仮面ライダームラサメ外伝譚 仮面ライダーライキリ   作:八咫ノ烏

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第五頁[深き白霧の中、猟犬は咆える]

 朱莉が何故蒼月家に迎えられたか。その答えを思いもよらぬタイミングで得てから数週間。

 彼女に対して色々と思うことがあった俺は、ほんの少しだけ彼女から距離を置いていた。

 

 彼女の家族は戯我に殺された。朱莉だけ助かっているということは、親父とその仲間の霊装使いの到着が遅れてしまったということ。

 つまりは親父の責任も同然なのだ。

 

 彼女には、親父に対してお前のせいで家族が死んだのだと罵る権利がある。どの面下げて父親面をしているのだ、と罵倒する権利がある。

 そんな感情を抱えていてもおかしくない。俺だったら、きっと激昂して一発ぶん殴るくらいのことはするだろう。

 

 そんなヤツがいる環境で、彼女は幸せになれるだろうか。

 

 この歳で家族と死別する。その出来事がどれだけの苦痛を与えたのか、俺には想像することも出来ない。だが、深く傷を負っていることだけはよくわかる。

 もう十分に絶望は味わったはずだ。十分過ぎるほどに悲しみを味わったはずだ。もう、暗く後ろ向きな感情などいらないだろう。

 

 これからは彼女に幸せに生きてほしい。生きていて良かった、と。私は今幸せなのだと、一切の迷いなくそう思えるような、そんな幸福に満ちた人生を送ってほしい。

 もう、彼女のあんな辛そうな表情は見たくない。

 

「そのために俺は一体何をしてあげられるんだ……?」

 

 今まで通りで良いのか。それとも本格的に距離を取るべきか。むしろもっと距離を縮めるべきなのか。考えはぐるぐる回り、されど答えは出ず。

 

 わからない。どうすれば良いだろうか。それの答えを得たのは、そんな考えが頭を埋め尽くしてからさらに数週間が経ってからの事であった。

 

 

▽▽▽▽▽

 

 

 渡津海支部にある談話室。休憩室も兼ねたその部屋は普段はそれなりに賑わっているのだが、今日は少し静かだった。

 

「朱莉に任せて帰っていい? 俺嫌なんだけど」

「悪い人じゃないじゃん。大人しく待とうよ」

「テンション高くて付き合い切れないんだよ」

「まあ確かにそれはわかるけど……」

 

 この部屋に今いるのは凪と朱莉の二人組。海斗は学校で試験があるため、この場にはいない。

 彼ら二人が待っているのは、渡津海の魔祓課である星宮愛衣である。先日の夜、彼らはコオニギガの群れを一つ取り逃がしてしまった。それを始末したのが星宮であり、とりあえず夜が遅いからという理由で今日そのときの事情を話す事になったのだ。

 

 が。凪は彼女の事が苦手であった。

 

「やっほ〜ちゃんなぎに朱莉ちゃん!! 来たよ〜!!」

 

 バン、と大きな音を立てて当の星宮本人が談話室の扉を開け放った。朱莉と目を合わせるや、彼女へ駆け寄って一切躊躇すること無く抱き着いた。

 

「ちょっとちょっと……距離が、距離が近いですって」

「ん〜相変わらず可愛いねぇ、朱莉ちゃんは」

「嬉しいけど近いんですってば……聞いてます? お~い」

 

 凪が彼女を苦手とする理由はこれだ。距離感がバグり散らかしているのである。今は朱莉という生贄がいるためなんとか回避出来ているが、彼女がいなければその餌食に合うのは凪である。

 これが男であったら力尽くで引き剥がして終わりに出来るが、相手は女だ。さすがに女相手に力尽くで、なんてことをする勇気は凪にはない。いくら相手が霊装使いであっても、そこは弁えていた。

 

「……お前ってやつは本当に」

「え、何もしかして妬いてる?」

「余計なこと言うなよ。俺は別にお前の顔面を凹ませてやっても良いんだからな」

「うわ怖っ。お師匠と違って乱暴だなぁ、ちゃんなぎは。そんなだから女の子からモテないんだよ」

「そんなに殺されたいのか?」

 

 まぁ理性で抑え込んでいるだけで、手を上げようとした回数など数え切れるものではないが。

 込み上がってくる殺意を溜め息に変換して吐き出し、彼は星宮に対して椅子へ座るように言った。話し合いするのに抱き着いていては集中出来たものではないだろう。

 

 それを察したのか、星宮は朱莉から離れて設置されているソファへどかっと腰を下ろした。

 

「それで……こないだのあれってなんだったの? 把握はしてたけど追い付けなかった、とか?」

 

 そう問いかけた星宮に凪は渋々頷き、テーブルの上に渡津海の立体地図のホログラムを映し出して、ある一点を指し示す。

 

「……まぁ、そんなとこだな。この辺りで鉢合わせたんだが、三つの群れに別れて逃げやがったせいで一つ取り逃がしかけてたんだよ。こっちは俺と海斗しかいなかったってのに」

 

 そして朱莉が指で一つ道筋をつーっとなぞった。それは星宮が調伏したコオニギガたちの群れの逃走ルートである。朱莉の指は一直線に川の方へと向かっていき、やがて川岸で止まるとそこで何かが弾けたようなジェスチャーをした。

 

「レーダーで大体の逃げ場は把握出来てたけど、追い付けたかどうかは微妙なところだったし……。正直なところ、星宮さんが後始末してくれて助かったっていうかなんというか」

 

 そう言って感謝を伝える朱莉。それに対して星宮は炭酸を喉に流し込みながらこう答えた。

 

「別に私が調伏しなかったとしても、なんとかなってたと思うけどね〜」

 

 実際はどうだったかわからないが、しかし星宮は本気でそう考えている。凪は、機動力に長けているサイクロンザルティスを好んで使用している。もう一つあるはずの形態を使っているところを、朱莉ですらほとんど見たことがないほどに。

 そんな彼が、使い慣れているあの形態で山を本気で駆けて、あの集団に追い付けないはずがない。遅かれ早かれ討伐されていただろう、というのが星宮の推測だ。

 

「あの機動力を以てしても追い付けないのなら、それはもう仕方ないよねってなるくらいには速いし。そもそもちゃんなぎ強いもん」

 

 コオニたちの足はそこまで速くない。ただ、時間を掛けたから距離を離すことが出来た、というだけの話である。

 それに追い付く事が出来ないほど遠ざかったのだとすれば、それはもう渡津海市から隣の市に入るくらいしか手がない。そんな事態になれば、そりゃあいかに機動力に長けているといっても追い付けるわけがないし仕方ないともなる。

 

 そんな事がコオニギガに出来るか、と問われれば答えは大抵の場合は否だ。そして、どこかに潜伏しようとしても、朱莉が注視しているレーダーからは逃れられない。

 つまり、追い付かれる事が確定している鬼ごっこというわけだ。まさかコオニギガ十体程度の集団に負けるほどライキリは弱くない。

 

 星宮はそんな考えを口にした。それに対し、凪は

 

「やめろ褒めるな気持ち悪い」

 

 と意外にも辛辣な反応を示した。それには思わず星宮も驚いたようで、思わず目を見開いて叫ぶ。

 

「褒めたのに!?」

「なんか背中がゾワッとした」

「なんでよぉ!!」

 

 ちゃんなぎが私のこと虐める〜、などと言いながら朱莉に泣きついた。それに凪が冷ややかな目線を送ると彼女はしばし固まってから咳払い。

 

「ともかく、そんなに被害が出てなさそうで良かったよ。最近、隣の市じゃ行方不明事件が多発してるし、ここもそうなってるもんだと思ってたからさ」

 

 もっともらしい事を言いつつ、朱莉から離れる。どうしてそんな何もありませんでしたよ、というような振る舞いが出来るのか首を傾げつつ、凪はそうだなと頷いた。

 

「お前確かその行方不明事件のあれで隣まで駆り出されてたんだろ? 原因特定できたのか?」

 

 つい数日前まで。星宮は渡津海市から見て北にある街へ手伝い要員として駆り出されていたのだ。要件は行方不明事件多発の原因特定。それが人間によるものなのか、はたまた戯我の手によるものなのか。それを現地の魔祓課と共に調査していたのだ。

 しかしどうやら成果は芳しくなかったようで、星宮はそれがねぇ、と言って深い溜め息を吐いた。

 

「戯我がなんかやってるってことはわかったんだけど……。それと同時に人も色々やることやってるんじゃないかって話になって、なんやかんやでめんどくさそうな感じになってるんだよねぇ……」

「……と言いますと?」

「間違いなく戯我は関係してる。実際に人を結構食っただろう戯我も調伏したわけだしね」

 

 そこで一息入れ、炭酸を喉へ流し込み潤して言葉を続ける。

 

「でも、捜査を進めてく中で人間がその誘拐に関わってる可能性がかなり濃く出てきちゃってねぇ……。あっちの封魔司書がたまたまその誘拐現場を目撃して、車のナンバーも抑えてくれてさ。後々その車が投棄されてたから押収して調べたんだけどね?」

 

 その車の中に戯我がいた形跡があったんだって。その言葉で場は一気に凍り付いた。

 人間と戯我が協力する。似たような話をちょうど昨日一昨日に聞いたばかりだ。まさかそんな、こんなところまで魔の手が伸びているわけがない。

 

 二人の脳裏に過った不安を打ち消すために、凪は質問を一つ投げ掛ける。

 

「戯我がその車に乗ってた人間を襲ったって線は?」

「いや〜無いんじゃないかな。その車全く傷付いて無かったし」

「……車の持ち主ってわからないんですか?」

「わかっちゃいるけど盗難車だったからねぇ〜。本来の持ち主自体は誘拐事件なんかとは無関係の単なる一般ピープルってわけ」

「……なるほどな」

 

 凪は思わず天を仰ぎ、顔を手で覆う。渦中のロゴス・シーカーに関連した組織なのかどうかはわからない。わからないが、同じような何かが暗躍していることだけは確かになってしまった。

 面倒くさい事になる気しかしない。九割九分九厘、巻き込まれることになるだろう。凪の直感はそう囁いていた。

 

「ちゃんと赤嶺に伝わってるんだろうな?」

 

 その問いかけに、星宮は一度横に首を振ってそれを否定した。

 

「まだだよ。黒氏課長も多分今日初めて知ることになるんじゃないかな?」

「今日初めて……? 黒氏さんにも伝えてなかったんですか?」

 

 首を傾げて星宮にそう問う朱莉。なぜ上司に経緯を伝えていないのか。よりによって隣の市で起きた出来事なのに、どうして自分たちに伝えなかったのか。

 その疑問を受けた星宮は、腕を組んでわざとらしい溜め息を吐いた。

 

「なにせ不確定要素が多いし、ね。渡津海を混乱させたくなくてさ」

「不確定要素?」

「状況証拠的にはほぼ確なんだけど、それを裏付ける証拠がないんだよね。それに相手の規模だってわからない。現地の霊装使いで対処出来るならそれが一番良いわけだし」

 

 そう纏めて、彼女は話を終わらせた。つまるところ、まだあまり詳細がわからない不正確な情報を流して渡津海のLOTや魔祓課を混乱させたくなかったから、ということ。

 針小棒大になっている可能性だってあるわけだ。それを持ち込んで大騒ぎになっては星宮としても困る。

 

 だからこそ伝えていなかった。おまけに昨日こちらに戻ってきたばかりで休暇だったから、というのもある。

 

 しかし凪は納得できていないらしい。主に、人間と戯我が結託して何か企んでいるとする証拠がないという部分に。

 

「裏付ける証拠がないって……封魔司書が現場見たとか言ってなかったか? 現行犯なんだしそれ証拠にすりゃ良いだろ」

 

 現場を見たのであれば、車に連れ込んでるのが人間だけか戯我だけか、それとも混合の集団なのかわかるはずというのが凪の論である。

 しかし残念ながら凪の論は否定されてしまう。

 

「車に放り込まれた直後に鉢合わせたって話だったからねぇ……。誰がやったかまでは見えてないらしいんだよ」

「なんだよそりゃ……」

 

 期待外れの返答に思わず落胆の色を隠せない。

 

「何やってんだよちゃんと仕事しろよな……。使えねえ連中だ」

「凪さん?」

 

 朱莉の冷ややかな声。一瞬場が静まり返る。温度がない、グングニルのフローズンイピリアもかくやと言うほどの冷たい視線に凪は両手を挙げて降参をする。

 

「……確かに今のは言い過ぎだな、うん。俺が悪かった」

「調子に乗りすぎ」

「はい」

「ちゃんと反省して」

「さーせん」

 

 凪は縮こまり、頭をペコペコと下げてひたすら平謝りする。この空気は、彼にとって地獄と等しいレベルでキツいものなのだ。

 やがて凪はこの空気に耐えかねたのか、逃げるように手洗い場へ向かって走っていった。それを目で追いかけながら、朱莉はやれやれといった様子で首を左右に振る。

 

「まったくもう、凪ったらす〜ぐああやって調子に乗って……」

「朱莉ちゃんってちゃんなぎのお母さんみたいだね」

 

 その様を微笑みながらそう評する星宮。まるで何かしでかした子供を叱りつける母親のようだ。それほど朱莉がしっかりしているということでもあるのだが、朱莉はその反応に首を横に振ってこう返す。

 

「あんなおっきな子供産んだ覚えないですよ」

「あったら怖いやつだよ?」

「でしょうね」

 

 はぁ、と溜め息を吐いて彼女はお茶を飲んだ。

 しばらく部屋に静寂が満ちる。

 

「そういや朱莉ちゃんってさぁ、もうちゃんなぎに告白したの?」

「──ッ!?」

 

 唐突な問いかけに朱莉は思わずお茶を盛大に吹き出した。それを「おぉ〜」などと言いながら笑う星宮に、朱莉はその肩を強く叩いて叫んだ。

 

「いきなり何を聞いてんですか!?」

「何って言われても……言葉の通りだよ?」

「言葉の通りだよ、じゃなくてなんでそんなこと聞いてくるのかって聞いてるんです!! 叩かれたいんですか!?」

「すでに肩思いっきり叩いたじゃん。もしかしてキミら二人共私のことサンドバッグだと思ってたりしない?」

「変なこと言うからでしょう!!」

 

 顔を真っ赤にし、肩で息をしながら声を荒げる朱莉に、星宮はひとまず落ち着くよう深呼吸を勧めた。それに従って朱莉は幾度か深く呼吸をし、顔を手で覆いながら椅子に沈み込んでゆく。

 

「……そんなんじゃないんですって、私と凪は」

「いつも言ってるよね、そうやって。でもめっちゃ距離近いじゃん? それに一緒にいるとこよく見るし」

「だから違うって言ってるじゃないですか」

 

 そう言いつつ、朱莉は慎重に言葉を選びながら答えを返す。

 

「好きとかそういうのじゃなくて、凪が気を遣って私と一緒に過ごしてくれてるっていうか……。ええと……はい、これが一番しっくり来る気はします」

 

