仮面ライダームラサメ外伝譚 仮面ライダーライキリ 作:八咫ノ烏
「漣さん、送ってくれてありがとうございます」
「さんきゅー親父」
「これくらいはしなきゃね」
凪と海斗、そして蒼月漣の三人である。漣が車を出し、二人をここまで送ってきたのである。
三人の目線は目の前の山に向けられていた。
「で、本当にこの山に拠点があったんだな?」
「あぁ。僕がこの目で確かめてきたから間違いない」
数時間前に斥候として漣がこの地に来ていたらしい。彼のおかげで何も確認せず突撃し、もぬけの殻でしたというまぬけな結末だけは避けられるわけだ。
「さて、早いところ戻らなくちゃいけないからここで一旦はお別れだ」
そう言い、漣は再び車のドアを開けた。中に乗り込もうとする彼の背に、凪は問いを投げ掛ける。
「帰る前に何か言いたいことはあるか?」
「ん? ウ~ン、そうだね」
凪の問い掛けに対し、漣は少しだけ考え込む素振りを見せた。伝えるべきことは伝えたしなぁ、と呟いている辺り作戦会議であらかた情報は伝え切っているのだろう。
何かを思い出したかのように振り返り、凪と海斗の目を真っ直ぐと見据える。
「遠慮も躊躇もするな。情けをかける必要もない。徹底的に潰してこい」
彼の口から出たのは心構えだった。慈悲の欠片もないような文言だが、しかしながら誰かを守るためには必要なことである。
「そして君たちがLOTに敵対している者たちにとって脅威であることを示すんだ。二度とこの土地に手を出そうと考える愚か者が現れないように」
そう語る彼の顔は、凪にとって久しく見ていなかった戦う者としての険しい表情であった。
懐かしさを覚え、僅かに口角を上げる凪。そんな彼と、隣で難しい表情を浮かべていた海斗の頭の上に漣はポンと優しく手を置いた。
「あとは、必ず生きて帰ってくること。基本的には何があっても生存が最優先だからね、わかった?」
先までの表情から一転、優しい笑みを浮かべながら二人の頭を撫でる。
しばらくの間撫で回した後、満足したのか二人の頭から手を離して漣は車に乗り込んだ。
「じゃ、二人とも頼んだよ」
という言葉を残して。
「あぁ、わかった」
「任せてください」
二人はそう返し、山へと視線を送る。
とてもこれから戦いが起こる場になるとは思えないほど普通の山。
二人はまるで示し合わせたかのように同時に一歩踏み出した。
暗がりの部屋で目を覚ます。泣き疲れたせいなのか、電話を終えた後しばらくしてから眠ってしまっていたらしい。
「今何時なんだろ……」
鷹原朱莉は、私は窓があったであろう枠に視線をやってそう呟いた。嫌がらせのためか脱出を防ぐためか、窓は分厚い木の板で覆われてしまっておりその役割を果たしてはくれない。そのせいで外を見ることも出来ず、さらには時計も無いため時間感覚を失ってしまうのは当然のことであった。
ひとまず私はそんな思考を掻き消した。どうせ考えたところでわからないのだから、時間など気にしたところで無駄だ。
それよりも、もっと大事なことがある。
「みんな、大丈夫なのかな……」
そう呟いた途端、ガチャリと部屋のドアが開いた。弾かれるように顔を上げ、その方へと視線をやる。
「……まさか起きているとは。もう夜の三時ですよ」
入ってきたのは、この騒動の元凶その人である。未だに名前も目的も知らないが、どうせろくでもない事を企んでいるのだろう。
それがここに来たということは、大体の目的は分かっている。私を殺しに来たのだろう。
凪は私を助け出すと約束してくれた。それでも、交渉が決裂した以上は彼らに私を生かしておく価値はないだろう。
「私を殺しに来たの?」
どうやらここまでのようだ。そう腹を括ったが、しかし意外な事に彼はそれを否定した。
「いえ、あなたは後回しです。その方が面白そうでしょう?」
「あっそ」
一体何が面白いんだ。そう聞き返そうかと思ったが、そうしたらしたで長ったらしく気の狂ったかのような世迷い言を永遠と聞かされそうな気がして口を噤む。
