早朝よりも早い時、空と街を本紫が包んでいた。
二人は荷を持ち娼館の玄関に向う。
この街での商いが終わり、商人が次の目的地へ向うためだ。
長い滞在でセレス身体も完璧とまではいかないが、本来に近いものになっていた。
荷や身の回りの品に手を入れることが出来た。
そして斬鉄姫は新たな剣を手に入れた。休息は終わりを告げようとしている。
商人とアドニスが打ち合わせをする横で椅子に腰掛け、
髪を結おうとセレスが手を持ち上げた時、女将やオネエさん達がやって来た。
「こんなに早く、何かあったの?」
「今から出るんでしょ。見送りたいってウチの子達がねぇ。」
苦笑する女将の言葉を合図に、一人のオネエさんがセレスの前に立った。
男達は一瞬の沈黙の後、会話を続けた。
「姐さんは花の誇りを守ってくれた。感謝の意味で贈り物がしたいんだ。」
セレスは慌てて立ち上がり勢いよく両手を振った。
「そんな気遣いはしなくていいのよ。逆に騒ぎを大きくしてしまったし。」
「でも贈りたいんだ。ダメかな?」しゅんとした様子のオネエさん達。
「駄目よ。自分の為に時間もお金も費やすべきよ。」
口火を切ったオネエさんは俯いた。
姐さんはわきまえてる。同性で此処までの人はそうそういやしない。
でも、だから、受け取ってもらいたいんだ。
—将を射んと欲すれば先ず馬を射よ—
「妹さんと二人分用意したんだよ・・・」
俯いたオネエさんは泣きそうな声で呟いた。
「そ、そうなの??」戸惑う様子のセレス。
俯いたオネエさんは床を見たまま舌をだす。
「そうなの。妹さんも喜ぶよ!」「二人で仲良く手にする顔が見えるね、アタシには。」
「そうそう、じっくり選んだんだ。妹さん絶対気に入る。」
ここぞとばかりに畳み掛けるオネエさん達。セレスは小さくため息を吐いた。
アドニスは折れたなと思った。
「じゃあ、お言葉に甘えて受け取るわ。」苦笑と共にセレスは言った。
「うん!ありがとう!!」少女の様にオネエさん達も笑った。
商人は小さく安堵した。オネエさん達の厚意を受け取って欲しいのは無論だが、
商いをする者として、いい繋がりを作っておく事も大切なのだ。
あの娘が二つの小さな瓶をセレスの前に差し出す。
硝子には細かな絵が描かれていた。一つは葉でもう一つは花。
「香りね。綺麗な瓶。」覗き込みながらセレスは言った。
「あのね、葉が姐さんで、花が妹さんなの。」娘が笑いながら説明する。
「あの子も喜ぶわね。花の香りが大好きだから。」
私とは逆なのよ、とセレスは小さく笑った。
「姐さん、そのままでいいから香りを確認してよ。」「そっか、仕事前だもんね。」
セレスは娘が持つ葉の描かれた瓶の蓋を開けた。
柑橘系の香りがゆらゆらと辺りを漂う。
「いい香り。とても気に入ったわ。本当にありがとう。」
娘にもったいないから閉じるわね、と言ってそっと蓋を閉じた。
「絶対気に入ると思ったんだー。」「ほら、こっちでよかったじゃないのさ。」
「アタシはまだそうは思ってないけどね。」「今度来た時そっちにすりゃいいじゃない。」
笑いさざめく花たち。その笑いは玄関の扉を叩く音で止んだ。
「お持ちしました。」開く扉の音がした。
そして武器屋は剣と共に静謐を運んでくる。
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親子が玄関中央に立ちセレスを待つ。
セレスはもう一度オネエさん達に礼を言い、娘から瓶を受け取った。
二つの瓶を大切そうに荷の上に置くと「わざわざすみません。」セレスが言った。
爺さんが返す。「収めさせてもらうだけでも光栄です。」
武器を扱う者にとって、最高の戦士に最高の剣を収めることは無上の喜びだ。
代価を受け取らずとも収めたい——
昔気質、職人気質の武器屋、鍛冶屋は今の時代は少ない。
アドニスも剣を打ってもらう為、ずいぶん探したものだ。
黒衣が三人の前に立つ。爺さんの両手にある本紫の包みを息子が開けた。
白銀の鞘、白銀の柄。「見事です。」見てセレスは言った。
その一言で数日間の苦労が報われる。こんな仕事は一生の内で何度も出来るものではない。
感謝するのは此方です。本紫から親子三人の言葉にならない言葉が聴こえる。
剣をベルトに装着しながらセレスは商人に声を掛けた。
「御主人、時間をいただきたい。」問うのではなく欲した。
セレスの視線を受け、商人は礼を執る。
「演舞を舞わせてもらう。」元王族の戦士は言った。
商人と女将が顔を引き締め、武器屋は大きく目を瞠る。娼館の花たちは口に手を当てた。
アドニスの口許は小さな笑みを刻んだ。
黒紅の斬鉄姫は白銀の剣を帯び、玄関を背に中央に立つ。
他の者は斬鉄姫の正面に集まり、立つ或いは椅子に座って静かに始まりを待った。
アドニスはセレスの正面で腕を組み、後ろの壁にもたれかかっている。
緑青が静かに光り斬鉄姫は剣を抜いた。
ゆっくり足を伸ばし、剣を頭上に持ち上げる。
斜めに素早く斬り抜き、持ち上げ、切り替えし、中段からゆっくり水平に払う。
演舞は演武の一つであり、舞の要素を取り入れている。
正統な剣技の者でないと美しく舞えない。
緩急があり直線と曲線の複雑な動きの組み合わせで構成された動き。
手首を返し地面と垂直に刃を返す。
だん、と踏み込む音が響く。踏み込んだ足を軸にもう一方が床に弧を描く。
