──豊かな自然に満ちた世界『エトワリア』にて、『言の葉の樹の神殿』の女神ソラが観測する世界を物語として記した本──『聖典』
そんな聖典の一つ、『まちカドまぞく』からほんの少し──僅かにズレた世界から召喚された青年、
どういうわけか召喚されてしまった彼は、自分の知り合いが召喚されるのを待ちながら、同じく一人だけで召喚されてしまった
──小鳥のさえずりが聞こえてくる朝、楓は同居人が目覚める前に朝食を作っていた。
「……よっ、と」
フライパンの中身を皿に移して、二人分の料理を用意すると、エプロンを脱いで畳んで椅子に引っ掻ける。それからキッチンを移動して、自室の隣にある同居人の寝室の扉に近づいた。
「
ノックを数回、しかし反応が無い。楓はまたかと小さく呟くと、遠慮ぎみに扉を開ける。
中のカーテンは閉めきられ、部屋の隅に置かれたベッドの上には、布団を首元まで被り穏やかで静かな寝息を立てている女性が居た。
「榎並さん、そろそろ起きて朝食を取らないと、学園に向かう時間に追われますよ」
布団の上から肩を揺すると、女性は遅れて身動ぎして意識を覚醒する。楓と同じ黒髪は短く揃えられているが、その頭も枕に埋もれていた。
「…………うぅ、ん」
「榎並さん、起きてください」
「…………起きてる」
「はい、おはようございます」
寝ぼけ眼の女性が、ベッドに寝転がりながら楓を見上げる。そんな楓も、女性の顔を見て微笑を浮かべると、起きたのを確認して部屋から出ようと踵を返す。
「朝食が冷めますから、早く顔を洗って、リビングに来てくださいね」
「……ああ」
寝癖で跳ねた髪を揺らして、女性──榎並
それを見送った楓は、キッチンの料理をテーブルに運んで清瀬を待つ。数分して戻ってきた清瀬は、楓の向かいに座るとまだ眠気の残った声で「いただきます」と呟いた。
「今日は里の学園の授業に参加するんでしたよね。お帰りは夕方ですか?」
「ああ。……まったく、
「大変ですね」
心の底から労うように返ながらも、ホカホカと湯気の立つパンケーキとベーコンエッグをナイフとフォークで食べ進める。
「……旨いな」
「──それはよかった」
にこりと微笑む楓を見て、清瀬は視線を逸らす。それから食べ終えて皿を流しに置くと、時間が来て席を立った彼女が、食後のコーヒーを飲み干して楓に言う。
「そろそろ出る」
「はい。あっ、そうだった……これお弁当です、前の容器は小さいと言っていたので、一回り大きい奴を買いました。今日はサンドイッチを作ったのでお昼に食べてください」
「……ああ。いつも悪いな」
「いえいえ、好きでやってるので」
蓋をした弁当箱を渡した楓にそう言われて、清瀬はそのまま見送られる。
「さて……洗濯、皿洗い、掃除……晩飯の買い物……今日は寒いし温かい料理にして──」
残った楓は指を折り畳みながらタスクを確認する。そんな自分を客観的に見ると。
「……なんか専業主婦みたいだな」
そう呟いて、首を傾げた。
「なんというか、お母さんって感じですね」
「ですよねえ」
買い物用のカゴをエコバッグのように手に持つ楓は、朗らかに笑みを浮かべる少女と里の一角で会話を交わしていた。明るい髪を揺らし、マントを身につけた少女──召喚師・きららは、楓と歩きながら会話を続ける。
「それにしても、榎並さんと楓さんは、一人だけで召喚されたんでしたよね」
「そうだねえ。しかも男のクリエメイトって珍しいんだっけ? ああでも、俺以外に燎原と古木さんとひでりちゃんが居るからなあ」
あんまり特別感は無いねえ、と言う楓に、きららはおもむろに口を開く。
「──知り合いが召喚されないか、とか、そう思ったりはしないんですか?」
「…………うーん、どうだろう。まあ、俺はともかく、榎並さんの知り合いは召喚されたらいいなあとは思ってるよ」
──楓の脳裏に過るのは、未知の世界に呼び出された直後の光景。
自分の話を聞いて、
「──うん。俺は大丈夫」
「そう、ですか?」
「それよりも大事なのは……」
「だ、大事なのは?」
「夕飯の献立だよ」
「それは大事ですね」
うんうん、と頷くきらら。彼女もまた両親の居ない家庭で育った子供のため、食事の──料理の大事さをよく理解していた。
