「俺と、付き合ってください!!」
「……」
ずっと好きだった子に告白した。緊張で手が汗まみれだ。沈黙が流れる。
ちゃんと告白できただろうか。そんなことを考えると、堰を切ったように様々な不安が込み上げてきた。
変なことを言わなかっただろうか? 声はうわずっていなかったか?もしかして、振られんじゃ……。結果がわかってしまうのが怖くて、下げた頭が上げられない。
何分か経って、頭上から声が聞こえてきた。
「わ……私なんかで良ければ」
そう言って恥ずかしそうに微笑みながら、差し出した手を握ってくれる彼女の姿を見ていると、嬉しさが込み上げてきた。
やっと俺にも春がきた。そう思った十九歳の秋だった。
そんなことがあってから六年、俺は大手の企業に就職し、立派なサラリーマンをやっていた。。
ほぼ毎日残業で、暇があれば飲み会。入社したての頃はなんのモチベーションもなかったのでうんざりしていたが、目標もできて、友人も増えた今では、そんな毎日が楽しくて仕方がない。
それに、家に帰ったら彼女がいる。
彼女の優里とは、俺が告白したあの日から、多少喧嘩はしたりもするが、良好な関係を保ち続けていて、今でもラブラブカップルだ。
鼻歌を歌いながら帰路につく。大学生の時に二人で借りた1LDKの一軒家の玄関の扉を開け、家の中に入る。
「ただいまー」
そう呼びかけると、リビングから優里が顔を出した。
右手に文庫本を持っている。どうやら、読書をしていたらしい。
「おかえり裕太、早かったね」
「うん。今日は珍しく早く仕事が終わったんだ」
「そ。ご飯、できてるけど、食べる? それとも、さきおふろにはいっちやう?」
「うーん、いいや。先飯食うよ」
「わかった。じゃあ準備しとくね」
そう言って、優里はリビングの方へ戻っていった。
俺も急いで着替えて食卓の方へ向かう。
机には、カレーが並んでいた。席につき、「いただきます」と言って、一口食べる。
「! すげーうまーよこのカレー!」
そう言ってガツガツ食べる俺を見て、優里は「ありがとう」と言って優しく微笑んだ。
俺は優里の見せる全ての表情を愛しているが、中でも特に、この微笑んだ顔が一番好きだ。この笑顔を見ていると、幸せになって、世界平和さえも実現してしまうんじゃないかと考えるほどだ。
「それね、ルーから自分で作ったんだ。スパイスとかいっぱい調合して」
「あー、だからこんなにコクが深くて美味いんだ……。あ、そういえば、明日地元の友達がうち来るって言ったんだけど、大丈夫?」
「別にいいけど……明日の、いつ頃? 私どっか行ってた方がいい?」
「昼ごろ。別にどこにも行かんくていいよ、彼女だって自慢してやるから」
「そ」
「うん。……ごちそうさま」
「ん、お粗末様」
その後、二人でイチャイチャしながら家事をして、連日の仕事の疲れを癒すために早い時間に床に就いた。
◇
翌日の昼ごろ、優里とリビングでまったりしていたら、チャイムが鳴った。
玄関に行き扉を開けると、そこには、高校からの友人の田中がいた。
「よう、元気か裕太? 前に話したときは、彼女に振られた~ってだいぶ落ち込んでたみたいだけど」
「元気だよ。振られたっていつの話だよ」
からかわれたのでそう言い返してやると、田中は「そうか」といって安心したような子をした。
「それにしても、いつの話だよ、振られたって。あれは勘違いだったし、ちゃんと付き合えたよ」
「え? そうなのか?」
大学生の頃、まだ優里と付き合っていなかったときに、なんでだか忘れたが、俺が優里に振られたと勘違いしてしまったことがある。きっとこいつはそのことを言っているんだろう。
「てか、その件は勘違いだったってちゃんと報告しただろ」
「あれ、そうだっけ?……まあいいか。上がらせてもらうぞ」
そう言って田中はずけずけと家の奥のほうに進んでいく。
人の家なのに図々しいなと思いつつも、俺も後に続き、
「あ」
部屋を掃除をし忘れたことに気づいたが、時すでに遅し、田中はリビングに足を踏み入れており、部屋の惨状を見てぽかんとしていた。
「お、お前んち……きたねえな」
「……」
田中のいう通りだった。床には、やりかけのゲーム機やカセット、漫画や小説が乱雑にとっ散らかっていた。
「それに、臭えし……」
「いや臭くはないだろ。ていうか、人の彼女がいる前でそういうこと言うなよ」
「え? 彼女? どこだよ?」
こいつ、目が腐ってるんだろうか。
俺はソファーの方を指さして、優里のことを紹介した。
「あれが俺の彼女、宮山優里さんだ」
「えっと……あの子が?」
「うん」
「あの、初めまして、田中さんんですよね。裕太から話は伺っております」
「……」
優里が立ち上がって挨拶をしたが、田中は何の反応もせず、黙っていた。
見とれてるんだろうか?
