7月の暮れ。暑さを加速させるような蝉の大合唱の中で、黒い服を服に身を包んだ人々が、一人の男の別れを惜しんで集まっていた。その集団の中で、ウオッカは溢れんばかりの気持ちを何とか抑えながら、写真の中で笑っている男ーーー自身のトレーナーに目を向けた。
「ウオッカさん、ト、トレーナーさんが!」
数日前にトレーナーの訃報を聞いた時、俺はいつも通りトレーニングの最中だった。時間になってもトレーナーが来ないため、あいつにしては珍しいな、とぼんやり考えながら独りでトレーニングをしていたところ、トレセン学園の理事長秘書であるたずなさんが血相を変えて俺のところに走ってきて告げた言葉に、呼吸が乱れ、目の前がグニャっと歪んだ。
ーーそこから先は震える声で彼女からトレーナーがいるという病院の場所を聞き、制止する彼女の声を尻目に俺は走り出していた。ペースなんて、考えている暇などなかった。悲鳴をあげている肺を抑え、目的地にたどり着いた。そして顔に白い布をかけられたトレーナーに会った時、震える声で何度も、何度も名前を呼んだ。世界が終わった音がしたーーー
そこからは先のことはあまり記憶にない。抜け殻のようになってしまった。不思議と涙は出なかった。いや、ある意味意地だったのかもしれない。カッコわるいな、なんて。もしかしたらあいつにはもう会えないってことの実感が湧いていなかったのかもしれない。飯もうまく喉を通らない。同室のスカーレットからは普段から想像できないほど、俺をひどく気にかけてくれたが、それに応えられるほど俺の心に余裕はなかった。
式も滞りなく終わり、人々が帰途につく。ウオッカは独りで寮に向かって歩みを進めていた。
ふと何気なく音楽をスマホから流し、イヤホンから自分の耳に繋いだ。垂れ流される音楽の中で、自分の世界に入りながらウオッカはかつての彼との日々に想いを馳せていた。
トレーナーと駆け抜けた3年間。
俺にとってそれはかけがえのないものだった。初めて会った時、あいつのことは変わった奴だなって、そう思った。担当トレーナーが決まるまでの間、教官が一律に決めた生ぬるいトレーニングメニューでトレーニングをこなさなければならないことに腹が立って、同級生から抜け出して独りでトレーニングをこなしていた俺に、あいつは声をかけてきた。話をしていくうちに、俺の想いを聞いたあいつはボソッと言ったんだ、
「ーー君は、カッコいいな」
俺が掛けて欲しい言葉を、ずっと待ち焦がれていたその言葉を、あいつは掛けてくれたんだ。だから俺は思ったんだ。俺はこいつと相棒になりたいって。
そこからはがむしゃらに、二人三脚で俺たちはやってきたんだ。レースで勝てば自分のことのように涙で顔をぐしゃぐしゃにして喜んでくれた。レースで負けた時は俺が腐らないように、また立ち上がれるように側にいてくれた。桜花賞でスカーレットに勝ちを譲った時は、俺が泣き止むまで黙って側にいてくれたし、日本ダービーで1着を取った時は、その快挙に2人で涙を流しながら抱き合って喜んだ。何度も挫けそうになったし、何度もぶつかった。だけどその度に俺たちは乗り越えてきたし、ついに先日、URAファイナルズを優勝した。俺たちの3年間が認められた気がして、すげー嬉しかった。
「次はドリームシリーズだな」
あいつは嬉しそうに呟いてた…嬉しそうに…
ーーこれからだったのに。これからてっぺんを目指そうって時だったのに
俺のトレーナーはカッコいいものが大好きな俺に、カッコいいとは何かを教えてくれた。俺にとってのかっこいいは、トレーナーが教えてくれたものだったんだ。URAファイナルズを優勝した時にはお祝いと言って、俺が欲しがっていたレザージャケットを買ってくれた。合皮のものではなく、牛皮を用いた本革のもので、
「高かったんじゃないか?」と尋ねると、
「ガキがそんなこと気にするんじゃねーよ」
と頭をガシガシと撫でられた。
