描いていたかったのに。

 

 そんなやるせない想いを抱きながら歩いていると、いかにもこれで絵を描いてくださいと言わんばかりの細い枝を拾う。今日はそうだな、これで砂浜に人魚でも描いてみよう。

 

 人魚と言えば、昔じいちゃんが幼い俺によくこう聞かせていたな。『人魚は恐ろしい生き物だ』って。美しい容姿で人間を魅了して、彼らの心の奥の奥に入り込んだ後、最後には深い深い海の底に連れていくんだ、って。

 

 別にそんな伝説どうでもいいけど、しつこく聞かされたせいかその話だけ妙に頭の中に残っていて。そんなことを考えながら完成した絵を眺めていると、そこに人のものらしき影が射す。

 

「これは、君が描いたのかい?」

 

 突然聞こえた声に俺が顔をあげると、俺と同い年くらいの少女が俺の絵を覗き込むように見ていて。

 

 あまりにもいきなり現れたものだから、俺は一瞬固まって動けなくなる。

 

「そう、だけど」

 

 俺がそう言うと、彼女は嬉しそうに絵と俺の方を見てニコニコと笑う。

 

 っていうか、儚い儚いって褒めてくれるけど、褒め言葉が儚いって。そんな今にも消えそうな感じに描いたつもりないんだけどな、この人魚。

 

「あのさ、いいかげん海に浸かってないで陸の方に上がっておいでよ。そっちからじゃ、せっかくの絵が逆さにしか見えないだろ」

 

「ああ、言われてみればそうだね。それじゃあ君の言う通り、陸の方から眺めさせてもらうよ」

 

 でも、彼女は俺の絵を褒めるくせにずっと絵が逆さにしか見えない海側から感想を言ってくるものだから。

 

 せっかく見るなら最高のアングルで見て欲しくて、俺は彼女を陸へ誘う、が。

 

 陸に上がって俺の隣に座ってきた彼女の下半身を見て俺は思わず声を失ってしまう。

 

 ──なぜなら、彼女の下半身に足はなく、代わりについているのはまるで魚のような尾びれだったからだ。

 

「もしかして、あんた……」

 

「ああ、人魚だよ」

 

 恐る恐る俺がそう聞くと、彼女はもっともらしくそう答える。

 

 人魚なんてフィクションだけの存在だと思っていたのに。じいちゃんが見た幻みたいなものだと思ってたのに。

 

 唖然とする俺に、彼女は続けてこう話す。

 

「だからかな、君の描いたそれがどうしても気になってしまってね。君が描いたのは人魚だろう?」

 

「そう、だけど。まさか人魚そのものに見られるとは思ってなかったから、その、正直驚いてて」

 

「私はとてもよく描けていると思うよ。陸から見ると、よりその良さがわかる」

 

 そう言って微笑む彼女の横顔は、人間離れした美しさで。いや、人間じゃないから人間離れしているのは普通なのかもしれないが。

 

 そのためだろうか、彼女の王子様のような変わった口調も、さほど違和感を感じさせない。

 

 はっきりした目鼻立ち、長いまつ毛、艶めく紫の髪。そのどれもが、俺を魅力するには十分だった。

 

 ──彼女を絵にしたい、と思うほどには。

 

「君は何かを描くのが好きなのかい?」

 

「……まあ、それなりに。将来はその、絵を描く職業に就きたくて」

 

「絵……?」

 

 俺が若干照れ混じりにそのことを話すと、よくわからなさそうに首を傾げる少女。

 

 ……もしかして、彼女は絵を知らない? そう思った俺は彼女にこう聞いてみる。

 

「まさかあんた、絵、知らないの?」

 

「ああ、この砂浜に来た人たちが何かを描いていくのはわかるのだけど、これらをなんと呼ぶのか知らなくてね。でもそうか、なるほど、これは絵と言うんだね」

 

「そう、絵。俺の、唯一」

 

 思い返せば『あなたは昔っから絵ばっかり描くのね』と、母にそう言われて来た。今思えば、変な子供だったのかもしれない。

 

 でも、絵を描くことが、俺の唯一の幸せで。たとえ辛いことがあったとしても、紙に線を一本描くだけで痛みが和らいでいくような気持ちになった。

 

「……まあ、落ちたんだけどな、コンクール」

 

 俺はそう言って、再び枝を手に取る。

 

 枝を動かすたび、ガリ、ガリ、と鳴る砂を削る音が心地よくて。隣にいる彼女も何も言わないまま、俺を見守る。

 

「もしかして、これは私の“絵”かい?」

 

「……そうだよ」

 

 完成した絵を見て、最初に少女が口にしたのはその言葉だった。

 

 描かれているのが自分ということに気がつくと、彼女の表情はぱっと晴れやかになり。

 

「すごい、すごいよ! 君が描いてくれたこの絵は私の美しさが余すことなく表現されているね! ああっ、儚い……!」

 

「それ、自分で言う? まあ、気に入ってくれたならよかったけど」

 