まあ優里は超絶美人だしな。その気持ちも分かる。
「そういえば田中、お前もう飯食った?」
「……」
「もしまだなら、カップ麺くらいだったら出せるけど……」
「……」
……。
田中は、俺がいくら話しかけても、まったく反応せずに、ただただ口を開けた呆けた表情で優里のほうを見ているばかりだった。どうしたんだ? 優里がかわいいのは分かるが、いくら何でも見すぎだ。
「おい田中、優里がかわいいのは分かるけどいくら何でも……」
「……」
「……おい、話聞いてるか?」
「え? ……あ、あぁ、ごめん……聞いてなかった」
「お前……大丈夫か? なんか変だぞ」
「あの、さっきから具合悪そうですけど、大丈夫ですか?」
優里が心配そうに尋ねる。
「あ、あぁ大丈夫だ。で、何の話だっけ?」
「ったく。飯食ったかって話だよ」
「いや、まだだ」
「そうか、じゃあカップ麺でよければ出すけど」
そう言うと、田中は周りを見回してから申し訳なさそうな顔をして、
「いや、俺はいいや」
と、答えたのだった。
その後、俺と優里の二人だけ昼食をとって、三人でゲームをした。もっとも、優里はゲームが下手なので、見ているだけだったけど。
ゲームをやっている間中、田中は不審そうに俺と優里を交互に見てはため息を吐くのを繰り返した。
◇
時刻が午後四時を回ったころ、田中が「コンビニ行こうぜ」と誘ってきた。
優里に留守番を任せ、田中と二人で家を出る。玄関から足を踏み出すと、全身を冷たい風が吹きつけてきた。西の空も赤らみ見始めていて、冬の訪れを実感する。
裸の街路樹が立ち並ぶ道を、二人で無言で歩いていると、突然、前を歩いていた田中が立ち止まった。
振り返って話しかけてくる。
「あのさ……」
「なんだよ?」
突然の行動に戸惑いながらも尋ねると、田中は言いにくいことなのか、何かを言おうとしては口をつぐみ魚みたいに口をパクパクさせてどもっていた。
何分かそうして、田中はやっと声を絞り出した。
「あの、なんていうか……さ……」
田中は、どもりながらも言葉を紡いでいく
「お前さ……頭……大丈夫か?」
「…………………………………は?」
何言ってんだ? こいつ。
「どういう意味だよ? 頭大丈夫かって」
むしろ、今日の様子を見ている限りこいつのほうがやばかった気がするんだが
「いや、だってお前さ……あれが本当に人間だと思ってんのか?」
「あれ?……あれってなんだよ?」
「いや……だからさ……あの、猫だよ」
「は? 猫?」
うちでは猫なんて飼っていない。だから、見えるも何もないはずだ。やっぱこいつ頭がおかしいんじゃないだろうか?