「──と、そろそろ行かないと」
「おや、お仕事?」
「はいっ、近くの森で魔物が暴れているらしくて。漫画の取材……にもなる? とかで、翼さんと琉姫さんに手伝ってもらうんです」
楓は多くのクリエメイトの中から、名前と顔をなんとか一致させる。
少年漫画家の勝木翼、TL漫画家の色川琉姫を思い浮かべて、納得したように頷く。
「そっか。タイミングが合うなら俺も手伝ったんだけど……家事が溜まっててさ」
「大丈夫ですよ、できたらまた今度、一緒に戦いましょうっ!」
「ん。気を付けてね」
手を振ってきららを見送り、さて、と呟いて買い物カゴを揺らす。
「……よし、スープにするか」
そう言って、楓は里の商店街へと足を運ぶ。一瞬頭を通り過ぎる、液体しか口にしない女の顔に表情を歪めながら。
「──お疲れ様でした、榎並先生」
「……お疲れさまです。佐倉先生」
学生の身分でありながら異世界に召喚されたクリエメイトのためにと建てられた、現代の学校を模した建物内。その職員室で、清瀬は──桃色の髪を揺らす女性、佐倉慈と顔を合わせた。
「このような世界に来ても先生をやらないといけないというのは、些か大変ですね……」
「全くだ」
げんなりした顔の清瀬に、慈は苦笑を浮かべて対応する。彼女は隣り合って座ると、荷物の中から弁当箱を取り出した。
清瀬もまた楓から渡された弁当箱を取り出すと、蓋を外して中身を拝見する。
「あら、美味しそうなサンドイッチ」
「……ふむ、結構ガッツリ系だな」
中には照り焼きとチキンとゆで卵、ふわふわの玉子、BLTのサンドが詰まっていた。
それなりに食べる方である清瀬のことを考え、片手間で食べられるようにとも配慮されたそれを見て、慈はくすくすと笑う。
「なんですか」
「ふふ、いえ……それを作った人は、よっぽど榎並先生が大事なんだなあと」
「……はあ」
疑問符を浮かべながら、清瀬はサンドイッチを食べ始める。隣で同じように弁当を食べ始める慈は、表情を変えないながらも満足そうにサンドイッチを口に入れる清瀬に言葉を続けた。
「サンドイッチって、シンプルだけどそれゆえに完成度が如実に表れるんですよね。それだけ綺麗で美味しそうに作れるということは、榎並先生に喜んでほしいって事ですよ」
「────」
バク、と一口で残りを放り込み、咀嚼しながら慈の声を耳にして──何とも言えない気恥ずかしさに、誤魔化すように言い返す。
「……そういう佐倉先生は、その料理を振る舞いたい相手とか居るんですか」
「──えっ!? いえ、その、古木くんとはまだそういう関係とかでは……」
「誰も大上とは言ってませんが」
意趣返しが出来たからか、清瀬もまた口の端を吊り上げて笑い、別のサンドイッチを取り出す。それから不意に、頬を膨らませてむすっとしている慈に問いかける。
「……あいつ、何も言わないんですよね」
「あいつ?」
「秋野です。一応、これを作ったのも秋野」
「あきの……ああ! 秋野くんですか。古木くんが仲良くしている男の子ですね」
慈は得心が行ったように手を合わせて、記憶の中にある眼鏡をかけた人当たりの良い表情をする青年を想起する。
「何も言わない、というのは」
「元の世界に帰りたいとか、知り合いに会いたいとか、そういうワガママを何も言わずに、嫌な顔もしないで……なにか、感情を押し殺してるような気がするんですよ」
「────」
「私は
こうやって美味しい料理を作り、家事に洗濯に買い物にと、清瀬の代わりに色々とやってくれる青年は、なにかを隠している。
だがそこに踏み込んでも良いものか、そう悩む清瀬に、慈は言う。
「いつか、話してくれますよ」
「……ですかね」
そうですよ。そう言ってにこりと微笑む慈の顔に、清瀬は毒気を抜かれる。
何故か生暖かい眼差しを向ける慈に、僅かばかりにイラッとした表情をしながら、残りのサンドイッチを口に放り込んでいた。
「ただいま」
「──お帰りなさい」
玄関の扉を開けた清瀬。彼女は室内の暖かさにじんわりと頬が紅潮するのを感じ、部屋の奥からパタパタと足音を立ててやってくる楓を見る。
エプロンを着ている楓は、清瀬を迎えて上着を預かりながらリビングに通す。
