エトワリアに存在する、言の葉の樹の上部に位置する神殿。そこに度々訪れることがある楓は、とある悩みを抱えていた。
「──あら、楓さん。こんにちは」
「……こんにちは、セサミ」
書類の束を手に現れた女性──七賢者が一人にして、筆頭神官アルシーヴの専属秘書であるセサミが、楓の存在に気づくと近付いてくる。
「本日はどういったご用件で?」
「ああ……ほら、よくきららちゃんが里の近況をアルシーヴと話し合ってるでしょ?
でも本人が別件で居ないときは、俺が代わりに来るようにって約束してて」
「そうでしたか。では、私も
「それは、是非」
楓が了承すると、セサミの
隣り合ってアルシーヴの元へと向かう傍ら、歩きながらセサミが口を開く。
「──この間、シュガーとカルダモンに絡まれていたような気がしますが」
「んー、キッチンを借りて痛み始めてた材料でお菓子を作った時のやつかな。絡まれていたというか……あれもう半分カツアゲだったよ、作ったお菓子7割くらい二人に持ってかれたし」
目敏く匂いを嗅ぎ付けたシュガーと、仕事帰りで暇を持て余していたカルダモンにキッチンから出ると同時に捕まった当時の思い出を想起して渋い顔を作る楓に、セサミは労うように言う。
「……大変でしたね。というか、なぜ神殿のキッチンに通されたのですか……?」
「え? えー……あー」
楓は顎に指を当てて悩むそぶりを見せると、自分でもよくわかっていないかのように返した。
「たまに料理を手伝ったりしてるんだよ。なんか知らないけど顔パスになってる」
「なるほど……ん、もしや食堂で配られていたチーズケーキは貴方が──」
「たぶんそうかも? マカロンとクッキーは二人に全部食べられたから、チーズケーキが残ってたならおそらく俺のやつだ」
「そうでしたか。誰が作ったか聞きそびれてきましたが、とても美味しかったですよ」
「そりゃよかった」
そんな風に会話を交わしながら歩くと、アルシーヴの使っている神官用の仕事部屋にたどり着く。ふぅと一息ついた楓を見るセサミは、バチリと視線がかち合って、不思議そうに小首を傾げる彼に対して小さく笑みを浮かべる。
「どうかした?」
「──貴方と話をしていると、よく目が合うので。それがなんだか……悪くないな、と」
「………………。なんでだろうね」
すっ、と視線を斜めに逸らして楓はすっとぼける。セサミは青い髪を伸ばし、黒いローブを羽織っているが──肝心の衣服は、水着どころか下着よりも面積の少ない際どい格好であった。
なによりも問題なのは、秘書の正装として本人がもはや水着ですらない布を嬉々として身に纏っているところにあった。
「──アルシーヴ様、セサミです。それと、きららさんの代わりに楓さんが来ております」
「…………はぁ……」
扉にノックをするセサミの背を見ながら、楓は重いため息をついていた。
元の世界では感じたことのない、未知の感情に振り回されている自覚をしながら。
「──なるほど、つまりお前はセサミがスケベ過ぎて困っている……と」
「もう少しオブラートに包んでくれるか」
「だいぶ包んだけど……?」
「嘘でしょ」
カチャ、とティーカップを皿に置いて、犬井燎原は楓に対してそう言った。
神殿から帰る途中、ふもとの街で出くわした燎原と共に喫茶店で一服することにした楓は、注文したブラックコーヒーを呷ってから呟く。
「燎原はセサミに会ったことあるか?」
「何度か。あれは確かに、刺激が強い」
「刺激というか劇薬というか……本人は誇りある秘書の正装としてあの格好をしてるから、なおさら指摘しづらくてなあ」
「まあ……『あんたの格好見てられないから着替えてくれ』なんて言いづらいだろう」
──加えて、男が言うのもな。と続けると、燎原は飲んでいた紅茶に砂糖を追加してティースプーンでかき混ぜる。すると、不意に燎原は思い付いたように声を漏らした。
