いつもより早い夕刻、セレスが家に帰るとアドニスは荷物を解いていた。
ソファーの前で胡坐をかき、荷を広げている。
覗き込むと旅支度が一通り揃っていた。
「後払いだ、忘れるな。」濡羽色の頭が言う。
「解ってるわよ。」セレスの返事にアドニスは顔を上げた。
ソファーに身をよじり「ちょっと、これ着てみろ。」
黒紅の衣類をセレスに向かって差し出す。
「貴方と同じ色なんだけど。」
「目印に丁度いいだろうが。」
「・・・確かにそうね。」
衣類を手にしたセレスは目を瞠った。
「これ、かなり良い物じゃないの?」
生地は厚めだが、重さを感じさせない。織りも詰まっている。
既製品ではない筈だ。
その証拠に左の胸に同色で細かい刺繍が施してある。
裏を見ると薄くなめした革を刺繍が縫い付けていた。
装飾と実用性を兼ね、申し分ない出来。
「良い物を長く使った方が経済的だ。」
下を向き、荷を確認しながらアドニスは続ける。
「動きを確認しなくちゃなんねぇだろ。早く着て、こっちに来い。」
「それもそうだわ。」セレスは寝室に向かった。
寝室で簡素な普段着を脱ぎ、黒紅の上衣に袖を通す。
両方の袖と肘の部分にも刺繍がある。
王族として、高価な物は当然の様に身に着けていた。
今の自分は王族ではない。身分相応では無いものを着て、いいのだろうか。
複雑な心境で下衣を穿いた。
臀部と腹周りの部分、それに膝に刺繍がある。
腰紐を結んでいたら「まだか?」
扉の向こうから声がする。
「今、行く。」セレスは寝室の扉を閉めた。
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現れた斬鉄姫。アドニスは口許で小さく笑う。
「寸法、どうだ?」
アドニスは長靴を持ちながらテーブルの横に立つセレスに近づいた。
「ちょうどいい。・・・何故、私の寸法が分かるの?」
黒い長靴を床に置き、服の下のセレスの髪を解放しながらアドニスは言う。
「んなもん、見りゃ分かる。」
呆れ顔のセレスの髪がふわり、と肩で舞った。
「長靴を履いたら、こっちに来い。」
アドニスはソファーの前で胡坐をかいた。
セレスは椅子に腰掛け、長靴を履き始めた。
二人が立てる物音だけが居間を流れる。
一通りの身支度を終え、セレスはアドニスの前に立つ。
「一応、着たけど。」
アドニスはセレスを見上げた。
黒紅を身を覆い、赤錆色の髪が肩に落ちている。
二つの色は鮮やかにセレスを彩る。
自ら装う、というセレスをアドニスは見た事が無かった。
そういう考えが無いのだろう。
身だしなみはきちんとしている。だがそこから先が無い。
要するに「女らしい」部分が薄いのだ。
普段着も、とてもセンスが有るとは言えない。
中年の婦人の地味な着衣。それの寸を詰めて着ている。
アドニスはそれでいいと思っている。
だが、旅の間くらいは俺の目を楽しませろ。
「馴染んでるぞ。」褒め言葉に聞こえない褒め言葉を口にした。
「貴方、仕立屋で採寸の仕事をした方がいいんじゃないの?」
アドニスは答えず、帯剣用のベルトを取り出した。
「剣はどうする?」
黒いベルトをセレスの腰に廻しながら訊いた。
「なまくらを使うわ。」
「あれでいいのか?」
「材質はともかく、貴方の手入れが良かったし。手にも慣れてるから、あれがいい。」
きゅっ、とベルトをアドニスは締めた。
「動いてみろ。」
セレスはソファーの横の剣を取り、黒いベルトに装着した。
以前の白銀の鎧ではない。場所は戦場でもない。
だが、斬鉄姫がいた。斬鉄姫は居間の中央に立つ。
電光石火の速さで剣を抜いた。
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剣を構え、型をとる。二つの色が居間に舞う。
狭い場所で、狭い場所なりに動く。
