千紫万紅   作:moon

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其の二十二 赤銅色(しゃくどういろ)

セレスは前を見たまま動かない。

視線を横切りアドニスは布団に入り左手で肘枕を付いた。

もう一方の手で赤錆色の髪を弄ぶ。

 

「教えてもらうわよ。」凛とした声は前を見たままのセレスの口から出た。

「オマエはどう思うんだ?先に教えろよ。」

雨戸の先から雨と風の音がする。喧騒の中、この部屋は静寂が支配していた。

「もう一度勝負を申し込まれる。不覚を取り戻す為に。」

てめぇはよく解ってる。

「もう一つくらい思いつけ。」

アドニスはセレスの髪をついついと軽く引っ張った。

少しの間の後、セレスは前方を見たままひどく真面目に言った。

「タダ働きをさせられる。私、アドニスに借金してるから。」

アドニスの口が開き、次の瞬間咽で笑い出した。

 

「何が可笑しいの。」低い声でセレスは唸る。

アドニスは起き上がり、セレスの肩に顔を埋めた。笑いは止まらない。

左手で自分の体重を支え右手でセレスの腰を抱く。

いちいち普通の女と反応が違う。やっぱりオマエがいい。

「・・・何が可笑しいのよ。」殺気を帯びた声がする。

アドニスの閉じた瞼が眉と同じ緩やかな弧を描く。

白い首筋を唇と笑いを含んだ息が撫でた。

「オマエ、俺が口説いてたって気付いてねぇだろ。」

 

「・・・・・・・え?」

「だから口説いてたって言っただろうが。」

セレスは言葉の意味を理解するのに時間が掛かった。

暫くの後、一つの言葉がアドニスの背中に落ちた。

「・・・呆れた」前方を見たまま言葉通り呆然としている。

本気なのでもなく、遊びなのでもなく「呆れた」と言うセレス。

「気付けよ。」

嬉しそうにアドニスは言った。

「・・・いつからなの。」

「一年以上。」

アドニスの返事に今度は絶句するセレス。

アドニスはまだ笑っている。

風と雨の音は鳴り止まない。

搾り出すように斬鉄姫は言葉を吐いた。

「一生の不覚だわ・・・」

自分の首を刎ねた女。

その斬鉄姫の首に小さく尖った唇を優しく押し付けた後、

瞼をゆっくり開きながらアドニスは言った。

「落とすのに一年以上かかったぞ。」

嵐の夜、赤銅色が光る。

前方を見るセレスの両眼が大きく瞠られた。

 

----------

 

再会は偶然だった。

あの時、セレスの家の前を通らなければ一生会う事は無かっただろう。

二度目は本当に夜中に着いて、宿が閉まっていたからだ。

野宿するつもりで荷を開けていたら、合鍵が出てきた。

女の一人暮らしは危険だ。

珍しく親切心を起こし、錠前屋に恋愛中だと言ったら勝手に作ってれた合鍵。

荷袋に入れっぱなしにしていた鍵。その鍵が出てきた。

だからセレスの家に泊まった。

寝台は一つしかないから二人で寝る。一眠りしたら、出て行けばいい。

肌寒いから腰に手を廻した時、気付いた。

腹が前より硬くなっている。

 

鍛錬している。

確認する為に布団をそっとはぐって、セレスを起こさないように注意深く腕を触った。

腕は締まっていた。腿も硬い。前に会った時と違う身体。

自分の口が吊り上るのを感じた。

 

子供の様に柔らかい腹をした無様な女。子供だから優しく出来た。それだけだ。

宿に困っていなければ、合鍵が出てこなければ、会う気など微塵も無かった。

過去に囚われ、だが戦士である過去を捨てたがる、不器用な女。

その女が身を守るために鍛錬を始めた。

脅しても怯まない女。逆に威嚇してきやがった。

「持ちたくない。」

女の一言は戦士である自覚だ。

俺を怖がらないのも、戦士としてしか見ていないからだ。

差は火を見るよりも明らかだ。勝敗が確定している以上、恐れても仕方が無い。

一つの可能性が見えた。

 

俺はてめぇに不覚を取った。

負けは負けだ。

その俺に捨てたがってる剣を持たされ、

もう一度勝負を申し込まれたらどうする?

