仮面ライダームラサメ外伝譚 仮面ライダーライキリ 作:八咫ノ烏
正直こんなに長くなると思ってなかったです
ガチでクソ長いです
CoRに通じていたスパイであった織部の身柄を拘束してから数分が経った。本来であれば勾留するそれ専用の部屋に連れていくべきなのだろうが、残念なことにそんな部屋はこの支部には存在していない。
ゆえに彼女は空き部屋になっている居住スペースに押し込められていた。
「……で、なんでこんなことをしたの」
静まり返った部屋に、瑞穂の声が響く。織部のスパイ行為に何ら関係のない彼女がこの部屋にいるのは、織部が逃げ出さないよう見張りの役を自ら請け負ったからだ。結果的に気まずい空気が出来上がってしまったわけだが、瑞穂にとってそんなことはどうでもよい。
冷静に見えるのは彼女が怒っていないから、というわけではない。単に冷静であるよう努めているだけの話で、朱莉や他の一般人を危険に晒したことについては怒り心頭である。
「なんでCoRの残党なんかに手を貸したの? そんなことしたら一般人にも少なくない犠牲が出るんだって、どうしてわからなかったの?」
冷静に、落ち着いて問い詰める。もしかしたら、到底納得できるような理由ではないのかもしれない。どうしようもなく身勝手で、理不尽としか思えないようなものなのかもしれない。それでも、瑞穂はその理由をどうしても知りたいらしい。
それは、瑞穂が織部に対してある程度の信頼を寄せていたから。
「あなたとは何度も一緒に色んな作業をした。それで真面目な子だったっていうのはちゃんと覚えてる。周りの人たちに気を配れて、年下の子たちには実の兄弟姉妹のように接するほど優しい人だったじゃない。なのに、どうして?」
織部は瑞穂の後輩である。瑞穂が漣と共に欧州へ行くまでの間に様々な業務を教え、そして共に食事や雑談など様々なことをしてきた仲だ。ある程度人となりはわかっている。こんなことをするような人じゃない、ということも。
もしかしたら、瑞穂はこの事実を信じたくないのかもしれない。何かの勘違いで、たまたま同姓同名の第三者と連絡を取っていただけなのかもしれないと。
「なにかこの組織に思うところがあった? それとも何か、恨みでもあったの?」
そこで言葉を切り、織部のことをじっと見つめる。部屋の隅で膝を抱えて蹲る彼女はこの重たい空気に耐えかねたのか、視線こそ床へ向けながらだがようやく口を開く。
「……別に、この組織全体に文句があったわけじゃないんです。瑞穂先輩にも、支部のほとんどの人にも」
そう呟いた言葉の端からは、わずかに後悔の念が滲んでいた。だが、それを大きく上回る怒りの感情がその目には宿っている。
「こんなことは間違ってるって、そんなこともわかってはいたんです」
自虐するように、そう言葉を続けて口を閉じる。全てを話すべきか、そうでないか。それによって相手を激昂させてタコ殴りにされてしまうのではないのか、という恐怖もある。
それらが要因で逡巡する織部に、瑞穂は言葉を投げかける。
「でも、止まれなかったんだ」
「えぇ。だって、許せなかったから」
哀れみ半分呆れ半分、といった様子の瑞穂に対して織部はそう言って瑞穂の方を向いた。その視線は怒っているようで、同時にひどく悲しんでいるようにも見える。
それだけで、瑞穂は事情をにわかに察知した。欧州に行く数年前に起きたあの出来事が原因か、と。思い返せば彼女がLOTに恨みを持つような出来事なんてそれくらいしかない。
答えに行き当たった瑞穂が口を開いて答え合わせするよりも先に、織部は自ら理由を語り出す。
「花田は、戯我に喰われて私の元を去りました。見知らぬ民間人を庇い、最期まで封魔司書としての使命を果たして死んでいきました」
花田、というのは渡津海支部の元職員だった男だ。織部と付き合っていて、付き合っていることを支部の皆に明かした数か月後に殉死してしまった。
彼が死んでから数か月の間、彼女はかなり塞ぎ込んでいたような覚えがある。見ていて痛ましく思えるほどに衰弱していき、最終的に本人の同意なしに無理矢理休職させたほどだ。
あれがまだ尾を引いているのだとすれば、怒りの対象は間違いなく──。
そんな瑞穂の思考をなぞる様に、織部は独白する。
「あの日からず~っと考えちゃうんです。もっと早く漣さんや赤嶺さんに黒氏さんが駆けつけていれば、花田は助かったんじゃないかって」
親しい人を亡くし、それが半分人災が原因なのだとしたら。おそらく誰しもが織部と同じことを考えるはずだ。
そんなことを考えたところで、誰かに言ったところで生き返らないのだとわかっていても。
「そんなこと考えたって仕方ないだなんて、とっくにわかってます。でも、許せなかった」
拳をぎゅっと握り締める。どうしようもなく許せなくて、怒りが湧き出てきて、しかしそれをぶつける正当な理由がある人間がいない。
失われた命が回帰しないとわかっていても、この怒りを手放せなかったのだ。