そんな私に、彼は嫌な笑みを浮かべてこんな言葉を投げ掛ける。
「それで、出てくる言葉が自身の心配ではなくお仲間への心配ですか。随分と信じていらっしゃるようで」
「……今更私の心配なんかしたってどうしようもない。一番嫌なのは皆が傷付く事だから」
事実、今の私はこの男たちに命を握られている状態だ。それに対して殺されるのではないかと心配したところで、事態が好転するというわけでもない。
それよりは、まだどうにかなるであろう仲間のことを心配している方が良い。
「なるほど、あなたは本気で蒼月凪たちがあなたを救い出しに来てくれると信じているのですね」
呆れたような物言いで、男はそんな事を宣ってくる。信じているも何もそれ以外に道は無いし、あんな事を言ってくれた以上は何か策があるはずだと思いたい。
無策なまま宣戦布告するほどバカではないはずだ。
「あなたは知らないだろうけど、凪はこういう大事なことに関しては嘘を吐かないんだよ。特に、私に関するようなことではね」
思考を悟られぬように、無条件で信じているかのような事を言ってみる。
だが、これもある意味では事実だ。少なくとも、大事なことで嘘は吐かないという点については本当だ。後者はさすがに嘘だし自惚れすぎではあるけれど。
いわゆる嘘を吐くときには事実を上手いこと織り交ぜると信憑性が上がるというテクニックである。
男はそれにすっかり騙されてしまったらしい。
「それはそれは……。美しい友情ですねぇ……」
なんて事を言ってわざとらしく拍手し始めた。私のことを煽りたいのだろうか。こんな状態で怒りを爆発させることが出来るほどの度胸もなければ、そうするほどの気力もないのだが。
澄ました顔で男の言葉を受け流していると、彼はつまらないとでも言いたげに鼻を鳴らしてみせた。
「あなたに一つ、良いことを教えてあげましょう」
「良いこと?」
床に座り込んでいる私の周りをクルクルと回り始めた。一体何を考えているのか読めないが、どうせ何一つとして良い知らせでないのだろうことだけはわかる。
不快感を覚えながら、彼の言葉を待った。
男はニンマリと気味の悪い笑みを浮かべ、信じ難い事を口にする。
「渡津海支部は現在、あなたをどうするかでかなり揉めているそうですよ」
「……は?」
私をどうするかで揉めている?
「どういうこと?」
脳味噌が、理解を拒んでいる。凪は必ず助け出すと言った。それは、この男の要求を蹴って変身用具一式を渡さず、この男たちを撃破して私を助け出すという意味合いのはずだ。そこの何が揉める要素になるのだろう。
思わずわけがわからない、と呟いてしまう。そんな私の混乱している様を見て、男は満足そうな表情を浮かべていた。
「信じられませんか、信じられませんよねェ!!」
そもそもこの男はどこから情報を掴んだのだろうか。思い返せば、誘拐されたときには既に私の名前もLOT所属であることもバレていた。
それに、凪と言い争っている時に「凪たちの動きは全て筒抜けだ」という様な事も言っていたはずだ。
もしかするとスパイが潜り込んでいるのではないか。
「つまりはあなたの当初の希望通り、あなたの命を犠牲にして一時的にこの戦闘を回避するという選択肢が出ているということです!! つまるところ、あなたは仲間達から然程大事に想われていなかったということですよ、可哀想にねェ!!」
思考の渦に囚われていた私を、男は煩わしい金切り声を上げて現実に引き戻した。
私を犠牲にする選択肢が上がっているなどと、そんなふざけたことが信じられるはずがない。
「いやいや、どう考えても嘘でしょそんなの。だってうちの支部長がそんな事を許すわけが……」
「いいえ?」
声を震わせながら否定したが、しかし男はそれすらも否定する。赤嶺支部長が、まさか誰かを犠牲にするなどという選択肢を取らせるはずがない。どうあれ誰も死なないように動こうとするはずだ。
