千紫万紅   作:moon

7 / 26
其の七  黒紅(くろべに)

いつもより早い夕刻、セレスが家に帰るとアドニスは荷物を解いていた。

ソファーの前で胡坐をかき、荷を広げている。

覗き込むと旅支度が一通り揃っていた。

「後払いだ、忘れるな。」濡羽色の頭が言う。

「解ってるわよ。」セレスの返事にアドニスは顔を上げた。

ソファーに身をよじり「ちょっと、これ着てみろ。」

黒紅の衣類をセレスに向かって差し出す。

「貴方と同じ色なんだけど。」

「目印に丁度いいだろうが。」

「・・・確かにそうね。」

 

衣類を手にしたセレスは目を瞠った。

「これ、かなり良い物じゃないの?」

生地は厚めだが、重さを感じさせない。織りも詰まっている。

既製品ではない筈だ。

その証拠に左の胸に同色で細かい刺繍が施してある。

裏を見ると薄くなめした革を刺繍が縫い付けていた。

装飾と実用性を兼ね、申し分ない出来。

「良い物を長く使った方が経済的だ。」

下を向き、荷を確認しながらアドニスは続ける。

「動きを確認しなくちゃなんねぇだろ。早く着て、こっちに来い。」

「それもそうだわ。」セレスは寝室に向かった。

 

寝室で簡素な普段着を脱ぎ、黒紅の上衣に袖を通す。

両方の袖と肘の部分にも刺繍がある。

王族として、高価な物は当然の様に身に着けていた。

今の自分は王族ではない。身分相応では無いものを着て、いいのだろうか。

複雑な心境で下衣を穿いた。

臀部と腹周りの部分、それに膝に刺繍がある。

腰紐を結んでいたら「まだか?」

扉の向こうから声がする。

「今、行く。」セレスは寝室の扉を閉めた。

 

----------

 

現れた斬鉄姫。アドニスは口許で小さく笑う。

「寸法、どうだ?」

アドニスは長靴を持ちながらテーブルの横に立つセレスに近づいた。

「ちょうどいい。・・・何故、私の寸法が分かるの?」

黒い長靴を床に置き、服の下のセレスの髪を解放しながらアドニスは言う。

「んなもん、見りゃ分かる。」

呆れ顔のセレスの髪がふわり、と肩で舞った。

「長靴を履いたら、こっちに来い。」

 

アドニスはソファーの前で胡坐をかいた。

セレスは椅子に腰掛け、長靴を履き始めた。

二人が立てる物音だけが居間を流れる。

 

一通りの身支度を終え、セレスはアドニスの前に立つ。

「一応、着たけど。」

アドニスはセレスを見上げた。

黒紅を身を覆い、赤錆色の髪が肩に落ちている。

二つの色は鮮やかにセレスを彩る。

自ら装う、というセレスをアドニスは見た事が無かった。

そういう考えが無いのだろう。

身だしなみはきちんとしている。だがそこから先が無い。

要するに「女らしい」部分が薄いのだ。

普段着も、とてもセンスが有るとは言えない。

中年の婦人の地味な着衣。それの寸を詰めて着ている。

アドニスはそれでいいと思っている。

だが、旅の間くらいは俺の目を楽しませろ。

 

「馴染んでるぞ。」褒め言葉に聞こえない褒め言葉を口にした。

「貴方、仕立屋で採寸の仕事をした方がいいんじゃないの?」

アドニスは答えず、帯剣用のベルトを取り出した。

「剣はどうする?」

黒いベルトをセレスの腰に廻しながら訊いた。

「なまくらを使うわ。」

「あれでいいのか?」

「材質はともかく、貴方の手入れが良かったし。手にも慣れてるから、あれがいい。」

きゅっ、とベルトをアドニスは締めた。

「動いてみろ。」

セレスはソファーの横の剣を取り、黒いベルトに装着した。

以前の白銀の鎧ではない。場所は戦場でもない。

だが、斬鉄姫がいた。斬鉄姫は居間の中央に立つ。

電光石火の速さで剣を抜いた。

 

----------

 