拒絶は屈服を意味する。

受ければ確実に負けだな。

 

警戒すると思ったらすんなり受け入れた。しかも必要以上に干渉しない。

その大雑把さが心地いいと思う自分に気付いた。

だから長期の護衛の話が来た時、引っ張り出そうと思った。

腕は確かだ。おまけにあの性格。オマエなら俺の相棒としてやっていける。

それだけの理由で俺は他の奴では無く斬鉄姫を選んだのか?

だからあの夜、自分を、オマエを試した。答えを出す為に。

 

剣を捨てて生きていける戦士はいる。

それはひとつの生き方だ。

オマエが捨てても生きていけるなら俺は構わない。

だが、オマエは剣を捨てて生きてはいけない。

斬鉄姫が簡単に生を放棄する。

斬鉄姫に勝負を挑んで斃れた連中はどうなる?

何の為の解放だ?

生きる為の解放だろうが。

そこまでして捨てたいのなら俺が違う剣の使い方を示せばいい。

セレスがセレスのままで生きていける様に。

斬鉄姫が斬鉄姫である事を受け入れられる様に。

俺は斬鉄姫が「欲しい」。斬鉄姫は「女」だ。

「女」ごと欲しい。

 

----------

 

斬鉄姫は自分で出した答えを受け止めた。

戦士は、自分の始末は自分でつける。

人を斬った後、一人で嘔吐し、咽に指を突っ込んで吐いた。

やっと認めた。剣を捨てたら生きていけない事を。

セレス、斬鉄姫を認めてやれ。

斬鉄姫はセレスの剣だ。

オマエは剣を捨てたら生きていけない。

斬鉄姫を必要とする者、斬鉄姫を理解する者がいる。

それさえ知ったらオマエは壊れない。俺が壊させない。

そう思った時、目の前で吐いている存在を初めて愛しいと思った。

その感情を抱いた自分にひどく驚いた。

屈服させたい、負かしたい、欲しい、愛しい。

否定は一切しない。どれも俺だ。

雪豹が嘔吐する。獲物の血に頭を染めて。

セレス、斬鉄姫はオマエの牙であり爪だ。

雪豹の様に必要な時だけ牙を剥き、爪を立てればいい。

それだけの事だろう?

 

俺はそのままのオマエが欲しい。

だから気付かせなかった。

戦場以外のオマエを初めて知った。意外性のカタマリにも程がある。

普通の女の様な反応をしない。そもそも女の部分が少なすぎる。

鷹揚かと思えば冷静に状況判断をする。

目を抉ろうとしたら止める。俺の事をちゃんと見ている。

なのに自分の事は見えていない。鈍すぎる。

いくら「大雑把」で「鈍い」とはいえ相手は肉食獣だ。

肉食獣の感覚は鋭利だ。小さな物音でも警戒する。

だから足音を忍ばせながら距離を縮める。

そして待つ。オマエが自分の周りを見回すのを。

結果的に一年以上かかった。そこまで俺を本気にさせやがった。

見逃してやるつもりは無い。

気付いた時は、もう遅い。

 

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セレスは寝台がぱっくり口を開け、落下する感覚に襲われた。

文字通り、「落ちた」。

 

アドニスは「口説いていた」と言った。

あの態度、言動。どこをどう考えても全然、全く「口説く」にならない。

気付けという方が無理だ。

・・・いや、一度警戒したことはある。

娼館で自分の髪を「綺麗」と言った時だ。

今思えば、初めての褒め言葉だった。

聞いた瞬間、「油断ならない」と思った。

自分が嫌いな髪が何を意味するのかアドニスと同じだっただけだ。

自分が嫌いな色をアドニスが綺麗と言っただけだ。

いつもと同じで何か違う。小さな警戒。

でも、その後コップに水を注がれていつもの「油断ならない」になった。

小さな警戒はいつも通りのアドニスの態度が飲み込んだ。

気付かせなかったのだ。

 

黒豹は一年以上も前から自分に覚られる事なく、じわじわと背後から忍び寄ってきた。

ここにきて初めて艶やかな濡羽色の毛に隠れている自分の斑紋を、誇示した。

黒豹の斑紋は触れる距離でないと見えない。

いつの間にかアドニスの家にいる自分。

此処はアドニスの領域だ。

そのアドニスは自分の喉元で笑っている。

 

くっくっくっ・・・

 

口を閉じているから咽で笑う。閉じた口の中には何が潜んでいる?