「どうしてあいつが死ななきゃいけなかったのか。前線で戦うべき霊装使いですらないあいつが、どうして犠牲にならなくちゃいけなかったのか。私にはわからなくて、それでも責任の一端は霊装使いにあるのは事実だから」
やり場のない怒り。彼女はその矛先を霊装使いに、ひいては三人の中で一番の実力者とされていた漣へと向けた。彼らがなんとか現場に間に合ってさえいれば助かっていただろう、という彼女の見立ては確かに正しい。はぐれ戯我に手を焼くほど弱くはない。だが、現実はそうはならなかった。
そんなことはわかっている。でも、止まれない。この怒りは、理性を狂わせるに十分過ぎるほど燃え上がっていたのだから。
「結局、誰かに同じ目に遭ってほしいだけだったんです。それで苦しんでほしいだけだった。彼だけが死んで、私だけがこんなに苦しんでいるのが何よりも受け入れられなかったんだ」
そう言葉を締め括り、項垂れる。なんともまぁバカなことをしたものだ、と織部は心の中で独り言ちた。復讐じみたことをしようとして、それらしいことをやってきた結果がこのザマだ。なんと惨めで、情けない幕引きなのだろうか。
胸中で自虐する織部。彼女に対して瑞穂はただ
「……なるほどね」
とだけ言葉を返す。てっきり怒鳴りつけられるものだと思っていた織部はわずかに目を丸くして問いかけた。
「怒らないんですか? ふざけるなって、お前のせいでって」
「怒ってないわけないじゃん」
そう即答した瑞穂の顔からは、確かに怒りの感情がにじみ出ていた。だが、だとしたらどうして怒りの感情を発露しないのだろうか。彼女には当然その権利がある。自身の義娘が攫われた原因の一つであり、夫に理不尽な憎悪を向けているのだから。
なのに、なぜ。
そんな当然の疑問に、瑞穂はふぅと息を深く吐いてから答える。
「でもそれを口にしたところで過去が変わるわけじゃなければ事態が好転することもないし、そもそも私にはあなたを裁く権利はないから」
至って単純で冷静な答え。いかにも彼女らしい答えに、織部は思わず苦笑を漏らす。ここ数年会っていないからすっかり忘れていたが、そういえば彼女は感情よりも理性を優先させる人だった。
昔の懐かしい日々。感情的になって口論している際によく宥められたものだ。その時も彼女はこんな風に理論立てて互いの鉾を納めさせていた。
織部が遠い目をしながら過去に思いを馳せている中、瑞穂は口を開く。
「あなたは、この戦いの結末を見届ける義務がある。あなたとあなたが手を貸した組織によって起きた被害も、何もかも全てを受け止めて今後をどう生きるか決めなければならない」
強い口調で、迫るようにそう言った。自分の罪を自覚し、しっかりと償ったうえで改心してほしい。それが瑞穂が織部に願うもの。今でこそ極悪人のようなことをしでかしてしまったわけだが、彼女が心優しい性格であることを誰よりもよく知っているからこその発言だ。
「どんな結果になっても、目を逸らしちゃダメ。わかった?」
「……はい」
深く頷いた織部は、再び膝を抱えて蹲る。目がわずかに光っているように見えたのは気のせいだろうか。
そんなことを考えながら瑞穂は戦場へと思いを馳せる。
「みんな、無事に帰ってきてくれるといいんだけど……」
▽▽▽▽▽
瑞穂の祈りは通じるのか。
「クソが……本当に厄介だなその回復力!!」
ヴァンパイアの体を槍で貫き、しかしすぐに穴を塞がれ思わず悪態をつくグングニル。このままではジリ貧確定。いいところまで持って行けても相打ちが限界だろうか。
苦々しい表情を浮かべるグングニルとは対照的に、ヴァンパイアにされた女は手に持っている短刀を振るいながら楽しそうに笑う。
「二ヒヒッ!! だから言ってんじゃん諦めちゃいなってさァ!!」
彼女が持つ短刀がグングニルの胸をわずかに掠める。本来なら大したダメージにはならないはずのそれが、おかしなことに彼女の胸装甲を深く抉り取った。
グングニルが苦戦している理由の一つにこれもあった。
妙に装甲を抉ってくる短刀の存在。普通の刀にそのような能力などあるはずがなく、よってあれはまず間違いなく「
「アハッ♪ この短刀、人の血を吸うとは聞いてたけどまさかその装甲まで吸い取っちゃうなんてねぇ。こりゃ面白いや」
血を吸う刀。有名なところで言えば村正が該当するのだろうが、あれはここまで刀身が短くない。思い当たる節はないが、少なくとも彼女の発言であの短刀が遺物であることが確定したわけだ。
その正体が何であれ、何としてでも避けるか受け止めなければいけない。万が一顔面を斬られようものならどうなってしまうか分からない。
「出来ることならこの姿で押し切りたいけど、どうなることやら」
これ以上装甲を抉られるようならカラーシフトする必要が出てくる。一応出来ないというわけではない。
だが、戦い慣れているのはやはりこの姿、フローズンイピリアだ。不慣れな形態のときにこのような強敵を相手にしたくない、というのが本音である。
「来ないの? 来ないならこっちから行っちゃうよ〜♪」
