其の九 焦茶(こげちゃ)
ゾルデの郊外で商人と落ち合う、という段取りになっている。
二人が約束の場所に着くと商人は既に待っていた。
「よろしく頼みますよ。」
小太りの、人の良さそうな中年の男性は言った。
「こちらこそ、お願いします。」
セレスは頭を下げた。アドニスは左手を上げると荷台に向かう。
ひひん、と焦茶の馬が嘶いた。
幌を持ち上げ、荷物の底から黒い大剣を引っ張り出す。
鞘は金属ではなく、なめした黒革を幾重も重ねたものだった。
アドニスは黒い刃を鞘から出すと、無言で背中に負った。
「鍛冶屋がぼやいとったぞ、お前さん。」
「うるさく注文したからな。」
やれやれ、といった表情で商人はセレスに向き直った。
「ところでお嬢さん。」
「あ、あの私、もうそんな歳では・・・」
「でも、独身と見た。だからお嬢さんだ。」
からからと笑う商人。「長旅になるから確認しておきたいんだが。」
「2〜3ヶ月という事で彼と契約してるんだが、多少長引いても構わんかね?」
「大丈夫です。」セレスは答える。
「細々とした打ち合わせは、彼と済ませてあるからの。改めて頼んだよ。」
「出るか?」
「そうするかね。」
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雲ひとつ無い晴れ渡った空の下、馬を引き道を行く。
刻々と変化する風景を生前は楽しむ余裕などあまり無かった。
緑青の双眸に映る色彩。世界は色で満ちている。
ゾルデから出なければ、知らなかったであろう色だ。
「お嬢さんは、旅は初めてかい?」商人が聞いてくる。
「初めてです。」嘘では無い。解放後は初めてだ。
「いい経験になるよ。まぁ、楽しいばかりじゃないがの。」
「そうですね。」多くの色は危険色も含まれる。
商人は必要以上に詮索しない。
それが身上でもあるのだ。
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初めての夜は野営だった。
焚き火を囲み、三人は食事を取り終えて会話を始めた。
「今日、俺が夜番をする。」
「夜番が要るかの?」
「した方がいいと思います。」
おや?といった表情をする商人。
「さっき、獣の死体があった。血の匂いに引き寄せられる可能性」
セレスは言葉を途中で切った。
アドニスは顎で商人に指図する。商人は火と荷の間にゆっくり移動する。
異形のモノが前方の離れた場所に現れた。
セレスは片膝を付き、剣の柄に手を添える。
アドニスはゆっくり立ち上がり、大剣を構えた。
ひとつ、ふたつ。気配は二つだ。
緊張が辺りの空気を支配する。
異形のモノと二人の距離が徐々に縮まる。相手は明かりを目指している。
二人は状況を見つつ、自分たちの間合いまで待つ。
離れた場所に繋いである馬が気付いて嘶く前に、一撃必殺で仕留める。
アドニスの赤銅色が右を見て合図をする。
—オマエは右を殺れ—
セレスはゆっくり緑青を瞑り、そして開く。
—承知—
生き残る為の戦い。
ぱちんと火がはぜ、それを合図に二人は動いた。
ラッセンの時の様に。
セレスは立ち上がると同時に右に走り出す。
異形のモノが自分に気付く前に、殺る。
電光石火で剣を抜くと、水平に刃を寝かせ胴を払う。
だが真っ二つにならなかった。
この扱い方では駄目だ。
剣に慣れる為にマメを作り、扱えるつもりでいた斬鉄姫に実戦は違う答えを突きつける。
セレスが眉を顰める。傷を負わされた異形のモノは怒り、咆哮を上げようとする。
仲間を呼び寄せさせると後が厄介だ。
これは雇用主が自分を試す試験でもある。
守ってもらえなければ用は無い。護衛とはそういうものだ。
瞬時に剣を構え直し、相手の喉元から斜め下に斬り払った。
深く、鋭く、鮮やかに。
アドニスは斬鉄姫を見ていた。
左の相手を瞬殺した後、セレスの様子を眺める。
使えなければ置いていく。
伊達や酔狂で引っ張り出した訳じゃねぇぜ。
戦士として認めているから相棒に選んだ。
応えろ。オマエはそれだけの価値がある女だ。
戦いを眺めるアドニスは冷静な戦士の目で状況判断をする。
なまくらであそこまで斬るか。しかもすぐ建て直して、力加減を変えてきやがる。
にやり、と口許が歪む。
怖ぇな、オマエは。
だが、もう一つ残っている。
それに必ず応えろ。
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離れた場所に居るセレスは戻ってこない。
商人は心配そうセレスを見る。
先程からセレスは立ち尽したまま動かないのだ。
アドニスは声を掛けようとする商人を手で制し、両手を腰に手を当てセレスに歩み寄る。
一箇所を凝視し荒々しく上下するセレスの肩に背後から顎を乗せた。
分断され、液体に浸った異形のモノにもう一対の視線が刺さる。
「ゾクゾクしただろ?」止まらない液体を見ながらアドニスは言った。
セレスの肩が一瞬止まった。それを合図に序々に呼吸が収まっていく。
「ここまで悪臭を放つと、今日は夜番は要らないわね。」
「殺られる前に、殺る。そう思ったか?」
苛烈な問いは続く。セレスが捨てたがっていたものを突きつける。
セレスは何も言わず見事な所作で剣を収めた。
物騒な答えだな斬鉄姫、と言わんばかりにアドニスが眉を吊り上げた。
「寝るわ。」肩をずらし、焚き火に戻ろうとした。
「オッサンが心配してるぜ。」
「御免なさい。ちゃんと御主人にも謝るわ。」
寄り添い、此方に向かってくる二人を見て商人は安堵した。
お前さんが心配無いと言ったが、その通りだったよ。
おまけに仲が良さそうだから、此方としてもやり易い。
的を射ているのか、外しているのか。
それは誰にも解らない。
焦茶の馬がぶるるん、と返事をした。