01少年
異貌の相を持つ少年だった。
手入れのされてない黒髪はあちこちに跳ねてボサボサで、ボロボロの胴着は赤黒く汚れ、靴は履かず素足も土にまみれている。
腰に差した大刀二本は大人の腰程にしかない小さい矮躯には余りあり、胸元でぶっちがいに交差して刀がその体を持ち上げているようですらあった。
未成熟な紅葉の様に赤らんだ小さい左手が交差する刀にちょこなんと載せられ、右手は透明なペットボトルをカサカサに乾いた肌色の唇に飲み口を当てている。
喉仏も小さい細い喉がコクコクと動き、閉じた目は水分を補給する充足に満足気に緩んでいた。
カハッ
強い呼気と共に吐き出される息と水。
それだけで周りの空気が糸を張った様にピン、と張り詰める。
そうして、開いた目が少年の異貌を明らかにする。
猛禽の様に鋭く、夜の猫の様に爛々と輝き、水気を帯びた烏の羽の様にヌラヌラと艶かしい黒い瞳。
見るという漠然とした目ではない。
空腹を満たし、生を得る為に己の牙を突き立てる獲物を探す肉食動物の瞳だ。
小さい体、細い手足に不釣り合いな強い気配を撒き散らすその異貌は二本の大刀にだけは相応しかった。
「さて、楽しめるかね」
複数の足音が草ずれと共に近付いて来る。
少年は追われる身ながらゆっくりと待ち受ける態勢に入った。
自分の身長ほどもある大刀をスイッと胸元から抜く。音も無く、卓上の猪口を摘まむ様な動作で刀は秋分の見事な月を突き刺す様に抜き放たれた。
少年の異貌が赤く染まる数分前の事だった。
京都。
寺社ひしめく古都を少年は歩く。
白いTシャツとベージュのズボン、紺色のシューズを履いた姿は年相応。大刀二本は竹刀袋に引っ提げ、肩に担ぐも余りあり、微笑ましくすらある。強烈な異彩を放つ目は眠たげに半分は閉じ、半分は薄く開けるだけ。
世間は春休みに入ったばかりの麗らかな日和。道行く人は大きい荷物を背負った『おつかい』の途中に見える少年を優しく見送った。
稲荷山の千本鳥居といえば有名な観光名所だ。少年が仁王立ちで見据えるその山の麓もそれに劣らぬ鳥居の群が山奥に向かって伸びている。風格ある佇まいのそこはさぞ名のある名所に違いなかったが、ちらほらと見える観光客はそこに何もないかのように一瞥すらせずに通りすぎていく。
長い竹刀袋を背中で交差させている目を引かざるを得ない少年すら、目に入っていないかのように談笑し、あるいは地図と首っぴきになって通りすぎる。
世に言う『認識阻害』の結界がもたらす摩訶不思議な現象を前に少年は眠たげに閉じていた目を今ははっきりと開き、鉄塊すら貫通させる様な眼光を鳥居が連なる山に向け、地面へ沈みこまんばかりに深く息を吸う。
「頼もうっ!!」
バシン、と直接空気を叩きつける様な大音。
小さい体からは想像出来ない大音声はスルリと山奥に消えていく。
それに答える声は無かった。
(結界があるのは間違いないか。まあ、何かはあんだろ)
腰の位置が上下しない歩き方で少年は鳥居を潜る。とある事情で故郷を追われた少年は関西呪術協会という、西の総元締めともいえる組織を探していた。
警察などの治安を守る抑止力としての組織ではなく、自らも力を振るう事を厭わない『裏』の組織である。
外界と隔絶された故郷というだけでなく、単純に幼い少年に『裏』につながるコネクションは無く、京都にあるという不確かな噂を頼り、文字通り足で稼いだ結果が前後に無限と連なる鳥居の世界であった。
名に背負う呪術の単語に偽りなく、侵入者用の結界に捕らわれた少年はスタスタと無限に続くかのように先の見えない石段を登る。
竹刀袋にしまっていた二本の大刀を腰に交差して胸でぶっちがいにする差し方に戻し、左手を交差した真ん中に載せ、右手は懐手にして腹をボリボリと掻く。
このまま歩き続けても関西呪術協会の総本山にはたどり着けないだろう。
潜る鳥居の一つ一つが別個の結界で例え、万の大軍で攻め寄せようとも全てを分断し、各個撃破される巨大な異界空間となっている。
