「…………寒っ──ん?」
深夜、肌寒さに起こされた楓は、リビングから聞こえてきた物音に眉をひそめる。
「泥棒……なら清瀬さんが叩きのめすか」
念のためにと護身用にクリスタルを浮かばせて寝室の扉を開け、リビングに顔を覗かせる楓だが、そこにいたのはグラスを玩ぶ清瀬だった。
「清瀬さん」
「楓か。悪い、起こしたか?」
「いえ、急に目が覚めちゃって」
片手間でクリスタルを寝室の机に乗せて自分だけがリビングに出ると、清瀬はテーブルの上で灯していたランプの近くにグラスを置く。
「貴女こそ────お酒ですか?」
「その顔怖いからやめろ。ただの寝酒だ」
スーッと冷めて行く表情を前に、清瀬は慌てて弁明する。楓もテーブルに酒のボトル或いは瓶がないことを確認して、自身も水を入れて椅子に座って彼女と向き合った。
「ホットミルクとかは飲まないのか」
「実はホットミルクは朝に飲んでからようやく夜に効果を発揮するんですよ」
「へぇ」
「……それで、清瀬さんはなぜ寝酒を?」
「ああ、寒くて寝られなかったんだよ」
──それで寝酒か。と内心で独りごちる楓は、少し考えてから、じゃあと続ける。
「予備の布団があるので、それを重ねたら暖かいですよ。いま部屋に持っていきますから、そのお酒飲んじゃってください」
「悪いな。……お前はいいのか」
「──俺は大丈夫ですよ」
一拍置いてふっと笑い、楓は水を飲み干して押し入れに向かう。それから畳まれた掛け布団を自分の部屋に持って行く様子を見ていた清瀬は、取り出すのを楓に任せていた為に、予備の布団が
──ガヤガヤと喧騒の絶えない街を歩く楓は、新たに召喚されたクリエメイト四人を連れて、清瀬と共に辺りを案内していた。
「──や~、まさか我々が異世界召喚なんてオタク大歓喜のイベントに巻き込まれるとは」
「たまてちゃん、元気だね」
ウサギの耳が頭上に伸びた少女──百地たまてが、楓の言葉にやや過敏に反応する。
「秋野さん、私のことはどうぞ『たまちゃん』とお呼びくださいな」
「……? 別にいいけど……?」
どうぞ是非是非、と押してくるたまてに、首をかしげる楓。そんな彼に、歩きながら側まで近づいてきたもう一人の少女──十倉栄依子がその理由を口にした。
「たまの名前って、玉手箱が由来らしいのよ」
「へえ。おめでたいね」
「いえ、あのですね、確かにめでたい由来なのですが……私の両親は玉手箱を『たまて・ばこ』と区切ると思っていたんですよぉ」
「……あれ、玉手箱の区切りって『たま』と『てばこ』だよね?」
「はいす」
はいす……とおうむ返しする楓は、なるほどとたまての訂正の意味を察する。
「まあでも、玉手箱の『玉』って美称だから、君は『たまちゃん』で良いのかもねえ」
「────。お、おぉ~……突然の好感度イベントみたいでしたね今の」
「うん……? ──いでっ」
突如としてバシッとふくらはぎを後ろから蹴られ、楓はおもむろに振り返る。
視線の先には、普段よりも不機嫌そうな顔をした清瀬が立っていた。
「…………うちの生徒を口説いてる暇があったら、さっさと服屋に案内しろ」
「口説いてませんけど?」
「ほほう……」
「へぇ……?」
ズンズンと先を行く清瀬とそれを追いかける楓の二人を見ながら後ろを歩くたまてと栄依子は、担任と青年の関係を察して口角を緩めた。
「──ここの店員さんは俺の連れの女性を見るたびに『彼女ですか?』って聞いてくるけど、あれは店員さんの国の言葉で『いらっしゃいませこんにちは』を意味するから無視していいよ」
「ええっ!?」
楓の言葉に、一之瀬花名が驚いた様子で声をあげる。クリエメイトの着替えや下着の購入でお世話になっている服屋に訪れた楓は、早速と彼女らを店内で案内していた。
