「あの、相談があるんだけど・・・。」
出発を三日後に控え、アドニスと商人は玄関のテーブルに飴色の地図を広げている。
旅の打ち合わせの真っ最中だ。
娼館のオネエさん達がその二人に話しかけた。
商人が顔を上げた。
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玄関から二人は離れに戻った。
セレスは浴室に入りアドニスは長靴の手入れをし始めた。
珍しく外扉を叩く音がしてアドニスが鍵と扉を開けるとセレスが庇った娘がいた。
「女将さんが・・・掃除をしてあげなさいって・・・。」
アドニスに対して怯えている。普通の反応だ。
「入れ。」
アドニスは箒と雑巾、替えのシーツを持った娘を中に入れた。
アドニスは床の荷物をテーブルに上げ、椅子に座って長靴の手入れを続ける。
娘は掃除を始めた。
離れの掃除は同伴中のどちらかが居る時でないと行ってはならない。
相手の同意というのは勿論だが信用という面でも必要な事だ。
掃除を終えた娘が足元の道具と替えたシーツを抱えようとした時、
セレスが浴室から出てきた。
鈍色を着て頭を拭くセレスが視界に入る。
美しい人。こんな風に生まれたら、此処に来なくても済んだかもしれない。
自分と鈍色とを比べ、娘は俯いてしまった。
俯いて立っている娘の視界にいびつな足の小指が現れた。
はっとして顔を上げる娘の前にセレスは立ち、その頬を強く撫でた。
娘の頬にごわごわとした硬い感触が残る。
「花は一人一人違う強さと美しさがある。貴女もそれを持っているのよ。」
「はい・・・。」返事をしながら娘は思った。
この人は己の美を誇る生き方をしていないのだ。
美を誇れば楽に生きられる。娼館でなくとも男は惜しみなく金と時間を注ぎ込むだろう。
護衛という死と隣り合わせの仕事。そこを選んだのだ。
「部屋が綺麗になったわ。ありがとう。」
微笑むセレスに娘は「はい。」と笑顔で答え、
ぺこりと頭を下げると掃除道具とシーツを抱え出て行った。
アドニスはソファーに座り鍵を掛けに外扉に向かったセレスを待っている。
戻ってきたセレスに自分の横を顎で指し示す。
小さくため息を吐き、テーブルに鍵を置いたセレスがソファーに座る。
アドニスはセレスの頭を拭き出した。離れにいる間の日課になりつつある。
「今日は色々あって疲れた。」
「凄まじい剣幕だったな、オマエ。」
「ああいう時は大袈裟なくらいが丁度いいのよ。」
タオルの下の声は笑っている。
「アドニスも凄かったわよ。」
セレス以外の全てが恐れをなしたアドニス。斬鉄姫の名は伊達ではないのだ。
「ああいう時は大袈裟なくらいがいいんだろ。」
顎を持ち上げ顔を自分の方に向けさせる。タオルをセレスに渡すと髪を乾かし始めた。
「アドニス、貴方ねぇ・・・。」
困った顔で自分を見る斬鉄姫。
「二度と剣を持たせない様にしたでしょ。」
てめぇはよく解ってる。
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抉るつもりだった。
「勘弁してやらなくていいんじゃねぇの?」
赦してやるつもりなど微塵も無かった。
剣に斃れる覚悟の無い奴が剣を帯びる資格は無い。
負けを負けと認めない奴は勝負を受ける資格も無い。
下衆な見栄で剣を持つなど論外だ。
自らの血を流す覚悟の無いその下衆が赤錆色を掴み、唾を吐いた。
娼婦呼ばわりされようが侮辱を受けようが当事者はセレスだ。
斬鉄姫は娼館の事態を丸く収めるために計算の上で娼館に介入した。
だから動かなかった。
だが、それ以外で手を出すのであれば話は別だ。
猶予を与えてやった。
そして下衆は自ら署名した。
だから動いた。
俺は徹底的に潰す。
娼館の決着が付いた後、抉ろうと指を動かした矢先、オマエの手が止めた。
気付いていやがった。
掴んだ手のまま自分の腰を抱き当事者は私だと主張する。
下衆を庇うな。腰の手に力が入る。
オマエの手は俺の手を強く握る。
手を出すなという。
だから足を出した。それだけの事だ。
たまたま今回は蹴りで済ませてやっていいだけの収穫があった。
要するに虫の居所が良かった。
ひとつは戦場では絶対に見ることが出来ないであろう細剣を操る斬鉄姫。
そしてふたつの言葉。
