出発の日、フィレスはセレスの家の前にいた。
まだ空は暗い。
大切な姉が、外の世界に旅立つ。
嬉しい気持ちと一抹の寂しさ。
「あら、来てくれたの?」
姉は居間で黒紅の服を持っていた。
「アドニスは?」
「奥で支度してるわ。」
妹は姉の前に立ち、王族の礼を執る。
「支度させていただきます。姉上。」
妹が何故、このような礼を執るのか姉は問わない。
「よろしくお願いします。」
妹に着衣を差し出し、姉は受けた。
衣擦れの音と共に時間が静かに流れる。
姉の身体は以前の様に締まっている。
戦に出るのではない。
だが、姉は戦士だ。
戦いに生きた。剣に生きた。
不器用な姉。黙って全てを引き受けた姉。
だから自分は自由に生きてこれた。
「射なさい!」
姉の言葉に矢を放った。
一瞬の躊躇が邪魔をし、殺せなかった。
二年間、姉は苦しんだ。
そして解放されてからも、姉は苦しんでいた。
「フィレスが居てくれて、助かるわ。」
お見通しの姉。
アタシがつらいの、ちゃんと知ってた。
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「器用じゃねぇからな。」
黒い刃は解っている。
黒い刃の様な剣の使い方を知らない、姉。
だから護衛の仕事を止めなかった。
剣。以前とは違う使い方がちゃんとあるのだ。
それを知れば、姉は生きていける。
外の世界を知って欲しかった。
今の時代に戦乱は無い。
解放されたのだ。荷を背負う必要は無い。
もう、自分の為に生きてもいいでしょう。姉さん。
一筋の涙が妹の頬に流れる。
姉はそっと妹の涙を拭った。
旅に出たら、姉は自分だけの姉ではなくなる。
黒い刃が姉を捕らえる。
姉が姉のままで受け入れる。
義兄以外に、そんな豪気な存在が居るとは到底思えなかった。
だが、居たのだ。
かつて姉に首を刎ねられた、黒刃のアドニス。
姉はまだ気付いていない。
鈍いにも程があるわよ、姉さん。
しかも厄介な相手に目を付けられたわね。
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「できました。姉上。」
「ありがとう。」
白銀ではなく黒衣の姉。
白い肌に緑青の瞳。凛とした美しさ。自慢の姉。
赤錆色の髪は横で一本の三つ編みにして、黒衣に隠した。
唯一、姉が出来る髪の結い方。
切ると言い張ったが、嘘泣きで止めさせた。
こうやって、結って服の中に入れれば、邪魔にならないでしょ?
「姉さん、おまじないしていい?」
姉を戦場に送り出す時、いつもしたおまじない。
姉は笑った。綺麗な笑顔。今は自分だけの笑顔。
「いいわよ。」
妹は姉の顔に手を伸ばす。
姉は妹の顔に手を伸ばす。
お互いの鼻を人差し指でちょんちょんと撫でる。
「ちゃんと帰ってきてね。」
「ちゃんと帰ってきます。」
戦乙女、感謝します。姉を解放してくれて。
やっと私達、今の人生を生きられます。
「なんだ、そりゃ。」
居間に入ってきたアドニスが馬鹿にした声を出す。
黒衣の男。姉と同じ仕立ての服を着ている。
意外にアンタ、伊達男だわよね。
しかも、ちゃっかり姉さんを自分好みに装わせてさ。
「アンタには関係ないわよ。」
「そうそう、関係ないわ。」
「流石、姉妹だな・・・。」
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「行くぞ。」アドニスが言った。
「行ってくるわね、フィレス。」
明け方前の出発。
黒衣の二人が荷物を持ち、明るくなり始めた空の下に立つ。
「おみやげ、よろしくね。姉さん。」
「え?」
「出来高払いに期待してるわよ♪」
「が、頑張ってみるわ。」
「そこの強面も」
強面の眼はフィレスを見る。
「しっかりおみやげ代、稼ぎなさいよ〜。」
「いってらっしゃーい!」
フィレスの明るい声が薄群青の空に響いた。
千紫万紅・前編 終