千紫万紅   作:moon

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其の十四 緑青(ろくしょう)

その日の夕方、目的地に到着した。

商人は大急ぎで娼館に入っていき、アドニスは荷の番をした。

前に一度だけ利用したことがある大きな娼館だ。

商人が帰ってくると、二人と荷馬車は裏口へ回る。

馬を繋ぐとアドニスはセレスを荷台から下ろし始めた。

外套ごと抱きかかえ、裏口をくぐる。

 

商人は気を遣って離れを取ってくれた。

同伴用もしくは長期滞在用の離れが大きい娼館には大抵ある。

華やかな喧騒とは無縁の静かな場所だ。

アドニスは中に入り、一人で入り口に戻ってきた。

入り口で待っていた商人は二つの鍵をアドニスに渡した。

「女将には言い含めてある。ゆっくりさせてあげてくれ。」

返事の代わりに左手を上げるアドニスに、商人は続けて言った。

「メシは外に置くようにした。それと」

緑青の衣類と袋をアドニスに渡した。

「お嬢さんの寝間着だ。お前さんの分はメシと一緒に届けさせるが、それでいいか?」

「十分だ。」

「わしの部屋は前と同じ場所だからの。」

 

商人と別れて荷を離れに入れるとアドニスは外扉に鍵を掛けた。

内扉を閉じ、こちらも鍵を掛ける。

自分以外の介入は一切拒否した。

 

ソファーにセレスがもたれ掛かっている。

重ねたクッションに青白い顔を半分埋め、全身の力を放棄していた。

黙ってベルトに手を掛ける。ベルト穴は一番奥を使っていた。

長靴を脱がせ靴下を取ると、マメでいびつになった小指が見えた。

上衣を弛め、浴室に向かう。

ある程度は自分も覚悟していた。だが、ここまでとは思わなかった。

おそらくセレスも同じだろう。

 

湯桶に商人が渡した袋から乾燥した薄荷を取り出し、浮かべる。

爽快な匂いが部屋に充満し、空気が緑青に染まる。

アドニスはセレスの着衣を取り、身体を拭きだした。

セレスは動かない。湯を替えセレスの両腕と頭を自分の肩にのせた。

「痩せたな、オマエ。」

アドニスの手はタオルと言葉を連れて白い背中に落ちた。

その上に静寂が薄荷の匂いと共に降り積もる。

 

緑青の寝間着に袖を通すため、セレスの手を取った。

潰したマメは既に固まっており、掌に柔らかさが無い。

細く長い指。だが、剣を握るせいで間接は太くなっている。

爪は少し伸びていた。短くする余裕が無かったのだろう。

肘と膝は衣擦れで硬くなっていた。踵も同じだ。

女性らしい手入れをしていない体。

その体を静かに抱き上げると衝立の横を通り、寝台へと向かう。

瞼を閉じたセレスは何も見ない。何も聞かない。

細い息を立て、ひたすら眠っている。

寝台に横になるセレスを見ていたアドニスは外扉へと向かった。

 

外扉の脇に二つの籠があった。一つは軽い食事。

もう一つはアドニスの着替えや、二人の滞在に必要と思われるもの。

二つの籠を抱えるとアドニスは二つの鍵を掛け離れを後にした。

食事の匂いも湯の音も、今のセレスには必要無いからだ。

 

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「邪魔か?」

「いいや、いいぞい。」

籠を抱えたアドニスは商人の部屋へと入る。

 

「どんな様子か?」

「明日まで起きねぇだろ。」

「ひとまず、安心だの。」

安堵の息と共に商人は言った。アドニスは返事をせず、食事を続けている。

「武器屋はどの辺りだ?」

商人が目を瞠る。お構いなしにアドニスは続けた。

「折れてるからな。アイツが欲しがる。」俺達は護衛だ、と言外に言う。

「場所は紙に書いておく。話はつけておくから、好きなのを選ばせてやってくれ。」

「報酬から引いておけ。」

お嬢さんが嫌がるからの、と言いながら商人はテーブルへと向かった。

「オッサン、湯貰うぞ。」食事を終え、立ち上がりながらアドニスは言った。

「好きにせい。」紙片を渡しながら商人はからからと笑った。

 

離れに向かう途中まで商人と二人で歩いた。

娼館の女達が好奇の目で二人を見る。

一人は馴染みの商人。もう一人はその商人と一緒に一度だけ来たことがある男。

複数の媚びる視線がアドニスに纏わり付く。

一人の女が二人の進路を塞いだ。「ちょっと、兄さん。」

アドニスは何も言わずに去ろうとする。此処は商人にとって大切な取引先だ。

「待ってよ。」とアドニスの腕を掴んだ。

アドニスの片手は籠を持っている。着替える前の衣類が入っている。

誰かを買いにきたのだ、と女は思ったのだろう。

 

アドニスは女に言った。

「何だ?」

「アタシと、どう?」一般的な物差しでいえば美人だ。

自分に自信がある者が売込みができる。そういう場所だ、娼館は。

「気分じゃねえな。」この場から離れようとする腕を女は引き止める。

「そんなこと言わずにさぁ。」艶やかな微笑と共に小首を傾げ、下から男を覗き込んだ。

女ははっとして、手を引っ込めた。

アドニスは女を見下ろしている。

ただそれだけの事に、女は震え出した。

「明後日、行くんだな?」商人の声に返事の代わりに左手を上げるアドニス。

アドニスは離れへと向かった。

女将が慌てて飛んでくる。

「ちょっと、お前!!」アドニスを誘った女は女将に叱られていてた。

 

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鍵を二つ掛けるとアドニスも寝台に入った。

大きい寝台で眠るセレス。伸ばしたいと言った手足は赤子の様に緩やかに折り曲げていた。

背中が小さく、規則正しく動いている。

赤錆色の頭の下に左腕を滑らせた。背中に擦り寄る。

アドニスの右手はセレスのそれと重なった。

「頑張ったな。」

右手を指でそっと撫でながらアドニスは言う。

斬鉄姫は答えない。自分で答えを出したからだ。

斬鉄姫を必要とする人がいるから、吐いてまで応えようとした。

太い関節を持つ指の間に自分の指をくぐらせ、アドニスも眠りに付く。

戦士は眠れる時に、眠る。二つの寝息を緑青の空気が包み込んだ。

 

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早朝、緑青の背中が動き出した。

重なった手はそのままに、むくり、と上体を起す。

「・・・ここ・・・どこ・・?」

頭がはっきりしていない様子の声が寝台の上に落ちる。

左肘で体重を支え、辺りをゆっくり窺う。

「娼館だ。」声のする方へ頭が動いた。

小首をかしげ、緑青の瞳が肘枕を付いているアドニスを見た。

きちんと座った雪豹が呼び声のする方へ振り向くように。

「暫く此処で商売する事になってただろ。」

深く首をかしげた。雪豹は言葉の意味がいまいち呑み込めていない。

「寝とけ。」

セレスはアドニスの顔とは反対のほうにふいっと顔を向けると

ぽすん、と枕に頭を落とした。背中が小さく、規則正しく動き出す。

アドニスの眉間が思いっきり険しくなる。

「・・・可愛くねぇな、おい。」

不機嫌な声は深く眠るセレスには届かない。

 

「てめぇ、本気で覚悟しとけよ。」

本気と書いてマジと読む。

アドニスは小さい欠伸を一つすると、赤錆色に顔を埋めて二度寝を始めた。

 




千紫万紅・中編 終
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