だが、男はそれ以前の問題であると言いたげに指を指して指摘してきた。
「そもそも戯我に対してトラウマがあるあなたが、正式にLOTに所属できているという時点でちゃんちゃらおかしいんですよォ。まともに外で活動することなく支部に引きこもってばかりの人間を、果たして本当に受け入れてくれているとでも?」
痛いところを突いてくる。実際私は外で活動しないし、支部の中で出来ることしかやったことが無い。それは私が持つトラウマを刺激しないようにと皆が気を遣ってくれているからこその事実である。
その分、資料の作成や整理、掃除やオペレーターなど出来ることは全部やってきたつもりだ。でも、全てのメンバーにそんなことが受け入れられているかは、わからない。
「でも私には凪や海斗くん、星宮さんとか支部長とか、色んな人と過ごしてきた時間があるから。それを疑うことは出来ないよ」
あの人たちなら、名を挙げた人たちなら信じられる。彼らが命を軽視する判断をするはずがないと。
そう断言したところ、男は深い溜め息を吐いてきた。呆れているのだろうか。
「……本当につまらないですね。もっと絶望したり怨嗟の声を上げてほしかったのですが」
「あんたが何を言おうが私はみんなを信じてる。だから、この話は終わり」
そう言い切って男の顔から視線を逸らす。正直なところ、まだまだ寝足りない。というよりはこの部屋は寝ること以外に出来ることが無いのだ。
まるで怒った子供が不貞寝するように、体を横たわらせて目を瞑る。
そんな私を、男はさぞつまらないとでも言いたげに鼻を鳴らして振り返る。思った通りの反応が返ってこなかったのが相当不服だったらしい。
「ですが、あなたがかの支部が揉めているという情報は事実です。これがどういう意味を持つのか、考えながら眠ることです」
などと言い放って部屋を後にする。それを横目で追った私は、再び窓があったであろう木の板へ視線をやった。
「……大丈夫、なのかな」
どうしても心配になってしまうのは当然なことであった。
▽▽▽▽▽
渡津海支部。いつもは穏やかな時間が流れているはずのそこは、異様な雰囲気に包まれてしまっていた。
「朱莉ちゃんを助け出したいのは私も同じです。ですが、レリックライザーとモンストリキッドを渡さなければ救い出すことができない以上は不可能なのではないですか?」
「だからってあんな連中に渡していいとでも言う気か?」
「そんなことは言っていませんよ」
あちこちで、似たような言い合いが勃発してしまっている。
要は朱莉のためにレリックライザーとモンストリキッドを渡すか否か。
朱莉を攫った男の言った通り、渡津海支部はその二つの意見を掲げる派閥で対立を引き起こしてしまっていた。
というのも、事情を説明した赤嶺が何を考えたのか曖昧な言葉を残していったからだ。
「正直、どうすべきかかなり悩んでいる。幸いにも結論を伝えるまで時間はあるが、早い方がいい。一度皆で話し合ってくれないか」
蒼月家でレリックライザーとモンストリキッドを渡さず、朱莉を救出して敵を倒す。そう宣言したにも関わらず、彼はそう言い残した。
そんなことを言ったのだから、意見が分かれてしまうのも無理はない。
「場所もわからない相手に宣戦布告したらどうなるかわかりませんか? 朱莉ちゃんはその時点ですぐに殺されることになるでしょう。ですから、レリックライザーとモンストリキッドを渡さないと宣言した時点でそれは彼女を殺すことになるわけです」
渡す派の主張は主にこうだ。居場所もわからぬ相手を不用意に挑発したとて意味はない。渡さないと宣言した時点で戦闘行為に持ち込むことができるのであれば話は別だが、そうでない以上は朱莉を救い出せる機会は失われてしまうことになる。
そうなるくらいなら一度レリックライザーとモンストリキッドを渡してしまい、後日別の支部からの支援を受けて取り返しに行けばいい。
