千紫万紅   作:moon

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其の二十一 黒檀(こくたん

三人はヴィルノア郊外で別れた。

空は雲が覆い、月も星も見えない。嵐が近いのだ。

旅で携行した食糧を無駄にしない為と、二週間後にゾルデに出発する打ち合わせの為

最後の夕食はヴィルノア郊外に到着する前に三人で食べた。

報酬は全てアドニスが受け取った。この話を持ちかけたのはアドニスだ。

そしてセレスはアドニスに借金をしている。

 

小走りで街に向かっている途中で雨が降ってきた。

初めはぽつぽつと落ちていた雨粒が急に桶をひっくり返したように勢いよく降り出す。

黒衣の二人は荷物を持ち大急ぎで街へと向う。

「そっちの荷物寄越せ」駆けながらアドニスがセレスに言った。

「でも!」「うるせぇ、早くしろ!」有無を言わさず言葉を続ける。

「剣に外套掛けろ!」「ええ!」叫びながらセレスは外套を脱ぎ、アドニスの大剣に掛けた。

ヴィルノアは嵐で民家も店も雨戸を閉め灯りが僅かしか無い。

その灯りを吹き飛ばそうと風が猛烈な勢いで街を黒檀に染める。

雨音が二人の声と足音を飲み込んで夜の街にうるさく響いた。

 

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二人はアドニスの家に入る。留守にしていた家の家具には埃除けの布が被せてあった。

「オマエ火を起せ。」荷を置きながらアドニスがセレスに言った。

「わかったわ。」セレスは暖炉の上にある火起こしの小枝を取り出した。

特別な薬品が塗ってある部分を暖炉の石で勢いよく擦り、小枝に火を点す。

薪の上にある小さな小枝に落とし、暖炉に火を入れた。

火掻き棒を持ち、薪に火を移しているセレスの頭にタオルが落ちる。

「湯の用意が出来るまでそれで拭いとけ。」

「ありがとう。」片手で頭を拭きながらセレスは言った。

アドニスは埃を立てないように、注意深く布を取っている。

雨戸を閉め切った外からごうごうと風の音が響く。

 

薪に火が移り、その炎が部屋を照らした。天井が普通の民家より遥かに高い。

アドニスは長身だ。その上大剣を振り上げる。

その為にこの家を選んだのだろうとセレスは思った。

辺りを見回す。そういえば他人の家を訪問した事など無かった。

街に向う途中アドニスに借金を申し込み、宿の手配をすると言ったら怒られた。

「この馬鹿が!借金増やすな!」「でも、アドニス!!」

「ゾルデで世話になってる。そのくらいの恩は俺は返すぞ。」

「貴方、自分は恩人だって私に言ったじゃないの。」

セレスが息を上げながら言う。

風と雨雲が二人を急き立てる。

「そろそろ返してもらうか。」

アドニスの呟きを突風が彼方へ運び去った。

 

暖炉の前で髪を拭くセレスに奥から低い声がした。

「湯、先に入れ。剣の手入れはその後しろ。」

「あの・・・」着替えをどうしようと思った時、

「今日はこれを着てろ。手入れの道具は俺が出しておいてやる。」

アドニスが髪を片手で撫で付けながらセレスに街と同じ色のシャツを差し出した。

水滴が濡羽色と曲げた肘からぽたぽたと床に落ちる。

此処はアドニスの家だ。それを差し置いて自分が先に湯に入っていいのだろうか。

セレスはじっとアドニスを見る。そして小さなため息を吐いた。

セレスは黒檀のシャツを取り浴室へ向った。

「シャツまで黒とはお見事ね。」呟く声の後、扉を閉める音がした。

 

髪を拭きながらセレスは浴室から出てきた。

部屋には暖炉以外の灯りも入っている。

アドニスは頭を拭いたタオルを首に掛け剣の手入れをしている。

戦士の大切な儀式。邪魔をするつもりはないから、暖炉の前の敷物に座り髪を拭く。

背中の気配が立ち上がり、最後の確認に入るアドニス。

セレスも立ち上がり横からアドニスを見る。唇に手を当て、緑青が僅かに細まった。

ゆっくり持ち上げ、ゆっくり下ろす。それだけの動作に隙が無い。

あの時勝てたのは本当に偶然の産物だ。

解ってはいた事だが、この度の護衛の仕事で改めて思い知らされた。

 