「お夕飯、ちょうど出来たのですぐ持ってきますね。今日はスープですよ」
「……それはいいな、今日は寒かった」
「はい」
「あと、弁当箱。旨かったぞ」
「──それはよかった」
弁当箱を受け取り、早速とキッチンに向かった楓を見ながら席に座る清瀬は、少しして持ってこられた容器とスプーンを受け取る。
「玉ねぎとチーズが安かったので、バゲットも買ってオニオングラタンスープにしました」
「凝ってるな……」
「なんと玉ねぎ丸々一つ使ってみました。たっぷり煮込んだので、スプーンで崩せますよ」
清瀬はチーズに覆われたバゲットと玉ねぎをスプーンで崩し、纏めて掬い口に含む。
冷えた体に熱めのスープと具が沁みて、ほう、と湯気が吐息と共に溢れる。
「……一つ聞いていいか」
「はい? ええはい、どうぞ」
「お前、知り合いに会いたいとか言わないが……元の世界でなんかあったのか?」
「────」
「……秋野?」
「すいません眼鏡に湯気が」
「おい」
レンズが真っ白に曇った伊達眼鏡を外して置くと、楓は斜めに視線を向けてから返した。
「色々とありましてね。俺の居たところはそこそこ物騒だったものですから」
「お前日本人だよな?」
「なのでまあ、ちょっと気まずいと言いますか……俺は異物なので」
「……? なんだって?」
「お気になさらずー」
冷めますよ。そう言って会話を切り上げると、楓は黙り込む。
煮込まれた玉ねぎとチーズの甘味に加え、バゲットのお陰で満腹感もある。食べ終えたスープの容器を片付けると、食後のコーヒーを用意して、改めて楓は口を開いた。
「逆に、榎並さんは元の世界に会いたい人は居ないんですか?」
「居ない」
「即答……」
「もしかしたらうちの生徒が来るかもしれないが、ウゼェのが一人居るからな」
「生徒に対する評価じゃない……」
本当に鬱陶しさがあるのだろう、苦虫を噛み潰したような顔でコーヒーを呷る清瀬。
「……でも、お前ならあいつらとも上手く付き合えるかもな」
「そうですか。じゃあ、会ってみたいですね、生徒さんたち」
「────」
同じようにコーヒーを飲む楓は清瀬を見てふっと笑う。この『どちらかの世界から知り合いが召喚されるまで』を期間としたこのルームシェアは、いつか終わる日が来るのだろう。清瀬の知り合いが来たら、楓は独りになってしまう。
それもあって、清瀬は楓の事情が気になっていたのだが──これ以上は踏み込めないと、なんとなく察して言葉を引っ込める。
「秋野は彼女とか居ないんだな」
「
天井を見上げて、楓は少し考えると。
「──ないなあ。俺にはもったいない」
「そうか? 家事全般出来る男は優良物件だと思うけどな」
「じゃあ榎並さんが貰います?」
「はっ、バーカ」
「ですよねえ」
あっはっはと笑って互いにコーヒーを飲み干す。それから一拍間を開けて、楓はじっと清瀬の顔を見ると難しそうに眉間にシワを寄せた。
「……なんだよ」
「いえ、なんというか──名字呼びって他人行儀だなあと思いまして」
「……そうか」
「どうです、これを機に名前で呼ぶというのは」
「────」
なんとなしに出された提案に、清瀬もまた眉をひそめる。
『教師として子供を名前呼びというのは』という考えと『そういやこいつのワガママ初めて聞いたな』という考えが同時に頭を過り──。
「…………。はぁ────」
「ため息長いですね」
清瀬はうつむいて、空になったマグカップを見ると、楓に差し出してポツリと呟いた。
「──楓、お代わり」
「……はい、清瀬さん」
まだまだこれからか、と。そう考えて、清瀬は机に肘をついて手のひらに顎を乗せると、楓の背中をぼんやりと観察するのだった。
楓くん
・召喚されたあと、ランプが『まちカドまぞくの聖典にこんなキャラ居たっけ?』みたいな顔をしたので全部察した。
・この世界線の楓くんはRTA本編の楓くんではないため、ミカンママに一目惚れしていないかもしれないし、全ての戦いが終わったあとの楓くんなのかもしれない。性能は配布☆4魔法使い(月)
エナセン
・『スロウスタート』の主人公である一之瀬花名の通う高校の数学教師。面倒くさがり、服装が教師らしくない、酒に弱いなどのダウナー系だが、その胃袋は着々と楓くんに掴まれつつある。