「あっ、そうだ」
「じゃあ俺帰るから」
「おい、待てい」
「…………ギギギギギ……!」
「瀕死の虫みたいな声を出すな。俺の素晴らしい作戦を聞いてから帰れ」
踵を返して帰ろうとする、苦虫を噛み潰したような表情を取る楓を、燎原は座らせ直す。それから紅茶を一口飲むと、一拍置いて続けた。
「楓、セサミとデートしてこい」
「ちょっとよく聞こえなかった」
「聞こえない振りをする度に要求を過激にして行くぞ。ABCどころかZまでやらせる」
さらりと恐ろしいことを言い放つ燎原に頬をひくつかせて、とりあえずと話を聞く姿勢を取る。咳払いをしてから、楓は逆に問いかけた。
「…………で、その心は」
「今後セサミと会うときにマトモな格好をしていて欲しいなら、お前からプレゼントとして送ってやれば良い。服装はともかく常識はあるんだ、仕事で着るのは無理でも、私用でお前と会うときは着てくれるさ。無下にはされまい」
楓は思っていたよりも真っ当な理由だったことに安心しつつ、先の言葉に疑問を浮かべる。
「それと『デート』にどういう繋がりが……」
「お前がセサミのことを好きだからだが?」
「………………?????」
「おい、なんでそこで首をかしげる」
突如として言われた言葉に、楓は心底不思議そうな表情をした。燎原もまた面倒くさそうにため息をついて、諦めたように返す。
「まあいい。その辺は自分で気づいてもらわないと意味がないからな」
「はあ……」
「今日のところは俺が奢ってやる。お前は近いうちにセサミを買い物に誘ってこい」
「燎原、お前が奢るときは『それだけの価値がある』ときだけだ。もしかして俺で遊ぶのが楽しいとか思ってるんじゃないか?」
楓にそう言われた燎原は、伝票を片手に、斜めを見上げてから間を開けて言った。
「そんなことは…………………………ないぞ」
「せめて断言して?」
──後日の週末、街の一角にある服屋の近くで待ち合わせをしていた楓は、ぱたぱたと駆け寄ってくるセサミを視界に納める。
「こんにちは、セサ……ミ……」
「お待たせしてすみません」
「ああ、まあ、うん」
楓は伊達眼鏡を避けるように顔を手で覆いながら、秘書の正装でやってきたセサミの顔を見て小声で問いかけた。
「オフだから私服で来てって言ったよね?」
「……これはですね、アルシーヴ様からお休みを賜ったのは良いのですが、今日が仕事ではないことに……仕事着に着替えて外に出た辺りでようやく気づきまして」
「そっかあ」
──じゃあ仕方ないか。と続けて、楓は視線を背後の服屋に向ける。
「ところで楓さん、なぜ私の私服を見繕う話になっているのでしょうか」
「え。────あぁ……」
セサミのごもっともな言葉に、楓は返しに詰まる。燎原の『デートに誘え』という指示通りとはいえ、デートとは言わず買い物にと誘ったはいいが、その理由までは考えていなかった。
一拍言葉を遅らせて、下手な誤魔化しは不味いと思案した楓は直球で答える。
「セサミに……似合う服を……送りたくて?」
「────。そう、ですか」
ふい、と顔を逸らして、セサミは服屋に入って行く。この場に燎原が入れば小躍りでも始めただろう展開に向かいつつある楓は、続けて店内へと入る。来客に反応して近付いてきた店員の女性が、朗らかに話しかけてきた。
「いらっしゃいませ……あらお客様、カップルでのご来店ですか?」
「は──いえ、そういうわけでは」
「あーうんうんそうですそうです」
「はい?」
「ごゆっくりー」
店員の唐突な問いに一瞬頭が白くなるセサミと、雑な返しで肯定する楓。
セサミの腕を引いて店の奥に向かう楓に、彼女は困惑しながら質問する。
「先程のはいったい……」