曲が変わり、次の曲が流れた時、思わず立ち止まった。あいつが、トレーナーが大好きだったバンド。大好きだった曲ーーー
俺のトレーナーはロックが大好きだった。
ある時トレーナー室に顔を出した時、イヤホンで音楽を聴いていたトレーナーに、何を聴いているのか尋ねた時があった。すると怪訝そうに聴かせてくれたその音楽に、その衝動に心奪われた。只々カッコいい、その一言に尽きる。男の子がオモチャのピストルに憧れるようなそんな感覚だった。そこからあいつからCDを借りたり、好きなバンドの話に花咲かせたりした。特に俺は、あいつから初めて聴かせてもらったバンドが大好きだった。ボーカルのしゃがれた声で繰り出される、共感なんか求めない散文的な、だけどどこか叙情的な言葉。ギタリストのシンプルでも存在感を示す特徴的なギタープレイ。そんな2人を支える屋台骨となるベースとドラム、その全てに魅せられたんだ。
ある時このバンドのライブに行ってみたいと言うと、トレーナーは頬を掻きながら
「あー、もう解散しちまったぞ、このバンド」
「うそだろ!じゃあもう見れないのか…」
「解散したバンドのメンバーの内、ボーカルとドラムが新しく組んだバンドなら今もやってるぞ、今度観に行くか?ペースも今は他のアーティストのサポートとかで出てるし」
「ギターは?俺あの人のギタープレイが1番好きなんだよな!」
「…残念だけど、そのギタリストはもう死んじまった」
「まじかよ…」
「もう10年以上前に解散しちまったバンドだからなぁ…俺も観に行きたかったなー、ライブ」
「……」
「でも、その人の生き方に、音楽には今でも惹かれる人がいるんだ。現にウオッカ、お前だってそうだろ?」
「他のメンバーが音楽を続けてる限り、その人を覚えてる人がいる限り、想いを繋ぐ限り、その人は生き続けるんだ。カッコいいじゃねぇか、最高にーーー
曲が終わり、気がつくと、涙が溢れている。前が、よく見えない。こすってもこすっても、溢れてくる。
「カッコわりぃなぁ、俺…」
決めたのに、泣かないって。あいつが心配してしまうのに、我慢できない。どんどん顔が熱くなる。
今まで溜めていた想いが、悲しみが涙となって溢れていく。すれ違った人たちは怪訝そうにウオッカのことを見ているが、人目を憚らず彼女は涙を流していた。
気付いてしまった、世界の終わりに。俺の世界もいつか終わる。でも分かるんだ。あいつはその終着点できっと待ってるって。俺には分かる。だからまた歩き出さなければならない。そして、また走らなければならない。あいつが生き続けるために、あいつの想いを繋ぐために。だから今だけは、今だけは人目をはばからす泣かせてほしい。一生背負っていくこの想いを、傷を想って泣かせて欲しいーーウオッカは大粒の涙を流して、声にならない声で彼の名前を何度も呼んだ。恨めしいほど晴れた青空が彼女を静かに見つめていたーー
ーーー「一着はウオッカ!!復帰は絶望的と言われたウォッカ、奇跡の復活!」
「ウオッカさん、勝利を勝ち取った今のお気持ち、いかがでしょうか?」
ーーーそうだな、今日の勝利は俺の相棒のあいつ、トレーナーに捧げます。
こんにちは、ボンゴレです。
本シリーズは、作者が好きな音楽から着想を得て書いているシリーズとなります。
本作はミッシェルガンエレファントの世界の終わりから着想を得ました。
ラストライブの演奏はいつ聴いても感銘を受ける、日本のロック史に残るバンドですよね。
筆者もバンドをやっているので、ミッシェルの曲はよくコピーしています。
アベフトシのギターのコピーはやっぱり難しいですが、カッコいいですよね。
本作でもミッシェルのことをもっと掘り下げて書きたかったのですが、これ以上やると話が脱線しそうだったので断念しました。
因みに、最後のウオッカのセリフは、アベフトシ が2009年に急逝した際、元ミッシェルのチバユウスケがフジロックで言ったセリフのオマージュとなっています。