アドニスは手入れの終わった大剣を鞘に収めた。

「オマエの道具は出しておいた。」セレスにソファーの上を顎で指す。

ソファーの前に敷物が敷いてあり、その上に道具が置いてあった。

セレスはソファー向かい出す。

女性としては長身の部類に入るセレス。シャツの丈は膝の上で切れていた。

髪が黒檀の上で静かに揺れる。

「ありがとう。」白い脚が暖炉の光を映していた。

 

ソファーの前に座り、剣の手入れを始めた。

かつて自分が纏っていた鎧と同じ色の剣。昔の自分が還って来た様だ。

刃に自分の髪が映る。血の色をした自分の髪。

捨てたかった。でもそれは出来なかった。

剣を捨てたら、私は生きていけない。

 

刃の確認をし、剣を静かに収めた時ソファーに人が座っているのに気付いた。

「頭拭いてくれ。」タオルがセレスの肩に掛かった。

「自分でしなさいよ。」

「ケッ、恩人に対する態度がそれか。」

小さくため息を吐くとセレスは立ち上がりソファーの横に剣を置いた。

そしてアドニスの前に立ち、濡羽色を拭き始めた。

 

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「やっと認める気になったか?」タオルの下から低い声がした。

「・・・ええ。」小さな呟きが二人の間に落ちた。

アドニスはセレスを抉る。

苛烈なアドニスは容赦ない。自分にも、他人にも。

「腐れた事しやがって。

斬鉄姫に斃された連中まで腐らすつもりだったのか。てめぇは。」

アドニスの首が見える。

かつて自分が刎ねた首を突き付ける。

腿の上で折り曲げていた肘をアドニスは持ち上げた。

黒刃を持つ手で斬鉄姫の腰を掴む。

「年と共にいずれは持てなくなる。それには反対しない。俺もそうなる。」

苛烈な言葉と手の力は腰を砕く。

「だがオマエのやり方は極端だ。女が一人で生活していればそれなりの危険もある。

他人に守ってもらう考えが無いんだから、自分の身ぐらいは自分で守れ。」

黙ったままセレスはアドニスの頭を拭く。

「環境の変化に自分が追い付かないなら、

小さくても僅かな時間でもいい、オマエのままでいられる場所を探す努力をしろ。

つまんねぇ本ばっかり読んでないで少しは動け。」

アドニスの頭を拭く手が震える。

「あの時、俺がいなかったらどうなってた?」

「死んでいた。」

「今は?」

「剣と共に生きている。」

「後悔は?」

「していない。」

「ならいい。二度と腐れた真似すんじゃねぇぞ。」

アドニスは右手をセレスの腰の後ろに廻しぽんぽんと叩く。

返事をするように緑青がら涙が落ちた。

 

アドニスはセレスの手首を掴むと立ち上がり、あとは自分ですると言った。

俯くセレスの顎を持ち上げ顔を自分に向けると、白い頬を二つの筋が伝った。

「不細工だな、おい。」タオルでごしごしとセレスの顔を拭きながらアドニスが言った。

「私は、元々不細工だわ。」泣き笑いのセレスが言った。

「オマエ、もう寝ろ。」タオルを顔から離して自分の頭に持っていく。

ソファーに座るアドニスに静かな声が降り注ぐ。

「アドニス。」

頭を垂れて髪を拭いているアドニスは返事をしない。

「何故、親切にしてくれるの?」

セレスにとって小さな疑問。アドニスにとっては大きな問い掛けだ。

「起きてたら教えてやる。」

セレスは黙って寝室へ向かった。

 

髪はほぼ乾いている。

暖炉の前で濡羽色の髪を撫で付けながらアドニスは小さく笑った。

「あの時、俺はてめぇに不覚を取った。覚悟は出来たか?」

黒檀の街は雨と風の喧騒を奏で、全ての音を飲み込んだ。

 

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寝室に入るとセレスが寝台に座っていた。

膝を伸ばし腰まで掛けた布団の上に両手を置いている。

雨戸を見ていた顔がアドニスを見た。

肌は黒檀のシャツと闇を映し灰白色に見える。

雪豹が自分を待っている。

スカビア渓谷で見たあの雪豹をアドニスは綺麗だと思った。

 

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