だが相手としてはそんなことお構いなしである。短刀を数回ほど回してから素早く突進してきた。
グングニルは槍の穂先をヴァンパイアへ向け、素早く突き出した。ヴァンパイアは咄嗟に身を捻るが、右肩を穿たれてしまう。
力が抜け、右手から短刀が滑り落ちる。それを見た瞬間グングニルは好機と判断し、槍を大きく横薙ぎに振るった。
「やると思った!!」
だがヴァンパイアはそれを見切ったらしい。空いている左手で短刀を握り直し、槍を受け止めた。さすがに片手で勢いを止めることはできなかったらしく数メートルほど飛ばされるが、しかし身体に直接ダメージを与えられていない。
そうこうしている間に肩に負わされた傷は塞がっている。
「まだまだ!!」
切っても穿っても埒のあかない現状に歯噛みしつつ、グングニルは飛び掛かった。
斬撃が通用しないのなら打撃で、という判断らしい。先のように体を大きく捻り、そして槍を薙ぎ払う。
十分な溜めのあるそれに、ヴァンパイアはすんでのところで防御することに失敗してしまった。脇腹に食い込んだそれは鈍い痛みを伴って弾き飛ばされる。
近くに生えていた木の幹に激突し、彼女は叩き付けられたことで肺から大量に出て行った空気を求めて喘いだ。いくら回復力があるからとはいえ、痛みがないわけでもないし空気が無くても生きていけるわけではないらしい。
それによって生まれた隙を、グングニルは逃がさない。
「ヤァ──ッ!!」
グングニルは悶えているヴァンパイアへ肉薄し、槍を下から上へ振るった。回避行動を取ったものの左腕を付け根の辺りから斬り飛ばされ、そこから夥しい量のインクが噴き出ていく。
ヴァンパイアは思わず絶叫しそうになるのをなんとか堪え、そのまま地面を転がり彼女から距離を取ろうとした。が、そんなことをグングニルが許すはずがない。
《フローズン!!》
「させないから」
《
素早くレリックドライバーに手を伸ばしたグングニルは冷気を纏わせた足で地面を踏み抜きこれを拡散させ、冷気は撒き散らされたインクを辿りヴァンパイアの傷口を完全に凍らせた。インクで身体を修復する、という方法で傷を塞いでいたヴァンパイアにとってこれは致命的である。
ようやく勝利への糸口を掴んだ。そう確信したグングニルはすぐさま槍を構え直して突き出すが、運悪く先に与えた傷口の付近に突き刺さってしまった。
ヴァンパイアは即座に槍の柄を掴み、凍らされた傷口の方へ向けて引き抜いた。肉の筋を断つ嫌な感触と共に抜けたそれのおかげで傷口を覆っていた氷が五割ほど砕け、その隙間からぼたぼたとインクが漏れる。
傷口に残った氷ごと飲み込み、それは左腕へと変化した。
「中途半端だけどないよりはマシ……じゃん?」
そう言いながら動かしてみせるが、その動きはややぎこちない。グングニルからしてみればダメージがまるまるなかったことにされなかっただけマシ、という状況だろうか。
だが、ともかく策は用意できた。あとはそれで倒せばいいだけ。
「まさかもう勝てるじゃん、なんて思ってたりする?」
猟奇的な笑みを浮かべながら短刀の切っ先をグングニルに向けるヴァンパイア。左腕が満足に動かないからといって、戦いの優劣が傾くことなどありえないと本気で思っているようだ。
「知っての通りアタシは何人も人を殺してきた。あんたたちは戦い慣れてるのかもしれないけど、人を殺すことに関してはアタシのが上なんだから」
「へぇ、通りすがりに腹刺して逃げるだけのやつに殺しの技術語られるとは」
グングニルのその言葉で我慢の限界を超えたらしく、ヴァンパイアは短刀をまるで包丁でも持つかのような構えで持ちそのまま突進してきた。
彼女が手慣れているというのもよくわかる。なにせ短刀がヴァンパイアの体に隠れて全く見えないのだ。どういう風に突き出してくるのか、それとも振り下ろすのか振り上げるのか。まるでわからない。
だが結局は槍で串刺しにすれば関係ない。グングニルは即座に恐れを捨て、槍を全力で突き出した。
ヴァンパイアはそれを高く跳び上がることで回避し、落下するのに合わせ逆手に持ち替えた短刀でグングニルの胸をざっくりと縦に裂いた。
肉体にそこまでダメージはない。飛び退くのがあと一瞬でも遅ければ肺をやられていた可能性があるが、奇跡的に間に合ったおかげでギリギリ皮一枚斬られたかどうかというところである。
だが、装甲には致命的といえる傷跡が。
「マジでぇ……!?」
変身を維持できなくなってしまったのか、何もしていないのに勝手に変身が解けてしまった。目の前に戯我がいる状況で生身を晒すというのは、それ即ち死とほぼ同義である。星宮は急いでヴァンパイアから距離を取り、一度心を落ち着かせるために深呼吸した。
もう一度フローズンイピリアに変身できるだろうか。戦い慣れていることに加えて敵の再生を阻害できるというアドバンテージが多少ある以上、できればこの形態で戦いたい。
だが、こんな状況になってしまった以上は無理なのだろう。
ならば、と腹を括る星宮の方へ顔を向けてグングニルは問いかける。
