仮面ライダームラサメ外伝譚 仮面ライダーライキリ   作:八咫ノ烏

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第十七頁[紅蓮に染まる空]

 漣と別れ、朱莉と共に凪の元へと向かう道中。

 グングニルは一瞬だけチラリと後ろに座り自身の体にしがみついている朱莉へ目を向け、ある疑問を投げ掛ける。

 

「ね、責めるわけじゃなくて純粋に疑問なんだけどさ。なんでこっちに戻ってきたの?」

 

 それは当然の疑問であった。朱莉自身に戦えるだけの力は何もない。それどころか戯我に対するトラウマを抱えており、その上拉致されていたことで精神的にも肉体的にも疲弊しているはずだ。

 そんな子をわざわざ戦場に連れていく理由はなんなのだろうか。正直なところ彼女には早いところ支部に帰ってご飯を食べたりお風呂に入ったりなどしてほしい、というのがグングニルの本音である。

 

 おそらくそれは漣も同じはずだ。なら、朱莉は彼女自身の意志でこの場所に戻ってきたということになる。

 

 それを問われた朱莉は、少しだけ遠い目をして口を開く。

 

「……行かなくちゃって、そう思ったんです」

 

 漠然とした答え。要領を得ないそれに、思わずグングニルはAストライカーの速度を緩めてしまう。そんなふんわりとした理由で死地へと誘うことはできない。今この場で引き返し、支部へ連れていく。その判断をするのも、彼女を見守ってきた一人の年長者としての責務だろう。

 そう考え、グングニルは先へ進むのを躊躇する。だが、朱莉は答えを全て言い終えたわけではないらしい。

 

「もしかしたら私が支部でぬくぬくしている間に凪が死んじゃうかもしれないって思うと、行くべきなんじゃないかって。自分のいないところで家族を喪うのなんて、もう嫌だから」

 

 家族を殺され、犠牲にして生き延びてしまったと思いながら生き続けてきた彼女にとって、自分の与り知らないところで大切な家族を喪うというのは何よりも恐ろしいことであった。あの時心に空いた穴は、凪が長い時間をかけて埋めようとしてくれている。

 だが、そんな彼がいなくなってしまったなら。今度こそ本当に心が壊れてしまうかもしれない。

 

 だから殺されてしまうようなことになったなら。その時はせめて膝の上で看取りたい。

 

 別に、最初からそうなるという確信が朱莉にあるわけではなかった。もちろん凪が勝つのだと信じているし、それを疑うことはない。

 だが、彼の死を恐れている。それには一つ原因があった。

 

「私が最後に見た凪は、目を離したら消えてしまいそうな感じがしたから。今も初めから自分の生存なんか諦めていて、死ぬこと前提で動いてるかもしれなくて」

 

 朱莉が最後にちゃんと彼の姿を見たのは、おかしな吸血鬼の存在と誘拐事件の間に少なくない関連性があることが判明した日。つまり凪が事実上の人殺しになってしまったと深くショックを受けていた日である。

 その姿と後の様子からするに、彼はおそらくまだ立ち直ってはいないはずだと朱莉は推測している。朱莉を攫われたことに対する怒りの方が上回っているのだろうが、そのショックを掻き消すほどでもないはずだ。

 

 その罪滅ぼしとして、必ず主犯を殺すと決意していたとしよう。

 自分が死んだとしても相手を殺す、と彼は心に決めることだろう。

 そしてその相手は今吸血鬼となり凪に対峙していて、その吸血鬼の能力と凪の持つリキッドの能力の相性はハッキリ言って最悪だ。

 

 そんな状態で彼が導き出す結論は想像に容易い。

 

「朝日が昇るまでの、持久戦……。多分凪は最初からそのつもりだと思う」

 

 それはグングニルも察しているらしい。重い声音で朱莉の考えを肯定した。

 彼が得意なのは持ち前の機動力で敵を翻弄し、手数の多さで攻めるタイプの戦い方だ。ただ、その戦い方は吸血鬼の再生能力の前には無力だろう。斬れど斬れど再生され、敵の攻撃を食らった分、たとえ喰らわずとも時間が経てば経つほど疲弊していく。

 正直言って、五体満足で勝つというのは難しい。

 

 だが凪と吸血鬼の間には明確な違いがある。それは仲間の数だ。

 現時点でCoR側の戦力はほぼゼロと言って差し支えないほどの損害を受けている。旅館にいた数十体のコオニやゴブリンはバルムンクが一掃したとの報告があったし、逃げ出した個体も多くいるはずだ。

 恐らく隠し玉だったろうあの女のヴァンパイアもグングニルが倒してしまったし、現状まともに戦えるのは凪と対峙している男だけだろう。

 

 それに対し、凪にはまだバルムンクやグングニルがいる。加えて今は彼の父もいるわけだ。

 

 何も自分が生き残って勝たずとも、残りの霊装使いに託せばよい。だから自分が死んでもかまわない。それまでにできるだけ相手の体力を削ってしまおう。

 