「だが、交渉を持ち掛けられた時点で彼女が生きていたとしても、すでに殺されてしまっているかもしれないんだぞ。そんな二分の一の賭けに出て戦力を削ぐくらいなら最初から拒否してしまったほうがいいだろう」
対して、渡さない派の主張はこうである。確かに、すでに朱莉が殺されてしまっているかもしれないのに一式を渡したとて意味はない。そもそもとして、それらを犯罪者どもに与えるという行為がありえない話である。何をしでかすかわからぬ上、こんな行為に及んでいる理由もわからないのだから危険極まりない選択と言えるだろう。
互いの主張は確かに一部的を射ていて、しかし相容れない部分が存在しているがゆえに分かり合うことができない。
仲間を取るか、組織を取るか。概ねこの部分で対立している。
そんな現状を、内心ほくそ笑みながら眺めている者がいた。
(いいぞいいぞ……。もっと仲間内で争ってしまえ……。こんな役立たずな組織なんか空中分解してしまえばいいんだから……)
彼女はこの支部に所属して十年以上経つ職員だ。それと同時に、現在この騒動を引き起こしている団体と繋がっているスパイでもあった。
一体どうしてこんな行為に及んでいるのか。おそらくは誰も知らないことだろう。
この支部に所属している職員たちのことを顔と名前だけでなく性格まで把握しているらしい赤嶺ですら、彼女がこんなことをしている理由は察することはできまい。
(LOTそのものを壊せなくてもいい。この支部だけは絶対にぶち壊すんだ……)
どうやら彼女はLOTに対し、というよりはこの支部に対して強い嫌悪感を抱いているようだった。わざわざLOTに敵対している勢力と通じ合っているのだから相当なものなのだろう。
(そうでなくとも、凪と朱莉だけは死んでもらわなくちゃ……。そうじゃなきゃ、公平じゃない。私が奪われた分、あいつから奪い返さないと)
動機としては復讐、ということになるだろうか。しかし、この支部にいる人間が人を殺したことなど両手で数え切れるほどの回数しかない。しかも、そのどれもが今回のように戯我と協力して一般人に危害を加えていたり、リキッドの力を使って暴れていたりするような人間だ。
まさか、LOT職員と関係のある人間を進んで殺したことなどただの一度もない。
(だって、そうでしょ? 私から花田を奪ったんだからさ……)
だが、彼女はそれに囚われているようだ。その目の奥には怒りの炎が確かに燃え上がっている。
(だから、あいつの一番大切な人間に……。奥さんは無理でもあの二人には死んでもらわなくっちゃ)
凪と朱莉のことを一番大切に思っている既婚済みの人間。そんな人間がこの支部にいるのだとしたら、それはきっと……。
「静まれ。君らのそれはもはや議論の域を超えている」
突如、会議室に再び入ってきた赤嶺がそう言ってみなを黙らせた。普段見せている酔っ払いで若干情けない姿は一体どこへやら。威圧感を纏う、厳格な支部長としての姿を見せていた。
思わず押し黙ってしまったみなを一瞥した彼は、大きく息を吸い込み宣言する。
「この場で宣言するが、我々は連中の要求に屈することはない。我々はこれを断固拒否し、そして朱莉を始めとした拉致被害者を救出した上で敵勢力を撃滅する。それ以外の選択肢を取るなどありえない」
その一言で場はどよめいた。先ほどかなり悩ましい表情を浮かべて事情を説明していた彼から出てくる発言なのかと、みなが耳を疑ったからだ。
彼に一体何があったのか、と口々に尋ねる声を赤嶺は完全に無視し、さらに言葉を続けてみせる。
「言っておくが何を言って説得しようとて無駄だ。我々は
「それはいったい、どういう」
スパイである女は思わずそう言葉を漏らした。確かに、言われてみれば霊装使いの三人がこの場に一人もいない。魔祓課所属である星宮の姿がないのは理解できるとして、渡津海所属の二人がいないのはどういうことなのだ。