「ね、グングニルのリキッドって三つしかなくてさっき倒したのがその二つ……なんでしょ?」
「……どこまで知ってんだかね、このガキは」
思わずそう言葉を漏らし、苦虫を潰したような表情を浮かべる星宮。恐らく内通者から情報を渡されているのだろう。面倒なことをしてくれたものだ、と心の中で毒づいた。
肯定も否定もしていないそんな言葉を、ヴァンパイアは肯定と捉えたらしい。
「じゃ、アタシの勝ちじゃん!! やった~!!」
などと言ってガッツポーズを取り、歓喜の声を上げる。殺されなかった安心感と勝てたことによる興奮で我を忘れているらしい。だいぶテンションが上がっている。
「ほらほら、死にたくなかったらそこに跪いて♪」
と調子に乗りながらグングニルに要求する始末。完全に調子に乗っている。
グングニルは呆れてものも言えずにしばらく黙り込んだが、無線の向こうで何やら凪と漣がやり取りしているのを聞き我を取り戻す。
「……いつ私の持ってるリキッドが三つしかないって言った?」
そう言い放つ星宮の表情は不敵だ。それを聞かされたヴァンパイアは一瞬呆気に取られたようだが、すぐに腹を抱えて笑い始めてしまう。
「またまた~、そんな虚勢張っちゃって~」
確かに虚勢にしか見えない。こと、リキッドを三つしか持っておらず今そのうちの二つが使用不可になってしまった以上、はったりをかましているようにしか見えなくても当然だ。
だが、星宮はその理論を打ち砕くかのようにリキッドを収納しているポーチを少しまさぐり、そこから新たに二つのリキッドを取り出した。そのうちの一つはヴァンパイアも知らされている黒いインクが込められたシェイドリキッドだ。
なら、もう一つの白いリキッドはなんなのだ?
「じゃあこのリキッドは一体なんでしょ~か!!」
にっこりと満面の笑みを浮かべ、そのリキッドを掲げる星宮。そのリキッドは先に使っていたフローズンリキッドと似た色をしたインクが込められているが、あれに比べるとやや淡く黄色がかっているように見える。
まるで何かの骨のような色だ。ヴァンパイアがそう感じたのとほぼ同時に、星宮はそのリキッドの正体を明かす。
「正解は~、ここに来る前にいきなり渡されたよくわからんリキッドです!!」
《ガシャドクロ!!》
ガシャドクロ。それは以前凪と海斗が協力して倒した巨大な骸骨である。あれが倒された際に現場に残った大量の骨を利用し、こうしてリキッドへと作り替えられたものが今彼女が手にしているものだ。
それを起動したのと同時に、彼女はシェイドリキッドも起動して挑発する。
「じゃ、第二回戦ってやつやろうよ」
《シェイド!!》
視線は鋭くなり、それは舞い上がっていたヴァンパイアを怖気づかせる。
師匠譲りの威圧感。退路を絶たれた者の、決死の覚悟。たとえ刺し違えても勝つという気迫。それを真っ向から受け止める覚悟はあるか、と問われているようで。
背筋に悪寒が走りわずかに後退りしたヴァンパイアを他所に、星宮は白黒二つのリキッドをレリックドライバーに装填した。
《
「変身」
《
レリックドライバーのエネルギーラインが発光し出すよりも先に、彼女は引き金を弾いた。
頭上には白い五芒星が、足元には黒の五芒星が出現し彼女の体を潜り抜けていく。
白の星が彼女の体を上塗りして頑丈で強固な外骨格を形作り、黒の星がその上に影を落としていく。その影はボロ布になって彼女の外骨格に張り付いていった。
目は暗い赤に発光し、見る者に不気味さを感じさせる。
現れたのは、影の中に浮かぶ恐ろしい骸骨。殺し屋や死神の仮装と言われても納得できてしまうほど、正義の味方とされている仮面ライダーには似つかわしくない風貌だ。
《影を纏う怪力骸骨!! シェイドガシャドクロ!!》
「仮面ライダーグングニル。あなたを私色に染め上げてあげる……!!」
槍を地面に突き刺し、ファイティングポーズを取るグングニル。
その宣言を聞いたヴァンパイアは、やはり怖気づいていた。理屈ではわからないが、本能が彼女から逃げろと叫んでいる。怖いのは彼女の気迫だろうか。それとも、あの姿に対して本能的な恐怖を感じているのだろうか。
だが、この身はいくらでも再生する。斬られようと貫かれようと、結局は再生できる。ならば怖いものはない。
「……アハッ♪ たかが姿形が変わったくらいで勝った気になるとか間抜け過ぎじゃない?」
そんな言葉を口にし、先まで優勢だった相手にどうしてこんな感情を抱かなくてはいけないのか、と頭を振り心を持ち直す。
そも、彼女が持っている短刀……イペタムという遺物は血を吸う逸話があるからなのかインクすら吸い取ってしまう性質がある。そして仮面ライダーの装甲はインクでできており、その効力は先に照明されている。それに対抗できる策であった槍を手放した以上、イペタムの攻撃を防ぐ手立てはないわけだ。
つまり、グングニルが姿を変えたとしてもなお優勢なのはヴァンパイアである自分の方だ。冷静に現状を分析してそう結論付ける彼女に、グングニルは短くこう言葉を返した。