 きっとそう考えているはずだ、と朱莉は確信していた。凪が朱莉の考えをある程度読めるのと同じように、彼女もまた彼の考えをある程度推測することが出来る。

 自分が死んでもよい、という考えを壊す方法も。

 

「だから、凪に直接言わなきゃいけないんです。一緒に帰ろうって。あの時約束したでしょって」

 

 凪は昔から朱莉の頼み事を大抵聞いてくれる。それは彼が朱莉に対して負い目を感じているからだ。そこを刺激してしまえば、たとえそれが叶わずともきっと生きて帰られるように最大限動いてくれるはず。

 

 だから、現地へ。無線越しでは意味がない。彼の目を見て、彼の耳に直接この声を届けるために。

 

「……わかった」

 

 彼女の意志を受け取ったグングニルは、ふぅと長く息を吐いてAストライカーのエンジンを唸らせる。真っすぐな目でそう言われたのに引き返してしまうのはあまりに無情な行いだろう。

 万が一のことが起きるかも、という憂いはある。だが、それは自分がきっちりと守り切れば済む話。

 

「今度こそ行こう。それで二人で一緒に凪へ言ってやろう!!」

「……ありがとう、星宮さん」

 

 小さな声で謝辞を口にする朱莉。それに対していいってことよ、と返しグングニルは真っすぐ前を見据える。

 廃旅館はもう目の前だ。

 

 

 

▽▽▽▽▽

 

 

 

 ライキリへと変身した凪とヴァンパイアへと変異した朝木が戦い始めてから、実に二十分以上の長い時が過ぎた。

 その長い時間をかけてもライキリはヴァンパイアへ有効打を与えることが出来ておらず、それとは反対にヴァンパイアはライキリへ幾度もの攻撃を浴びせダメージを負わせることに成功している。

 

「……視界が見えづらくてしょうがねえな、ちくしょう」

 

 思わずそう呟いたライキリ。それも仕方ないことだ。なにせ頭を殴られた際に左側の頭部の皮膚が数センチメートルほど裂け、そこから流れた血液が彼の左目に垂れているのだから。

 視界の左半分が紅に染まり、なおかつ体の節々が痛んでいて言うことを聞いてくれるかも怪しい状態。

 

 満身創痍。あるいはその一歩二歩手前。それが今のライキリの状態であった。

 

「さっさと降参すれば良いものを。このような霧を生み出して視界を奪っても無駄なのですよ」

 

 ボロボロになっているライキリへヴァンパイアはそう言い放つ。血の臭いを嗅ぎ分けてある程度の位置は特定することができ、それに近づけばライキリの影が白い霧の中に浮かび上がる。それが見えればもうこちらのものだ。殴るなり蹴るなりすればいい。

 ライキリも斬撃を浴びせてくるが、それで負った傷などすぐに再生してしまえる。ゆえにローリスクハイリターン。視界が白に覆われていたとて無意味なのだ。

 

 そんな無慈悲な事実を突き付けられたライキリは、それをうるせえと一蹴し刀を握り直す。

 まだ手足は動く。目もかなり見え辛いが全く見えないというわけでもないし、耳だってバッチリ聞こえる。ならば十分だ。

 

「誰がテメェなんぞに降参するかよバ〜カ。そんなことするくらいならこの場で首切って死んだ方がマシだ」

 

 軽口を叩き、切っ先をヴァンパイアへと向ける。言葉に嘘はなく、諦めるという考えなど全くなかった。

 だが、戦いの結果は見え透いている。どうあれこのままでは勝つのはヴァンパイアの方だというのは火を見るよりも明らかだ。

 

「そこまで言うのなら仕方ない。早いところトドメを刺してあげますかね」

 

 呆れたように頭を振りながらそう言い、彼は地面を蹴ってライキリへと迫る。

 

 握られた拳。ライキリの顔面へと一直線に放たれたそれは、ライキリの振るった刀によって真っ二つに切断される。

 返す刀で胴を斬ろうとするが、しかしそれよりも速くヴァンパイアの追撃がライキリの胸を強打した。

 

 飛びそうになる意識。咄嗟に舌を強く噛んでなんとか耐えるが、それで状況が根本から変わるわけでもない。

 ヴァンパイアはくの字に折れたライキリの体を掴み、鳩尾目掛けて何度も何度も執拗に膝蹴りを放つ。命の危険を顧みず難敵に立ち向かう彼の高尚な心をへし折らんとしているかのようだ。

 

 ただでさえ傷だらけで限界を迎えかけているというのに、さらに怪力でそのようなことをされてはたまらない。防御する術はなく、反撃しようにも体に上手く力が入らない。

 という絶望的な状況にも関わらず、ライキリは仮面の下で不敵な笑みを浮かべていた。

 

《ライラプス!!》

「いい気になりやがってバカがよォ……!!」

Calling(コーリング)!!》

 

 必死にドライバーを操作し、電子音声が周囲に響く。

 ヴァンパイアがマズいと感じ、距離を取ろうとしたときには手遅れであった。

 

『ガァルルァァァァ!!』

 

 レリックドライバーから赤茶色の猟犬が飛び出し、ヴァンパイアの左腕に噛み付いた。予想外の出来事に軽くパニックを起こした彼は左腕を振り回しながらライキリから距離を取る。