それに、攻撃を仕掛けたとか言ったか。どうすべきか迷っていると言っていたのに、この十分にも満たないわずかな時間で決断しそのうえで行動に移したとでもいうのか。
ありえない。いくらなんでも早すぎる。そもそも彼らは拠点の場所すら知らないはずなのに、どうして。
あぁなんだ、ただのブラフか。
言葉を漏らした後のたった一秒ほどで、彼女はそう結論づけた。しかし、それをあっさりと否定するように彼は正面の壁にかけられているプロジェクターにあるものを映した。
山の地図だ。事情がわからぬ者には、なぜ何もないただの山しかない場所を映したのかと疑問に思うことだろう。
しかし、女は思わず目を丸くする。
彼女の仲間……朱莉を攫った連中が拠点としている廃旅館の位置と寸分違わぬ点にピンが刺さっていたからだ。
「この支部に所属する蒼月凪と緑谷海斗、そして星宮愛衣の三人はこの場所にある敵拠点に強襲を仕掛けたということだ。我々の命運は、すべてあの三人にかかっている」
さらりと、しかし力強くそう言い放つ。事ここに至っては、赤嶺の発言をただのブラフだと笑うことなどできはしない。
(いつの間にバレていたの……!? わかっているのならなぜ私たちに共有を……いや、わかっているのなら最初からこうすると決めていたということ……? なら、どうしてこんなくだらない議論が巻き起こっているのに静観を……。というよりどうして迷っているなんて言ったの……!?)
女の思考はぐるぐると回る。まるで赤嶺の取った行動の全てに意味がわからないと言いたげである。
「ま、まずい」
このままでは仲間が壊滅してしまう。急いで連絡しないと。
そう判断し、N-フォンを急いで手に取りメッセージアプリを立ち上げた彼女の目の前に。
「何がまずいのかしら?」
優し気な笑みを湛えた黒氏が立ちはだかった。口元こそ笑っているが、目元が完全に怒り心頭である人間のそれである。
完全に何か疑われている。確かに、この状況でまずいなどと口にしているのだから怪しまれて当然だ。
「い、いえ……。もし襲撃したことを理由に朱莉ちゃんが殺されてしまったらどうしようかと……。彼女も大事な仲間ですから……」
首を左右に振りながら咄嗟に思いついた嘘を口にする。おそらくそれらしい返しになったことだろう。先までそれで周りは言い合っていたのだから。
なんとか誤魔化せた。そう安堵したのも束の間、今度は彼女の背後から突如として声をかけられた。
「へぇ……。なら、その手にあるN-フォンに映ってる名前は何なのかな?」
驚き振り返ると、そこに立っていたのは蒼月瑞穂であった。夫の漣と共に欧州に行ったはずの彼女が、どうして今ここにいるのか。
いるはずのない人間がいることに驚愕し、何も言葉を返せずにいると瑞穂は女が持つN-フォンの画面を指して指摘する。
「妙なこともあるんだね。その名前、昔この支部と敵対していた組織の上層部の生き残り……取り逃がしたやつの名前と同じなんだけど」
どうしてそんなことまで覚えているのか。その組織が……CoRが壊滅の憂き目に遭ってからもう十年以上経過しているというのに、なぜ。
別に指名手配をされているわけでもないし、生きている可能性よりもどこかで野垂れ死んでいる可能性の方が高いとまで言われていたのに。
もはや残党がいるであろうことなど忘れている人間がほとんどだというのに。
なぜこの女は、名前を見ただけでそうだとわかった。
「これって一体どういうことかな、織部さん?」
あまりのことに思考を停止してしまった女……名を織部というらしいスパイに、逃げ場など無くなっていた。
▽▽▽▽▽
赤嶺が渡津海支部の職員に対して、朱莉を攫った連中……CoRの残党を撃滅すると宣言する少し前のこと。
「……寝れないな」
男が部屋からいなくなってどれだけの時が経ったのだろう。といっても数分程度しか経っていないのだろうけど、そんなことを考えながら朱莉は横になっていた体を起こす。
