半時の後、セレスは二人の元に帰って来た。
「心配かけて御免なさい。」
ぺこり、と頭を下げた時、薄荷の風が吹いた。
「出るぞ。」
「今日中には峠を越えんとなぁ。」
二人の気遣いが嬉しかった。
峠を越えて野宿の準備をしていると、アドニスがセレスに近づいた。
「もう寝ろ。」
寝袋と薄荷水の入った水筒をセレスに渡す。
「そうするわ。」
受け取るとセレスは荷台の側で横になった。
食事が始まる前に寝てしまえば、吐き気を催さない。
「予定通りでいい。」
焚き火を囲みながら二人は会話を続ける。
「いいのか?」
「ちゃんとついてくる。問題ない。」
「・・・街に着いたら一週間程、商売したいんだが。」
「いいぜ。」
「決まりだの。」
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次の朝、セレスは普段通りに起きてきた。
朝食を摂る。食べないと身体がもたない。
戦は待ってくれなかった。旅も待ってくれないのだ。
硬いパンを小さく千切って口に入れる。
薄荷水で胃に押し流す。
休憩の度にセレスは吐いた。
そしてきちんと食事を摂る。
鬼気迫るものを商人は感じていた。
何故そこまで、と思うが余計な詮索はするなと釘を刺されている。
自分に出来るのは、いつも通りに振る舞う事だ。
その日の夕食は三人で摂った。
普段と同じ他愛のない会話をするセレスと商人。
アドニスは干し肉を噛んでいる。
セレスはゆっくりパンを千切って胃に押し流す。
アドニスは時々唾を吐いた。
商人がやっと噛み砕いた干し肉を飲み込んだとき、様子に気付いた。
干し肉は塩分や肉の味を楽しむものだ。
何故出すのか?
アドニスが口から肉を取り出すと、セレスの薄荷水の中に入れた。
「そっち食っとけ。」薄荷水をカップに注ぐ。
繊維を分断された干し肉を見ながらありがとう、とセレスは言った。
返事をせずにアドニスはセレスの前にある干し肉を取り、口に持っていく。
商人は目の前に二匹の肉食獣が居る様な錯覚を覚えた。
翌朝商人が目覚めると、セレスの寝袋が空になっていた。
続いて聞こえる小さな物音。
何の音だと思い、目をこすりながら物音の方向へ行くと、
生い茂った草の間から剣を構えるセレスが見えた。
そして折れた剣で木に斬りかかる。
樹皮には幾重にも筋が刻まれていた。
半歩前に進み、斬り抜く。樹皮がぱっくりと口をひらく。
剣は折れている。だから間合いの確認をしているのだ。
今までと同じでは次の襲撃に対応出来ない。
もう一度同じ動作をするセレス。
樹皮に鮮やかな筋が刻まれる。
斬鉄姫は折れた剣を見ると小さく笑った。
商人は背筋が凍りつく思いでその場を離れた。
野営をした場所に戻ると、アドニスは既に起きていた。
「オッサン、メシにするか?」
彼等が自分の護衛で本当に、本当によかった。
祈る思いで商人は返事をした。
「そうするかの。」
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深緑を抜け、街道を行く。
セレスの吐く回数も随分少なくなってきた。
旅人が行き交う道は黄土色をしている。
ここまで出れば盗賊の類は滅多に出てこない。
印を結んだ積み石などで、不死者といった輩の出没回数も少ない。
商人は轡を取る。
セレスは荷台の側を行く。
アドニスは殿を務めた。
朝の冷たい空気が三人を包んだ。
「今日は頑張って街まで行くぞい。」
「久し振りだわ。」
馬を進めながら商人は口を開く。
「お嬢さん、言いにくいんだが・・・。」
なんですか?とセレスの問いに商人は意を決して言った。
お嬢さんの顔が見えないのが、救いだ。
「街で商売をするんだが、その、娼館で。」
「それで衣類が沢山あったのね。」納得した様子のセレス。
「で、あの、宿を娼館にしようと・・・。」
アドニスは何も言わない。予定通りだからだ。
「私は別に構わないわ。あ、それなら」
セレスだけ別に宿を取るつもりだった商人は、その事を口にしようとした。
「私、一人部屋にしてもらえたら助かります。」
「え?」お嬢さん、泊まる気なのか?娼館に??
「ああいった場所は部屋に浴室が付いてるし、寝台は大きいから。
久し振りに思いっきり手足を伸ばせるわ。」
出来たお嬢さんだ・・・。わきまえている。
助かるよ、と返事をしようとした瞬間
「おい!」
背後でアドニスが小さく叫んだ。
商人が馬を止め、後ろを振り返ると離れた場所で前のめりに倒れているセレスがいた。
その後ろから、アドニスがセレスを抱き支えている。
セレスの髪は黄土色の街道を撫でていた。
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殿を務めるアドニスの視界に、前につんのめるセレスが飛び込んだ。
「おい!」
駆け寄り、前に倒れるセレスを背中から抱きかかえた。
間一髪で頭は地面にぶつからなかった。
肩を掴み腰を抱えてセレスを支える。
肩からアドニスの手がのろのろと離れ、ゆっくりと下を向いた顔を覆う。
小さな息が掌に当たった。
アドニスはセレスの背中に顔を埋める。
小さな安堵のため息が黒紅の背に消えていった。
オマエは壊れなかった。
自分と同じ黒衣の斬鉄姫は、ぐったりして動かない。
両膝をかかえ肩を抱くとアドニスの胸に青白い顔が埋もれた。
規則正しい息がアドニスの黒紅に消えていく。
離れた場所で心配そうに此方を見る商人がいる。
「オッサンが心配してるぞ。」
アドニスの言葉がセレスの額に落ちた。
此方に向かってくるのを見ると商人は荷台を空け始めた。
黙ってアドニスはセレスを荷台に上げる。
黒紅の外套を掛け、幌を下ろした。
「いくかの。」
「あぁ。」
「メシ以外は休憩無しにするからの。」
アドニスは返事の代わりに左手を上げた。
ぶるるん、と焦茶の馬が同意する様に鬣を左右に振ると、そっと荷台を引き始めた。
黄土色の街道に二筋の轍が続く。