上段、下段、かさがけ、突き。自分とは違う、綺麗な正統の剣技。
アドニスは斬鉄姫を眺めていた。ブランクが確かにある。
俺なら確実に殺れるぜ、斬鉄姫。
立ち上がり、荷物の中から銅貨を取り出すとぴん、と斬鉄姫に向けて弾いた。
素早い反応で赤銅色を真っ二つに斬る。
アドニスの真正面で剣を構える黒衣の斬鉄姫。
細めた緑青の両眼が、冷たく光っている。
ゾクゾクするな、オマエ。
「服はどうだ?」問われてセレスは静かに剣を収めた。
ベルトからそっと外し、ソファーの横に立て掛ける。
「申し分ないわね。動きやすいし。・・・採寸師の方が向いているわよ。」
「向かねぇな。」面倒くさそうな返事。
「ベルトはどうだ?オマエ、腹出てたぞ。」
「・・・言っていい事と悪い事があるわよ。」
流石のオマエも、これに関しては「女」だな。
「もう二つ程、ベルト穴が欲しい。」
「見栄を張るな。」小馬鹿にした口調と顔でアドニスが言う。
「張ってないわよ!」声を荒げるセレス。
「じゃあ、空けとく。使う機会があるとは思えんが。」
咽の奥で笑いながらアドニスはベルトに手を掛ける。
その瞬間、
「姉さーん、今日晩御飯一緒に食べよー!」
勢いよく玄関の扉が開き、食材を抱えたフィレスが入ってきた。
「あら、フィレス。いらっしゃい。」
普通の返事。だが、姉の状況は普通ではなかった。
黒衣の男が居る。その男は姉の腰に手を廻している。
誰?てゆうか、この、いい雰囲気は、一体、何なの??
一瞬の驚きが去った後、フィレスは様子を観察する。
強面だけど、いい男だわ。姉さんいつの間にちゃっかり男を見つけたの?
床の荷物は何?帯刀用のベルトね。剣を持つ気になったんだ。姉さん、綺麗。似合ってる。
頭の中を色々な思いが忙しく駆け巡る。
「妹か。」聞き覚えのある声がした。
「ア、 アドニス?!!」
嘘でしょーーーー!!!心の中で叫ぶ妹。
「そうなの。吃驚したでしょ。」
相変わらずの鷹揚さで姉は言う。
「流石、姉妹だな。反応がおんなじだ。」
何事も無かったかの様にベルトを解くアドニス。
「姉さん、付き合ってるの?」つかさず探りを入れるフィレス。
「何故そうなるのか、解らないわよ。」セレスが言う。
「だ、そうだ。」ベルトを荷に納めながらアドニスが続ける。
何なの、この二人。いい雰囲気を醸し出しておきながら。
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フィレスの観察は止まらない。姉の格好は旅支度だ。
何はともあれ、アドニスは外の世界に姉を連れ出してくれる。
「色々訊くわよ、姉さん。夕食の支度はアタシがするね。」
順応性の高い妹は食材を抱えて台所へ向かう。
「仕事の話もその時する。」アドニスが言った。
「潰したマメを保護する手袋は、あるの?」
「用意した。嵌めてみろ。」
興味津々で聞き耳を立てていたフィレスが明るい声を出す。
「大目に材料用意して良かったー。姉さんの好きな果物もあるよー。」
フィレスの声を聞きながらセレスは微笑む。
「出来た妹なの。」嬉しそうな、少し自慢そうな声と表情。
そして、その表情が考え込む。
「後払いで、全部払えるかしら・・・。」
嵌めた手袋を眺めながらセレスが呟いた。
「報酬を見越して支度した。残りゃいい方だ。」
「ちょっと待ってよ。要はタダ働きしろって事?」
市井の言葉が板に付いていらっしゃるぜ、斬鉄姫。
「出来高が付くからな。期待してるぜ。」
やっぱり断るべきだったわ!いえ、今からでも遅くないかも
と、セレスが口を開いた瞬間
「姉さーん、大皿どこー??」フィレスの声が台所から響く。
じゃれ合うのも結構だけど、アタシはお腹が空いたのよ。
ゴメンネ、姉さん。
見事なまでの連携にセレスは言葉を失った。