両手がのろのろと布団を掴む。

セレスは自分の肌が総毛立つのを感じた。

 

----------

 

「一生の不覚だわ・・・」俺の全てにお前は応えた。

 

アドニスはのそりと顔をあげた。

サイドテーブルの灯りは細くなり、ちろちろと瞬いた。

濡羽色の艶が瞬く。

アドニスの右手がゆっくりと腰から離れた。

鳥肌を立てている滑らかな灰白色の輪郭を指で確かめる。

自分を見つめる緑青は灯りが瞬く度に翠にも蒼にも見えた。

アドニスは赤錆色の髪をかき上げながらそっと囁いた。

 

「俺が怖いか?」

全てを受け入れる強さ。

戦士として俺に劣る事をちゃんと解っている。

俺が逃がすつもりがない事も知っている。

甘える事を知らない。

俺が擦り寄る。オマエは俺を受け入れる。その事が俺に甘えている事になる。

オマエは優しい。

娼館で俺の手が下衆の血で染まる事を拒んだ。掌の口付けでそれに気付いた。

だから欲しい。だから愛しい。そのままのオマエがいい。それ以外は要らない。

 

「怖い。」

黒刃のアドニスは自分自身にも他人にも容赦しない。

貴方は全てを容赦なく呑み込む。逃れる隙を与えなかった。

髪も服も全てを呑み込んだ色。黒い獣。

したたかでしなやかな美しい黒豹。

戦士としてのアドニスは怖くない。私は貴方より劣るから。

捕らえたら私が足掻く事をしないのを貴方は知っていた。

私は今、その事に気付いた。

だから目の前の男は、一人の男としてのアドニスは、怖い。

 

 

「上等だ、セレス。」

髪を解放した手は輪郭を滑り顎を持ち上げる。

セレスの顔を濡羽色がゆっくり覆った。

 

----------

 

寝室は闇に沈んでいる。

朝なのか昼なのか夜なのか。

沈んだ時の中を斑紋の背中が動きだす。

重なった手はそのままに、むくり、と上体を起す。

「・・・ここ・・・どこ・・?」

頭がはっきりしていない様子の声が風と雨の音の中で響いた。

外の嵐は収まっていない。サイドテーブルの灯りは遥か昔に失われた。

左手がアドニスの腕を掴んで体重を支え、緑青が辺りをゆっくり窺う。

「俺の家だ。」声する方へ頭が動いた。

斑紋を身に宿した雪豹が首を傾げる。

「今日中に収まるといいがな。」

風と雨の音の中での声を聞こうと雪豹は深く首をかしげる。

「寝とけ。」

セレスの手が乗った腕をずらし、重なった手を解きながら

アドニスは自分の喉元に赤錆色を落とした。

セレスはアドニスをぼんやり見つめ、

「黒い・・・ボサボサ・・・」

言いながらのろのろと左手でアドニスの濡羽色を撫で付けた。

「言ってくれるな、てめぇ。」

「・・・でも・・綺・・・麗・・」

手は濡羽色に落ちたまま、微笑みながら言葉と共に瞼を閉じた。

小さく、規則正しい息がアドニスの喉元に降り注ぐ。

「・・・可愛いじゃねえか。」

うっかり出た言葉は深く眠るセレスには届かない。

 

アドニスはセレスの頭を抱え込む。赤銅色の両眼は緩やかな弧の下に隠れている。

「この不覚もきっちり返させてもらうぜ。」

鼻先でセレスの額をなぞりながら宣告した。

黒豹はくわぁと欠伸を一つする。

二匹の豹は眠りの海へと沈んだ。

 

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