旅は続く。
商人は先々で頼まれた物を渡し、代価を得る。
そして売れそうな物、頼まれていた物を仕入れる。
剣や鎧の類はアドニスに意見を求めている。
人との関わりをあまり好まない(とセレスには見える)
アドニスが商人の問いに短く答えている。
したたかに、今を生きているのだ。
そもそも周りと己を見極める事が出来なければ、傭兵として成り立たない。
「お嬢さん、これどう思う?」
衣類をセレスに見せた。桜色に薄い鼠色が溶けている。
桜鼠の綺麗な色。珍しい一品だ。
「綺麗な色だわ。この染めだけでも価値があるわね。」
「そうかい。じゃ、仕入れてみるかの。」
元王族の鑑定眼は正確に答えを出す。良い物を見て育っているからだ。
商人は自分の目で確認し、他者の声を聞く。
そして自らの判断で仕入れるか否かを決める。
いくら良いものでも売れなければ意味が無いのである。
----------
セレスも大分旅に慣れてきた。
今は山間の麓にある小さな村にいる。
久しぶりに宿屋に泊まる事になった。
「申し訳ないね、お嬢さん。」
最初の宿泊先で商人は、本当にすまなそうにした。
護衛の一人が女性とは思わずに、既に二人部屋を手配してしまったのだ。
「いえ、気にしないで下さい。」
「無駄金を使わなくて済む。」
「そう言ってくれると、助かるよ。」
アドニスとセレスは二人部屋に入り、別々の寝台で眠った。
二つあるのだから、無理して一つの寝台で眠る必要は無い。
今回も二人部屋だ。背中合わせに二人は床に座り、剣の手入れをしている。
そろそろ限界かもしれない、とセレスは思った。
気を付けて使ってきたけど、元がそんなにいい剣ではないから。
片手で剣を持ち真っ直ぐ伸ばす。
もう少し大きい街に寄る事があったら、剣を替えなくては。それまで持つか?
手入れを終え、刃の確認をしているとアドニスが立った。
セレスは剣を鞘に収め、道具をまとめると壁際に向かった。
アドニスが後ずさりする。足音を立てない。
セレスは壁にもたれ掛かり、唇に指を当て、戦士を観察する。
黒い大剣を構える。いつも手入れが終わったらアドニスはそうする。
天井ぎりぎりまで振り上げ、ゆっくり振り下ろす。
あれだけの大剣を扱える、上体。
重みに邪魔される事無く体重移動する、下半身。
自分とは違う。自分は速さと一瞬の力加減で斬り抜くしかない。
セレスの視線を感じてアドニスは振り返る。
緑青の両眼を細め自分と相手を推し量っている戦士がいた。
アドニスは声を掛けた。「持ってみるか?」
「え?」セレスは小さく驚く。
そして「いいの?」と問いかけた。
「いいぜ。」黒刃の男はちょいちょいと手招きする。
嬉しさを隠してセレスはアドニスの横に立った。
「失礼します。」セレスは礼を執り、戦士と剣に対する敬意を表す。
アドニスは片方の眉を吊り上げると黙って剣の柄を渡す。
刃は床についたままだ。
セレスは足を開いて、剣の柄を両手で握る。
緊張と集中が斬鉄姫を支配する。ゆっくり刃を持ち上げた。そして構える。
腕が、身体が震える。半端な重さではない。
構えるだけでもたいしたもんだ、と横から眺めながらアドニスが思った瞬間。
「!」セレスが目を瞠り、食い入る様に大剣を凝視する。
気付いたか?まぁ、そうだろうな。
「支えてやる。振り下ろしてみろ。」
アドニスはセレスの後ろに立ち、セレスの腰と両手を支えた。
支えられたセレスはゆっくり剣を持ち上げ、ゆっくり振り下ろした。
刃を床に置いた。
----------
「呆れた・・・」床に視線を落としセレスは言った。
アドニスの剣技は基本のみが正式なもので、残りは我流だ。
この度、剣をあつらえた。
という事は自分が扱いやすいように剣の重心や、刃の厚さを部分部分で微妙に変えている。
要するに普通に打った大剣ではないのだ。
特にセレスの様な正統派の剣技を操る者が持てば、普通の剣との差は歴然である。
そして一流の戦士なら、癖を見抜ける。
だから自分の剣を刀鍛冶に打たせる戦士は、他者に剣を預けない。
昨日の友は今日の敵になる戦乱の世では命取りになるからだ。
セレスは「いいの?」と訊いた。
自身も戦士だから、事の次第は承知している。
「持った感想がそれか。」面白そうにアドニスが言う。
「呆れるわよ、普通。貴方も貴方だけど・・・。」
視線をアドニスから黒い刃に移し、大剣を眺めながらセレスは呟いた。
柄をアドニスに還す。
「そりゃそうだ。」片手で大剣を持ち上げるとアドニスは鞘が置いてあるソファーに向かう。
「湯を貰ってくるわ。明日は早いんでしょ?」
ひらひらと手を振ってセレスを送り出す。
自分の剣を持たせる、と言ったら嬉しそうな顔をした。
アドニスなりの気遣いだ。共に戦う者への、そして一つの結果に対する。
山道を通る旅だ。山賊が襲ってくる。
今迄は、不死者や異形のモノ相手だった。
次は人間だ。人間を斬鉄姫は斬る。そして斬った後、一人でもがき、苦しむ。
自分が出した答えを自分で受け止める為に。
どういう変化が起こり、受け止める為にはどの位の時が必要になるか。
アドニスはセレスでないから判らない。
万が一、出来なければ置いて行く。
烈なる性。敵を味方までをも畏怖させる、黒刃のアドニス。
肉食獣は死んだ獲物には興味が無い。
役に立たない護衛は要らない。普通の女も要らない。
ここまで来て腐れた事をしやがる奴は、勝手に死ね。
俺が手を掛ける必要も無い。
----------
セレスは浴室で黒紅を脱ぎ髪を解いた。そして静かに湯に沈んだ。
明日から山道だ。
山道は山賊が出没する。おそらく相手は複数出てくる。
アドニスが剣を持たせたのは乱戦を想定しての事だ。
敵味方が入り乱れる戦い。共に戦う者が自分の癖を把握していた方がやりやすい。
自分達の剣技は正反対だ。正統派である自分がアドニスに合わせる方が手っ取り早い。
山賊。人間。肌が小さく粟立つ。
湯から上げた自分の腕を見たセレスの脳裏に、昼間見た衣類の色が浮かぶ。
桜鼠。珍しい染め。湯に入っていながら、寒気をセレスは感じていた。