剣を構え、型をとる。二つの色が居間に舞う。

狭い場所で、狭い場所なりに動く。

上段、下段、かさがけ、突き。自分とは違う、綺麗な正統の剣技。

アドニスは斬鉄姫を眺めていた。ブランクが確かにある。

俺なら確実に殺れるぜ、斬鉄姫。

立ち上がり、荷物の中から銅貨を取り出すとぴん、と斬鉄姫に向けて弾いた。

素早い反応で赤銅色を真っ二つに斬る。

アドニスの真正面で剣を構える黒衣の斬鉄姫。

細めた緑青の両眼が、冷たく光っている。

ゾクゾクするな、オマエ。

「服はどうだ?」問われてセレスは静かに剣を収めた。

ベルトからそっと外し、ソファーの横に立て掛ける。

 

「申し分ないわね。動きやすいし。・・・採寸師の方が向いているわよ。」

「向かねぇな。」面倒くさそうな返事。

「ベルトはどうだ?オマエ、腹出てたぞ。」

「・・・言っていい事と悪い事があるわよ。」

流石のオマエも、これに関しては「女」だな。

「もう二つ程、ベルト穴が欲しい。」

「見栄を張るな。」小馬鹿にした口調と顔でアドニスが言う。

「張ってないわよ!」声を荒げるセレス。

「じゃあ、空けとく。使う機会があるとは思えんが。」

咽の奥で笑いながらアドニスはベルトに手を掛ける。

その瞬間、

「姉さーん、今日晩御飯一緒に食べよー!」

 

勢いよく玄関の扉が開き、食材を抱えたフィレスが入ってきた。

「あら、フィレス。いらっしゃい。」

普通の返事。だが、姉の状況は普通ではなかった。

黒衣の男が居る。その男は姉の腰に手を廻している。

誰?てゆうか、この、いい雰囲気は、一体、何なの??

一瞬の驚きが去った後、フィレスは様子を観察する。

強面だけど、いい男だわ。姉さんいつの間にちゃっかり男を見つけたの?

床の荷物は何?帯刀用のベルトね。剣を持つ気になったんだ。姉さん、綺麗。似合ってる。

頭の中を色々な思いが忙しく駆け巡る。

 

「妹か。」聞き覚えのある声がした。

「ア、 アドニス?!!」

嘘でしょーーーー!!!心の中で叫ぶ妹。

「そうなの。吃驚したでしょ。」

相変わらずの鷹揚さで姉は言う。

「流石、姉妹だな。反応がおんなじだ。」

何事も無かったかの様にベルトを解くアドニス。

「姉さん、付き合ってるの?」つかさず探りを入れるフィレス。

「何故そうなるのか、解らないわよ。」セレスが言う。

「だ、そうだ。」ベルトを荷に納めながらアドニスが続ける。

何なの、この二人。いい雰囲気を醸し出しておきながら。

 

----------

 

フィレスの観察は止まらない。姉の格好は旅支度だ。

何はともあれ、アドニスは外の世界に姉を連れ出してくれる。

「色々訊くわよ、姉さん。夕食の支度はアタシがするね。」

順応性の高い妹は食材を抱えて台所へ向かう。

「仕事の話もその時する。」アドニスが言った。

「潰したマメを保護する手袋は、あるの?」

「用意した。嵌めてみろ。」

 

興味津々で聞き耳を立てていたフィレスが明るい声を出す。

「大目に材料用意して良かったー。姉さんの好きな果物もあるよー。」

フィレスの声を聞きながらセレスは微笑む。

「出来た妹なの。」嬉しそうな、少し自慢そうな声と表情。

そして、その表情が考え込む。

「後払いで、全部払えるかしら・・・。」

嵌めた手袋を眺めながらセレスが呟いた。

「報酬を見越して支度した。残りゃいい方だ。」

「ちょっと待ってよ。要はタダ働きしろって事?」

市井の言葉が板に付いていらっしゃるぜ、斬鉄姫。

「出来高が付くからな。期待してるぜ。」

やっぱり断るべきだったわ!いえ、今からでも遅くないかも

と、セレスが口を開いた瞬間

「姉さーん、大皿どこー??」フィレスの声が台所から響く。

じゃれ合うのも結構だけど、アタシはお腹が空いたのよ。

ゴメンネ、姉さん。

 

見事なまでの連携にセレスは言葉を失った。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。