千紫万紅   作:moon

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其の八  薄群青(うすぐんじょう)

出発の日、フィレスはセレスの家の前にいた。

まだ空は暗い。

大切な姉が、外の世界に旅立つ。

嬉しい気持ちと一抹の寂しさ。

 

「あら、来てくれたの?」

姉は居間で黒紅の服を持っていた。

「アドニスは?」

「奥で支度してるわ。」

妹は姉の前に立ち、王族の礼を執る。

「支度させていただきます。姉上。」

妹が何故、このような礼を執るのか姉は問わない。

「よろしくお願いします。」

妹に着衣を差し出し、姉は受けた。

 

衣擦れの音と共に時間が静かに流れる。

姉の身体は以前の様に締まっている。

戦に出るのではない。

だが、姉は戦士だ。

戦いに生きた。剣に生きた。

不器用な姉。黙って全てを引き受けた姉。

だから自分は自由に生きてこれた。

 

「射なさい!」

姉の言葉に矢を放った。

一瞬の躊躇が邪魔をし、殺せなかった。

二年間、姉は苦しんだ。

そして解放されてからも、姉は苦しんでいた。

「フィレスが居てくれて、助かるわ。」

お見通しの姉。

アタシがつらいの、ちゃんと知ってた。

 

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「器用じゃねぇからな。」

黒い刃は解っている。

黒い刃の様な剣の使い方を知らない、姉。

だから護衛の仕事を止めなかった。

剣。以前とは違う使い方がちゃんとあるのだ。

それを知れば、姉は生きていける。

外の世界を知って欲しかった。

今の時代に戦乱は無い。

解放されたのだ。荷を背負う必要は無い。

もう、自分の為に生きてもいいでしょう。姉さん。

 

一筋の涙が妹の頬に流れる。

姉はそっと妹の涙を拭った。

旅に出たら、姉は自分だけの姉ではなくなる。

黒い刃が姉を捕らえる。

姉が姉のままで受け入れる。

義兄以外に、そんな豪気な存在が居るとは到底思えなかった。

だが、居たのだ。

かつて姉に首を刎ねられた、黒刃のアドニス。

姉はまだ気付いていない。

鈍いにも程があるわよ、姉さん。

しかも厄介な相手に目を付けられたわね。

 

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「できました。姉上。」

「ありがとう。」

白銀ではなく黒衣の姉。

白い肌に緑青の瞳。凛とした美しさ。自慢の姉。

赤錆色の髪は横で一本の三つ編みにして、黒衣に隠した。

唯一、姉が出来る髪の結い方。

切ると言い張ったが、嘘泣きで止めさせた。

こうやって、結って服の中に入れれば、邪魔にならないでしょ?

 

「姉さん、おまじないしていい?」

姉を戦場に送り出す時、いつもしたおまじない。

姉は笑った。綺麗な笑顔。今は自分だけの笑顔。

「いいわよ。」

妹は姉の顔に手を伸ばす。

姉は妹の顔に手を伸ばす。

お互いの鼻を人差し指でちょんちょんと撫でる。

「ちゃんと帰ってきてね。」

「ちゃんと帰ってきます。」

戦乙女、感謝します。姉を解放してくれて。

やっと私達、今の人生を生きられます。

 

「なんだ、そりゃ。」

居間に入ってきたアドニスが馬鹿にした声を出す。

黒衣の男。姉と同じ仕立ての服を着ている。

意外にアンタ、伊達男だわよね。

しかも、ちゃっかり姉さんを自分好みに装わせてさ。

「アンタには関係ないわよ。」

「そうそう、関係ないわ。」

「流石、姉妹だな・・・。」

 

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「行くぞ。」アドニスが言った。

「行ってくるわね、フィレス。」

明け方前の出発。

黒衣の二人が荷物を持ち、明るくなり始めた空の下に立つ。

 

「おみやげ、よろしくね。姉さん。」

「え?」

「出来高払いに期待してるわよ♪」

「が、頑張ってみるわ。」

「そこの強面も」

強面の眼はフィレスを見る。

「しっかりおみやげ代、稼ぎなさいよ〜。」

 

「いってらっしゃーい!」

フィレスの明るい声が薄群青の空に響いた。

 




千紫万紅・前編 終
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