「私に触れることが出来るのは、私より強い男だけ。貴方にその資格はあるの?」
「今度は私の男に手を出すのか?」
介入という計算の上で出た言葉だ。
だが数多ある言葉の中で、それを選び口にした。
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「剣か。オマエ、細剣扱えたんだな。」
「他も一通り手習いはしたわよ。剣が一番合っていたから選んだ。」
「火掻き棒で細剣かよ。初めて見たぞ。」
セレスの首に顔を埋めアドニスは咽で笑い出した。
「笑わないでよ。仕方無いじゃない。」
「前は箒で今度は火掻き棒とは、やるじゃねぇか。」
笑いながら片手をソファーの背もたれに伸ばし、
もう一方でタオルを取りながらセレスの腰を密かに抱く。
「貴方だって大剣以外を扱うじゃないの。」
「俺は剣ぐらいだ。」
黒豹が頭を摺り寄せながらごろごろと咽を鳴らす様に。
いつでも相手の咽笛に牙を立てられる様に。
「一通りには、大剣も入るのか?」
鈍色の肩に顎をのせ問う。
「あれは初めから論外よ。あんなの扱える訳ない。」
濡羽色にセレスの頬が触れ、声が触れる。
剣の話をしているセレスは無防備に近い。
近いだけであって、全くの無防備ではない。
「酷い言い様だな、おい。」
背もたれに伸ばした肩に頭を預けアドニスは言った。
静かに腰から手を離しタオルを腿に置く。
セレスは前方を向き、一時の後、怒った様に言った。
「剣に振り回されない力と精神力。大剣もそれに見合っただけのものを求められる。
並の戦士では無理です。」
「斬鉄姫は並か?」
振り返ったセレスにアドニスは顔を近づけふふん、と鼻先で笑った。
斬鉄姫は黒刃と同じ色の髪に指をくぐらせながら
「黒刃がそれを問うの?知ってる癖に。」
雪豹は尻尾でアドニスの頬を軽くはたき、するりと離れていった。
「夕食取ってくる。」
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「お嬢さんにか?そもそも受け取らんぞい。」
「そこを何とか。」
オネエさん達はセレスにお礼をしたい、と二人に申し出た。
同伴中の男女はどちらか一方が一人でいる時に声を掛けるのはご法度だ。
だからアドニスを誘った女は女将に怒られた。
だから商人と一緒の時を狙って相談を持ちかけた。
商人が一緒だから別の意味で安心、安全でもある。
この申し出はアドニスに対する礼も密かに含まれている。
兄さんが足を上げたのは姐さんの為だ。
自分達はオマケにさえなっていないかも知れない。
それでも庇ってくれた事には代わりが無い。
それに姐さんが喜ぶ事は兄さんも悪い気はしない、といいんだけど・・・。
お相手がいる場合は本人よりまず相手の許可を取らなければならない。
それも娼館の決まり事の一つだ。
とにかく兄さんの許可は絶対条件!
「わしは思いつかんの。お前さんは?」商人がさりげなく話を振る。
地図から視線を離さないアドニスは無言だ。
祈る思いでオネエさん達はアドニスを見る。
重苦しい沈黙が幾重も重なり玄関を包む。
祈りの対象は何も言わず、地図から顔を上げない。
やっぱりダメなんだ・・・。オネエさん達が諦め立ち去ろうとした時、
「妹がみやげを欲しがった。」地図にある二つの山を見ながらアドニスは言った。
許可が下り、更に受け取らせる方法まで教えて貰ったオネエさん達の顔が明るくなる。
「ありがと!兄さん!!」「本当にありがとう!!」
「その手でいこう!」「妹さんがいるって言ってたもんね。」
「あの髪飾りがいいよ!」「ううん、あの髪の色なら大通りの店のがいい!」
「無理だ。」赤銅色の眼は山越えのルートを確認しながら一刀両断切って捨てた。
「髪飾りはダメなんだ・・・。服は?」
「それは無理だとわしでも解るぞい。」
「それならさ・・・。」一人がなにやら小声で呟いた。
「兄さん、どう?」必死の形相でアドニスを見る。
商人までもがつられて同じ表情になる。
「何とかなるだろ。」迂回する街道を指で歩きながら濡羽色の頭が言った。
「よっしゃー!」「どんなのが良いかな?」「そんなの、調べりゃすぐだよ!」
「すぐお店にいこうよ!」「他の意見も聞いてからにしないと、怒られるわぁ。」
飴色の地図の上を花びらが舞う。
きゃあきゃあ言いながら花たちは去っていった。