09少年は妖(あやかし)
麻帆良の朝は騒がしい。
朝のホームルームにギリギリ間に合う最後の電車が、構内で到着を告げるアナウンスを流した瞬間には雪崩の様に人波が溢れ出す。
学園都市の名に相応しく、私服と制服が混ざった未成年の学生が駆け出す様は台風一過の濁流にカラフルな絵の具を混ぜ混んだ色の騒がしさを思わせる。
そんな中を剣丸は悠々と歩く。
深青の着流しに左手を懐手にして、右手顎を乗せた姿は葉っぱでも口に加えれば凄腕の用心棒か無頼の浪人。
ただ、背は未だ150そこそこなのがご愛敬。
ゆったりと歩きながらも、周りの人込みにぶつかる事はなく、その歩みはむしろスケボーやローラースケートを駆使する学生より速く、ひょいひょいと先を行く学生を追い抜いていく。
『千里を一歩で歩く法』などの怪しげな術は使っていない。ただ、単純に他の人間より脚が早いだけなのだ。上から見るとスルスルと蛇が這うように蛇行しながら、学生を追い抜いていく剣丸をガラスレンズのスコープ越しに覗きながら長身長髪褐色の肌と黄金色の瞳を持った龍宮真名はゆっくりと息を吸い、浅く息を吐き出していく。
銃口は剣丸の動く位置と銃弾が打ち出されてから剣丸に到達するまでの、タイムラグを計算した予測地点を常に動いている。
真名は剣丸だけを視界に収め、その息遣い、体の弾み、視線の僅かな動き、瞳に映る景色までを幻視する。
脳の奥にスイッチが入り、脳味噌が蕩ける様にジンワリと熱を帯びる。瞳の水晶体を通して入る剣丸の姿のほんの少し未来の動きがコマ送りの動画の様に真名の目に、脳に焼き付く。
後は指先にほんの少しの重味を加えるだけで、剣丸の頭を落としたスイカみたいに赤く弾けさせる事が出来る。
空気を裂く音を置き去りに7.62mmロシアンの弾頭が牙を剥く。
真名と剣丸の距離およそ250m。
放たれた牙が獲物に食らいつく時間は一秒の半分にも満たない。
だが、真名の脳髄にはこちらを見た剣丸が、教室に入って挨拶を交わすクラスメイトと全く同じ表情を浮かべるのが見えていた。
「……さて、私も急がないとホームルームに遅刻してしまうな」
無煙無音の処理を施したとは言え、それでも香る硝煙を香水に、迷彩用のマントを翻して真名は屋根から飛び降り、登校に慌てる一学生に戻るのだった。
剣丸が懐手にした左手から右へと500円玉を弾く。
金属が削れ、へし折れる耳障りな音と陶器を指で弾いた様な透明な音が連続する。
「おろ、見つかってたでござるか」
逆さまに落下する糸目に剣丸は手を伸ばす。
剣丸の太い指が日向でまどろむ猫を思わせる顔にかかった瞬間、
ドロン
と白煙が剣丸を包む。
「危ない、危ない。危うく首が無くなる処だったでござるよ」
珍妙な語尾と共に紫色の忍者装束を着込んだら少女が剣丸の背後に音も無くと降り立つ。
そちらにゆっくりと振り向きながら、剣丸は指をワキワキと空握りさせる。
「人を猫科の猛獣みたいに言うもんじゃあないぜ」
虎の一撫でで人間の首はコロリともげ落ちる。剣丸の指は鋭い爪こそ生えていないが、人間以上に頑丈なものすら、指一本で抉り、こそぎ取ってしまうのを忍者少女、長瀬楓は遠間から何度も見ている。
「その力に加えて狙撃すら見切るとはニンともカンとも、でござるよ」
音速で飛来する弾丸を指で弾き出した五百円で防ぎ、更にその跳弾を真上から剣丸を襲おうとした楓に向けるという離れ技をこの目の前の少年はいとも容易く行ってしまう。身体能力だけではなし得ない繊細な技術を、この小さく『細い』体に押し込めているのだ。
「龍宮さんは腕が良すぎるぜな。射線に誰も居ない瞬間にしか撃って来ないから『やり易い』ぜ」
その上で頭も悪くない。
「何というかチートでござるな、剣殿は」