空気を切り裂く音と足捌きの音が楽の音となる。
赤錆色、緑青、黒紅、白銀が空間を彩る。
「綺麗・・・」誰かが呟いた。
「一生に一度拝めるだけでも僥倖だ。」
親父が黙れという言葉の代わりに言った。
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指先で柄を繰り、肘を伸ばして天に向け剣を高く上げる。
一時の後、ゆっくりセレスは剣を収めた。
辺りを静寂が包み込み、斬鉄姫は鮮やかな色彩を纏い立っていた。
誰も何も言わない静かな玄関でアドニスは中央に向かい歩き出した。
色彩の余韻を、全ての色を呑み込んだ黒が引き裂く。
「冥土の土産が出来たな。」武器屋の横を通りながらアドニスが言った。
「まったくじゃわい。」爺さんが椅子から立ち上がる。
オネエさん達は別れの時間が来た事を悟り、静かに泣き出した。
女将も目元をそっと拭った。商人は焦茶の馬を引きに裏へと廻る。
アドニスはセレスに何事か言うと荷物の方へ向った。
黒い大剣を鞘ごと背中に担ぐアドニスを武器屋の三人が見る。
荷物を持つアドニスを横から見ながら親父が言った。「お前さん、重戦士か?」
返事の代わりにアドニスの横顔がにやりと笑った。
「打たせたのか?」爺さんが問う。
「納品に本紫を使う奴が訊く事か?」
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本紫。紫は王を表す。王族しか使用しない色である。
エインフェリアになる前のアドニス達が生きていた頃は禁色だった。
今の時代は禁色なのかどうかは黒刃と斬鉄姫は知らない。
一般人で本紫を手にする事が出来るのは王家御用達の店、職人のみだ。
それだけの腕は勿論の事、目利きでないと御用達にはなれない。
王族は商人、職人を試す意味でも最低限の事柄しか指定せず
後は任せるといった納品もしばしばあるからだ。
指定された品物を納品する際に本紫で包み、王家に収める。
そして本紫は例外としてこれぞと見込んだ者にのみ、敬意を表する意味で使用する。
これに関しては本紫を扱う店に一任され、王族も黙認していた。
王族以外に本紫で納品することは滅多に無いからだ。
納品に出向いて来たのも、本紫を使ったのもその表れだ。
アドニス以外にセレスが何者なのか知る者は無い。
武器屋がそれだけの価値を見出した相手がたまたま元王族だった。
「呆れるわよ、普通。貴方も貴方だけど・・・。」
打った刀鍛冶も刀鍛冶だとセレスはあの時言外に言っていた。
セレスは刀鍛冶にも呆れていたのだ。
よくぞこれだけの剣を打ったものだと。
アドニスの場合も刀鍛冶は納品に来るといって引かなかった。
他の街の刀鍛冶だが、ヴィルノアまで出向くと言い張った。
「仕事まで時間が無い。商人に預けろ。」
「本紫の名折れだ!わしに恥をかかす気か!!」
「お前の勝手な理由だ。俺は時間が無いと言った。」
折れろ、と言外に言われた刀鍛冶は
せめて今包ませろとアドニスの目の前で仕上げ前の刀身に本紫の布を掛けた。
武器屋は与えられた中で仕上げる。
柄はどれを選ぶか。握り具合、重さ。
何より刃と合わせるときは慎重にしなければならない。
抜く時と収める時に邪魔にならない最適な鞘はどれか。
戦士とはいえ女性だ。重さや幅はどうするか。
意匠はどれがいいか。一から彫金している時間は無い。
足りない部分があれば彫金師を頼み手を入れる。
彫金することで全体の重さや調和が崩れないか。
細かい指定を斬鉄姫はしなかった。
任せても大丈夫という意味だが、武器屋にとっては自分たちの腕を試されているのだ。
しかも納品先は数少ない綺麗な剣技を操る者。熱が入るのも無理はない。
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「それもそうだ。」爺さんは言った後、セレスに向かい歩き出した。
セレスは瓶を荷に仕舞おうとしている。
「お嬢さん。」「はい。」
もういちいち否定する事を諦めたセレスが返事をした。
「わしの代の本紫は役目を終えた。お嬢さんのおかげで最後にいい仕事が出来た。」
セレスは何も言わずに微笑んでいる。
「その瓶をこれで包んで下さい。」両手で紫の布を差し出した。
緑青が静かな光を湛える。爺さんから親父へと代が移るその時なのだ。
「二人の意思は?」セレスは親父と息子に問い掛ける。爺さんは本紫を見て笑った。
「先代の思う通りにして下さい。」当代となった親父が静かに答える。
「次代を担うものとして、お納め下さい。」将来を見据えた息子が力強く続ける。
「では受け取ります。」親子三人は礼をした。
セレスは本紫を爺さんから受け取った。
武器屋の三人とその心遣いに微笑むと二つの瓶を大切そうに本紫で包み、荷に仕舞った。
「兄さん、姐さん、又来てね!」「素通りしたら、恨むからー。」
「次はアタシの見立てた香りをつけてよ!」「アンタ、まだ言ってんの〜。」
「オッチャン、衣装、忘れないでよ!」「何色だったか覚えてる?」
花たちが泣き笑いしながら言葉をかける。
女将と武器屋は恭しく頭を垂れた。
轡を取るアドニスの背中は本紫に隠れている。
荷台の横で商人は「また来るからの。」と笑いながら手を振る。
殿のセレスは小さく会釈をした。結ってない髪が揺れる。
三人は娼館を去り、本紫の闇に消えていった。