「試してみる? 口先だけかどうか」
「じゃあ……遠慮なくッ!!」
グングニルが発した挑発に即座に乗り、ヴァンパイアは駆け出した。
「さっさと死んでよね!!」
などと言いながらイペタムを腰だめに構え、グングニルの心臓目掛けて素早く突き出す。
グングニルは焦らずに一歩後退し、そこでできたわずかな時間で腰にあるレリックライザーを操作した。
《ガシャドクロ!!》
「
《
辺りに響く電子音声。それと共に全身にある骨のような装甲の白さが増したような気がした。
だからなんだ。ただ装甲が白くなっただけ。先のように凍らせてくるわけでも、別の霊装使いのように燃やしてくるわけでも霧で目隠ししてくるわけでもない。ならば何の脅威にもならないはずだ。
そんな判断と共に突き出されたイペタムの刃は、防御のためにクロスされたグングニルの前腕部に接触し、そして……。
「……へ?」
カンッ、という小気味良い音と共にあらぬ方向へと弾かれた。装甲に深く突き刺さることもなく、それを吸い取り削るようなこともなく。
ただ、弾かれた。
思わぬ事態にヴァンパイアは思わず目を丸くする。意味が分からない。一体なぜ弾かれたのか。その理由は先の
ならば、先で起きた変化というのは……。
「硬化か……ッ!!」
「惜しいね」
すぐに答えに辿り着きそれを口にするヴァンパイア。
その直後、ヴァンパイアの鳩尾を凄まじい衝撃が襲った。即座に吹き飛ばされ、大木に衝突しても止まらない。それどころかそれをへし折ってしまう始末。
最終的に生えていた木を追加で数本へし折り、地面を転がされてようやく止まることができた。なんとか近くにあった木へと這いより、それに背を預けて息をつく。
一体何が起きたのだろう。朦朧とする意識の中で考える。霞む視界の奥の方で、握り締めた拳を突き出して静止しているグングニルの姿が見えた。
殴られたのだろう。恐らくただそれだけのこと。たった一発殴られただけでこれほどまでにダメージを負うなどありえない。すでにほぼ再生しているが、腹に風穴すら開けられた始末。いくら硬化した拳で殴ったからといって無理がある。
息をなんとか整えながら頭を巡らせるヴァンパイア。そんな彼女の耳元で、答えを囁く声がする。
「硬化と怪力。それがガシャドクロリキッドの力だよ」
グングニルの声だ。どうして耳元で、とぎょっとしながら振り向くとそこには草木が作った影から体をニョキと生やした彼女の姿がそこにあった。
よいしょ、などと言いながら影から体を出した彼女はヴァンパイアの顔面目掛けて蹴りを放つ。
咄嗟に伏せたことでなんとかそれを回避したが、先まで背を預けていた木が轟音と共に完全にひしゃげてしまった。
ライキリの刀すら弾くほどの硬さと、人間を容易に握り潰してしまえる怪力。それがガシャドクロリキッドの力。ならば、影から出てきたのはもう片方のリキッドであるシェイドの力。
夜ということも手伝って、深い闇の中であるこの森は今やグングニルが支配しているといっても差し支えないだろう。どこにでも潜むことができて、どこからでも現れる。その上凄まじい怪力を持ち、手に持っているイペタムではどうにもならない硬度の鎧を身に着けている。
いくら再生するからといえど、これでは無茶だ。殺されることはなくとも、勝てるはずがない。
「さ、続けようか」
ポキポキと指を鳴らしながらそう言い放つグングニル。
静かに敗北を悟ったヴァンパイアにとって、それは正しく死刑宣告であった。
死にたくない。そう感じたものが取る行動は、いつだって決まっている。
「真正面で戦うのや~めた!!」
そう叫んだヴァンパイアはその体を蝙蝠へ変化させ、すぐさま森の中を飛翔してグングニルからとにかく距離を取る。いくら影の中を泳げるからとはいえ、その対象がどこにいるのかわからなければ追い付くことはできないはず。
そんな博打にも似た作戦は、確かにグングニルの追跡を振り切ったらしく彼女の声や姿は周りに見えない。
しめたなどと思いつつ右へ左へと複雑に進む方向を変え、やがて彼女は先までグングニルが行かせまいとしていた道の先へと行き着いた。
満月に照らされて影も少ないここなら奇襲を受けることもないだろう。そもそも自分が言われていたのは鷹原朱莉を殺せということだけ。何も馬鹿正直に仮面ライダーを殺さずとも良いのだ。
「……あ~、死ぬかと思った。けどなんとかなるもんなんだね♪」
体を人間のときのそれへ戻し、道の先を見つめる。確かにグングニルが言っていたように誰かが車を出しているらしく、赤いテールランプが遠ざかっていくのが見えた。
普通であれば今から走ったとて彼らが支部に辿り着くまでに間に合うとは思えないが、今の自分は戯我になった身。身体能力が著しく向上している今なら、走ったら追い付く可能性がある。
追い付けば、殺せる。
「よ~し、殺しちゃうぞ♪」
ニタリと気味の悪い笑みを浮かべ、彼女は駆け出した。一歩、二歩。それで進む距離は人間のそれとは比にならない。