やることがなく寝過ぎているせいか、全く眠気が来ない。あの男の言葉を信じるなら今は深夜なのに。
「封魔司書としての生活に体が慣れちゃったのかなぁ」
そういえばこの数年、深夜まで起きて後ろから三人に指示出しをする生活を送っていた。そんなことをずっとしていたら夜に眠れなくなるのも仕方のないことなのかもしれない。
「生きて帰れたら生活習慣考え直さなくちゃ」
不健康は乙女の敵、と小学生のころから義母によく言いつけられていた。それは多分、私をLOTに入れないようにするための一種の作戦だったのだろう、と成長した今になって思う。
きっと彼らは、自分たちが戯我を倒すための組織にいると知れば朱莉もそれを目指すに違いないとわかっていたはずだ。その動機が戯我に復讐するためか、はたまた自分のような境遇の子をこれ以上生み出さないためか、単に義憤からなのかはさておき。
だから夜型の生活をさせないようにあれこれと企んでいたようだし、LOTや戯我関係のことを私の目の前で平然と話す凪を叱っていたのだと思う。
それはきっと、私の身と心の安全を考えてのことなのだろう。戯我に家族が喰われる夢を見て飛び起きて、涙を流してパニックを起こすような人間に務まるような職業でないことは確かだ。ひとたび前線に出れば間違いなく最低でも一度は戯我と対面することになるだろうし、救い切れずに死にゆく人を見送らなければならないこともある。
後方支援といっても、できることは少ない。それに人手が足りていないとはいえ、それは前線であれこれできる人間が少ないという意味であって支部内での仕事関係は増員せずとも回していけるだけの余裕が当時から……朱莉が蒼月家に迎え入れられる頃からすでにあった。
だからこそ、わざわざ朱莉がLOTに入りたいと望まない限りは彼女を入れる必要はなかったのだ。
「……でも、何もせずに見てるだけってのができなかったから入ったんだけどさ」
そう。彼女が渡津海支部の職員であるということは、朱莉自らそれを望んだということ。
「こんな私をわざわざ助けてくれたお礼くらいは、しなくちゃだからね」
彼女がLOTに入った理由は恩返しがしたかったからだ。必死に戯我から逃げていた自分を助け、保護し、そして育て上げてくれた蒼月漣と瑞穂の二人と、そうできるように裏からサポートしてくれていたらしい渡津海支部の職員たちに恩返しがしたいからだ。
何もせず、その恩を享受したまま過ごすというのはあまりにも無礼だ。それを義両親や凪、渡津海支部の職員全員が口を揃えて許したとて、朱莉自身がそれを許すことはできなかった。
「これで死ぬことになっても、渡津海支部に入ったことを後悔してないんだ。ま、ここで死ぬのが私にはお似合いなんだろうけど」
凪には真っ向から嘘だと否定されたが、しかし朱莉は冷静になった今でも本気でそう思っている。この命をもって、渡津海支部のみんなを少しでも危険から遠ざけることができるのなら。
それで恩を返せるのならば、ここで死んでしまってもいいのだと。
「でも、でもさ。凪がああ言ってくれたんだし、もう少しだけ生きてもいいかなって。そう思うんだ」
ただ、彼が生きていてほしいと言ってくれるなら。隣で生きたいという私のわがままを受け入れてくれるのなら、まだ少しだけ生きていたい。
「だから、私がそっちに行くのはまだ先になるみたい。それでも許して、待っててくれるかな」
天井を仰ぎ、朱莉はそう言葉を締め括る。家族がいいよと言ってくれたのか、ひんやりとした冷たい空気が朱莉の頬を撫でる。
きっとみんなが許してくれたのだろう。そう解釈し微笑んだのも束の間、いまだ彼女を撫で続ける冷たい風に思わず文句を口にする。
「いや冷たいというか冷たすぎない? さっきまで風の一つも吹かなかったのに、急になんだろ」
風が吹いてくる方向はこの部屋のドアだ。固く施錠されているそれから、異常なほどに冷たい空気が流れ込んでくる。