「お前こそ大丈夫かよ? 今日なんかずっと調子悪そうだったし……。 それに、猫がだれに見えてるってんだよ?うちには優里と俺しか住んでないんだぞ?」
そういってやると、田中は目を見開いて、その後、段々と目じりを落として行き、悲しそうな、諦めたような顔になった。そして、憐れみを帯びた目で俺を見ながら、口を開く。
「……だから、その優里さんだよ。良太、お前が優里さんに、彼女に見えてるものは猫なんだよ! いい加減目ぇ覚ませよ!」
その田中の言葉に、俺の頭に、ガツンと、鈍器で殴られたような衝撃が走る。
……嘘だ。こんなの嘘だ。出ないとおかしい。だって、もし今まで俺が見ていたものが妄想なら、今までの優里との生活は? 優里が作ってくれたあの飯は? 一緒に寝た時の、彼女に触れた時のあの温もりは?
そんなはずないと、自分に必死に言い聞かせる。しかし、頭の中では、俺が今まで見てきた光景が、俺の記憶が、優里との日常が、どんどん、音もなく崩れていき、正しい光景に作り替えられていく。
「嘘だ…嘘だ…」
俺が呟くと、田中が語りかけてきた。
「嘘じゃねえよ」
その言葉に俺はカッとなって言い返す。
「嘘だ! 嘘に決まっている! 大体、今日はお前の方が様子がおかしかっただろ! 幻覚を見てるのは俺じゃなくて、お前の方なんじゃないか? それに、まだ家を確かめてない!」
自分で言って、気付いた。
そうだ! そうじゃないか! まだ俺はこの目で確かめていない。なら、家に彼女が、優里がいるはずだ!
そう思い至ると、俺はすぐに駆け出した。
来た道を、家への道を、全速力で引き返す。
家に着くと、玄関の扉を乱暴に開け、大声で「優里!」と呼びかける。
しかし、中からは返事がなかった。いつものようにリビングから顔を出さない。寝てるのだろうか?
土足のまま廊下に上がり、リビングへ向かう。扉を開ける。あたりを見渡すが、優里は見当たらない。ふと、異臭が鼻をついた。臭いの元は、どうやらキッチンらしい。優里が料理でもしているのだろうか? そう思いキッチンへ向かうと、そこには、空になったコンビニ弁当の箱が、大量に転がったいた。
意味がわからない。だって、家を出る前は、シンクは空だったはずだ。それに、昼に食ったカップ麺ならまだしも、コンビニ弁当はおかしい。俺はそんもの最近は食べてなかったはずだ。
もう一度、優里の名前を呼んでみる。しかし、優里は顔を出さないどころか返事すらしない。
俺は、不安になって家中のありとあらゆるところを探した。
風呂場も、トイレも、寝室も。しかし、優里はどこにも居なかった。
「嘘だ……こんなの、嘘だ」
ソファーに座って呟いていると、「みゃー」という声と共に何か柔らかくて温かいものが足に触れた。
見てみると、白い子猫だった。俺がずっと、優里だと思い込んでいた猫。そいつを見て、初めて、優里は居ないんだと実感した。
◇
その後、俺を追って家に戻ってきた田中を追い返し、家の中に閉じこもった。
リビングは、散らかっている。そして、優里は居ないんだと俺に実感させる。
信じたくない。いくらそう思っても、事実は消えてくれない。優里は妄想だと言った田中の言葉が、頭の中をこだまして、絡み付いてくる。それに、この家にはあの子猫がいる。俺が拾って、ユリと名付けた、あの小さい白猫が。
俺と優里は、大学で有名なカップルだった。
どこに行くにも二人一緒で、ところ構わずイチャついて。きっと、周りの奴らは俺達に呆れてただろう。実際、何人かの友達にも言われたし。
そう、確かに俺達は仲が良かった。
俺は優里のことが大好きで愛していたし、それはきっと向こうも同じだった。同じだと思っていた。
でも、それは間違いだった。彼女は、そんなこと、微塵も思っていなかったんだろう。
付き合い始めて一年ほど経った頃、同棲しようという話になった。