これなら彼らが市街地へ着く頃には追い付けるかもしれない。そんな思考が脳裏を過ぎる。
三歩。それを踏み出した瞬間、事態は一変する。
「……あえ?」
ズドン。突然の衝撃と共に鈍い音が体の内側から響く。姿勢を維持できなくなり、前のめりに倒れ込んでしまう。
何が起きたのだろう。そう考えながらわずかに下を向き、彼女は目を丸くする。
槍だ。槍が胸を貫いている。
一体どこからこんなものが、と考える間もなく彼女は地面に繋ぎ留められてしまう。
「ま、さか……」
遅れて襲ってきた痛みをなんとか我慢しながらそう声を漏らす。
この辺りにいる霊装使いで槍を武器にしているのはたった一人。
しかし彼女は撒いたはずだ。あの暗闇の中、あっちこっちへと規則性のない動きで飛び回る蝙蝠の動きを完璧に捉えられるはずがない。
ありえるはずがないのだ。
そんなヴァンパイアの祈りにも似た思考は、儚く砕け散ることになる。
「アンタが何をしようと、どんなところへ行こうと絶対に逃がさない。この封魔霊装グングニルの名にかけてね」
肩で息をしながら彼女は、グングニルはヴァンパイアへと近づいていく。上下が逆さまになった視界で彼女の姿を視認したヴァンパイアは思わず絶句する。
完全に振り切ったはずの相手。この道に来るまでだいぶ遠回りしたというのに、なぜここが。
「なんで、追い付いて」
「途中まで気合で。見えなくなったからこの道に出たんだろうなと思って影から出て、この道に来た。そしたら後ろから土を蹴る音がしたから咄嗟に槍を投げただけ」
思わず口から零れた疑問に、グングニルは淡々と答えた。答えたこと以外は何もしていない。単に彼女の運が良かったのと、影の中から見れなくなったから開けた場所にいるはずという咄嗟の判断が正しかったというだけの話だ。
その答えに、ヴァンパイアは槍を強引に引き抜きながら引きつった表情を見せる。
「逃げられない……」
どこへ逃げても、彼女はその執念で見つけ出してくることだろう。そう思わされるだけの何かが彼女にはあった。
ジリジリと後ろへと下がりつつ、逃げの体勢を取る。たとえ後に見つかって殺されるとしても、今生き延びることが最重要事項だ。生き延びれば勝ちなのである。
そんなヴァンパイアへ、グングニルは冷めた視線を送りながらレリックドライバーへと手を伸ばす。
《
「もう終わりにしようか。逃げられても面倒だし」
《
そんな一言と共に、グングニルのエネルギーラインが白に眩く発光──本来なら二色光るが黒く光るなど到底無理である──し、排熱ダクトを露出させた。
彼女の手に白い追加装甲が生成された。簡潔に言うならば、巨大な手だ。これで殴られてはその辺のコオニギガなどペシャンコになって即お陀仏だろう。
そんなどう考えてもおかしな威力を秘めているであろうそれをガチャガチャと軋む音がするほどに強く握り締め、キッとヴァンパイアを睨みつけた。
そのせいだろうか、ヴァンパイアはそこから動けなくなってしまった。
いや、違う。グングニルの圧に怯んだからではない。
「影が……!?」
グングニルの影から手の形をした無数の影が伸び、ヴァンパイアの影を縛り付けている。
体を動かせなければ影も動かせないのと同様に、影を動かせなければ体は動かせない。先に逃げられたときは周囲の影と同化していて縛れなかったが、影がはっきりとしているここならそれが出来た。
「言ったでしょ、逃がさないって。同じ轍は二度も踏まないから」
そう言い放ち、彼女は跳躍した。
握り締めた拳を振り上げ、脳天から叩き潰してやろうと勢いよく振り下ろす。
その寸前。
「こんなとこで死ねるかァ──ッ!!」
ヴァンパイアは叫び、火事場の馬鹿力とばかりに秘めた怪力で影の束縛から脱してみせた。そのまましたり顔でグングニルに背を向け駆けようとする。
だが、時すでに遅し。
「くたばれッ!!」
振り下ろした拳はヴァンパイアの背を捉え、そのまま地面に叩き付けた。下敷きになった胸から下の部分は呆気なく粉々に潰れ、残った上半身が衝撃によって巻き起こった風によって吹き飛ばされていく。
舞い上がる土煙。それが晴れた後、その場所に立っていたグングニルの手は深紅に染まっていた。
とはいえ、それで終わるということもなかった。
「……痛すぎてな~んも感覚ないや。でも生きてるじゃ~ん♪」
転がされた先、空を仰ぎながらヴァンパイアは呟いた。負った傷が大きすぎるせいで速度こそ遅いが、すでに再生は始まっている。
これこそが吸血鬼の不死性である。どれだけ大きな傷を負おうが、体が残ってさえいれば回復できてしまう。彼女を殺すには、それこそ太陽光を浴びせる以外に方法はないのかもしれない。
だからなんだ。
「それでもいいよ。日が昇るその瞬間まで殺し続けるから」
低い声音でそう呟き、再びレリックドライバーに手をかける。たとえいくら再生したところで、また潰してしまえば逆戻りだ。理屈もクソもない、単純な話。
日の出まであと二時間程度だろうか。それまで何度でも潰してやる。たとえその過程で手が負担に耐え切れなくなり壮絶な痛みが襲ってきたとしても、何があろうと殺す。
