ゾルデを出発してから5ヶ月が経った。
今、そのゾルデに帰ってきた。
旅立ちの時と同じ薄群青の空の下を、黒紅の二人が歩く。
ゾルデはまだ眠っている。かつての賑わいを取り戻すのにはまだまだ時間が掛かりそうだ。
商人とは郊外で別れた。セレスが住んでいる街だと知って、一人で寄合い所に向った。
必要以上に詮索しないのが商人の身上でもあるのだ。
セレスが鍵を開け、家に入ると室内は綺麗に掃除されていた。
出発前、フィレスが合鍵を預かると言った後、
時々掃除に来るから埃除けはしなくていい、と笑った。
荷を床に置き、セレスは白銀の剣をソファーの横に静かに置いた。
アドニスは黒刃を白銀の横に立て掛けた。
二人はソファーに座る。
「5ヶ月・・・。長かったわね。」
「オマエが騒ぎを起こさなけりゃもっと短くて済んだのになぁ、セレス。」
ソファーの背もたれに伸ばした手で赤錆色を弄びながらアドニスは言った。
死ぬ思いで吐いた事、娼館で怒鳴った事を「騒ぎ」の一言で片付けられた。
「借金は作るわで大いに迷惑だったと言いたいんでしょ。」
濡羽色がセレスの肩に落ち、アドニスの手がセレスの腰を抱く。
「痩せたり太ったり、腹も大いに迷惑だ。」
「・・・アドニス、言っていい事と悪い事があるわよ。」
アドニスは片手で器用に帯剣用のベルトを外した。
セレスの肩に濡羽色をのせたまま、しばらくベルトを眺めた後、持ち主に返した。
「二つか。オマエ解ってたのか?」ああなる事を、と言外に問う。
黒紅の刺繍と同じ模様を刻んだ黒いベルトを見ながらセレスは言った。
「一つで足りると思ってた。」
「もう一つは?」アドニスは容赦なく問いかける。
「・・・・・・見栄。」きつく前方を睨みながらセレスは低く唸る。
一瞬の間の後、アドニスは唸った首に顔を埋めて笑い出した。
斬鉄姫が見栄を張る。タダ働きといい、オマエ今度は俺を笑い殺す気か。
「そんなに笑わなくてもいいじゃない!」セレスは声を荒げた。
くっくっくっ・・・。声と共に黒い肩が小さく上下する。
「笑いすぎだわ・・・」
止まらねぇんだよ。
赤銅色は緩やかに弧を描いた瞼の下に隠れている。
「アドニス・・・」殺気を感じてアドニスはとどめを刺した。
「やっぱり張ってたのかよ、斬鉄姫。」
----------
夕方には少し早い時間、フィレスが食材と共にやってきた。
昼間、家の前を通った時に窓が開いていたからねー、と笑った。
姉はソファーに座り、姉の腰を黒い刃が捕らえている。
それでもアタシの姉さんなのよ!
外野などお構いなしにフィレスは姉の前に立つ。
おまじないの合図。姉は妹に、妹は姉に手を伸ばす。
姉妹はお互いの鼻を人差し指でちょんちょんと撫でる。
「おかえりなさい。」
「ただいま。」
セレスはアドニスの頬に手を重ねた。離脱の合図だ。黒い刃が腰から離れる。
ソファーから立ち上がり、荷から本紫の包みを出した。
「おみやげよ。」微笑みながらセレスは言った。
「うわぁ。いいの?」姉の両手にある包みを解くと、葉と花が描かれた瓶が現れた。
「香りだ!当然アタシが花よね!!」
フィレスの嬉しそうな笑顔と声がセレスに向けられる。
「もちろんよ。」綺麗な笑顔がフィレスを包む。
「流石姉妹だ。」アドニスは呟いた。
旅の事、娼館での出来事を夕食を三人で摂りながら話す。
「で、本紫を受け取って代替りの立会いをしたの?」
「成り行きでそうなったのよ。私も吃驚した。」
「演舞!アタシ一度しか見て無いのよ!ずるいーー!」
外の世界の出来事を楽しそうに話す姉を見て妹は喜び、一抹の寂しさを感じる。
「あ、アドニスそこのカップ取ってよ。」
アドニスはテーブルの端にあるカップをフィレスに無言で差し出す。
「ありがとう。」フィレスの小さな言葉が空のカップに落ちた。
「器用だな。」アドニスは椅子から立ち上がると浴室へ向かった。
斬鉄姫セレスを落としたのが黒刃のアドニスとはね。
・・・でも、アンタで良かった。
空は紫黒に染まり、三日月が月白の光を下界に注いでいた。
----------
「いつ出るの?」寝台で寝間着が問う。
「二日後。明け方だからメシはいらねぇ。」
セレスの頭に顔を埋めたアドニスが答える。
「そう。助かるわ。」
「こっちを向け。」
「・・・前にもあった。」セレスは体勢を変えた。
緑青が赤銅色を見つめる。アドニスの手はセレスの右手に重なる。
斬鉄姫の掌を唇で撫でながらアドニスは訊いた。
「セレス、俺を愛してるのか?」
「え?」セレスの声がアドニスの顎に掛かる。
そして静かにアドニスを見上げる。
「アドニスを愛してはいけないの?」
アドニスは笑いながら両腕でセレスの頭を抱いた。
愛してるわでもなく、貴方の気持ちを知りたいでもなく。
「そう来るか。」
アドニスの可笑しそうな声がセレスに降り注ぐ。
「何が可笑しいの?」アドニスの喉元の唇が言葉と共に動く。
「可笑しいから笑ってんだろが。」くすぐったい。
「だから、何が可笑しいのよ。」
笑いながらアドニスは言った。
「オマエ、本気で借金してると思ってんだろ。」
セレスは跳ね起き、両手を突きアドニスを見下ろす。
あまりの勢いで跳ね起きた為、布団が大きくめくれた。
「違うの?」寝間着の布がアドニスの胸に触れる。
「違げぇよ。」布は上衣を着ていない肌を撫でる。
「出来高が付いたぜ。」
唖然としているセレスの顔を両手で挟む。
「オマケに鞘はどうしても収めさせてもらうと武器屋がゴネた。」
にやり、とアドニスは笑った。
「・・・アドニス。」突いた両手が枕をきつく握り締めた。
「怖いから睨むなよ。」肘を深く曲げる。
赤錆色がアドニスの顔を覆った。
俺だけ愛してたんじゃ不公平だろ。
斑紋を刻みながらアドニスは言った。
----------
金色の太陽が出番を待つ空の下
アドニスとセレスは寄り添い、玄関に立っている。
アドニスは赤錆色が覆う首筋に顔を埋める。
出発の合図だ。
セレスは返事の代わりに濡羽色を撫で付けた。
二人は今まで通り護衛の仕事をし、書庫の仕事をする。
だが、今まで知らなかった色を知った。
夜が明ける前の空が刻々と色を変える。
今とは違う色がめまぐるしく世界を染める。
そして空も大地も風も色を変える。
—千紫万紅—
世界は色で溢れている。
一人一人の人生にも溢れている。
----------
そして月日は流れる。
数ヶ月後の早朝、ゾルデの民家の玄関を勝手に合鍵で開けたアドニスは
剣を持ち散歩に出ようとするセレスと再会した。
「オマエ、教会の仕事休め。」
「・・・今度はどのくらいなの?」
千紫万紅 完