「描いてくれて本当にありがとう! でも、この儚い絵もいつか波に攫われて消えてしまうんだね……」

 

「まあ、絵なんて基本そういうもんだよ。別にこれに拘らなくたって、あんたが望むならまた描けばいいしさ」

 

 俺がそう言うと、途端に悲しそうな顔をする彼女。たかが落書きが、そんなに気に入ったのだろうか。

 

 だが、彼女の表情はそこから何かを決意したような表情に変わり。彼女はそのまま俺の手を取りこう言った。

 

「君の絵が、もっと見てみたい」

 

 ……と。

 

 まさかそう言われるとは思っていなくて、固まる俺。そんな俺に彼女は。

 

「薫って言うんだ」──そう名乗って、微笑んだ。

 

 〜

 

 それからと言うもの、俺は薫に会いに行っては、絵を描いた。

 

 俺が描いた絵を見せるたび、薫はいつも嬉しそうに頬を染め、儚い、と褒めてくれて。

 

 俺はそれが嬉しくて、また絵を描いた。何回も何回も絵を描いた。

 

 思えば、俺はこの時すでに彼女に惹かれていったのだと思う。戻れなくなるほどには。

 

 でも、その度に頭の中でじいちゃんの言葉が蘇る。『人魚は恐ろしい生き物だ』と。

 

 違う、薫に限ってそんなことはない。だって今も、こんなにも友好的に接してくれているじゃないか。

 

 考えれば考えるほど、怖くなって。目の前にいる人間ではない少女が、わからなくなる。

 

「……薫はさ、俺を食うの?」

 

 ──気づけば、俺の口はそう動いていた。

 

 まさかそう言われるとは思っていなかったのだろうな。薫は驚いたような顔をして、俺の方を見つめる。

 

「……確かに君のおじいさまが言う通り、元々人魚は人間を食べる生き物だ。今ここで、私が君を海の底に連れ去って食べてしまう可能性もある。だけど」

 

 少し考え込んだような素振りを見せた後、彼女は俺にこう言った。

 

「だけど」という言葉に違和感を覚えつつも、俺はそのことについて聞こうとしたが。

 

「その逆も然り、だよ」

 

 その時、俺は彼女の言っている意味がわからなかった。

 

 それと同時に俺の唇に触れた彼女の唇の熱が、俺に伝わっていく。

 

「……すまない、いきなりキスをしてしまって」

 

 長いような、一瞬のようなキスが終わった後、薫は申し訳なさそうな顔をしてこう言った。

 

 理由はわからなかったが、想いを寄せていた彼女とのキス。それが嬉しくて、俺は「嫌じゃない」と答えた。すると薫の顔はぱあっと晴れやかになり、花が咲いたような笑顔になった。

 

 そんな彼女に、お返し、と言って俺の方からキスをして。

 

 ──その日俺が砂浜に描いた絵は、甘い恋の絵だった。

 

 〜

 

 その日から、俺と薫は逢瀬を重ねるたび唇を重ねるようになった。

 

 絵を描いて、キスをして、また絵を描いて、またキスをする。そんな日々を繰り返して。

 

 気づけば俺はいつ何時だって薫を求めていた。薫さえいれば他はいらない、と思うほどには。

 

 初めて俺の夢を『肯定してくれた』彼女の存在は、俺にとって宝物のようなものだったから。

 

 だけど、刻一刻とタイムリミットは近づいてくる。この幸せが永遠に続くわけじゃないことも、わかっていた。

 

「君は、いつ帰る?」

 

「……明日。でもさ、正直このまま帰りたくないよ。薫と一緒に海の底に行ってもいいかな? ってぐらいだ」

 

「それはダメだよ。君には夢があるんだろう?」

 

 それをわかっているのは、きっと薫も同じだ。だからこそ、こんなことを言ってみるが薫は首を横に振る。

 

 そんな薫に、俺はこう言った。

 

「……言ってなかったけど。その夢、叶いそうもないんだ」

 

「……え」

 

「この前のコンクールが、最後のチャンスだったんだよ。このコンクールで入賞できなかったら、絵の道は諦めて勉強に専念しろって、親に言われて。……で、結果はこの通り。もう、俺には何もないんだよ」

 

 俺がそう言い終えた時には、薫の表情は暗くなっていて。

 

 そんな悲しいことを言わないでおくれ、きっと大好きな絵を続ける方法はあるよ、と薫は必死に俺を励ましてくれるが、俺にその言葉が響くことはない。

 

 気づけば日も暮れ、俺は薫に手を振り家族の元に帰ったが、叶わない夢と悲しそうな薫の顔を思い出すと、ひどく胸が苦しかった。

 

 〜

 

 ……その日はどうも眠れなくて。俺はあの砂浜に気づけばやって来ていた。すると薫は、黒のワンピースを着ていつもの砂浜に立っていた。まるで俺を待っていたかのように、その足で砂浜に立っていた。

 

 いや、足? 薫はたしか人魚のはずだ。それならどうして人間の足が彼女についている? 

