「姉さん、どういう事?仕事を休むって。」
教会の書庫で本棚に本を納めながらフィレスは姉に訊いた。
姉より先に解放された妹は、教会に間借りしていた。
教会に住む僧侶の賄いや尼僧の世話をしている。
書庫の整理は妹が持ちかけてきた仕事だ。
休み以外は必ずと言っていいほど顔を会わすから、特別な行き来は無い。
「ちょっとした用があるの。しばらく留守にするから。」
紙片に書かれた本を出しながらセレスは答える。
フィレスは姉の様子を窺う。
「いつから?」
「まだ、はっきりとは判らないわね。」
「まぁ、いいけどね〜。それじゃ、教会の仕事はアタシが代わりにしといたげる。」
「助かるわ。」姉は笑った。
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昨日の夜、アドニスはやって来た。
大き目の黒い荷物と共に。
「逃げるなよ。」
アドニスは言葉の代わりに荷物を置いた。
「湯、貰うぞ。」
一言セレスに向かって言うと、さっさと浴室の扉へ消えていった。
セレスは暫くの間、荷物から視線を外せずにいた。
ゆっくりとソファーの横に隠れるように立てかけてある剣を見る。
アドニスが置いていった剣。
「剣を持たずに後悔するより、剣を手にして後悔したほうが、ずっといい。」
気配を感じでセレスは奥を見た。
アドニスは頭を拭きながら扉を閉めている。
セレスは感覚が鋭利になっていた。雪豹が小さな物音で耳を動かすように。
アドニスの口許がタオルの下で小さく歪んだ。
ソファーに座ると「頭、拭いてくれ。」
タオルをセレスに渡し、頭を垂れる。
「自分でしなさいよ。」
「嫌だね。」
小さなため息を吐くとセレスは濡羽色の頭を拭き始めた。
「あれは、明日開ける。オマエ、早目に帰ってこい。」
「いつ、出るの?」護衛の仕事に、と言外に訊く。
「それも明日だ。」
「貴方、荷物も黒いのね。」
「ほっとけ。」
タオルの下で可笑しそうな声がした。
「もう、いいでしょう?」
セレスがタオルを離した瞬間、アドニスはセレスの両手首を掴んだ。
ゆっくりソファーから立ち上がり、掌を返す。
タオルが二人の足元に落ちた。
「マメ、潰したな。」
セレスは自分の掌に視線を落とす。
真皮が剥き出しになり、潰した部分は臙脂色になっていた。
「後は、固めるだけだから。」
「身体は?」
「貴方程じゃないけど、ある程度は作った。」
アドニスを見てセレスは言う。
何も着ていない鋼のような上半身に水滴が付着していた。
「上等だ。」
タオルを拾い、椅子に掛けながらセレスはアドニスに言葉を投げる。
「アドニス、頭がボサボサね。寝癖が付くわよ。」
「・・・ほっとけ。」
セレスの後姿が寝室の扉に消えた。
アドニスは濡羽色の髪を撫で付けながらソファーに座った。
いちいち普通の女と反応が違う。
しかも戦士としてしかアドニスを見ていない。
だが、それこそ、アドニスが求めていた斬鉄姫だ。
普通の女は、何処にでもいる。
アドニスは、普通の女など欲していない。
アドニスも寝室へ入った。
セレスはもう寝息を立てている。
野性のしなやかさで寝台に上がると
腰を抱き、背中に擦り寄る。
二つの規則正しい寝息が闇に吸い込まれた。
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「ちょっと用があるから、今日は早目に帰るわ。」
本を抱えフィレスに言うとセレスは扉に向かった。
「はーい。」妹の明るい返事が姉に返る。
フィレスの勘は冴え渡る。
何か、あるわね。
閉まった書庫の扉を見ながらフィレスの目はキラリと光った。
解放以降、出不精だった姉さんが家を空けるなんて、一大事だわ!
気になる!すごく気になるのよ!!姉さん!!!
うきうきするフィレスが書庫にいた。