苦笑する楓に剣丸は
「それを負かすのが『人間』の仕事だぜ。しっかり励めよ」
トン、と地面を軽く蹴りあげて剣丸は姿を消す。踏み込みに力を貯めて一瞬にして移動する瞬動ではない。傍目にはのんびりと、しかしその一歩を限り無く遠くまで伸ばし、空間を歪ませてしまう妖術『千里を一歩で歩く法』。
剣丸だけが持ち得る『妖魔』の技。
それを見せつけられ、楓はポリポリと頭を掻きながら
「なんとも無茶振りでござるよな」
ニコニコと顔だけは笑いながら嘆息し、自分も一瞬で姿を消す。そこに時間が動き出した様に学生の波が打ち寄せる。人外の朝酔いを洗い流す様に。
赤茶色の煉瓦が敷き詰められた道を龍宮真名は走る。ホームルームには間に合うだろう。剣丸は毎朝、学園長室があるを女子校エリアを通る為、真名は毎回狙撃ポイントを変えて剣丸に挑んでいる。
残念ながら、剣丸を仕留めた事はなく毎朝の日課になってしまっているが。
「お早うでござる。真名殿」
フワリ、と隣に楓が一本に纏めて流した後ろ髪を靡かせて着地してすぐに真名と並走を始める。
「お早う、楓。君も剣丸目当てかな」
走りながら真名も目線だけを楓に向ける。
「ハッハッハッ、真名の跳弾を食らうとこだったでござる」
楓が懐から出したクナイの刃先には真名の撃った弾がめり込み、全体にヒビが入っていた。
「跳弾をそれで受け止める君も大概だよ」
跳弾を見切って短く細いクナイで受け止めるなど、真名の『隠し技』を使っても無理だろう。
しかし、楓は年中無休の笑い顔を止めて、細く鋭く美しい顔で彼方を剣丸の居るである奉公を見る。
「拙者は剣丸殿の真上からクナイを構えて飛び込んで居ただけでござるよ」
つまり、真名の弾丸を弾くだけではなくその弾く方向すら計算していた。しかも、細く小さいクナイの刃先といえ直径十センチにも満たないそこをピンポイントで、だ。
その事実に真名はしばし唖然とした後に苦笑する。
「本当に化け物だな、彼は」
それに頷き、楓は真名にニヤリとした笑みを向けた。
「そんな、真名殿に剣丸殿から伝言でござる」
「んぅ?」
近接戦闘を得意とする楓と違い、超長距離からの狙撃でしか相対しない真名は剣丸と会話する機会は無い。もしかしたら、真名の顔すら剣丸は知らないかも知れない程度の関係だ。そんな自分に何か言うことなどあるのだろうか、と真名は首をひねる。
「それを負かすのが『人間』の仕事……そう言っていたでござるよ」
数瞬、目を見開き口を開けた真名の珍しい顔に楓はいつものニコニコ顔で受ける。
しばしの後、二人の少女の笑い声が石畳の街に響くのだった。
麻帆良学園長室。
現在、ホームルーム二十分前。毎朝の光景だが、剣丸と近衛学園長と高畑教諭の三人による経過報告が行われていた。
「ホッホ、剣君や。皆とは仲良く出来ているかね」
福々しく笑う学園長に剣丸は真顔で
「ええ、上手く化かせてます」
と答える。それに苦々しい顔をする高畑。
「剣君。君の複雑な立場は判るが、言い方があると思うよ」
その苦言にダラン、と舌を胸先にまで垂らす剣丸。
「ケヒヒ、人間と妖の境目が日本一曖昧なここ(麻帆良)で言うことかね」
むむむ、と更に顔を歪める高畑に学園長はニヤニヤと髭をしごく。いつもと変わらない光景、いつもと変わらない日常、人外としての人間と交わる日々が剣丸の毎日であると言う確認の朝。
だが、その日常はある大きな運命によって変えられていく。
英雄の遺児、来日。
物語は変えられていく。
これは少年が立派な魔法使い(マギステル・マギ)へと至る物語。
これは少年が妖(あやかし)に至る物語。
正義と悪が生まれる物語。
次回はようやく主役登場。
主人公?
そんなものは居ない!