「あっちが女性モノの下着コーナー、あっちが衣服。とりあえず最低限の衣類は人数分買っちゃうから、選んできてもらえる?」
「……い、いいの?」
「大丈夫だよ、いざとなったら清瀬さんの財布も緩めてもらうから」
「おい」
しれっと清瀬を巻き込みながらそう言った楓に、横合いから顔を覗かせた栄依子が言う。
「じゃあ、一番高い下着買っちゃおうかな」
「なんでよりにもよって誰にも見せない部分で高い買い物すんだよ」
「見せる用なら良いんですか? ぴらっ」
「おい」
「うべっ」
栄依子がおもむろにスカートの端を指でつまむと、清瀬が楓の顎を掴んで横に向ける。
ゴキリと骨が鳴るがお構いなしに首を曲げながらも、清瀬は青筋を立てて彼女に唸った。
「テメェいい加減にしろよ十倉」
「うわーマジギレしてる……おほほほ~、別に取って食ったりしませんよ~」
苛立つ清瀬と首を曲げられている楓を見て、栄依子はにやにやと口角を緩めてその場を去る。
「ちっ。見てないだろうな」
「首の骨を折られそうになったので見る見ない以前の話なんですが……いてて」
本当に僧侶なのかこの人……と呟く楓は、それから服を選んでいる少女らを見て言った。
「そちらの生徒さんは元気ですねぇ」
「アレは『ウゼェ』って言うんだよ」
「信頼されてるんですよ」
「どうだかな」
心底嫌そうな顔でそう返す清瀬。楓は呆れ気味に苦笑を浮かべて、あっけらかんと口を開く。
「そう言わずに仲良くしないと。明日からは、俺とじゃなくてあの子達と暮らすのに」
「──、────」
ふ、と。清瀬が言葉を返そうとするが口を閉ざす。『どちらかの知り合いが召喚されるまで』が期間であった二人のルームシェアは、着実に、終わろうとしていた。
「…………楓はそれでいいのか」
「……まあ、元々そういう約束でしたから」
視線を斜めに逸らして楓は言う。何気なく行ったそれが、清瀬の琴線に触れる。
「──おい。それやめろ」
楓にそう言って、清瀬は突然胸ぐらを掴むと顔を引き寄せた。ちらりと視線を向けてきた店員に手のひらを向けて「気にするな」とジェスチャーする楓は、彼女に問い返す。
「……やめろって、何を?」
「その『仕方ない』って考えて諦める態度を、やめろって言ってるんだ」
「────」
「自分の本心を隠すんじゃねえ。なんだかんだ数ヶ月一緒に暮らしてればな、お前が自分だけ我慢して済めばそれでいいって考えるようなお人好しなのは嫌でもわかる」
ぱっと服を離して、清瀬は続ける。
「……もう一度聞くが、お前は何も、思うことは無いんだな?」
「──まさか」
目尻を緩めて、清瀬を見る楓は、小さくかぶりを振って珍しく表情を崩す。
「とても、寂しくなります。俺は人の為に料理をしたり掃除をしたりするのが好きなので、貴女の世話を焼くのが楽しかったんですよ」
「……そうか」
「──俺は薄々、どこかで、ずっとこの生活が続くことを望んでいたんでしょうね」
清瀬に向けた顔を、遠くから服を抱えてこちらにやってくる栄依子たちに向けて、楓は笑みを浮かべながらおもむろに言う。
「今日のご飯、みんなで外食にします?」
「──ふっ、悪くないな」
レジに通された服を見て、財布を取り出す楓は、横の少女たちにもそう言った。
楽しそうにするたまてに、やや申し訳なさそうな花名。無表情ながらにウキウキしている小柄な少女──
「秋野くん、いいの? 私たちはともかく、かむはものすごい量食べるけど」
「……? うん、いいよいいよ。冠ちゃん、いっぱい食べな。育ち盛りだからね」
「やったー」
「………………私しーらない」
屈んで視線を合わせながら楓が言うと、冠は表情を変えないが嬉しそうに両手を上げる。
──その日、楓の財布の中身は服代と食事代で9割が消し飛んだ。