 恋愛感情は無い。ただ、凪が昔から朱莉の側にいることが当たり前になっていて、それの延長線上というだけ。彼に恋愛感情というものがあるのかどうかすら怪しいのだから、間違ってもそんな星宮が考えているような展開になるわけがない。

 その釈明に、星宮はこう返す。

 

「それって朱莉ちゃんじゃなくてちゃんなぎ視点じゃない? 朱莉ちゃん自身はどうなの?」

 

 朱莉の主張としては、凪が一緒に過ごしてくれているだけである。そこに朱莉自身の感情は無い。何故凪と共にいるのか、彼と共に過ごしていたいのか。それらの答えにはなっていない。

 それに対して朱莉は目を伏せ、ゆっくりと答えを絞り出す。

 

「……もう家族ですから。これで良いんですよ、私達は」

「そう?」

「私はもう凪に色んなものをもらいました。安心とか、楽しみとか。それにあの子が戦ってる理由だって、きっと……」

 

 あの面倒臭がりを極めたかのような性格をしている凪が、わざわざライキリとして戦う理由。星宮はそれを知らないし、朱莉だって聞かされていない。

 だが朱莉は大体見当がついていた。それが自分に起因していることも、察しがついている。

 

「もう、これ以上もらっちゃダメなんですよ。何も返してあげられなくなっちゃいますから」

 

 そう言いながら浮かべた笑顔は、どこか苦しそうで。星宮は朱莉が押し隠している本心をそれで察した。

 

「……ここからは星宮お姉さんのお節介。だから、聞きたくなければ聞き流してもらっても構わないし、なんなら寝ちゃっても良いよ」

 

 そう前置きしてから、星宮は語りだす。

 

「いつか、いつの日か、その関係に終わりが来る。いくら家族だからと言っても、それは日常が終わらない保証にはなり得ないからね。彼にだって彼の人生がある。誰かと結ばれて、家を出ていくかもしれない」

 

 突き付けるのは現実。全ての物事に始まりがあるのと同じく、全て等しく終わりがある。それは何を言ったって、どうしたって変わらない普遍的なこと。

 

「もしかしたら戦いの中で死んじゃうかもしれないしね。霊装使いってそういう職業だし」

「凪がそう簡単に死ぬわけ……」

 

 星宮の言うことに朱莉は反発する。あの凪が死ぬわけがない。どんな強い戯我にだって打ち勝って来たのだから。

 それは彼の戦いのほぼ全てを見守ってきたからこそ出てくる感想だ。しかし、それを星宮は同意を示しつつ、しかしきっぱりと否定した。

 

「うん、私もそう思うよ。ちゃんなぎが負けて殺されるところなんて想像出来ないししたくない。それでも戦いに絶対は無いんだよ。だって心臓を貫かれたら死ぬし、脳天をぶち抜かれたら死ぬ。それはちゃんなぎも同じこと、でしょ?」

 

 何らかの儀式か何かによって人から外れた力を得たのならばまだしも、凪はそんなことをしていないただの人間だ。ただほんの少し一般人より強いというだけで、死ぬ可能性などいくらでもある。

 戦いということはそういう事だ。戯我や遺物を利用して何かしら悪事を働くような者に敗北すれば、待ち受けるのは死である。

 

「それ、は……そう……ですけど……」

 

 それをよく理解している朱莉は、途切れ途切れにそう返した。

 否定したくても、否定し切れない。そんな彼女の背を優しく撫でながら星宮は諭す。

 

「だよね。だったら、そのいつかが来る前にどうしたいかをきちんと決めた方が良いよ? 別れの原因が全て死だってわけじゃないけど、それでもそのいつかが来た頃に後悔したってもう遅いんだから」

「……ですよね」

 

 朱莉はよく理解している。当たり前の日常がいつまでも続く保証はなく、なんの脈絡も無く終わりを告げる可能性だってあることを。

 だからこそ、彼女は独りになった。

 

「結構後悔したからさ〜。朱莉ちゃんに味わってほしくないんだよね、あの悲しみを」

 

 星宮も体験した事があるようだ。朱莉とは違って死別ではないが。

 

「……幼馴染に告白出来ずに離れ離れになっちゃったんですっけ?」

「そ。初恋拗らせちゃって、あいつのせいで他の人に恋愛的な興味湧かなくなっちゃったんだよね」

 

 過去を懐かしむように目を細める星宮。脳裏に浮かぶ柔和な雰囲気を纏った青年の姿にゆっくりと手を伸ばし、されど何も掴めるわけもない。

 

「今でも思うんだ。早く告白しときゃ良かったなって。そしたらまだ割り切れたかもしれないのにさ」

「……星宮さん」

 

 そんな表情もするのか。朱莉は意外そうな瞳で星宮を見つめる。しかしそんな表情はすぐに掻き消え、朱莉のよく知る明るい雰囲気の彼女の顔が戻って来る。

 

「ま、お節介したのはそういうわけだから。何かあったら頼ってね!! んじゃなんか黒氏課長から呼び出されたから魔祓課に行ってくるね〜じゃねばい!!」

 

 すっくと立ち上がり、朱莉にウィンクをしてから星宮は部屋から去っていった。嵐のような人だ。そう独り言ちるのとほぼ同時に、星宮と擦れ違うように凪が部屋に戻って来る。

 

「……ね、凪」

「どうした?」

 

 朱莉は何度か何かを言おうとして、目を泳がせた。胸の中にある不安を口にしても良いものなのか、逡巡した後彼女はこう口にする。

 

「……お菓子、買いに行かない?」

 

 私の前からいなくならないよね、などと聞けるはずがなかった。

 

 

▽▽▽▽▽

 

 

 穏やかな渡津海市の海岸沿い。凪と星宮はそこを二人で歩いていた。どうやら人間が海に引きずられていったという目撃情報が寄せられたようで、それをやったであろう戯我を調伏するために歩かされているのである。

 しかし凪はどうやら不満があるらしい。

 

「なんでお前と二人きりにならなきゃいけないんだ」

 

 不満の種は星宮と二人きりであるこの状況であった。常にと言って良いほどにテンションが高く、その上ときたま物理的に絡んでくるほど距離感が近いため苦手なのである。

 そんな星宮と二人きりなのは嫌だ。無線の向こうに朱莉がいるとはいえ、嫌なものは嫌なのだ。せめて海斗がいれば良かったが、残念なことに彼は今模擬試験会場からの帰宅途中であった。

 

「言われたもんはしょうがないじゃん、ねぇ?」

「別にお前一人でもなんとかなるだろこれくらい。俺いらなくね? 帰ってよくね?」

「どうせ口だけの癖によく言うよね〜。ちゃんなぎって面倒臭がりですみたいな感じだけど意外と真面目だし約束破ったとこ見たこと無いし、実は根は真面目だもん帰らないでしょ」

「イラッときたから帰る!!」

「あ~ダメダメダメダメ!!」

 

 あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべ、星宮へ背を向けて帰ろうとする凪と、その背に棚引くマントを引っ掴んで彼を逃さんとする星宮。

 

「離せこのバカ女!!」

「どう考えても任務だってのに帰ろうとする方がバカだよ!!」

『ちょ〜っとお二人さ〜ん? 一応遺物絡みかもしれないんだから真面目に頼みますよ〜?』

 

 その綱引きに終止符を打ったのは朱莉である。表情が見えないというのに、二人の頭の中に呆れて溜め息を吐く彼女の姿がはっきりと浮かんだ。これ以上バカに付き合って彼女に負担をかけさせたくない。

 それだけの理由で凪は帰ろうとするのをやめ、自動的に星宮も引き止めるのをやめた。

 

『まぁ遺物絡みかも、とか言っといてあれだけどこんなところで遺物の取引なんてあるとは思えないけど』

「同感だ。だが万が一ってのがあるからなぁ……」

 

 以前赤嶺が話していたように、そんなわけがないと胡座をかいて乱雑にやっていれば、悪人が空いた穴をすり抜けて何かしでかしてしまう。

 だからこそ、最大限の警戒をする必要があるのだ。

 

《サーチモード!!》

「ま、とにかく戯我絡みなのは間違いないんだ。こいつで探すのが一番手っ取り早いだろ」

 

 Aガジェットをズボンから取り出した凪は、画面の虫眼鏡マークをタップしながらそう言った。画面上に海岸周辺の地図が映し出される。

 彼はそれを一瞥し、マホガニー色のモンストリキッドを起動してAガジェットの裏面にリードする。

 

《ライラプス!!》

「ほら起きろ犬っころ。出番だぞ」

《霊犬憑依!!》

 

 画面には赤茶色の毛並みを持つ猟犬が行儀よく座っていた。凪は画面内の猟犬に、優しく微笑みながら指示を飛ばす。

 

「頼んだぞ」

《ワン!!》

 

 威勢の良い返事と共に猟犬はすっくと立ち上がり、鼻をクンクンとヒクつかせながら地面を嗅ぎ回る。

 やがて凪の元へ帰ってくると、ワンと一つ吠えて再び座った。画面内に犬のマークがいくつか現れた。猟犬が調査した箇所である。

 

 凪は戯我の足跡などの痕跡に反応する液体薬品が入った小瓶とそれを塗るための筆を取り出し、雑に塗りたくっていく。

 

「ん〜、この足跡だったら人型っぽそうだよね」

「だな。水掻きがあるってことは水棲なのか」

 

 浮かび上がった足跡が一直線に海へと向かっていたことからも、当の戯我が水棲であることがわかるだろう。

 そして、それとは異なる痕跡が一つ。

 

「こっちも人型か」

 

 何やら戯我同士で争ったかのような、そんな痕跡が見つかり、そこから陸地の方へと一つ足跡が伸びていた。

 ふぅ、と息を吐き、凪は口を開く。

 

「まぁ少なくとも遺物絡みでないことだけはわかったな」

 

 もし遺物絡みであれば、争う必要などあまり無いはずだ。一人の人間を取り合って揉めた、とかそんなところだろう。ひとまず安心しつつ、凪は海に目をやった。

 何かが来る気がする。口には出さないが、警戒心を露わにして海面を睨みつける。

 

『二人とも、海から来るよ』

 

 凪の直感はどうやら正しかったらしい。朱莉が見つめるレーダーに一つ、海から凪たちの方へと向かってくる点が入り込んだ。

 星宮は、朱莉から伝えられるより先に気がついていた様子の凪に舌を巻く。

 

「さすがちゃんなぎ、勘が良い」

「言ってる場合か?」

『ちょいごめん!! 一瞬席外すね!!』

「そんな急がなくて良いぞ」

 

 会話をいくつか挟む間に、戯我は海面よりその姿を現した。

 魚を思わせる特徴を併せ持ったその体。凪たちに比べて二回りほど大きいその戯我はイプピアーラ。簡単に言えば半魚人、もしくは人魚である。

 

「……人間が見えたからと来てみたら、まさか封魔司書だったとは」

 

 凪たちが手に持っているレリックライザーに目をやり、はぁと溜め息を吐くイプピアーラ。

 頭を左右に振り、彼は独りごちる。

 

「昨日は獲物を奪われかけるし今日は封魔司書に会うし、もしかすると俺は運が悪いのかな?」

「そうかもな」

 

 全く興味がないし至極どうでもいい。その感情を前面に押し出し、彼はレリックライザーをバックルに装着した。

 それに連られて星宮もレリックライザーをバックルに装着し、二つモンストリキッドを取り出した。

 

 一触即発。そんな表現が驚くほど似合うこの場に、少々場違いな、草藪を掻き分ける音が響く。

 朱莉からの報告はない。なら戯我ではなく人間だろう。そんな二人の思い込みとは裏腹に、草藪から姿を現したのは腕のそこら中に無数の目がついている人型のナニカであった。

 

「……あら」

「戯我……!?」

「そういや席外すって言ってたな……」

 

 その戯我の名は百々目鬼。かつて盗みを働き、そのせいで祟りにあっで腕に目が出来るようになったとされる女の鬼である。

 イプピアーラはそんな百々目鬼を見るや、

 

「また君か!!」

 

 と叫んで怒りを露わにする。どうやら昨日イプピアーラと争っていたのは百々目鬼であったらしい。

 

「昨日腕を分けてやったじゃないか!! なんでまた来るんだ!!」

「良いじゃない、二人も人間がいるんだもの。何もあなただけの狩り場じゃないのよ?」

「お前にくれてやる分なんか無いんだよ!!」

「ケチな男ねぇ。嫌われるわよ」

「お前なんぞに好かれても嬉しかないね」

 

 怒りで封魔司書がいることなど完全に忘れてしまっているらしい。今にも戯我同士の殺し合いが始まろうかという中、それに水を差す電子音が一つ。

 

《フォッグ!!》

《ライラプス!!》

 

 見れば、レリックライザーをバックルから外して手にしており、二つモンストリキッドが装填されている。 

 凪はその銃口を百々目鬼の方へと向け、その引き金を引いた。

 

Loading Color(ローディング・カラー)!!》

「黙らせろ」

Calling(コーリング)!!》

 

 銃口から白い霧を発する赤茶色の毛並みを持った猟犬が飛び出し、百々目鬼の腕に強く噛み付いた。

 目を一つ牙で潰され、百々目鬼は思わず悲鳴を上げて猟犬を蹴り飛ばす。それのせいか、百々目鬼はイプピアーラから凪へその視線を移し、敵意を丸出しにして彼に襲い掛かる。

 

「くっ……このっ……人間風情がァ……!!」

「お〜怖い怖い」

 

 腕を振り回すものの、それが凪に当たることはない。ヒラヒラと避けつつもう一度レリックライザーをバックルに嵌め込み、モンストリキッドを起動する。

 

《フォッグ!!》

《ライラプス!!》

「俺はこいつを始末する。そっちは頼んだ」

Loading Color(ローディング・カラー)!! GRADATION(グラデーション)!!》

 

 ほぼ灰にも見えるくすんだ青とマホガニーのエネルギーラインが眩く発光。

 彼はそれに目を細めつつ、撃鉄を弾く。

 

「変身」

 

 凪の頭上にフォグブルーの五芒星が、足元にはマホガニーの五芒星が出現。それらが凪の身体を交互に通過し、生態装甲を装着させる。

 

《白霧の中轟く猟犬の咆哮!! フォッグライラプス!!》

『ウオォォォン!!』

 

 耳のようなものを頭から生やしたライキリ。レリックドライバーから猟犬の咆哮を轟かせ、彼は刀を手にしそれを構えた。

 

「なんだか知らんがお前が妙に癪に障る。だから速攻で調伏してやる」

 

 そう言葉にし、彼は百々目鬼に斬り掛かった。一度、二度と刀を振るったが、しかし全てを躱されてしまう。

 余裕をもって躱されているわけではない。ギリギリのところで当てらない。それならば、とライキリは刀を振るうフリをして、逆の手を強く握り締めてストレートを放ったが、やはりこれも当てられない。それどころか腕を掴まれ、明後日の方向へと放り投げられてしまう始末。

 

「うおぉい危ねえなぁ、おい」

 

 持ち前のバランス感覚で柔らかく地面へ着地し、もう一度刀を構えた。

 

「変則的な動きしても見切られてるってのはいささか面倒だな」

 

 普段であれば、最低でも一撃は入れることが出来たはず。いくつか防がれるのは当たり前だが、完璧に防がれるというのはあまり経験したことのない事であった。

 

「目ん玉大量にあるからその分動体視力もめちゃくちゃ良いとかそういうオチか? 面倒くせぇなこの野郎」

「私は野郎じゃなくて女よ。勘違いしないでくれるかしらッ!!」

 

 ライキリがポロリと口から零した推測に激怒し、百々目鬼は突進攻撃をお見舞いする。

 その様を見たライキリは咄嗟に刀を投げ捨て、百々目鬼が突き出してきた腕を引っ掴んだ。驚愕して声にならない声を挙げる百々目鬼を、背負投げの要領で地面に叩き付ける。

 

「グエッ……!!」

 

 車に轢かれたカエルのような声を出して地面に蹲る百々目鬼。それを他所に、ライキリは投げ捨てた刀を拾い上げてそれを数回左右に振るっていた。

 

「体術、あんまり得意じゃねえから嫌なんだよな。俺と言えばやっぱ刀だろ」

「……さっき私のことを一度も斬れなかったのに? お前、学ばないのね」

 

 百々目鬼はライキリに嘲笑を浴びせる。こんなやつ相手に負けるはずがない、と確信したようだ。実際、ライキリが刀に固執するのであれば理論上は負けないだろう。

 しかし理論上の話であり、そんなものは容易にひっくり返されてしまう。

 

「アホか。なんのためのリキッドだと思ってる」

《フォッグ!!》

「急々如律令」

Calling(コーリング)!!》

 

 辺りに電子音が響くのと同時に、ライキリの生態装甲から白い靄が排出されていく。

 やがて半径百メートルはあろうかという広大な範囲がその霧に覆われ、百々目鬼は視界を制限されてしまった。

 

「……何も、見えない」

 

 自分の身体の先がかろうじて見えるだろうか、というほどに濃い霧に百々目鬼は舌打ちする。どれほど目が良かろうが、その視界が奪われてしまうのならば意味が無い。彼女はただ目が良過ぎるだけであり、他に特殊技能を持ち合わせてはいない。

 

「でもそれはあの封魔司書も同じこと……!!」

 

 この濃霧でまともに視界が確保されているはずがない。ならば、多少なりとも視界が多くあり広範囲見ることが出来る百々目鬼の方がいくらか有利なのは変わりないはず。

 そう考え、焦燥を掻き消そうとする百々目鬼に、ライキリは濃霧の中からこう話し掛けた。

 

「なぁ、知ってるか? ライラプスってのはギリシア神話に出てくる猟犬でなぁ。獲物は絶対に逃さねえって運命によって定められてたらしいぜ。すげえ出来た猟犬だよな」

 

 最後は終わらん追いかけっこして石に変えられたらしいが、などと言葉を結び、ケラケラ笑う。

 百々目鬼はライキリのこの言葉の意図を掴み損ねたらしい。不機嫌そうな顔を浮かべてこう返した。

 

「……だから何よ」

「わかんねえのか? なら教えてやるよ」

 

 百々目鬼の返答に嘲るような反応をして、彼はこう返す。

 

()()()()()()()()()()んだぞ。なら──」

「まさか……ギャッ!?」

「──いくら霧が濃くたって、みすみす獲物を見失うわけがねえよなぁ?」

 

 百々目鬼の左腕が、インクを撒き散らしながら宙を舞う。霧の中から現れたライキリが彼女の左腕、その付け根を断ち切ったのだ。

 百々目鬼は痛みに悶えつつも反撃しようとするが、その時にはすでにライキリは濃霧の中へ姿を消していた。居場所は掴めず、どこから襲ってくるかわからない。

 

「少し考えたらわかるだろうよ、わざわざ俺も見えなくなるような馬鹿な真似するわけねえって。俺にはバッチリ視えてんだよ」

 

 百々目鬼を小馬鹿にするようなライキリの言葉の通り、彼には百々目鬼が見えていた。それ以外の視覚情報は全く無いと言って差し支えないが、とにかく百々目鬼の姿だけはその視界によく映っているのだ。

 それを証明するように、百々目鬼の背後から接近。ガラ空きの脇腹を撫で斬って再び濃霧の中へ姿を隠す。

 

「相手するのが面倒くせぇやつなんて今までにたくさん始末してきたんだ。テメエ如きが五体満足で逃げられると思うなよ」

 

 そう言いながら彼はモンストリキッドを二つ、Aウェポン2Sに装填した。

 

《サイクロン!!》

《ザルティス!!》

Charging Color(チャージング・カラー)!!》

 

 刀は緑風を帯び、ライキリは排熱ダクトを露出させる。

 

「これで終わりにしよう」

Last Calling(ラスト・コーリング)!!》

 

 刀は白霧の中でもはっきりとわかるほどに眩い光を発し、それが百々目鬼の恐怖心を煽る。

 あの一撃を避けなければ、そこに待つのは当然死である。視界さえ万全であったなら、まだ希望があったかもしれない。しかし今はそうではない。ただでさえ視界が遮られているというのに、それに加えて左腕が斬られた分そもそもとして視界が無くなってしまっている。

 

 それ故、彼女がこの場で取れる行動は一つしか無い。

 

「に、逃げっ……!!」

 

 逃走である。斬られなければ良い。ただそれだけで生き延びる事が出来る。まともに避けようとするよりは、幾ばくか生存率が高いだろうと踏んでの行動であった。

 

 どんぐりの背比べ程度の差でしか無かったようだが。

 

「逃がすかよ……ッ!!」

《バイカラー・クロマティックスラッシュ!!》

 

 ダンッ、と音が周囲に響くほど強く地面を蹴り、跳躍。百々目鬼との距離を一気に詰めた。

 ほんの一瞬で追い付かれたらしい事に驚愕し、百々目鬼は思わずライキリのいるだろう方向へと目を向けた。鮮やかな緑に発光する刀を見て、彼女は悟る。

 

 逃げられない、と。

 

「──ッ!!」

 

 ライキリが無言の気合を発した。次の瞬間、彼は目にも止まらぬ速さで刀を縦に一閃。刀が纏う風が刃となり、百々目鬼の体はズタズタに裂かれてしまう。

 

 やがて体を構成し切れなくなった彼女はその体をボロボロに崩壊させ、この世からその存在を消した。

 

「……さすがにあの腕は気持ち悪かったな」

 

 残心を解き、百々目鬼の目だらけの腕を思い出しながらそう独りごちる。

 

 その一方で、グングニルとイプピアーラの戦いも終わりを迎えつつあった。

 

「ぐぅっ……。なかなかやってくれるじゃないか」

「へへ〜ん私強いでしょ〜!!」

 

 体の各所にグングニルによる切り傷を負い、インクをポタポタと垂らしながら苦しそうに話すイプピアーラ。それとは対照的にグングニルは全くダメージを負っていないようで、ケロッとした顔をしながら槍を構えていた。

 

「逃げようとしてもああなるのがオチ、か」

 

 視界の端で微かに見えた百々目鬼の散り際を想起しながら呟いた。まさかこの女が逃がしてくれるわけもない。彼ら封魔司書が戯我を逃がすメリットが無いことをよく理解しているイプピアーラは、端から逃げるという選択肢を頭から消していた。

 

「ならせめてもの抵抗だ……!!」

 

 彼は傷だらけの巨躯を動かし、グングニルへ迫る。

 

「なるほど、これで終わりにしようってことだよね。乗ってあげる!!」

Reloading Color(リローディング・カラー)!!》

 

 それに臆することなく、むしろ彼女は受けて立つと言わんばかりにドライバーのグリップを変身したときと同じように引っ張った。

 グングニルの生態装甲が展開して排熱ダクトが露出し、蒸気を排出。彼女の手が凄まじいほどの冷気を帯びる。

 

Last Calling(ラスト・コーリング)!!》

「いっくよ~ッ!!」

 

 そんな掛け声と共に彼女は駆ける。イプピアーラはその手を強く握り締め、それをグングニルに対して勢いよく振り下ろした。

 グングニルはそれを難なく回避し、隙だらけになったイプピアーラの鳩尾へ狙いを定める。

 

「おりゃアアアア!!」

《フローズンイピリア・クロマティックストライク!!》

 

 全力でアッパーを撃ち込み、その厚い胸板をぶち抜いた。空いた穴からインクが垂れることはない。グングニルの拳が纏う冷気によって凍結してしまったからだ。

 代わりに彼の全身にヒビが走る。

 

「封魔司書だとわかった時点で……海に逃げた方が良かったかな……?」

 

 そう言葉を紡いだのを最後に、彼の体はバラバラに砕け散った。それを眺めながら、グングニルは変身を解除する。

 

『二人ともお疲れ様~。支部長からの伝言で、帰ってきて良いぞ、だってさ』

 

 戦闘を終えた二人に、朱莉からの無線が入る。それには~いと呑気な返事をしながら、星宮は静かに砂浜に座り込んでいた凪の方へと顔を向けて口を開く。

 

「ちゃんなぎ~。帰るよ~?」

「はいよ」

 

 凪は一息吐いて立ち上がり、海の方へと目をやった。

 

 遠くの方で、魚が一匹跳ねる様子が見えた。




付録之肆《ライラプス》

 ギリシア神話に登場する猟犬。
 どんな獲物でも決して逃がさないと運命によって定められており、狙った獲物は決して外さないとされた槍と共にクレータ島の王であるミ―ノースの宝物であったとされる。アルテミスの宝物だったのだと言われることも多い。

 あるとき、テーパイを苦しめていたテウメーッソスの狐という牝の狐を狩ることになったのだが、この牝の狐は何者にも捕まらないと運命にあった。
 そのため獲物を決して逃がさないライラプスとこの牝狐の追いかけっこは終わることがなく、やがてライラプスが牝狐を捕まえそうになった。のだが、それを見たゼウスがライラプスが獲物を取り逃がしても、牝狐が捕まっても運命に反するとして、両者を石に変えてしまったのだという。
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