仮面ライダームラサメ外伝譚 仮面ライダーライキリ 作:八咫ノ烏
渡津海支部。のんびりで和気あいあいとした雰囲気を持つそこの談話室に一人、女が座っていた。どうやら誰かを待っているようで、しきりに入口や窓の方へと目をやっている。
そんな部屋に、来訪者が一人。この支部で経理の一部を担っている男だ。女は弾かれたようにドアへと目をやったが、どうやら彼は彼女の待ち人ではなかったらしい。
期待していた人間ではなかった。そんな態度を取った女に苦笑を零しつつ、男は彼女の向かいの椅子に腰かけた。
「……織部さん、誰か待ってるのかい?」
織部、というらしい女はそれに頷いてわけを話す。
「えぇ、鷹原さんにレーダーが故障したとかの件で用があって。あの三人組、支部にいるときは基本ここで雑談してるじゃない?」
もっともらしい理由だ、と男は頷いた。しかし残念ながらあの三人組は今この支部にはいない。
「あの子たちなら今は渡津海警察署にいるんじゃないかな。支部長もそこにいると思うよ」
「……まさか何かやらかしたの?」
顔をにわかに引き攣らせながらそう尋ねる織部に、男はまさかと彼女の疑惑を笑って否定する。支部長が飲酒運転した、というものならそれなりにあり得そうだが、しかしあの三人が警察のお世話になるようなことをしでかすとは考えにくい。
それに安心した織部に、男は缶コーヒーを飲み下しつつ理由を話す。
「なんでも、この間の変わった戯我について話を聞きたいと魔祓課に言われたんだとか。ま、そもそも彼らは今日お休みなんだけどね」
「なるほどね……。道理で静かなわけだ」
彼らの周りはいつも騒がしい。朱莉と凪が揃えば楽し気に話を弾ませているし、凪と海斗が揃えばぎゃあぎゃあとくだらない言い合いをしたり意地を張り合ったりしているし。三人揃えばそれはそれはもう騒がしい。
閑話休題。織部はこれ以上待っていても仕方ないと腰を上げ、
「じゃ、出直すとしようかな」
と言って退室していった。その背を見送った男は、深い息を吐きながら天井を見上げる。
「そういやレーダーの故障が治ったの二日前じゃなかったっけ……。今更何を伝えるようなことがあるんだ?」
その男の疑問が晴れるのは、もう少し先の話であった。
▽▽▽▽▽
謎の戯我が出現してから数日ほどが経ち、渡津海には普段とあまり変わらない長閑な時間が流れていた。
そんな中、凪たちは渡津海警察署の会議室に集まっていた。星宮や彼女の上司である黒氏が情報共有のために招集を掛けたのだ。
「うちの霊装使いと鷹原朱莉まで呼び出して何の用だ。何かわかったことでもあるのか?」
赤嶺は溜め息を吐きながら黒氏に対してそう言った。今日は休日の真っ昼間。彼は三人には戯我の活動がかなり抑えられるこの時間に、なるべく休養を取っていてほしいのだ。
そんな日に呼び出したのだ。くだらない目的であったら許さない。そんな赤嶺の意思を読み取った黒氏は、肩を竦めながら凪たちに目を向ける。
「わかったこと、というよりは先日の不審な戯我について確認したいことがあるのよ。だから凪ちゃんと海斗ちゃんにも来てもらったってワケ」
それを聞いた凪たちは合点がいった、という風な表情を浮かべる。確かに、あの日凪たちが相手をしていた戯我は異常だ。何故か戯我を探知するレーダーに反応せず、加えて同族であるはずの戯我を喰らう。
偶然なのか、星宮はそれと鉢合わせていないため魔祓課としては情報が欲しいのだろう。
ならば、なぜその戯我を直接見ていない朱莉が呼ばれたのか。それを問いかけると、答えたのは黒氏ではなく星宮であった。
「私が個人的にお喋りしたかったから呼んでもらったの。ほら、女子会って楽しいからさ」
なんとも呑気な理由である。こちらはかなり気を張っているというのに。そんな感情を溜め息に変換して吐き出し、あのなぁと言葉を続ける。
「こっちはあれこれ起きててかなり気を張ってるってのに。ふざけるのも大概にしてくれ」
「ずっと気を張るのっていうも疲れるじゃん。たまには休まなきゃでしょ」
「お前らが休日に呼び出したんだろうが」
場に漂うおふざけの雰囲気。黒氏はこれを手を叩くことで吹き飛ばし、同時に視線を集めて主導権を握り直しした。
ついでに一度わざとらしく咳払いをすると、早速本題に入る。
「ともかく、話を始めましょう。ひとまず凪ちゃんと海斗ちゃんの話を聞かせてくれるかしら」
「あの戯我……凪は戯我なのか怪しんでるみたいだけど今は戯我と呼ぶことにするよ。多分、吸血鬼だよ」
海斗の言葉を皮切りに、会議は進む。
彼から共有された事柄は三つ。
一つ。あの特徴からして恐らくは吸血鬼。ヴァンパイア・ギガであるという推測。
二つ。理性があまり感じられず、ほぼ本能だけで動いていたという点。
三つ。人より同類であるはずの戯我を優先して食らおうとしていたという点。
「大概のRPGじゃかなり理知的なキャラクターとして描かれてるけど、あれはなんというか……凶暴な猿って感じだね。イメージとはだいぶ離れていたかな」
そういって海斗は言葉を締めくくり、凪に視線をやった。凪は顎に手を当てつつ、当時のことを思い返す。
海斗が語ったものと、凪が見たもの感じたものはほぼ同じだ。凪もあの戯我を吸血鬼だと判断したし、さほど知性があるようにも感じなかった。ライキリが目の前にいたにも関わらず、コオニギガの捕食を優先した点も同じである。
ただ、凪には一つ。ずっと引っかかっていることがあった。
「あの戯我が死ぬ直前、ありがとうと。やつにそう言われた」
そう。それが凪の頭に残っている疑問であり引っかかる点である。
なぜ敵対しているはずの封魔司書、それも自分を殺そうとした霊装使いに感謝をしたのか。これが未だにわからない。
いや、なんとなくわかってはいる。いくつかの事実、そして仮説を飛躍に飛躍させた突拍子もない妄想だが、それでも彼には一つ思いついている説があった。
それならば、あの戯我がありがとうと言ったのも頷ける。
あとは、それを事実であると確定するだけの要素があれば。それを持ち得るのは警察である魔祓課の星宮と黒氏の二人である。
そんなことを考えていると、星宮から聞き返すように質問が飛んできた。
「ありがとう……? 気のせいじゃなくて、本当に言ったの?」
「あぁ、あいつは確かに俺にありがとうと言ったんだ。直後に死んだから理由は全くもってわからんが、絶対に気のせいじゃない」
そう言葉を返すと、星宮は顎に手を当てて考え込み始めた。その顔からは血の気が引いている。何か恐ろしい事実に気が付いてしまったかのような、そんな表情を浮かべている。
そんな彼女に赤嶺や朱莉、海斗は訝しむような目線を送った。彼らには何が何のことなのか、彼女が何を考えてそんなに青白い顔をしているのかがわからないからだ。
一方、凪は星宮が何を考えているのかを察していた。彼女の反応から、自身が浮かべていた突拍子もないような妄想であってほしかった仮説が現実味を帯びている可能性を知る。
思わず表情を強張らせ、手を強く握り締める。そんな凪に、黒氏は話を振った。
「さて、凪ちゃん。あなたの考えを聞かせてちょうだい」
あまりの突然の要求に凪は一瞬ポカンとした表情を浮かべる。一体何に対する考えのことなのか、すぐに察することが出来なかったからだ。
彼は気を取り直すためか頭を左右に振り、場の流れ的にこれしかないだろうと直感で浮かんできた言葉を口にする。
「あの戯我に対する考えか?」
「えぇ、そうよ。例えばあの戯我が何なのか、思い当たる節があるとか」
まるで凪があの吸血鬼のことについて何か気が付いていることを知っているかのような、そんな決め打ち発言に凪は苦笑を浮かべた。
そこから頭の中で話を組み立て、順序立ててそれを言葉にする。
「……吸血鬼って言われて思いつく特徴、何がある?」
「はい?」
朱莉は凪の発言に思わずそう問い返した。凪はそれに対して、
「何でも良い。思いついたやつを適当に言ってくれればいいさ」
と返し、二人の返答を待つ。何か意図があるのだろう。そう察した朱莉と海斗は、アニメやゲーム内に出てくる吸血鬼の存在を思い浮かべながらそれらの特徴を口にする。
「人の血を吸う、とか?」
「日光や十字架、ニンニクが弱点とされていることかな」
そうだ。凪は二人の答えに肯定を返すが、しかし彼が欲していたものとはまた違ったらしい。指を一つ立てて、彼の頭に浮かべた特徴を口にした。
「その他に、人間を自身と同じ吸血鬼にする能力があるともされている」
「……あ」
言われてみればそうだ。二人してそんな反応をする。ゲームなどでもそうして仲間を増やしていき、主人公たちに立ちはだかることが多い印象はあった。
凪はそんな二人を見ながら頷くと、話を続ける。
「自身の血を分けた者を、吸血鬼にする力があるとされている。されているだけで実際にあるかないかは置いておくとして、だ。そんな吸血鬼が出てくる少し前から、この辺りでは誘拐事件が多発している」
そう。凪はこの二つに繋がりがあるのではないかと疑っているのだ。現状、それを肯定するような情報は凪にはない。だが、どうにも無関係であるとは思えないのだ。
凪のそれを聞き、朱莉は凪が言わんとしていることを理解して顏を青ざめさせた。
「これに因果関係があるかないか、なんてのは現時点では確定出来ない。それに、そんなことが出来るのかどうかさえわからない。だが、もしそんな技術があったのだとしたら、因果関係があるのだとしたら。あの吸血鬼は、あれの本来の姿は──」
凪はそこで口を噤み、俯いた。あの時は仕方ないと割り切ったが、しかし今自分が考えていることが真実なのだとしたら。自身の背に罪を背負うことになる。なってしまう。
そこでようやく海斗も凪が言おうとしたことを察し、目を見開いた。自身の手に目を落とし、それを強く握り締める。
「──私たちと同じ、人間」
口を噤み、続きを言い淀んだ凪の言葉を黒氏が代わりに口にした。場に重苦しい空気が流れ、凪たち三人と星宮は思わず黙り込んでしまった。
そんな凪に、黒氏は背中に手を当て摩りながら労った。
「ありがとう、凪ちゃん。言いづらいことだったでしょう? 少し深呼吸して心を落ち着かせなさいな」
顔に浮かべているのは優しげな笑み。彼は凪のことが心配なのだろう。何せ、この数日の間に人を殺めてしまったのではないかと苦悩していたのだろうから。いくら普段の交流がそれほど無いとは言っても、自身と同じくこの地を守る仲間であり、それ以前に子どもである。
しかし凪は黒氏の手を払い除け、フンと少し鼻を鳴らすとぶっきらぼうに言う。
「気にしなくていい。戦い始めたときから、いつかこうなると覚悟はしていた。そのいつかが来ただけで、そんな心配されるようなことじゃない」
嘘だ。どう考えたって強がりだ。この場にいる誰もがそう感じた。
凪は誰かがそれを言及するよりも先に口を開く。
「さて、俺たち渡津海支部は出せる情報を出したんだ。次はお前ら魔祓課の番だろ」
誰にも、この思いは明かさない。そんな硬い決意を感じさせる言葉に、朱莉と海斗は思わず口を閉ざす。
代わりに、口を開いたのは星宮だった。机の上にある一枚の紙切れを見つめながら、話し出す。
「……ちゃんなぎが倒した戯我の顔、写真で見たんだけどどっかで見たことあるような気がしててさ。ず〜っと引っ掛かってたんだよ」
そう話す彼女の瞳には、恐れの感情の他に何か別のものが含まれているような。その何かは多分、義憤だ。そんな雰囲気を凪は感じ取った。
「でも、あれを見てわかったんだ。あの顔になんで既視感があったのか。ちゃんなぎの話を聞いて、それが確信に変わった」
彼女はそこで言葉を切り、机の上にある紙切れ一枚を手に取ってホワイトボードの隣へと移動した。ボードには、初期に行方不明となった者たちの顔写真が数枚ほど貼られている。
そのうちの一枚に、凪の目が止まる。どうしてなのか。どこかで見覚えがある気がする。そんな疑問は、すぐに晴らされる事になる。
「──この行方不明となっている方の顔と、この戯我の顔。偶然と呼ぶにはあまりにも似過ぎていると……そう、思わない?」
星宮が手に取った紙切れの裏──凪が調伏した戯我の顔写真と、凪の目に止まった行方不明者の顔写真。その二つにある顔は、同一人物としか思えないほどに酷似していた。
▽▽▽▽▽
だだっ広い蒼月の家。その家の縁側に一人でポツリと、凪は座っていた。
「俺もついに人殺し、か」
判明してしまった事実と、自身の行動によって起きた事象。それらを心地よいそよ風を浴びながら、頭の中で整理しているのだ。
結論から言うと、あの戯我は人間であった可能性が極めて高くなった。それも、自らそうあろうとした者ではなく、ただ誘拐されてしまっただけの一般人。
それを、自らの手で殺めてしまった。心の負担にならないわけがない。
客観的に見た場合、凪があの戯我を殺したのは仕方のないことであると言えるだろう。いくら元が人間であるとはいえ、戯我は戯我。コミュニケーション能力を失い、本能のままに暴れようとしていた彼を見逃していれば無関係の人間が何人も死んでいたかもしれないのだ。
だからこそ、最適解はあの戯我を調伏することだった。あの戯我も、死に際に凪へ恨み節ではなく感謝を告げたのだ。彼自身、凪のことを恨んではいないだろう。
だが、彼の家族はどうだろう?
魔祓課の二人が言う事には、彼は書類上では行方不明となったまま生き続けるのだという。戯我の存在を一般人に話すことは出来ないため、致し方のない対応であると言える。
しかし、何かの拍子に彼らが事実を知ったとしたら。まず間違いなく責められるのは凪だ。どうして殺してしまったのか、どうにかできなかったのか、言われそうなことが脳裏に浮かんでは消えていく。
いくらあちらが逃げなかったからと説明しても、それは凪自身を納得させるための理由でしかないのだ。彼の家族には理解されないことだろう。
「……あれがただの悪人ってだけなら、ここまで背負う必要もなかったんだろうな」
はぁ、と溜め息を吐きながら凪は寝転がった。
「一体誰が何のためにこんなことを……」
悪い方へ行こうとする思考を無理やり止めるため、そんなことを考え始めた。
誰か、に関しては二択だ。噂のロゴス・シーカーか、その他のLOTに敵対している組織かだ。それ以外はほぼあり得ないだろう。組織立って人間を誘拐しているような動きが見られることからも、これはまず間違いない。
だが、目的に関しては本当にわからない。LOTと事を構えるときの戦力にするためか、それとも何かの実験のためなのか。それともただのお遊びか。
「何にせよ、面倒くさがるわけにもいかなくなったな……。早いところ終わらせねえと」
そうだ。これ以上被害者を増やすわけにはいかない。こんな面倒な騒動など早く終わらせて平穏な日々を取り戻さなくては。
そうでないと、朱莉のように大切な人を喪い心に傷を負う人が増えてしまう。それだけは嫌だ。
「な~ぎさん」
凪の思考を遮る声。朱莉だ。寝転がった彼の隣に座り、庭を見つめる。
そんな彼女を見て凪は何かを思い出したのか、そういえばと口を開く。
「星宮との女子会、行かなくて良かったのか?」
確か話し合いが始まる前に、星宮は女子会でもしたいなどというふざけた理由で朱莉を呼んだと言っていた。しかし朱莉は話し合いが終わると、軽くスーパーに寄っただけで真っ直ぐ家に帰ってきたのだ。
星宮と朱莉の仲が良いのは知っている。ふざけるのも大概にしろと言った凪自身、朱莉のリフレッシュにちょうど良いんじゃないかと思っていたのだが。
そんな凪の疑問に、朱莉は空を見上げながら答えを返す。
「……今は凪のそばにいてあげなくちゃと思って、断っちゃった」
余計な気遣いを。凪はそう思ったが、口には出さなかった。それを無碍にするのも忍びないと感じたからだ。
そんな事を考えているとは思っていない朱莉は、凪の方へと顔を向けた。ぶつかる視線。心の内を見透かされているかのような、そんな感覚を覚えた。
しかし朱莉はそこに言及することはなかった。口を開きながら、N-フォンの画面を凪に見せる。
「お義父さんとお義母さん、来週に帰ってくるんだって」
N-フォンの画面に映っていたのは、凪の母である蒼月瑞穂とのメッセージ画面であった。帰国予定が決まったから伝えとくね、という一文と共に飛行機のチケットや宿泊するホテルなどが書かれた旅程が送られてきていた。
凪はそれをチラリと一瞥し、体を起こしながら言葉を返す。
「……案外帰ってくるの早いな。もう少し先だと思ってたんだが」
両親が近いうちに帰ってくるらしい、というのは既に赤嶺から聞いていた。彼曰くおよそ一か月から二か月は先になるだろうとのことだったが、それから数週間程度しか経っていない。かなり前倒しになっているようだ。
なんなら旅程によれば、もう既に飛行機に乗って欧州を発っているらしい。明日には日本に着いているはずだ。なら明日にでも家に帰ってくるはずではないのか。そう感じた凪が少しだけ首を傾げると、朱莉がその疑問に答えを出した。
「あちこちを観光しながらゆっくり来るって言ってたよ。温泉街とかに寄るんだ~って」
「……ったく、こっちはえらい騒ぎになってるってのにお気楽なもんだな」
はぁ、と深い溜め息を吐いた。なんともまあタイミングが悪い。下手をすれば休暇が休暇ではなくなるかもしれないレベルの騒ぎが起きているというのに、どうしてそんなタイミングで帰って来ようとするのか。
赤嶺は二人にここで起きていることを伝えていないのだろうか。それとも、伝えた上で今帰ってくることにしたのだろうか。何にせよ、気楽なものである。
もう一度深い溜め息を吐いて小言の一つでも送ってやろうとN-フォンを取り出した凪を制止しつつ、朱莉は庭に目をやって口を開く。
「まぁまぁ、休暇で帰ってくるんだし良いじゃん。その分、私たちが頑張らなくちゃね」
「……そう、だな」
あの二人をあてにする気はない。これは、渡津海とその周辺にいるLOTや魔祓課だけでなんとかするべき事である。こんなことが起きていると知れば、おそらくあの二人は……漣はともかく、少なくとも瑞穂は解決のために動こうとするだろう。
その二人の力を借りないといけないほど、自分たちは無力ではない。
「親父の力無しでも解決出来るんだぜって見せてやらなきゃな」
お前を今にも超えようとしているのだぞ、と示してやりたい。そんなことを考え、凪は立ち上がった。倉庫の中にある模造刀を庭で振ろうとしたのだ。
「待って」
そうして背を向けた彼を、朱莉は袖を掴んで引き留めた。どうしたのかと顔を向ける凪に、朱莉は何度か躊躇ったのちに言葉を発した。
「……辛いことがあったらちゃんと言って。私も、力になりたいから」
彼女のそんな言葉を、凪は静かに受け止めた。優しさと、心配。恐らくは凪が元人間だったものを殺して傷ついていたり、責任を感じているのではないか、と。きっとそう考えているのだろう。
そしてそれは間違ってはいない。被害者である人を殺してしまった罪悪感はあるし、殺してしまった責任はどうにかして取らなければならないとも感じている。
だが、それは自分一人で完結させるべきだ。凪はそう考えていた。少なくとも朱莉に背負わせるようなものではない。
そんな思いを口の端に浮かべた笑みで隠す。
「その気持ちだけで、俺は充分だ」
凪にとってはいつも通りを装ったそれは、朱莉の不安をむしろ煽ってしまったらしい。顏を俯かせ、ぽつりと尋ねる。
「……無茶なことやらないよね」
「やらんやらん」
「本当に?」
「そんな嘘は吐かんよ」
少なくとも、自分の命が危ぶまれるような真似はしない。だから無茶をしないという言葉に嘘はない。ただ、無茶の度合いが互いに同じかどうかはわからないというだけで。
そんな凪の真意を感じ取ったのか、朱莉はゆっくりと言葉を絞り出した。
「今の凪見てるとなんか不安になるんだ……。今にも折れてしまいそうで、どこかに消えてしまいそうな気がして……」
朱莉から見た凪は、案外繊細な人間なのかもしれない。それか、ただひたすらに心配なだけか。
そんな事を考えながら、凪は口を開く。
「まさか。こんなことでどうにかなるほど弱くないさ」
こんなことで、と言えるほど強い人間では無い。だが、それで折れるほど弱く無いというのもまた事実であった。自身が為したこと、それによって起きてしまった殺人という結果。それの責任を取るには、敵組織を壊滅させるしか無い。だからこそ、折れるわけにも消えるわけにもいかないのだ。
少なくとも、敵組織を壊滅させるまでは。
「……じゃあ、約束してよ」
朱莉は、ぽつりと呟いた。心の内で決意を固めていた凪は突然のそんな要求に怪訝そうな表情を浮かべる。何を約束させられるのだろうか。
「約束?」
顔を傾げながら、凪はそう問い返した。
返ってきた返答はこうである。
「何があっても、絶対に帰ってくるって。敵を倒すことより、自分の命を優先するって、約束して」
つまるところ、絶対に生きて帰ってきてくれということだろう。敵組織と交戦することになった時に、凪が無茶をしないようにという思惑が見て取れる。
それを読み取った凪は、朱莉の目を真っ直ぐ見つめながら頷いた。
「……わかったよ。約束する」
凪がそう言うと、朱莉は自身の小指を凪の小指へと絡ませて数回上下に振った。指切りげんまんだ。今日はずいぶんと子供っぽい事をするな、と物珍しそうな表情を浮かべてそれを見る凪に、朱莉は「こっちは本気なんだけど」と言って怒り始めた。
「破ったら針千本飲ませるからね」
「それは勘弁願いたいものだな」
冗談で言っているのか、それとも本気で針を飲ませる気なのか。そんな事を考えながら凪は庭に出て倉庫の方へと歩いていった。
その背を見つめる朱莉の表情は、なおも不安げである。
「なんか、凄い不安になっちゃうな……」
朱莉はそう言葉を零し、夜空を見上げる。やはり曇っているせいか月や星などは一つも見えず、かろうじて飛行機の光が雲の隙間から僅かに見えるだけであった。
付録之陸[がしゃどくろ]
日本の妖怪で、巨大な骸骨の姿をしている。戦没者や野垂れ死にした者などの骸骨や怨念が集まって巨大な骸骨の姿になるとされている。
夜中に音を立てて歩き回り、生きた者を見つけると叩き潰すなどしてから食すという。
元々漢字表記は無かったそうだが、近年では創作において『餓者髑髏』と当て字で表記されることも多い。