「あの店員さん、俺がたまに召喚されてすぐのクリエメイトを案内がてら連れてくると、毎回『恋人ですか?』とか聞いてくるんだよ」
「そ、そうだったんですか」
やれやれとかぶりを振って、楓は店内を見渡す。楓の試練は、ここからだった。
「しかし、服を送るとは言ったけど──」
「楓さん?」
「先に言っておくと、俺にファッションセンスなんてものはない」
「…………なるほど」
──ではなぜ自分から服の話を……というセサミの言葉はなんとか飲み下された。
「……自信がないのなら、私も手伝いますよ」
「それは……うん、とても助かる」
「ですが、最後は、貴方が選んでくださいね」
「────、ぅぃ」
すっ、と顔を近づけて、セサミは楓にそう言って笑いかける。それから二人は女性モノの衣服をあれやこれやと試しては、セサミが試着室を出入りした。なぜか店内の端にあるコスプレ衣装からは目を逸らしつつ、冬に合う暖かな服を探す。
「……なんというか、もうこれで良いんじゃないかと思えてきた」
「ふむ……そうですね、悪くないかと」
シャッ、とカーテンを開けて出てくるセサミ。彼女は寒い時期にちょうど良いニットのセーターを羽織り、下にはロングスカート。そして頭には、ちょこんとベレー帽が乗っていた。
邪魔になるローブを預かり、畳んで腕に掛けている楓は、気恥ずかしそうに朱色の頬を緩めるセサミの顔を見て何も答えられないでいる。
「──ぅぉぉ、あー……えー……」
「あの、楓さん。どうでしょうか」
「……ああ、セサミ。すごく似合ってるよ」
「ふふっ、ありがとうございます」
恥ずかしそうにしながらも、本心を隠さない称賛にセサミは頬をより赤くする。それを見て、楓は自分の顔が熱くなっている感覚を覚える。自身の
「──マジか。ああ、そうかあ、そうか。なるほど」
「楓さん?」
「……うんにゃ、なんでもない。その服、買ってそのまま着ていっちゃおうか」
「そうしましょうか」
ローブを受け取りながら答えるセサミを見て、楓は懐から財布を取り出して呼び掛ける。
「──すいません、店員さーん」
「はーい、ごちそうさまでーす」
「なにが???」
呼ばれた女性店員の顔は、妙な満足感に包まれた、大層幸せそうな笑顔であった。
──セサミを送り届けようと帰路を歩く楓は、いまだ消えない顔の熱に茹だるような感覚を味わいため息をつく。夕暮れの肌寒い空気が、今は幸運にも心地よかった。
「──楓さん、私の仕事着があまり好きではないのですよね」
「え゛っ」
「……なんとなくそう思っておりました。少しばかり、あの正装は肌が出ていますから」
「少し…………?」
楓の疑問符には気づかないまま、商品の代わりにローブを入れた紙袋をさらに続ける。
「ですが──こうして貴方と買い物が出来るなら、悪くなかったのかもしれません」
「……セサミ」
「アレは秘書の正装ですので、この服はそうそう使えませんが──」
自宅に続く分かれ道の真ん中に立ち、振り返ったセサミは、目元にかかる髪を指で掻き分けて、楓の顔を真っ直ぐ見つめて笑った。
「──貴方と個人的にお会いしたいときは、この服を着て参りますので」
「────」
「では楓さん、また近いうちに、神殿で」
真面目な性格とは裏腹なイタズラっぽい笑みを浮かべて、セサミはそう言って背を向けて歩き去る。残された楓は、うおおと呻くように呟いて空を見上げた。
「……これは、また燎原にからかわれるな」
楓くん
・足フェチだけど胸に興味がないわけではない。なお胸に目が行かないように顔を見て話すので、そのせいで更に好感度が上昇する模様。
セサミ
・服装はアレだけど痴女とかではない。なお進化後の衣装も際どいしブライダル衣装もヤバい。
燎原くん
・楓くんの相談で『あっこいつ性欲あるんだ……』と謎の安心が頭をよぎった。ちなみに初対面の頃は仙人か何かだと思っていたらしい。