二人で家賃を出し合うことにして、アパートを一部屋借りた。
狭くてボロいアパートだった。色々と大変だったが、それでも、優里といれば幸せだったし楽しかった。
一緒に暮らし始めて、二ヶ月くらいたった頃のことだった。
夜に、バイトから帰ってくると、家にいるはずの優里が居なかった。
電話をしてもメールを送っても反応がなく、その日から、大学でも会わなくなった。
周りの奴らに聞いたら、みんな口を揃えて「知らないの?」と聞いてきた。俺が聞き返すと、気まずそうな顔で話を逸らされた。
皆んなは、優里から何か聞いていたのだろう。
別れ話もなく突然出て行って、連絡もつかずみんなが知らせていたことを俺だけが知らされていない。俺は、優里に捨てられたのだ。
その事実に、俺は落ち込んで、塞ぎ込んだ。しばらく、アパートを出れなかった。優里との思い出が詰まった部屋。居ると、苦しかった。でも、それでも、あの楽しかった頃に浸っていたかった。
俺が引きこもりになって、しばらくは色々と連絡や見舞いが来たが、それも時が経つごとに減っていって、遂には、大学の連中からはなんの連絡も来なくなった。唯一、地元にいた田中だけは違ったが。
引きこもって半年が経った頃、俺はクヨクヨしていてはいけないと思って大学に出るようになった。今まで単位を取るためだけに出席して、ろくに聞いてもいなかった授業をちゃんと聞くようにし、就職活動にも力を入れた。そのおかげか、俺は元々そこそこ頭がいい学校に通っていたのも手伝って、大企業に就職した。
まあでも、それも、現実逃避だったんだろう。俺は自分ではケジメのつもりだったが実際は未練たらたらだったのだ。だから今回のようなことが起きたわけだし。
まあ、そのおかげでこんな裕福な暮らしができてる訳だけども。
会社に入ってからも、俺は飲み会や遊びの誘いを断り、ひたすら仕事に没頭した。そのせいで俺は孤立していき、半月程で、俺に話しかけてくる奴はいなくなった。
そろそろ知り合いを作ろうと思っても、もう遅かった。
自分のせいだとはいえ、周りに溶け込めないことにストレスを感じイライラして、俺はさらに暗くなった。そして周りの同期たちは更に話しかけて来なくなり、俺はもっと暗くなる。そんな感じの悪循環が出来上がった。
そんな日々を送る中、一匹の猫に出会った。あの白い子猫だ。
残業が終わって暗い夜道を歩いている途中、道端に段ボールが置いてあることに気づいた。
中を覗いてみると、泥だらけの子猫が入っていた。
俺は、その子猫を見てシンパシーを感じ、その猫を家に連れて帰って飼うことにした。
名前は、気まぐれにユリと名付けた。それがいけなかった。
初めは、ユリに猫として接していた。でも、一緒に暮らしていくうちに、ユリに優里の姿を重ねていくようになった。そして、いつからか、ユリを猫を優里だと思い込んでいた。
「……はぁ。何やってんだろうな、俺……」
今の今まで俺の身に起こっていたこと、俺がしていたことを考えると、ため息が出る。何やってるんだよ俺は。猫を元カノと思い込むとかストーカーじゃねえか。気持ち悪い。田中にも散々迷惑かけたし
「本当にさぁ……マジで何やってんだよ俺……」
視界が歪み、生暖かい液体が方を伝って落ちていく。止めようとしても、頭の中がやるせなさやら羞恥心やらでごちゃごちゃで、とめどなく涙が溢れてくる。最初は涙だけだったものに、嗚咽や声が混じり、次第に号泣へと変わっていく。
二十五歳にもなって泣くなんて恥ずかしいと思いつつも、溢れてくる涙を止めることはできなかった。
しばらく泣いていると、足元から「ミャー」と鳴き声がした。
その声にハッとした。周りを見てみる。
部屋の中は真っ暗だった。散らかった部屋、ゴミで汚れたキッチン。全てが闇の中に隠れていた。
「ミャー」とユリがもう一度鳴く。
「……そうだよな、電気くらい、つけないとな」