彼女を動かすのは執念だった。殺意に心を支配されていると言っても過言ではない。
とにかく目の前にいるヴァンパイアをここで殺す。彼女の頭にはそれしかなかった。
そんな彼女を正気にさせたのは、徐々に近づいてくるとある音である。
「……エンジン音?」
明らかに場違いな音だ。考えられるとすれば朱莉を乗せた覆面パトカーが戻ってくるくらいなものだが、しかしそんなことをする理由がない。
首を捻りつつ警戒する彼女の視界に現れた音の主は、彼女のよく知る人物たちであった。
「星宮くんか。凪たちが戦っているのはこの先で合ってるのかな?」
「え、師匠ですか?」
フルフェイスのヘルメット越しに聞こえるくぐもった漣の声に彼女は驚いた。彼は支部に残って防衛すると聞いていたのに、なぜこんなところにいるのだろうか。
その事情を話そうとしたが、それより先にグングニルが口を開く。
「で、後ろの子誰なんです?」
この場所に来たのは漣だけでない。後ろに同乗者の姿があった。こちらもフルフェイスヘルメットを被っているため顔は見えづらいが、服の雰囲気からして間違いなく女性。それも凪や朱莉と同年代程度の……。
いや待て。彼女の服には見覚えがある。それもどこかで見たような気がする、というレベルではない。間違いなく数分ないし十数分前に見たものだった。
「もしかして朱莉ちゃん!?」
「あ、あはは……。戻ってきちゃいました」
驚愕したグングニルの言葉に苦笑しながらそう返す朱莉。一瞬だけ偽物かどうか疑ったが、しかしヘルメット越しに申し訳なさげに頭をポリポリと掻くその姿は確かに朱莉その人のものだし声だって彼女のそれと同じ。
驚きのあまり朱莉のことを指差したまま硬直するグングニル。そんな彼女に漣は困ったように話しかける。
「訳は移動しながら話すよ、と言いたいところなのだけど……」
そこで言葉を切り、地面に転がっているヴァンパイアへと目をやった。明らかに死にかけにしか見えない体だが、残っている腕でゆっくりと地面を這いグングニルから逃げようとしている。その腰から下は、徐々に再生し始めていた。
それに気が付いたグングニルはやっぱりね、と呟き拳を握る。
「あれは私がなんとかします」
「う~ん……。いや、僕がやっておくよ」
だからこの先へ、と続けようとしたグングニルの言葉を漣は遮りそう言った。
一体どうして、という様々な疑問。それに答えることなく、彼は先に朱莉を降ろしてからAストライカーから降りた。そしてポンポンと運転席を叩きながらグングニルの方を見る。
「今ここで詳しい説明をしている暇はないんだ。そんなものは戦いが終わったあとにでもすればいい。今はとにもかくにも朱莉と一緒に凪の元へ行ってあげてほしい」
頼む、と言って頭を下げる。いつも背を追ってきた人間に頭を下げられると少し思考が固まるらしい。数秒ほどの沈黙の後、グングニルは決心したかのように漣のAストライカーに跨った。
「行こう、朱莉ちゃん」
「……はい!!」
正直、今この場で問い詰めたい。一から十まで吐かせたいし、朱莉を危険な場所に連れていくことに対して批判したい。言いたいことも聞きたいことも山ほどあるのだから。
だが、確かに漣の言う通りだ。とにかく今は凪の元へ急ぐべきである。そこにどうして朱莉を連れていく必要があるのかは知らないが、彼が連れて行けというのなら何か理由あってのものなのだろう。
そんな思いと共にグングニルはエンジンを一つ吹かし、後ろに乗った朱莉と共に廃旅館へと向かう。
その背を見送った漣は、さてなどと言いながらヴァンパイアの方へ視線をやった。やはり目につくのは彼女が手に持っている短刀イペタムだ。不用意に近づいて刺されでもしたら目も当てられないことになってしまう。
霊装使い相手に通用するような武器、といえば遺物だろうな。冷静にそこまで見抜いた漣の耳にグングニルから無線越しに伝言が。
『師匠。そいつが持ってる短刀が血を吸うらしくて、インクも吸われるんで戦うとき気を付けてください』
「……なるほど。それは物騒だ」
苦笑いを浮かべながらゆっくりとヴァンパイアへと近づいた。すでに太ももの辺りまで再生し終えた彼女は、新たにやってきた何者かが自分を始末しようとしていることに気が付いたらしい。
たが、彼女は慢心し切っている。
「霊装使いでもなんでもないくせに勝てるって思ってる? バカなんだね、オッサン♪」
なんとか上体を起こし、漣に向き直ったうえでそう挑発する。彼女は漣が霊装使いであることを知らないのである。腰にあるレリックドライバーを見ればすぐにわかることであったが、そこに気を向けられるほど彼女に余裕はない。
また同じことを説明しなければならないのか、と煩わしさから思わず溜め息を吐きそうになる漣。懇切丁寧に教えるほどの義理もないか、と判断した彼はイペタムの間合いギリギリのところまで接近してこう言い放つ。
