千紫万紅   作:moon

3 / 26
其の三  灰白色(はいかいしょく)

アドニスとの突然の再会から数ヵ月後。

明け方、セレスは目を覚ました。

あの再会から、朝早めに起きて散歩を始めたからだ。

戦乱とは違う身の危険がある、と言う事を思い知らされた。

王城と戦場に自分は守られてきた。

市井に一人で住むという事は、それなりの危険がある。

身を守る為には、以前の身体能力が必要だ。

 

身を起そうとする。腰が重い。

布団をめくってみると、腕がのっかっている。

背中も妙に暖かい。

え??

そろそろと後ろを見ると黒い頭が見えた。

「ア、 アドニス?!」何故貴方が又、此処に居るの??

後ろでアドニスは不機嫌そうに唸る。

「俺は・・・昨夜、遅かったん・・だ・・・静かにしねぇと・・ぶん殴る・・ぞ」

本当にぶん殴られそうだ。セレスはゆっくり元の体勢に戻る。

「・・・私、朝の散歩に行くわ。」

返事が無い。

腕が離れて、黒い頭は寝返りをうった。

「ありがとう。」

セレスは寝台から離れた。

箪笥から静かに衣類を出すと、寝室の扉をそっと閉じる。

 

早朝の空気を吸いながら、セレスは歩く。

冷たい空気。張り詰めた空気。

嫌いではない。

それに散歩は、何も考えなくてもいい。

景色を楽しみ、出会う人と挨拶を交わす。

砂浜が見えてきた。セレスは靴を脱いで両手に持った。

 

セレスは砂浜を裸足で走る。

重い砂と長いスカートは足捌きを取り戻すのに丁度いい。

打ち上げられた流木を避ける。

目に付いた貝殻を転ばないように膝を曲げて拾い上げる。

次に目に付いた物に貝殻を置く。避ける。

右手、左手。右足、左足。転ばない。

自分の日課をこなし終えた身体は、じんわり汗をかいている。

腰に巻いた布で汗を拭く。

砂浜から離れると、足に付いた砂を払い、

靴を履き家路へと向かった。

 

----------

 

鍛錬を始めた頃は出来なかった事が随分出来るようになった。

その事実に喜びを感じる自分がいる。

複雑な思いでセレスは玄関の鍵を開き、家の中に入った。

朝食の支度をして、椅子に掛けた替えの上着を持ち、奥の部屋へ入る。

上着を脱ぐと身体の汗を拭いた。

腕も締まってきた。確実に昔の身体に戻りつつある。

 

居間に入り、椅子に座りお茶を入れていると、寝室の扉が開いた。

「メシか?」

頭を掻きながらアドニスが起きてきた。

なんだか、馴染んでいる様な・・・。

「食べるの?」

「あぁ。」勝手にカップと皿を手にしてアドニスは椅子に座る。

自分の目の前でまたもや勝手にお茶を入れ、朝食を食べ始めた。

 

セレスは疑問を口にした。

「どうして家に?」

「こっちに着いたのが真夜中だ。宿は閉まってんだろ。」

「いえ、そうではなくて。鍵は掛かっていたはずよ。

何故、貴方が家にはいれるの?」

「俺は鍵を壊したな。で、ゾルデの錠前屋を手配したのは誰だ?」

「アドニスね。・・・貴方、まさか!」

にやり、とアドニスは笑った。

「遠距離恋愛中だと言ったら、勝手に合鍵を作ってくれた。」

いけしゃあしゃあと言うと、すました顔でお茶を飲む。

「!!」セレスは手をつき、椅子から立ち上がった。

「ゾルデに来た時は、此処に泊まる。」

「・・・勝手に決めないで欲しいわ。」

上目遣いでセレスを見ると、アドニスは凄んだ。

「てめぇ、恩人に向かって大層な口の利き方だな。あぁ?」

恫喝する声。油断ならない赤銅色の瞳。

容姿もそうだが、腕に至っては物騒どころの騒ぎではない。

危険極まりない。

そんな相手に微塵も怯まないセレスもセレスではあるが。

 

「思うところがあるから、鍛錬してるんだろ。」

アドニスを見下ろすセレスの瞳が剣呑に光る。

凄む、という点ではこちらも負けていない。

白い肌。色素の薄い緑青の瞳は光によって翠にも、蒼にも見える。

スカピア渓谷で初めて見た雪豹を、アドニスは思い出した。

頭上の岩場から相手の様子を窺う

斑紋を身に宿す、灰白色のしなやかな獣。

隙を見せた次の瞬間、雪上で人間は赤錆色に染まる。

錆びた鉄の色をした髪。鉄は血の味がする。

斬鉄姫、オマエは肉食獣だ。草食獣にはなれねぇよ。

 

「何故、解るの。」低い声でセレスは訊いた。

アドニスは油断ならない。

戦場でも、戦場以外でも。

「身体が締まってる。六、七割ってところか。」

セレスは椅子に座ると無言で朝食を食べ始めた。

 

「オマエ、仕事してんのか。」

「教会の書庫の整理をしているわ。」

「剣は?」

「・・・持ちたくないの。」

肘を付き、お茶を飲みながらアドニスはセレスを見ていた。

綺麗な作法。市井に埋もれていても、見る目を持つ人間が見たら育ちが判る。

そして人目を引く容姿。

「護身用でも、持ちたくねぇか?」

セレスは口許にカップを持っていく。

答える事を拒否した。

 

----------

 

目の前の女は立ち上がり、皿に手を伸ばす。

「置いとけ。後は俺がやる。」

アドニスは言いながらカップをセレスに向かって差し出す。

お代わりをセレスは注ぐと、ソファーに向かった。

 

ソファーの上で本を袋に詰めだす。

手が止まり、ソファーの端を見た。

アドニスの荷物と剣。重戦士が持つ大剣ではない。

無言で視線を戻すとセレスは本を全部入れ、袋を抱えた。

「俺が怖いか?」

突然の質問にセレスは振り返る。赤錆色の髪が宙を舞った。

「何故、貴方を怖がらなければならないの?」

アドニスの両眼が僅かに細まる。

「お願いします。」

礼儀正しくセレスは言うと、ぱたんと玄関の扉を閉めた。

 

完全に剣を捨てる気だったんだろうが、

あの一件で身を守る必要がある、という事は理解したんだろう。

だから鍛錬を始めた。

身体が以前の感覚を取り戻す。

剣と共に生きた自分も戻ってくる。

「私はこの生き方しか、知らないから。」

斬鉄姫はそう言った。

 

空のカップをアドニスは指で弾いた。

テーブルの上を片付け、流しに向かう。

あの時、俺はてめぇに不覚を取った。

次はそっちの番だ。覚悟しとけ。

食器を流しに置きながら片方の口の端を吊り上げて笑う。

 

「腰を据えてかかるか。」

両手で濡羽色の髪を撫で付けながら

男は教会に出かけた相手に宣告した。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。