──花名たち四人を新たな住居に送ったのち、深夜に布団にくるまる楓は、あまりの寒さから横になったまま目を覚ましてまぶたを開く。
「……さむ」
そう呟いた直後、不意に自室とリビングを隔てる扉が開かれた。枕元に近づいてきた気配が、寝ぼけ眼の楓に声をかけてくる。
「おい、楓」
「……んぁぃ」
「奥に詰めろ」
「……詰め……、指……?」
「エンコじゃねえよ」
そうツッコミながら、声の主──清瀬がぐいぐいと楓をベッドの奥に押し込む。先日に渡されていた予備の布団を楓の布団に重ねると、彼女はモゾモゾと動いて楓の隣に横になった。
「…………あの、清瀬さん?」
「寒いんだろ。ったく、一つしか無いのに自分は後回しか。寒いのは財布だけにしとけ」
「……レストランで少しくらい出してくれても良かったと思うんですけど……」
「自分の分は出した」
ちゃっかりしている……と独りごちる楓は、布団の中で清瀬の腕と自分の腕が当たり、気恥ずかしさから背中を向けて壁を見るように寝る。そんな背中に、静かに清瀬の声が届いた。
「楓。私は一応、お前が向けてくる感情については察しているつもりだ」
「……そうでしたか」
「流石にそこまで鈍感じゃない。でも、私は教師だ。だからその気持ちには答えないようにするべきだと思って、目を逸らしてきた」
背後で寝相を変える清瀬の動きが伝わり、布団の中の温度が上がって行く。
「だから、まあ、なんだ。いいか? この先を含めて、一回しか言わない」
ひた、と手のひらが楓の腕に触れ、清瀬の吐息が肩やうなじに当たった。
「──私はきっと、
「…………」
その言葉に、楓が返答することはなかった。ただずっと、楓は朝になるまで、腕に触れた手を眠りながらも握り続けていた。
──翌日、楓が起きたときには、既に清瀬の姿と荷物はどこにもなかった。
まるで夢でも見ていたかのような感覚になりながらも、体はルーティーンとなった動きで、つい二人分の食事を用意する。
「…………なぁにやってんだか」
片方を昼食用にするかと蚊帳を取るべく立ち上がった楓だが、その背中に重圧がのし掛かったかのように、重苦しいため息をつく。
「──どうにも慣れないな」
やれやれとかぶりを振って切り替えようとした楓だったが、不意打ちのように、玄関の方でガチャガチャと鍵を弄る音が聞こえてくる。
何事かと思い、驚きで肩を跳ねさせながらも玄関に向かうと、ガチャリと開け放たれ──
「……よう」
「清瀬さん!?」
──中に入ってきたのは、大きなカバンを手にした榎並清瀬であった。
後ろ手に扉を閉めて鍵を掛ける彼女に、楓は驚愕を隠さずに問いかける。
「な……なんで???」
「……なんでだろうな」
カバンをどさりと床に置きながらそう言った清瀬は、栄依子たちが使うことにした家からUターンしてきた時の会話を脳裏に浮かべる。
『先生、帰った方がいいんじゃないですか?』
『は?』
『秋野くんと一緒に居た~いって、わかりやすく顔に書いてますよ』
『────』
『あは、愛されてますね。あの子』
『強めにぶっ飛ばすぞ』
苛立たしげに眉をひそめていた清瀬だが、ぽかんとした顔の楓を見て、切り替えるようにしてふっと笑うと、愉快そうに言った。
「新しく、この家でルームシェアをする期間を設けないか。例えば……『お互いが元の世界に帰るまで』──なんてどうだ?」
「──ふふ。なんというか……素直じゃないですね。俺も、貴女も」
くつくつと笑って、楓は清瀬の案を聞いて嬉しそうに目尻を緩める。
楓は笑みを浮かべて玄関に立つ清瀬を見ると、心の底からの言葉を彼女に伝える。──清瀬もまた、楓の顔を真っ直ぐ捉えて言葉を返した。
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま」