「この腐れた運命から俺を放つと言うんだな。」
解放の時、アドニスは聞いた。
「もちろんだ。」戦乙女は答える。
オーディンに対抗するなど、前代未聞だ。
だが、それをやろうとするヴァルキリー。
自分以外のエインフェリア達の顔ぶれをみるにつけ、
只者ではないとは思ったが。
ヴァルハラに於いても、規格外の存在だった。
傭兵として渡り歩き、色々な雇用主を見てきたが
ここまで毛色の変った雇用主は初めてだ。
まぁいい。俺の雇用期間は終わった。
「後は適当にやるんだな。」
解放の時を迎えながら、アドニスは呟いた。
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アドニスはヴィルノアの民家で過ごしている。
とはいっても、現実問題食べていかなくてはならない。
以前生きていた頃とは様子が随分違う。
戦乱の中であれば、傭兵として生きていけるが、今はそうはいかない。
用心棒、商人の護衛などをして生計を立てているのだ。
ゾルデまでの護衛を頼まれ、提示された金額も破格だった。
断る理由は無いか。
アドニスは剣を見た。
以前自分が携えていた重戦士の大剣とは違う、一般兵が持つ剣。
なまくらでも剣は剣だな。
コイツは正直だ。
己の力量に見合った答えしか出さない。
盗賊や不死者、異形のモノ達を倒しながら旅を続ける。
そうこうしている内にゾルデに到着した。
辺りは暗くなっている。人気も少ない。
ディパン崩壊の余波で貿易港としての利用価値が低くなった為だ。
それでも、商人達は新たな取引先を開拓して復興しようとしている。
したたかで、強靭な精神。
「有難う。助かったよ。」商人が謝礼を渡した。
ずしりとした重み。
「夜遅くなった分、割り増しした。ほんの気持ちだが受け取ってくれ。」
返事の代わりに左手を軽く上げてアドニスは商人と別れた。
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宿を探して街中を歩く。
一軒の民家で物音がした。
「?」
気にはなったが関係ないと思い、通り過ぎようとした。
「だ・・・」短い女の声。聞き覚えのある声だ。
続いて複数の物音。
民家の明かりは消えている。
アドニスは玄関の扉に手を掛けた。鍵が掛かっている。
剣を扉と柱の間に差し込み、一気に振り下ろす。
静かに扉を開き、獣のように暗い部屋に入る。
眼を細め辺りを窺う。
三人の人影の下で白い腕がもがいている。
昔、戦いが終わった後、よく見た光景。
赤錆色の髪が見えた。
無言でアドニスは人影の襟首を掴み、引き離す。
相手が殴り掛かって来た。
片手に剣を持ちながら拳をかわし、一撃でのす。
馬鹿か。誰を相手にしてると思っていやがる。
二人ほど殴りつけると、人影達は逃げ出した。
最後の一人が扉をくぐろうとする。
アドニスは剣を投げつける。
刃は水平に柱へ喰いついた。人影の首と紙一重の差しかない。
「ひぃぃぃ」顔半分を覆う布の下で呻き
雑魚は全員逃げ出した。
「誰?」警戒を解かずに女は問いかけた。
無言で扉に向かうと、アドニスは剣を抜いた。
鞘を拾うと扉を閉め、剣を閂の代わりにする。
女は何かを掴んだ様子だ。
取り敢えず灯りを点けようとアドニスはテーブルに向かった。
女は殺気を放つ。
この感覚。てめぇか。
やはり無言でテーブルの上の小さなランプに灯を点す。
辺りの様子が薄暗くアドニスの眼に映る。
斬鉄姫は箒を構えていた。
「俺だ。」
聞き覚えのある声。
「アドニス?」
ほの暗い中で見える姿は黒衣一色。
瞳は、赤銅色をしている。
かつて兜の下で不気味に光った、血を帯びた色。
セレスは驚いた。何故貴方が此処にいるの?