 猟犬はそれに噛み付いたまま離れない。それどころか嚙み付いた場所をそのまま引き千切り、次は足へと噛み付こうとする始末。

 

 手に負えない、と逃げようとしたが猟犬はこれを許すつもりはないらしい。容赦なくヴァンパイアの右足に噛み付いた。

 マズい、と一瞬怯むヴァンパイア。だが、彼はその場の思い付きでこれを逆に利用した。

 

「こンの駄犬がァ!! 私に触れるなど大罪ですよッ!!」

 

 殴り飛ばして殺してしまえばいい。その判断と共に振るわれた拳を、猟犬はすんでのところで身を捩って回避した。衝撃で巻き起こる旋風に乗って距離を取り、そして彼は姿を消した。

 

BRUSH-UP(ブラッシュ・アップ)!!》

「カラーシフト」

《邪を噛み砕く風纏いし牙! サイクロンザルティス!》

 

 ライキリがリキッドを変えたからだ。結局何をどうしても通用しないのであれば、使い慣れている力を使って戦った方がよい。

 静かに息を吐き、肩越しの構えを取る。

 

 体力的にも次の攻防で最後になるだろう。

 そして恐らくは自身が負けるはずだ。

 だが、この戦いの勝利条件は誰かがヴァンパイアを殺すこと。凪が殺せずとも、星宮や海斗が殺せればよい。

 

 なるべく相手の体力を奪い、そして後続の人間にタスキを繋ぐ。

 そのために。

 

《ライラプス!! Charging Color(チャージング・カラー)!!》

「これに全てを……!!」

Last Calling(ラスト・コーリング)! モノカラー・クロマティックスラッシュ!》

 

 そう呟き、体を大きく沈み込ませた次の瞬間。彼はサイクロンリキッドの力で凄まじい加速を見せながら一気にヴァンパイアへと肉薄した。

 彼の持つAウェポンから二つ、マホガニー色の鉤爪状のオーラが生成されている。

 

「死ねェ──ッ!!」

 

 ヴァンパイアが反応する間もなくその刃を振るい、彼の体を四つに裂いた。

 そのまま数歩進んだところで静止し、残心。

 

 普通ならこの一撃で終わるはずである。何せ胴を四分割されて体を保っていられるはずがないからだ。

 

 だが、この戯我は違う。

 

「先から言っているでしょう、死ぬのはお前だと!!」

 

 ヴァンパイアはそう叫びながら、背を向け残心を解かずにいたライキリへ殴りかかる。

 ライキリは即座に振り向き刀の側面で受け止めようとするが、力負けして刀を弾かれた挙句そのまま吹き飛ばされてしまった。

 

 地面をゴロゴロと転がり、そのまま倒れ込んだ。

 何度も立ち上がろうとするが、体に力が入らない。

 

 嫌でも限界、という二文字が頭に浮かぶ。

 

「……あなたはよくやりましたよ。ですが、ここまでです」

 

 そんなことを言いながらヴァンパイアはへたり込んでいるライキリへと近づいた。次の一撃で殺せると確信しているらしい。余裕綽々といった風に悠然と、ゆったりと彼へ近づき仁王立ちする。

 

 満月を背に、彼は拳を大きく振り上げた。

 

「死ね」

 

 あぁ、ここまでか。静かに死を悟り、歯噛みしながらその拳を受け入れようとしたライキリ。

 

 それを見上げている彼がその視界の下、自分の影から手が現れていることに気が付くはずもない。

 

「殺させないから」

 

 聞き慣れた声。それと共にヴァンパイアのパンチは何者かに受け止められた。

 その手はヴァンパイアの拳をそのまま握り潰し、驚愕して一歩引いた彼の胸元に鋭いキックを放つ。怪力ゆえか、中庭の反対側まで吹き飛ばされて壁に激突。大きな穴を開けてしばらく地面を転がっていった。

 

「大丈夫、ではないよね」

 

 彼を助けたのはグングニルであった。ライキリを守れたことに安堵の溜め息を吐いたのも束の間、地面に座り込んで動かない彼の様子を見るやそう呟き彼へ手を差し伸べる。

 その手を取りようやく立ち上がり、しかし立っているだけで精一杯なのかグングニルへともたれかかるライキリ。それで彼女は自分ともう一人の推測が正しかったことを確信し、静かに問いかける。

 

「やっぱ死ぬ気で戦ってた?」

 

 その問いに対するライキリの答えは、沈黙。それが何よりもの彼の考えを雄弁に語っていた。

 グングニルは神妙な面持ちでだよね、と頷きながら彼の肩へ手を回して後ろを振り向く。

 

「それにお怒りの方が一名、あそこにいらっしゃいます」

「……はぁ?」

 

 こんなタイミングで一体何をふざけたことを、と言い返そうかと思ったが残念なことにグングニルに支えられている関係上彼も後ろを振り向かざるを得なかった。

 そこにいたのはバルムンクともう一人。グングニルと共にここへ来た朱莉であった。

 

「なん、で……!?」

 

 何も知らないライキリはここにいるはずの存在でない彼女の姿に思わず絶句し、グングニルから離れて朱莉へと駆け寄った。

 彼女の肩を掴み、うわ言のようになぜ、どうしてと繰り返す。そんな彼の目を、朱莉は真っすぐ見据えた。

 

「自分が死んでも他のやつが殺してくれたら勝ち、とか思ってたんでしょ」

「……あぁ。その通りだ」

 

 朱莉の指摘に、ライキリは短く肯定の言葉を返す。勝てるだろうという気は早々に消えていて、ならばと持久戦に切り替えたのは事実。

 それを受け取った朱莉は、右手の小指をピンと立ててそれをライキリの眼前に突き出しながら言う。

 

「何があっても命優先、絶対に生きて帰ってくるって約束したよね。忘れた?」

「忘れてはない。ただ、そうするしかなかったんだ」

「……確かにそうかもしれない。けどね、凪」

 

 戦っている凪本人も好きで勝利のために命を捧げようとしているわけではないことくらい、朱莉にだってわかっている。戦った経験がなくともそれくらいはわかる。

 だが、それでもその考えは認められない。

 

 凪のことが他の何よりも大切だから。

 

「凪が私に生きててほしいって言ったのと同じように、私も凪に生きててほしい。この戦いで死んでほしくない」

「それは……」

「私には凪がいないとダメなの。凪のいない生活なんて、もう考えられないから」

 

 何かとんでもないことを口走った気がするな、などと頭の片隅で考えつつ朱莉は必死に次の言葉を探す。もたもたしていれば、先のグングニルの攻撃で気絶しているらしいヴァンパイアが目を覚まして襲ってくるかもしれない。

 

 今ここで朱莉が何と言おうが、凪が戦場から退くことはないだろう。トドメは俺が、などと言うはずだ。

 だから、それは願わない。願うのは、ただ一つ。

 

「だからさ、凪。勝って。勝って約束を守って」

 

 無事に家に帰ること。それを守ってくれという要求に、ライキリは数秒間黙り込んだ。

 

 どう反応が返ってくるだろうか。一抹の不安を抱きつつ彼の反応を待つ朱莉の前で、ライキリは深い溜め息を吐いて困ったように頭をポリポリと掻いてみせる。

 

「あ~、うちのわがまま姫はしょうがねえな……」

 

 困ったような声音でそう言葉を漏らし、朱莉の頭に手を置いた。

 次いでバルムンクとグングニルの方へ視線をやり、答えを返す。

 

「どうせここに三人もいるんだ。さっきよりは状況が格段に良くなったわけだろ」

 

 体力の限界を迎えている自分に比べ、この二人はまだ幾ばくかの余裕があるように見える。

 それなら、まだなんとかなるはずだ。そう判断し、ゆらりと立ち上がったヴァンパイアの方を向き断言する。

 

「ってわけだ。正直三途の川渡りかけでヤバいけど、お前だけは殺すよ」

 

 朱莉に隠れるよう伝え、気力を振り絞り刀を握り直す。そんな彼に、バルムンクはあるものを差し出した。

 

「このリキッドをキミに託す」

 

 差し出されたのは、二つの赤いリキッド。バルムンクが頻繁に使用しているブレイズリキッドとガルダリキッドであった。どうしてこれを、と聞こうとしたライキリは彼のもう片方の腕の状態を見て口を噤む。

 明らかに曲がってはいけない方向に曲がっている、ような気がする。

 

 視線が腕に向けられたことに気が付いたのか、バルムンクは肩を竦めながら口を開いた。

 

「折れてないよ。多分、折れかけ。だから、今はこっちのが都合が良くてさ」

 

 足を動かしながら首を傾げてみせる。確かにこの形態であれば足さえまともに動かせたらなんとでもなるだろう。だから有効打を与えられるであろうもう片方のリキッドを、凪に託そうとしたのだ。

 凪はそれを受け取り、強く握り締めてからもう一度ヴァンパイアの方へと向き直る。

 

「くどいんですよ何度も何度も……。特に凪、あなたは死にかけでしょう。いい加減諦めたらどうなんです?」

 

 彼は心底面倒臭そうな声音でそう言った。彼からしてみれば、二十分以上痛めつけてあと一歩で殺せるところまでいった人間が再び立ち上がっているのだからウンザリするのも当然だ。

 だがそう感じているのはライキリも同じ。

 

「お前も大概くどいだろうが。斬っても斬っても再生しやがってカスが」

《ブレイズ!!》

《ガルダ!!》

 

 悪態を吐き捨てて、彼はリキッドを二つ起動した。今までは再生を阻害することができず、傷を与えようが回復されてゼロに逆戻りという地獄のような状況であった。

 だが、このリキッドであれば。これであればその壁も打破できる。

 

Loading Color(ローディング・カラー)!! GRADATION(グラデーション)!!》

「でもそのいたちごっこも仕舞いだ」

BRUSH-UP(ブラッシュ-アップ)!!》

 

 電子音声が鳴り終わるのを待たずして撃鉄を弾く。

 緑に包まれた装甲は赤へと上塗りされ、忍者のような見た目から西洋の騎士のような見た目へと変化を遂げる。

 

《夜を照らし出す紅焔の鷲!! ブレイズガルダ!!》

 

 青の瞳がヴァンパイアを真っすぐ射貫く。その左右には戦友であり相棒のバルムンクとグングニルが得物を構え、ライキリが号令をかけるのを待っていた。

 

 彼はゆっくり息を吸い込み、心を落ち着かせる。

 未だに体力は底を尽きていて、体のあちこちが痛くて気を抜けば失神してしまいそうだ。どう考えても限界で、これ以上戦うべきではないのかもしれない。

 

 だからなんだ。隣には心強い仲間がいる。後ろには誰よりも大切な彼女がいる。約束もあるし、必ず勝つと豪語した以上は膝を付くわけにもいかない。

 もう後ろ向きな感情は捨て去った。あとは勝つだけ。

 

「行くぞお前らァァァァ──ッ!!」

 

 そんなライキリの雄叫びと共に最後の戦いのゴングは鳴り響く。

 

 爆音を轟かせ、バルムンクが飛び出した。その様はまさに猪突猛進。一直線にヴァンパイアの目前まで迫り、勢いのまま飛び蹴りをお見舞いする。ヴァンパイアは腕一本を犠牲にすることで胴体への直撃を避けた。

 凄まじい痛みはあるが、どうせすぐに再生する。これくらいは必要経費として耐えておこう。

 

 そんな考えの彼に迫るのはライキリだ。左手に炎を纏わせて突進してくる。

 そして後ろを見てみれば、着地した体勢から無理矢理後ろへ回し蹴りを敢行しようとしているバルムンクの姿もあった。

 

 前後での挟み撃ち。今喰らってマズいのは確実にバルムンクの蹴りだ、とヴァンパイアは即座に判断する。中庭がクレーターだらけになっているのはこいつのせいである。その主犯の蹴りなど喰らってしまえば一溜まりもないはずだ。

 ならそちらを確実に躱しておいて、先までフラフラしていた人間の拳を受け止めた方が何倍もマシだ。

 

 一秒にも満たない短い時間でそう判断し、一気に前へと飛び出すとライキリの()()()()()()を頬で受け止めた。背中で凄まじい風を感じたのは先に躱したバルムンクの蹴りの余波だろう。

 顔面を強く殴られ、しかし彼が今更そんな程度で怯むはずがない。

 

 お返しにと彼の顔面目掛けて素早くパンチを放つ。当たれば即KO。確実に沈められるであろうその攻撃を、ライキリは持ち前の反射神経で躱し、伸びきったその腕を左手でがっちりと掴んでみせた。

 その左手は、炎が熱く燃え盛っている。

 

「かかったなアホが!!」

 

 不敵な笑みを浮かべ、左手に全力を込めるライキリ。ヴァンパイアの腕を焼き、それを力任せに引き千切った。

 引き千切られた腕はライキリの手の上で灰になって宙を舞う。だがその様を見せつけられてもヴァンパイアが動揺することはない。どうせすぐに再生する……。

 

「……再生しないッ!?」

 

 どういうわけか、その腕が再生することはなかった。まさかの事態に動揺した彼は急いで跳躍し、ライキリとバルムンクから距離を取る。

 

 落ち着いて何度再生しろと念じても再生できない。一体どういうことだ。

 困惑するヴァンパイアにライキリは楽しそうに笑いながら再生できない理由を説明する。

 

「傷口を焼けば塞がるなんて誰でも知ってることだ。それを応用したらなんとかなると思ったんだが……。まさかこうも上手くいくなんてな」

 

 ヴァンパイアの再生は傷口から垂れたインクを凝固させて元の形を形作るという方法で行われる。当然先の殺人鬼だった女のヴァンパイアとの闘いでグングニルがやったように、傷口を塞いでしまえば再生できなくなるというわけだ。

 

「俺がテメエ如きに苦戦したのは、その再生能力をどうにかする術がなかったからだ。けどそれが無きゃ、テメエはただの雑魚だよなァ、オイ!!」

 

 指をポキポキと鳴らしながらヴァンパイアへと近づいていく。体の各所から炎が燃え上がり、暗いこの空間を照らし出す。

 今この瞬間、完全に攻守が交代したのである。

 

「朱莉ちゃんを攫った恨みッ!!」

 

 流れが悪い方向へと向いている。そう悟った次の瞬間、自身の足元に伸びる影から白い手が現れ彼の顎を強く殴りつけた。凄まじい衝撃と共に視界が上下反転する。とんでもない威力を秘めたアッパー攻撃を食らったせいで体が海老反りさせられているのだ。

 そんな視界が、黒に染まる。

 

「は?」

 

 体の腰の辺りから、何かが粉々に砕け散る音が響く。バルムンクに顔面を蹴られたのだろう。丸まった体が無茶な方向へ強い力で蹴り込まれたせいで腰の骨がバキバキに折れたのだ、と気づいたときにはもう旅館の壁に叩き付けられていた。

 

「ガハァ……ッ!?」

 

 空気を求めて激しく喘ぐ。いくら傷が再生するからとはいえ、このようなことをされては耐えられない。痛みがゼロになるわけではないのだ。

 体を背中側へ真っ二つにへし折られるなど、あってはならないことだ。もちろん、そんな状態になってしまったヴァンパイアには想像を絶する痛みが襲ってくるわけで。

 

「アァァァァァァッ!?!?」

 

 遅れてやってきた痛みに、彼の口から絶叫が迸る。すでに粉々になった骨は元通りになっているが、そういう問題ではない。

 

 腰を抑えて悶えるヴァンパイア。そんな彼にライキリはかかと落としを食らわせようとして足を高く上げる。

 

 残念ながらそれはヴァンパイアが咄嗟に地面を転がったために地面を抉っただけであるが、ヴァンパイアにはそれだけでも十分であった。

 

「死、死に…………ッ。死にたくない……ッ!!」

 

 今まで感じていなかった死への恐怖。いくら斬られようが再生するから、という慢心ゆえに全くといっていいほど感じていなかったを彼は今になって抱き始めたのだ。

 先まで甚振っていたはずの霊装使いは再生を阻害する能力を使用し始め、その他二人は正直バカなのかと感じてしまうほどの膂力で痛みを味合わせてくる。

 

 事ここに至っては勝ち筋などあるはずもない。ヴァンパイアも人並外れた膂力を持ってはいるが、それも冷静に扱えないようではまるで意味がない。

 戦いに関して全くの素人である彼が、まともに自分を殺しかねない者と対峙するなど土台からして無理な話であった。

 

 が、すでに彼の精神は大いに狂っている。

 

「ワァァァァタシはまだ死ねないんだ!! 仲間たちの理想を継いだ者として、秩序を塗り替え希望に満ち溢れた未来を描かなければならないんですよ私はァ!!」

 

 いきなり立ち上がるや否や、殴りかかろうとしていたグングニルの腹を蹴り飛ばした。次いで目の前にいたライキリへと飛び掛かった。

 互いの手を強く押し合いながら、ヴァンパイアは叫ぶ。

 

「お前は私と違いなんの崇高な理念も叶えたい理想もないのでしょう!! 世界を守りたいから戦っているのではなくそういう役目だから戦っているだけに過ぎないのでしょう!! そのような薄っぺらい人間に負けるわけにはいかないんですよねェ!!」

 

 それは凪のことを少し調べたがゆえの発言。彼は基本的に面倒臭がりで、何をするにしてもダルそうにしながら動いている。そんな人間が、世界のためなどと言って戦うのかと聞かれたら答えはどう考えてもノーだ。

 対して自分は世界のためを思ってこれまで十数年間準備してきた。ここに至るまで多くの時間を割き、少なくない資産を散らしてきた。

 ならば信念の強さは負けていないはずだ。だからこそ負けられない。

 

「だから早いところくたばってくれませんかねェ!!」

「テメエの信念とか覚悟とか知ったことかよ!!」

 

 ライキリは大声で叫び返し、手に炎を宿してヴァンパイアの手を灰にする。自身の体を支えていたものを失い、バランスを崩して前傾姿勢で倒れてくるそれの髪の毛を掴んで顔面に膝蹴りを食らわせた。

 陥没した顔面の各所からインクが滴り落ちる。それをゆっくりと持ち上げながらライキリは鋭い視線で彼を睨みつけた。

 

「俺にだって譲れねえもんくらいあんだよ。だからテメエは殺す」

 

 そう断言し、片方の手でレリックドライバーを操作しようとした。

 次の瞬間、ヴァンパイアがぐちゃぐちゃになった顔でニタリと薄気味悪い笑みを浮かべる。この期に及んでまだ何か企んでいるのか、と驚愕したライキリは咄嗟に掴んでいた髪の毛を離して距離を取ろうとした。

 

 だが一手遅れたらしい。

 ライキリの鳩尾にヴァンパイアの拳がめり込んだ。そのまま振り抜かれた拳は、ライキリの体を数メートルほど殴り飛ばす。

 

「そうやってすぐ油断するところはまだガキって感じですねェ!!」

 

 胸を抑えて息を荒げるライキリをそうして嘲笑するヴァンパイア。

 それに対してライキリが浮かべた表情は怒りでも焦りでもなく。

 

「……テメエもだろうが」

 

 ヴァンパイアと同じく嘲笑であった。声音で仮面の奥の表情をなんとなく察したヴァンパイアは彼の動きを最大限注視するが、彼はすっかり忘れている。

 

 この場には彼の他に二人霊装使いがいるのだということを。

 

《グリンブルスティ!!》

「後ろががら空きだね」

Calling(コーリング)!!》

 

 背後から突如バルムンクの声と電子音声が聞こえる。思わず振り返って回避行動を取ろうとしたが、残念ながらそれは無駄であった。

 

 バルムンクは一度強く地面を踏み締めた。衝撃と共に地面が数メートルほど凹み、周囲に風が吹き荒れる。衝撃によって体勢を崩し、風に体を押されてしまったヴァンパイアは否が応でも一瞬だけ宙に浮かされてしまう。

 その浮いた瞬間を、彼は逃さない。

 

「凪ィ!! 飛べェッ!!」

 

 そう叫び、裂帛の気合と共にもう片方の足で浮いたヴァンパイアを宙に蹴り上げた。

 彼の叫びに呼応するように、ライキリはガルダリキッドのスイッチを押し込んだ。

 

《ガルダ!!》

「急々如律令ッ!!」

Calling(コーリング)!!》

 

 電子音声が響き、ライキリの背から美しい紅蓮の翼が広がった。彼はそれを羽ばたかせ、空高く飛翔する。

 

 一方空高く蹴り上げられたヴァンパイア。彼は今のライキリの姿を見て何かを思いついたのか、何やら背中に力を入れ始めた。

 

「……まさかできるとは」

 

 服を突き破って生えてきた蝙蝠状の羽。体の一部だけ変異させて飛ぶことができないだろうか、というその場の思い付きで試した行動が上手くいって思わず彼は困惑してしまう。

 だが、とにもかくにもこれでライキリのように自分も空を飛べるわけだ。同じ土俵に立った以上、優位にあるのは体力が多く残されているはずのこちらだろう。

 

 と、考えたところまではよかった。

 

「う、動かない……!?」

 

 いきなり体がピクリとも動かなくなったのだ。周りには彼の行動を阻むものなど何もない。一体どうして体を動かせないのか、と思案を巡らせる。

 

 彼がその答えを知る由もない。答えの鍵は地上にいるグングニルのリキッドだからだ。

 

《シェイド!!》

「逃がさないよ……!!」

Calling(コーリング)!!》

 

 彼女の影から数多の手が伸び、地上に映るヴァンパイアの影を縛り付ける。バルムンクに宙へ蹴り上げられる直前に影に忍び込んだのが功を奏して、やつの影を見失わずに済んでいたのだ。

 

 影を縛られたことで宙で完全に静止するヴァンパイア。その視線は空へ向けられていた。

 その視界の端を、赤い何かが通過していく。

 

 ライキリだ。紅蓮の翼を羽ばたかせ、ヴァンパイアのいる位置よりもさらに上空へと向け飛んでいく。

 

「この私の理想を壊すか、貴様ァ!!」

 

 そんなライキリの背に向け、ヴァンパイアは吼える。十数年もの間、苦労して積み重ねてきたものがこの一夜で壊滅するなどと、そんなことを許容できるわけがない。それも、こんな年端もいかぬようなガキ相手に敗北するなど、耐えがたい屈辱である。

 そんなヴァンパイアの悲痛とも取れる叫びに、ライキリは宣言する。

 

「あぁ、ぶっ壊すさ!! 完膚なきまでにな!!」

 

 ある程度の高さまで飛んだ彼はゆっくりとヴァンパイアの方を向き、彼を睥睨する。

 満月が浮かぶ満天の星空を背に、紅蓮の翼を羽ばたかせるライキリの姿があまりに様になっていてヴァンパイアは一瞬だけ息を呑んだ。

 

 それを他所に、ライキリはレリックドライバーのグリップを握ってこれを引っ張った。

 

Reloading Color(リローディング・カラー)!!》

「未来の描き手は、世界を彩るのはテメエなんかじゃねえ!! 俺たちだ!!」

Last Calling(ラスト・コーリング)!!》

 

 夜空に響く電子音声。ライキリの排熱ダクトが露出。青の双眸は輝きを増し、各所から炎が噴き出て夜空を紅く染め上げていく。

 劫火をその身に纏ったライキリは、もう一度大きく翼を羽ばたかせて飛翔した。

 

 そして、今トドメの一撃を放つ。

 

《ガルダブレイズ・クロマティックストライク!!》

「くッたばれェェェェッ!!!!」

 

 紅の光芒を引いて一気に下降し、右足を突き出したままヴァンパイアへと突っ込んでいった。

 その蹴りは彼の腹を捉え、その周辺を一瞬にして灰に変える。

 

「ふざ……ッ!! こんなガキにィィィィ!!!!」

 

 ただ燃やされながら落下するだけの彼に、抵抗する術など、ない。

 怨嗟の声を響かせながら、ライキリの炎に全身を焼かれつつ共に地面へと激突した。

 

 衝撃と共にライキリとヴァンパイアが激突した箇所から爆発が起きた。その爆風は地面の砂を大量に巻き上げ、一分ほど周囲が何も見えない状態になってしまう。

 不安と共にその中心地を見つめるバルムンクとグングニル。少し離れた場所で漣と共にいた朱莉も心配からか駆け寄ってきていた。

 

「……あ、あれ!!」

 

 いの一番に反応したのは朱莉だった。煙がわずかに晴れたその瞬間に何か見えたらしい。

 その声からは歓喜の感情が強く伝わってくる。

 

 それに期待を寄せ、煙の中央を見つめる彼ら。

 その期待に応えるかのように煙が晴れ、中の様子を露わにする。

 

 そこあったのは、大の字になり泡を吹き血をあちこちから大量に流しながら倒れている朝木の姿。

 そして、そんな彼の腹を足で踏みつけながら立ち尽くす、ライキリの姿であった。

 

「終わった……んだよな?」

 

 そんな状況になってもライキリはまだ不安らしい。今まで斬っても斬っても再生されていたのだから、当然と言えば当然なのかもしれないが。

 ライキリは慎重に腹を足先で突き、何も反応がないことを確認すると体がわなわなと震え出した。勝利したという実感が湧いてきたのだろう。

 

「勝った……ッ。勝ったんだ、俺が!! 俺たちのッ!! 勝ちだァァァァ!!!!」

 

 ガッツポーズをし、勝どきを上げる。

 そんな彼の勝利宣言に呼応するように飛び出した人間がいた。

 

「凪!!」

 

 朱莉だった。もう我慢できない、といった様子で飛び出してライキリへと躊躇なく飛びついた。彼の体を力強く抱き締め、伝えたい言葉を懸命に探す。

 

 言いたいことは色々あったはずだ。私のことを諦めないでくれてありがとう、とか。二度と自分の命を捨てるような戦い方をしないでくれ、とか。私のせいでこんなことになってごめん、とか。

 だが、そのどれもこの瞬間に言うべきことではないような気がして。

 

「……ありがとう、凪。お疲れ様」

 

 結局、振り絞って出てきた言葉はそのような簡素な言葉だった。だが彼女の思いは十分に凪へと伝わったらしい。

 ライキリは彼女にそっと優しく抱擁し返し、静かに呟いた。

 

「お前が生きてくれるだけで、俺は……」

 

 万感の思いが込められたそれを、朱莉はただ頷くだけ。ただそれだけで二人は十分だった。

 言葉など不要。封魔霊装越しでも構わない。だって心で通じ合っているから。

 

 そんな二人を、互いに変身を解除した星宮と海斗は何も言わずに優しく見守る。

 あそこは二人だけの空間だ。たった数日の間分断されただけでも、二人にとっては耐えがたい苦痛だったはずだ。そんな二人の久々の再開に茶々を入れられるほど、星宮と海斗は無粋な人間ではなかった。

 

「……あれ見てるとさ、勝てて良かったって。みんな無事でよかったって思うよね」

「そうだね。僕らの中で誰か一人でも欠けていたら……」

 

 凪と朱莉に聞こえないよう、小声でそんな会話を交わす。海斗が言った通り、誰か一人でも死んでいたらこのような光景を見ることは叶わなかった……。

 

「……凪? 凪さん?」

 

 どういうわけか焦ったような朱莉の声がする。それに凪はなにも反応を示さない。よく見てみると、朱莉の体を包んでいたライキリの両腕が徐々に垂れ下がってきている。

 力が入らなくなってきているのだろうか。

 

 いや、違う。グングニルやバルムンクが到着した時点で、彼はすでに限界スレスレの状態だった。今にも倒れてしまいそうなほどフラフラしていたはずだ。

 

 と、いうことはだ。

 

「朱莉ちゃん!! 凪をゆっくり横にして!!」

 

 とうとう限界を迎えて気絶している、と即座にそう判断した星宮が駆け寄って倒れかけたライキリの体を支え、ゆっくりと地面に横たわらせる。

 それと同時に彼の変身が解け、体の消耗具合が目に見えてわかるようになった。

 

「これはひどいな……」

 

 あちこちに強い打撲痕があり、頭から出血していてなおかつ異常な汗の掻き方をしている。どう見ても正常な体のそれではないというのは、医療に詳しくない海斗や朱莉でも一目でわかるほどに彼は衰弱していた。

 

「凪!! 目を開けて、凪!!」

 

 彼の耳元で必死に叫ぶ朱莉。

 その悲痛な叫び声も虚しく森の中に木霊するだけだった。




《付録之拾録》凪いだ夢

 ゆっくりと目を開ける。先まで戦っていてかなり酷い傷を負っていたはずなのに、体が妙に軽い。
 何かがおかしいぞ、と感じながら凪は上体を起こす。

「花畑と川……か」

 辺り一面には美しい花々が咲き誇っていて、少し離れた場所には立派な川がある。
 見知らぬ場所だが、彼はすぐにここがどこなのかを察した。

 三途の川。そのほとりだろう。
 つまるところ、自分は死んだのか。

 そんなことを考えていても、不思議と心は穏やかだった。あの戦いでかなり体を酷使したのだから死んでも仕方ない、と諦めが付いていたからかもしれない。
 最期に朱莉を抱き締めることが出来たのなら、もう思い残すことはない。

「……もう少しあいつの飯食いたかったかな」

 なんとも俗っぽい後悔だろうか。内心でそう自虐して立ち上がる。

 死んだのならば、さっさと三途の川を渡らなければ。
 そう思い、一歩踏み出したその時。

「キミはまだそっちへ行っちゃダメだよ」

 背後から見知らぬ男性の声がした。
 一体誰なのか、と疑問に思いつつ振り向いた凪の視界に入ったのは、妙に見覚えのある夫婦と幼い男の子の姿であった。
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