 

「……見られてしまったね」

 

「どうしたんだよ、その足……もしかして、薫は人魚じゃなかったのか?」

 

「いや、私は本当の人魚さ。……それは違うな、人魚だった、と言った方が正しいか」

 

「それって、どういう……」

 

 俺がそう聞くと、薫はどこか切なそうに優しく笑って。

 

 自分の足と、俺の顔を見つめた後、俺にこう言った。

 

「人魚は、人間に恋をしてはいけない決まりなんだよ。人間に恋した人魚は、呪いで限りなく人間に近い姿になった後、泡となって消える」

 

 ……人間に恋した人魚は、限りなく人間に近い姿になった後、泡となって消える。

 

 俺は、薫の言っていることが信じられなかった。むしろ、信じたくなかった。つまり、そういうことは、俺のせいで、薫が消えてしまう? 

 

 じゃあ、今の薫は、足が生えている薫は、もう、消える寸前なのか? でも、それなら今までどうして薫は人魚のままだった? どうして、泡にならなかった? 

 

「それじゃあ、どうして今まで薫は……」

 

「私たちは会うたび、いつもキスを交わしていただろう? それは、その呪いに抗うひとつだけの方法だったんだ。……でも、今日はキスをしなかった」

 

「……っ」

 

「だから、そうだね。もうじき、私は泡になって消えるだろう」

 

 ……ああ、なんだ。全部、全部俺のせいじゃないか。

 

 俺があの時夢の話をしなければ。薫が消えることがなかったのに。俺があの時彼女にキスをしていたら。薫が消えることがなかったのに。

 

「ごめん、ごめん、ごめん、薫、俺のせいだ、俺のせいで、薫が、死ぬ」

 

「いいんだ。それにきっと、君は明日元の場所に帰ってしまうんだろう? だから、消える運命は一緒さ」

 

「なんとか、ならないのかよ……」

 

「……もう、ここまで来てしまったら手立てはないね」

 

 薫が消えてしまう。それが嫌で情けなく泣く俺に寄り添いながら、薫は優しくこう語りかける。

 

 それが、さらに俺の心を締め付けて、苦しくさせる。どうして、俺なんかのためにこんな素敵な子が死ななきゃダメなんだ。

 

「でも、不思議と後悔していないんだ。それだけ、私は君に恋焦がれているというわけだね。……だけど、ひとつだけ後悔があるとするのなら、君が絵を描かなくなってしまうことが私は悲しい」

 

「かお、る」

 

「君の温かくて優しい絵が、私は大好きだから」

 

 薫がそう言って笑ったと同時に、薫の足が泡となって消えていく。

 

 うそだ、うそだ、うそだ、俺は回らない頭で、必死にこう叫ぶ。

 

「そうだよ、俺はこれからも絵を描きたい! ずっと描いてたいよ、薫の隣で! だからさ、来年は俺が描いた絵、たくさん持ってくるから。来年はもっと上手になった絵を薫に見せたいから! だから消えるなよ、薫! 俺を今すぐ嫌いになれよ、薫! 薫、かお、る……」

 

「私に絵を教えてくれた大好きな人を、今更嫌いなんてなれないさ。だからこそ、最後のお願いをしてもいいかい?」

 

「なんで最後なんて言うんだよ、これからも、ずっと、一緒にいたいのに、最後なんか、嫌だ、絶対」

 

「……いつか私を絵にして欲しい。君の、作品として」

 

 俺の願いも虚しく、どんどん泡と化して消えていく薫の体。

 

 何もできず泣き叫ぶ俺に、彼女が最後に口にしたのは。

 

「大好きだよ」

 

 ──ただ純粋な、愛の言葉で。

 

 薫がその言葉を言い終わる頃には、もうそこには薫の姿はなく、あったのはあの日ペン代わりにした棒切れだけだった。

 

「ぁ、あ、薫、かおる、嫌だよ、俺、薫が、薫のことが好きで、大好きで、どうして」

 

 ああ、薫はどうしてそのことを最初に教えてくれなかったんだ、どうしてずっと黙ってたんだ、どうして俺に優しくしてくれたんだ、どうして俺のことを好きって言ってくれたんだ。どうして、どうして、どうして。

 

 届くはずもないどうしてを繰り返し、俺は砂浜でひとり泣いていた。朝日が昇る時でも、帰りの電車の中でも。

 

 〜

 

 それからと言うもの、俺はただひたすら薫を描いた。もう二度と会えない、初恋の人を。

 

 長く艶やかなバイオレットの髪も、赤い宝石のような瞳も、綺麗な声も、優しい笑顔も、彼女の全てが今でも鮮明に思い出せる。

 

 だからこそ、俺は描いて描いて描いた。それが、彼女との約束だったから。

 

 

 

「コンクール入賞、おめでとうございます」

 

「ありがとうございます」

 

「それでは──さん、この作品のタイトルを聞かせていただいても?」

 

「ええ、この作品のタイトルは──

 

 

 

 

 

『薫』です」

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