(こりゃあ、当たりかねぇ)
ニンマリ、と猫の様に笑い少年はスイと刀を抜く。自分の身長ほどもある大刀を腰より高い位置から抜く、見た者に目眩を感じさせるほどの違和感を見せる抜刀。
高く掲げた大刀が木漏れ日が鳥居でまだらになった境内の中でヌラリと無骨に反射する。
「ちょいとお邪魔するぜ」
スウ、と撫でる様に静かに降り下ろされた刀の軌跡に入り込む様な歩き方で体を滑らせた少年は関西呪術協会の本殿の中に居た。
周りには紅白の巫女服を着た黒髪の術者が昼間から幽霊を見た様な蒼白な表情で絶句していた。
少年は刀を襟を正す様に鞘にスイッ、と滑り込ませ、一つ息をつく。
「まずった」
瞬間、絶叫が関西呪術協会の本殿を揺するのだった。
関西呪術協会。
陰陽術などを祖にする術や京都神鳴流などの剣に代表される「力」の総本山である。
様々な術や剣の流派が入り乱れる中で各々の利害を調整する会合が元になったとか、大陸からの脅威を防ぐために各流派が同盟をしたのを機に成り立ったとか言われているが、正確な所は不明である。
関西呪術協会それ自体には実働に耐える部隊は存在せず、古流の流れを組む術者や神鳴流から派遣された剣士が混成されて自衛に当たっている。
そして、あの少年は荒縄で全身を縛られて座敷牢に転がされていた。
「いちちっ、ひでぇなぁ…」
自嘲する様に口元を歪める少年の縄からかいま見える肌には年齢に見合わない筋肉が張りだし、その上に青黒いアザが張り付いていた。
ゴロリ、と体を転がし正座の姿勢で起き上がる少年。
「やあ、起きたかい?」
丁度、それに合わせる様に座敷へ踏みいれる優しげな笑みを浮かべた中年痩身の男が居た。
瞬間、少年の全身の筋肉が引き締まる。
一回り小さくなったかの様にすら見える筋肉の凝縮。
縛られているにも関わらず、座敷牢の外にある男にすら肌がひりつく緊張の気配。
少年は警戒した。
柔らかな表情やこちらを包み込む優しげな気配を上回る、痩身の体に閉じ込めた凄絶なる剣士の気配に。
(強ぇ、とんでもなく強ェ…)
それは肉食動物(ライオン)の前に据えられたウサギ、カマキリの前に落とされた羽虫の絶望に似ていた。
抗う事も逃げる事も出来ない圧倒的敗北感。
縄に縛られているとか、エモノを持っていないとかは関係無い。
眼前に突き立てられた牙の羅列が、自分では避ける事も防ぐ事も出来ないという事実を突きつけられる真理的理解。
眼前に頼り無く細い体を立てる男は少年より強かった。ただひたすらに強かった。
少年の体の硬直を頷きながら眺め、男は
「随分、手酷くやられちゃったみたいだね」
座敷牢の錠前をガチャリと外した。
「長っ!?」
男の後ろに居た巫女の一人が驚愕の余りに叫ぶ。
「大丈夫、彼は逃げたり暴れたりはしないよ。そうだろう?」
全てを判っているとばかりに目で少年を促す『長』。
「…話を聞いて貰えるのがアンタで良かったよ」
少年は心底、ホッとして冷や汗の止まらない背中から力を抜いた。
ハラリ、と少年の体を縛っていた縄がほどけ、少年は立ち上がる。
更に驚きに目を見開く巫女。
「凄いね、君は忍者か何かかい」
「忍者の祖先とうそぶく師はいたよ」
そう言って少年は猛禽の様な瞳の輝きを僅(わず)かに翳(かげ)らせた。
カンッ、と小気味の良い音と共に鹿威(ししおど)しが頭を上げる。広い畳じきの奥座敷で簡素な着物を羽織り、見た目にはゆったりと脚を寛げた格好で向かい合って座る中年の男と少年の間には虎と虎が牙を剥き、威嚇し合う様な緊張感が張りつめていた。
「さて、自己紹介からいこうか。僕たちはお互いに知らない事が多いからね。すれ違いを無くしていきたい」
中年の男は身を乗り出さんばかりの真摯さを込めて少年を見据える。個人としては好意が持てる態度だが、組織を束ねる立場の人間としてはいささか情に走りすぎた傾向だろう。だが、少年は個人として男に気安さと話しやすさを強く感じた。
