「おや清瀬さん、今日はえらくご機嫌ですね」
「給料日だからな」
「ああー、なるほど」
ザクザクとホットサンドを齧りながら、表情は変わらないが機嫌の良い清瀬の言葉に楓は納得したように頷いていた。
エトワリアでもクリエメイト専門の学園で教師として度々授業を開いている清瀬には、当然だが、月に一度の給料が存在している。
「……そうだ、食費なんかはどうする。いつも通りで良いのか?」
「はい、お金は2~3割ほど戴ければ、あとは俺の方でどうにかできますから」
「わかった」
清瀬の疑問に、楓はエプロンを身に纏い、コーヒーをマグカップに注ぎながら返す。
「そういやお前、どこで稼いできてるんだ?」
「魔物退治をした報酬とか、ライネさんやコルクのお店でアルバイトをしたりですね」
へぇー、と言う清瀬にマグカップを渡して、二人で中身を呷る。時間が来て席を立つ清瀬は、残りを飲み干して玄関に向かった。
「じゃあ行ってくる」
「はい。行ってらっしゃい、清瀬さん」
「ああ」
パタンと扉が閉まり、清瀬は出ていった。残った楓は肌寒さに腕を擦って、一言呟く。
「今日は温かいのにするか……」
「──あら」
「おや」
里に買い物にやってきた楓は、ばったりとクリエメイトの一人と出くわす。
「こんにちは、
「暫くぶりね、楓」
小柄な体格の少女──否、女性は、気だるげな眼差しで楓を見上げる。
さっと屈んだ楓に満足げに頷くと、麻冬と呼ばれた女性が口を開いた。
「ここ最近うちの店に来ないけど、どうかした? もしかして、
「いえ、まあ、苺香ちゃんのアレは心臓に悪いんですけどそうではなく」
一旦立ち上がり、近くのベンチに座り直して二人は会話を再開する。
「今は清瀬さんが居るので、外食を控えているだけですよ。家事もしてますから」
「…………へぇー」
「なんですかその顔は」
麻冬の妙なことを考えているかのような、にやりとした表情に眉をひそめる楓。
「いいえ。ただ、生き甲斐を見つけたみたいで少し安心してるだけよ」
「えぇ……」
「──そろそろ行くわ、またそのうち店に来なさい。夏帆や苺香が喜ぶし、なんだかんだ、ひでりも貴方を気に入ってるみたいよ」
「では是非、清瀬さんも連れて」
「ふふっ、そうしなさい」
ぴょんとベンチから降りると、麻冬は楓に背を向けてその場から去る。
それを見送った楓は、買い物用のカバンを手に立ち上がる。夕食の献立を考えながら商店街を歩いて、おもむろに呟いた。
「──よし、シチューにするか」
そうと決まれば、と楓は鶏肉と野菜を買いに走る。家に着いて、清瀬のためにと気合いを入れた楓だったが、彼の気分が落ち込むのは、それから数時間後の話であった。
「…………遅い」
椅子の背もたれに寄りかかって体を伸ばす楓は、用意した空の器を指で揺らして本来であれば向かいに座っていたであろう人物を想起する。
すっかり日も落ち、閉じたカーテンの外は暗くなっている。帰ってこない清瀬を待ちわびる楓はちらりと、キッチンのコンロの上に置かれた、湯気が減ってきているシチューの鍋を見た。
「なにか事件に……いや清瀬さんはクラスが僧侶のわりに腕っぷしは強い。なら、なにか急用が? 給料日の今日に限って────」
ふと、言葉を区切る。
そういえばと、楓は先月の今頃にも清瀬の帰りが遅かったことを思い出した。
「────あぁ~~…………」
楓がため息をついて、顔を手で覆った。仕方がないとばかりに表情を緩めてコートを羽織ると、楓は家をあとにして目的の場所に向かう。
寒空の下、白む息が空中に漂い、手袋も着けるべきだったかと静かに後悔する。
やがてがやがやと喧騒が聞こえてくる一つの飲食店が視界に入る。
里の住人の一人ことライネの経営する店を
──時を同じくして、店内の一角で知り合い二人と机を囲む清瀬は、コップの酒を呷っていた。中身を半分まで呑むと、しみじみと呟く。
「……私はこのために生きている」
「違うと思いますが」
「ふふ、まあまあ。今日は榎並先生の給料日ですし、このぐらいなら……ね?」
向かいで猪口のような小さい容器で透明な酒を含む青年──大上古木が、隣で清瀬と同じように酒を楽しむ慈にそう言われる。
「ところで、榎並さん。楓にはここに呑みに来ることを伝えてあるのですか」
