魔王、と一口に言ってもどのような姿を思い浮かべるかは千差万別だろう。だが、エドナの前に現れた存在は、彼女の思う魔王そのものであった。
血のように紅い瞳、夜そのもののように黒い髪の間からは雄々しいを通り越して禍々しい2本の角が覗いている。
そしてなによりも、圧倒的な魔力量からくるであろうプレッシャーが、魔王以外の何者でもないことを物語っている。
それでも、実は、ひょっとすると、魔王でも何でもないただの強そうなおじさんかもしれないし、母の友人かもしれない。もしかしたら一度も見たことのない父親という可能性も。
そんな希望的観測____現実逃避とも言う____を胸にエドナは尋ねる。
「えーっと……どちら様で?」
そう言った途端、男は眉間に寄った皺を深くし、ため息をつく。
「世間知らずの田舎者め。我こそが魔王アーガスト・ウォーランドである。」
やっぱりというか何というか、魔王その人だった。
それでもまだ逃げ道はある。
「生憎ですが、母は不在でして。数日は戻ってこないと思いますが……」
そう、家長の不在を理由に今日のところはお引き取りを……というやつである。
昔からエドナの母、アリシアには意味深なことを言って数日家を空けるという奇行に走る癖があった。ちょうど今朝も「約束の刻が近いね……」などと訳の分からないことを言って出かけたばかりだ。
この一大事にいないことには腹が立つものの、帰ってもらう口実としてはなかなかではないか。
「お前でもその母親でもどっちでもよい。用があるのは最強の魔王と呼ばれたランプランサスの末裔だ。見どころがあるやつなら我が麾下に加えようと思ってな」
ダメだった。
だがそれ以上の問題が発生した。ご先祖様が最強の魔王だって?
「自分の先祖のことも知らなかったのか。魔王ランプランサスこそ真の実力を明かしたことがないという最強の魔王であり、お前の先端で2つに分かれた奇妙な尾こそ末裔たる証に他ならない」
エドナの呆けた顔を見て、アーガストは心底呆れたような声色で補足する。
確かに、エドナにも自分の祖先が有力者だっただろうというのは分かっていた。血統なんてクソ食らえの実力主義が当たり前の魔界で家名なんて名乗ってる奴は、自分こそ最強だと信じて疑わない自惚れ屋か、そんな祖先に最低限の敬意を払う気のある末裔ぐらいのものだからだ。
しかし、よりにもよって魔王とは。しかも最強の?ひょっとしなくても魔力増大でペテンをはたらいていただけじゃないのか。その方がよっぽど説得力がある。
「ちょっとは期待して来てみたものの、こんな小娘だけだとはな。我に無駄足を踏ませたことは万死に値する」
途端、会話のうちに緩んでいたプレッシャーが来た時以上のものとなる。
エドナの脳内からペテン師魔王(疑惑)のことなど吹き飛び、死への恐怖が全身を支配する。
「何か得意なものを見せてみろ。使えると思ったらここでは殺さずに我が軍で使ってやろう」
アーガストの言っていることはエドナにとって無茶振り以外の何物でもなかった。
前世の創作物に出てきた魔王でも、不興を買った部下を処刑することはあっても、自分から押しかけておきながら「期待外れ!死ね!」とはさすがに言わないだろう。
とはいえ、ここは素直に従うほかなく、披露できるものといえば魔力増大魔法ぐらいしかない。それも精々近所に迷い込んできた魔獣を追い返す程度のもので、魔王には鼻で笑われてしまうものには違いないのだが。
(母さん、どうか達者に暮らしてね)
エドナは内心で母に別れを告げつつ、魔法を起動した。