「有難い提案に感謝しよう。『人間同士』の駆け引きやらしがらみにはとんと縁の無い育ちなんだ」
粗暴さと狂暴さを感じさせる外見からは意外な程に少年は深く頭を下げる。男はさもありなん、とばかりに大様(おおよう)に頷く。
「君の気質は人間離れし過ぎている。多少、気を扱う者ならばその異質さに不快感を感じるだろうね」
「そりゃあ、また……何でだい?」
カンッ、と鹿威しが高い音を立てた。
「妖怪の気質を持つ人間なんて滅多にいないからねぇ…」
昔話をしよう。
古い旧い大昔から現代まで、人間と妖怪と呼ばれる二対の種族は殺し殺され対立しつつも日本と呼ばれる縦長の国に棲んでいた。
ただ、時代が経つに連れ人間は増え、妖怪はその数を減らしていた。それでも個々の力を至上とする妖怪には、その力に対する矜持から人間など何するものぞ、という気概がある。
だが、中にはその力を失い、存在を危うくする妖怪も少なくなかった。
ほとんどの妖怪は力を失えば消滅を待つしかなかったが、やはり変わり者はいる。
片腕を失った鬼は全盛期の膂力に比肩する力を得る為に武術を学び、翼を失った天狗は再び空を翔る為に体術を研鑽し、甲羅を失った河童が身を守る術を取り戻す為に妖術を会得する。
そんな変わり者の妖怪が集まる隠れ里。
何十年、もしかしたら何百年振りに新しい顔が加わったのはいつ頃からか。
それを好奇心から騒ぎ立てるには住む者たちは永く生きすぎていたし、何より変わり者が多すぎた。
だからだろう。
その里に住むたった一人の人間が妖怪に食われる事も追い出される事もなく、生きながらえ無邪気に育つ事が出来たのは。
妖怪の里にそれと知らず捨てられ、育った男の子。その名は剣丸(つるぎまる)といった。
神鳴流に滅ぼされた妖怪の里に住んでいた、ただ一人の生き残りの少年の名前だった。さして長くもない話だった。
上天にかかった太陽が少しだけ傾いただけの短い話。少年の人生を語り尽くすにはそれだけの時間で済んでしまう短い話。
だが、関西呪術協会を束ねる長である近衛(このえ)詠春(えいしゅん)にとっては背中に冷や汗を流すには充分な密度があった。
自分の人生を淡々と話す少年、剣丸は詠春の真摯な態度に感じる部分があったらしく今では寛げていた足を正座に直し、ピンと背中を張り、目を伏せながら折り目正しく座っている。
無頼な雰囲気や口調は正せていないが、古風な佇まいと礼儀作法は堂にいったものだった。
「君を育てた方は人間の礼儀作法に見識があったみたいだね。何処に行ってもそれがあれば君を狂人だと侮る人は居ないだろう、僕が保証するよ」
実質、関西を取り仕切る人物からの御墨付きに剣丸は口角を軽く歪ませ、照れ臭げに目元を和らげた。
(ああ、普通の少年だなぁ)
詠春は心の中でそう嘆息する。
小さい体に無理やり肉食獣を押し込めた様な、張り詰めた剣呑な雰囲気を漂わせる少年。外見すらも猛禽の様な光を放つ瞳やいかつい肩、年齢に見合わない落ち着きすぎた腰付きなど、剣呑な存在感は警戒をさせる例を上げるには枚挙に暇がない。
それでも彼は人間の少年なのだ。
自分を育ててくれた者が誉められれば喜び、殺されれば悲しむ普通の感情を持つ少年なのだ。
だから、
「神鳴流に復讐したいのかい?」
そんな感情を持つのも至極、当然の事だ。
愛しき者が理不尽に命を奪われれば、それに悲しみ怒り、復讐の牙を突き立てる感情が胸の奥から猛り狂わんばかりに溢れてしまうのが人間の当然だからだ。
詠春の問いかけに剣丸は目を伏せ、膝の上に置いた手を握り拳にして、首を振る。
「妖怪退治屋に妖怪退治をするな。なんて偉そうな事は言えないさね。ただ、ちょいと無理を言えば…」
思案顔になり、詠春をうかがう剣丸。詠春は頷いて先を促した。
「神鳴流と腕試しをさせちゃくれねぇかな」
鹿威しのカンッ、という小気味の良い音がやたら大きく聴こえた。