「あ~? あー……言った。はず。たぶん」
「それは言ってないのと同じですよね」
酔いが回って頬を染める清瀬は古木の言葉に、一瞬天井を見上げてそう返す。
「今からでも帰った方がよろしいのでは」
「へ──きだろ。先月の今日もここに呑みに来てたし、たぶん言ったし」
「その自信はいったい……」
さしもの慈も呆れの混じった声色で呟き、清瀬もまた、コップの残りを呷ってから続ける。
「楓のやつ……魔物を退治したり、エトワリアでもバイトをしたり、ちゃんとしてるんだよ。そのくせ私の弁当用意して飯も作って──」
はぁ──と深くため息をついて清瀬は言う。
「──なんで私なんだ。なんであいつは私と暮らすことを選んだりした」
「榎並さん」
「私っていう枷なんかないほうが、もっと自由に生きていけるだろ、あいつ」
「あの、榎並さん」
古木と慈は、愚痴をこぼす清瀬を止めようとするが、それでも清瀬は止まらない。
「いっそ今回で嫌われた方がいいのかもな。こんな酒好きで面倒くさがりで、自分の生徒くらいの子供に世話焼かれるような女は」
「すみません榎並さん」
「うるせぇな大上。なんだよ」
清瀬──ではなくその背後を見て、古木と慈はえげつないものを見るかのような顔をする。
視線を辿って振り返った清瀬の目に飛び込んできたのは、目尻を細めて、座っている自分を見下ろす、明らかに怒っている楓の姿だった。
「随分と、楽しそうですね、清瀬さん」
「──ふむ、字余り」
「古木さん、別に575ではないです」
楓は思わず呟いた古木にピシャリと言い放ち、改めて清瀬を見下ろす。
「……か、楓」
「お酒、美味しいですか?」
「……ああ」
「それは良かった。どうやら俺の料理より美味しいようで。ええ」
「怒ってるよな、お前」
「いえ別に」
──それキレてる奴の常套句だろ……という清瀬の内心のぼやきを、不思議と古木と慈は読み取っていた。楓はむすっとした表情を崩さずに、それで、と言って続ける。
「先月も同じような行動を取っていたとはいえ、どうして事前に、呑みに行くことを俺に言わなかったんですか」
「…………言ったと思ってた」
「確証がないなら改めて聞きましょうよ」
「……まあ、そうだな」
徐々に酔いで赤らめた顔が冷めて行き、二人をちらりと見てから席を立つ。
懐から金を出して机に置くと、清瀬はコートを羽織っておもむろに声を出した。
「帰る」
「そうしてください……」
「楓、あまり言ってやるなよ」
「はい」
「……わかったか?」
「はい」
淡々と言葉を返す楓に先導されて、清瀬はばつが悪そうに店を出て行く。
残った古木と慈は、顔を見合わせてぎこちなく微笑を浮かべていた。
「なんだかんだ、お似合いですよね……榎並先生と秋野くんって」
「でなければ同棲なんか出来ますまい」
「……古木くんは、呑み直します?」
「はい。お供しますよ」
「なあ、悪かったよ」
「…………」
「次からはちゃんと伝える」
「…………」
冷たい空気がほどよく清瀬の酔いを覚まし、前を歩く楓に謝罪を述べさせる。
「清瀬さん」
「──っ、なんだ」
「俺は、別に、帰りに寒い思いをしただろう清瀬さんが暖まってくれたらいいなあと思いながら作ったシチューが冷めたことを怒っているわけではありませんので」
振り返りすらせずそう言いながら歩く楓に、清瀬は追い付くように早歩きで近づくと言う。
「……なあ、帰ったら食べてもいいか?」
「冷めたやつを温め直したら味が変わるのでほぼほぼ手遅れですがね」
「それでも、お前の料理は旨いだろ」
「…………さいですか」
楓はようやく表情を和らげて、清瀬に笑いかける。言いすぎました、と続けて、おもむろに清瀬へと片手を差し出す。
「はい」
「は?」
「まだ酔いが残ってるでしょう。こんな暗さで、転んだらどうするんですか」
「…………ああ」
別にいい、と断ろうとも思ったが、今の清瀬は楓への罪悪感が強い。なにやってんだかと独りごちて、差し出された手を握り返した。
「──手、熱いな」
「……ですねぇ」
「……お前も酔ってるんじゃないか?」
「──かも、しれませんね」
ぎゅ、と清瀬が握る手に力を入れて、楓は二人で帰路につく。手が熱いのも、顔が暑いのも、全ては気のせいだと誤魔化して。