何かしらの異変が起きていることを察知した朱莉は思わずそれから距離を取る。
次の瞬間。
「きっと、許してくれるよ。だって────」
「え?」
「誰よりも優しい朱莉ちゃんの家族なんだから!!」
突如、なぜか見知った女性の声がドアの向こうからしたかと思えば、叫び声を挙げた彼女によってそれは蹴破られた。
部屋に舞う氷片と、向かいの壁に叩き付けられるひしゃげた扉。
突然の出来事に思わず口をあんぐりと開けながら固まってしまう。
蹴破られた扉から、白と橙の装甲を纏ったその女性は入ってきた。
私は彼女を知っている。
「……星宮さん!?」
「あまりに帰りが遅いからさ、迎えに来ちゃった」
そう言いながら、ピースをしてバチコンとウィンクを──仮面の奥は見えないけど、多分していた──したのは仮面ライダーグングニル。星宮愛衣である。
「さ、帰ろ!!」
明るい声でそう言い、グングニルは手を私に差し伸べた。私はそれに引かれるように手を伸ばしてしっかりと握り返す。
「なんっ……。え? どういうこと?」
けれど、現状を理解できているというわけではなかった。何しろ唐突過ぎる。
まだ渡津海支部はこの建物の位置を把握していないはずだったのではないのか。どうやって一日二日で位置を把握したのだろう。
というより、あの男が言っていた対立構造の話はどうなっているのか。
そうして混乱する私の手を引いたグングニルは、もう片方の手を握り締めて窓があったであろう木枠へ叩き付けた。
木材とガラスが砕け散る音が響くのと同時に、僅かにではあるが確かに光が差し込んでくる。数日見ていないだけだというのに、かなり久々にまともな光を浴びた気がする。
いや、問題はそこじゃない。
「なんで一人でこんなところに……?」
どうして敵地に一人で忍び込んでいるのだろう。他の二人は一体どこで何をしている。
まさか渡津海支部が意見の対立でややこしいことになっているということ自体は事実で、それに関与せずに済んだ魔祓課が単独で動いているということなのか。
だとしたら、彼女はこのあとここに潜んでいる悪人どもを一人で相手しなければならないことになる。
いくらなんでもそれは無茶だ。
そんな私の心配は杞憂に終わったらしい。
「ん、一人じゃないよ。ほら、あそこ。あの辺り見てみてよ」
破壊された窓から身を乗り出して指を指された方向へと視線をやった。
瞬間、緑の光を纏った一陣の風と周囲を赤く照らし出す灼熱の炎が建物の正面玄関があるだろう場所へ向けて発射された。
それらは合わさり、風を取り込んだことでより勢いを増した炎が派手に着弾地点を破壊する。
燃え盛る入口。パチパチと火花の散る音。爆風が巻き起こした衝撃に耐えられなかった柱などが崩れる音がする。
そんなところへ歩を進めながら、二人は大きな声で名乗りを上げた。
「封魔結社LOT渡津海支部所属、蒼月凪だ!!」
「同じく緑谷海斗!! キミたちを潰しに来た!!」
普段はだらしなかったり情けなかったりするのに、どうしてこうも力強く見えるのだろう。思えば、戦場に出ている彼らの姿を直接見るのはこれが初めてかもしれない。
かっこいい。呑気かもしれないし場違いかもしれないが、そう思ってしまった。
「誰一人この場から逃がれられると思うなよゴミ共が……。覚悟しろッ!!」
私がそんな腑抜けたことを考えているうちに、凪の雄叫びと共に二人はこの施設の中へと突入した。
戦いの火蓋はここに切られたのである。
付録之拾壱[蒼月瑞穂]
蒼月凪の母親であり、漣の妻。
高校生だった頃、戯我に襲われているところを漣に救われたことで彼との交友関係が始まった。
救ってもらった恩を返すために様々な協力をしていたところ、縁あって渡津海支部に所属することとなる。
基本的には常に柔和な笑みを浮かべており、優し気な印象を相手に与えるが凪には「怒らせるとめちゃくちゃ怖い」と若干恐怖を抱かれている。