黒髪は後ろに撫で付けてある。
「貴方、髪まで黒かったの??」
アドニスの眉間に皺が寄る。
精悍な顔立ち。高い鼻梁。俗に言う強面。
だが緩やかな弧を描く眉は若干細めだ。
そのせいか、細面の印象を見る者に与える。
整っている、と言っていいだろう。
「おい、まず礼を言うのが筋じゃねぇのか。」
不機嫌そうにアドニスは言った。
「あ、そうね。ありがとう。・・・助かったわ。」
この様子なら未遂か。
セレスはほっとしたのか、構えを解いた。
その手が小刻みに震えている。
「不細工なナリだな。」
アドニスは箒を取り上げようとして手を伸ばす。
セレスは思わず身を固めた。先程までの恐怖がまだ残っているのだ。
着衣は乱れ、何本もの赤い爪痕が見える。
アドニスはため息をついた。
「湯に入って、その不細工なナリを何とかしろ。」
「・・・そうするわ。」セレスはゆっくり踵を返した。
奥の扉へ向かって歩いていく。
斬鉄姫ともあろう者が、なんてザマだ。
俺が闘ったのは、あんな無様な女じゃ無かった。
薬箱を探しながらアドニスは落胆していた。
しかも、何故か散らかった部屋を片付けている。
ため息が再び出た。
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一通り片づけを済ませ、薬箱をテーブルの上に置いて
アドニスは椅子に座った。
肘をつき、小さなランプの灯を見つめ、指で卓を叩く。
片付ける前の部屋は本が散乱していた。
歴史書だったな。過去に囚われているのか。
順応性が低すぎる。
元王族なら仕方ないか。
戦場と城しか知らない女。
奥の扉が開く。
湯から上がって寝間着の上にショールを掛けた斬鉄姫は、
ほくほく湯気を立てている。
少しは落ち着いた様子だ。
アドニスは自分の横の椅子を黙って指し示す。
セレスは椅子に座った。
「傷を見せろ。」薬箱を開けながらアドニスは言った。
「え??悪いから遠慮しておくわ。」
慌ててセレスは言った。
「殴るぞ、てめぇ。」声が殺気を帯びる。
「御免なさい。」ほくほくの斬鉄姫は観念したようだ。
素直に自分の非を詫びる所に育ちの良さが現れる。
美徳ではあるが、悪意を持つ者には隙を与える事になる
って解らねぇのか、てめぇは。
鎖骨から胸にかけて引っかき傷がある。
肩にも。抵抗した痕だ。
薬をつけながらアドニスは唸った。
「くだらねぇ輩に傷なんか貰ってんじゃねぇよ。」
「突然プロポーズしてきて、すぐ断ったのよ。
そしたら・・・。何が何だか、私もよく解らなくて。」
チッ、これだから、生粋の世間知らずは。
「背中。」
セレスは椅子に座り直った。
「終わりだ。」
「ありがとう。」
「湯冷めするから、もう寝ろ。俺は湯を貰う。」
「あの、アドニス。家は小さくて、客間が無いのだけど。」
「・・・ソファーで寝る。」
言うとアドニスは奥の扉へ向かった。
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湯から上がると、上着を椅子に掛け
髪を撫で付けながら辺りを見回す。
窓際のソファーに布団が畳んで置いてある。
夜は冷える。客間は無いと言った。
三度目のため息をアドニスは吐いた。
布団を抱えると、寝室の扉を蹴って開ける。
寝台から、セレスは跳ね起きた。
案の定、肌布団だけだ。
「寒いから、こっちで寝る。」
有無を言わさず布団を寝台に置いた。
質素な寝台。戦場に慣れているとはいえ、生活環境が随分違う。
解放からの人生は容易いものでは無いだろう。
扉を閉めて寝台に上がる。
「それなら、私がソファーに」
「ちょろちょろするな。俺は寒いんだ。」
慌てて寝台から降りようとするセレスを捕まえると
アドニスは布団を掛けた。
片方の手で肘枕をつく。
「こっちを向け。」
赤錆色の頭と背中は動かない。
「ちっとは気を付けろ。」
セレスの肩と二人の間の空気が震えた。
「不細工だな、おい。」
「私は、元々不細工だわ。」
王族として、姫としての生き方をしなかった。
愛する夫の子供を産むことが出来なった。
そして、ラッセンの奇襲で生き残ってしまった。
「泣ける時に泣いとけ。」
戦士は食べれる時に食べ、眠れる時に眠る。
次にその時が来る保障は無いからだ。
「あの人と・・・同じ事・・・言うの・・ね。」
あの人?ラッセンの領主か。
「男の目の前で、他の男の話をするのは失礼だろうが。」
そして沈黙。
「失礼・・・しまし・・た。」
泣き笑いしながらセレスは答えた。
月は紫黒の中天から降りはじめる。
女は静かな寝息を立て始めた。
アドニスは、布団の中にもう一方の腕を滑り込ませると
セレスの腰に廻し、冷えた寝間着に擦り寄る。
—子供だ—
戦士は眠れる時に、眠る。
アドニスは瞼を閉じた。