「生身でも殺せるよ。今のキミなら、という前提条件は付くけどね」
それを聞いた瞬間、ヴァンパイアのこめかみに青筋が立っていく。異様な白さをしている彼女の肌がずいぶんと赤くなっていく。
こんなドストレートな挑発が効くものなのか、と少々驚く漣。彼に対しヴァンパイアはイペタムを手でくるくると回しながらこう言い返した。
「……へぇ、アタシのことバカにしてんだ。そこまで言うならやってみなよ」
「そこまで言うのなら遠慮なく」
その言葉と共に、イペタムを回していた手を蹴り上げる。
戯我である彼女にとってそれ自体は大したダメージにならない。だが漣の狙いはダメージを与えることではなかった。
「あ」
そんな気の抜けた声と共にイペタムが彼女の手を離れ宙を舞う。それを無意識のうちに目で追い、漣から目を離してしまった。
イペタムを掴もうと両手を掲げる。がら空きになる体。その隙に、彼はヴァンパイアの体をそっと押した。それのせいで地面に倒れ込んでしまう。
脚が再生し切っていない以上、再び体を起こすのには時間が少しかかる。やられた、と歯噛みしながら体を起こそうとしたときには、すでにイペタムは漣の手に渡っていた。
「うわぁ!?」
漣の動きは少しも止まらない。イペタムを奪われたのだと察した次の瞬間、ヴァンパイアの上に躊躇することなく飛び乗った。
動かそうとした腕を漣の足で押さえられ、攻撃しようにもどこも動かせない。怪力であるはずだが、この短時間で大量にインクを失ったのも手伝ってそれすら発揮できないらしい。
「この短刀……作りが昔北海道の旅行先で行った郷土館に置いてあった刀に似てるな。それで血吸いの伝承があるのならこの遺物はイペタムか」
ヴァンパイアの上で遺物を観察して正体を見抜き、なるほどと言いながらそれを逆手に構える。
「これは人だけでなく、大怪鳥をも殺す妖刀だ。ならキミを殺すことだってできるわけだ」
刃先をトントンとヴァンパイアの胸に当てながら、そんなことを言う漣。生身でも殺せるというのはこういう状況を作り出せるという意味合いであったらしい。
今から自分はこの男に殺される。ヴァンパイアは数テンポ遅れてようやく自覚したようだ。サァっと血の気が引き、どうすれば生き残れるか頭をフル回転させて考え出す。
が、彼女が閃くまで待つ義理は漣にない。
「それじゃ、あの世で永遠に罪を償って生きるんだよ」
などと言って容赦なくイペタムをヴァンパイアの体に突き立てた。不思議と血もインクも飛散しないのは、イペタムが吸っているからなのだろうか。
彼女は人間ではなく戯我になった身。体はインクで構成されている。それ即ち、彼女の体を余すことなく全てをイペタムは吸えるのだということを示している。
直後、ヴァンパイアを体の中を吸い出されるような未知の感覚と痛みが襲った。それに絶叫を上げながら必死に命乞いを口にする。
曰く、助けてくれ。曰く、死にたくない。曰く、もう誰も殺さないから。曰く、神様に誓ってもいい。
悶絶しながらそれらを唱えるヴァンパイアに、漣は一言。
「そう言って命乞いをした者を、キミは一度でも見逃したかい?」
その一言で、ヴァンパイアの命乞いを唱える口は動きを止めた。生を諦めたというよりは、それすらできないほど体内のインクをイペタムに吸われているのだろう。
やがて体のほとんどをイペタムに吸い取られたヴァンパイアの残骸──といってもあるのはイペタムが吸い切れなかったほんのわずかなインクだけだが──は塵になって消えていく。
その場には、イペタムの鞘だけが遺された。
「はい、終わりと」
遺されたイペタムの鞘へと納刀し、彼は一息吐いた。
何か一つでも間違っていれば死んでいたかもしれない。頭に血が上っていて正常な判断ができていなかった可能性があるな、と自省もそこそこにグングニルが向かった先へと目をやった。
「凪は大丈夫だろうか……」
そう呟く彼の声音は、先までの冷淡なそれではない。息子の身を案ずる父のそれであった。
廃旅館の中庭。ライキリが生み出した濃い霧の中で、リキッドを使いヴァンパイアへと変異した男朝木は得意げな表情を浮かべる。
「あれだけ啖呵を切っておいて、所詮はその程度ですか……」
そう言い、嘲笑を送るその先に彼はいた。
「ハッ……。多少有利取れてるからって調子乗りやがって雑魚が」
力なく刀を下へ向け、呼吸が乱れているのか肩で息をしている。足取りもふらふらで、今にも倒れてしまいそう。
そんなライキリの視界の半分は、紅に染まっていた。
《付録之拾伍》イペタム
アイヌ民族の伝説にある妖刀で、イペタムの他にエペタム、エベタム、イベタム、イベタンなどと表記されることもある。
イペの部分が喰う、タムの部分が刀という意味を持ち、「イペタム」はものを喰う刀や妖刀、人食い刀、人を喰う刀や霊剣といった意味の一般名詞。
カタカタと鳴り、一度抜いたら人を斬って血を見るまで収まらないとされる刀であり宙を飛んで人を斬ることもあるという。
北海道の各地にイペタム関連の伝承が伝わっており、その内容は様々である。