決心をした。それを果林にぶつけるつもりで床につき、朝目覚める。
一日経ってもその心は変わらない。けど、油断せずに自分で自分を追い込むことにした。
『今日、僕は果林に向き合う』
そういったことを、事情を知る友人たちに告げた。退路を防ぐためである。
愛やエマは自分のことのように喜んでいた。普通科特進クラスの彼はようやくかと呆れつつ、背中を叩いて気合を入れてくれた。
そうして意思を固めに固めて、これ以上ないくらいに大丈夫だと言い聞かせた。大丈夫、本番に強いのが僕だ、と思ってたんだけど……
「お待たせ、果林」
今日の練習が終わって、エマたちが気を利かせてくれてみんなをテキパキと着替えさせて先に帰らせた後、ただ一人いつものペースだった果林だけが部室に残されていた。なんでも、『湊くんが来るからちょっと待ってて』と言われたらしい。用件も何も伝えずにそれで納得してくれるのかどうか疑問だったが、果林は特に気にした様子もなくソファに座っていた。
「お疲れ様、湊くん」
とっくに帰り支度を済ませていた果林を伴って、部室を出る。
「私に何か用事? みんなに聞いてもはぐらかされちゃったのよね」
「……少しね」
部室の戸締りをして、彼女に顔を向ける。
「果林、この後少し時間いい?」
「ええ。どうしたの?」
「あー、その……」
喉が締まるようだ。
据えた腹は、彼女を目の前にすると急激に萎んでいった。情けないことに、怖気づいてしまったのだ。
「今度のライブのこと? 心配しなくても……」
「いや、違うんだ」
彼女の練習が順調なのは知ってる。衣装や小物についても滞りなく進んでる。僕が話そうとしているのはプライベートなことだ。
脳が茹だりすぎて暴発しそうなのを表に出さないようにしながら、絞り出すようにして、口を開いた。
「外で話すよ」
△
「そろそろ暑さも抜けてきたわね」
「そう、だね」
何を話すのかは決めていたけれど、どこで話をするのかまでは全く考えていなかった。そこで僕は少し考えて、校舎の影、誰もいないところに彼女を誘う。
白状しておくと、ここが果林が告白してきた場所だなんて、その時は気づかなかった。気づく余裕がなかったというほうが正しいかな。
「果林。あー、えっと……」
「どうしたの?」
果林はもたついてる僕を心配そうに見つめる。挙動不審な目の前の男が、体調不良に陥ってるとでも思ってくれたのだろうか。心身ともに緊張で正常ではないことは確かだけど。
ただ、これをいつまでも続けているわけにはいかない。果林には寮の門限がある。それを抜きにしても、やっぱり明日にする……なんてしたら、周りだけでなく自分でも僕に失望するだろう。
二度深呼吸しても冷静にはなれなかった。だからもう、かっこよくとかそんな無理は諦めて、本心だけで勝負することにした。
「いや、その……参ったよ。色んな人に話を聞いてもらって、結局、僕は逃げてるだけなんだって思わされた。逃げられないって分かってたのに」
「何の話?」
胸がドキドキする。高揚と恐怖、恥ずかしさとか色々混ざって、収まる気配を見せない。
果林もこんな気持ちで告白してきたのだろうか。こんな、ごまかしてしまってうやむやにして先送りにしようとする気持ちが湧いてくる中で。
本当に、彼女は強い人だ。僕よりも遥かに。そんな果林だから僕は……
「果林、好きだよ」
「……、……っ、……!?」
数秒経って意味を理解したのか、頬がどんどん朱に染まっていく。
普段クールな果林からは想像できないくらい目を見開いて、唖然を通りこして驚愕までいっている。
「果林、顔が真っ赤に……大丈夫?」
「だってそんな、急に……」
果林はしどろもどろになりながら髪の毛を指でいじりだす。不意打ちするつもりはなかったんだけど、でもそうか、僕が何を言うか知ってるのは当然僕だけで、これまでのらりくらりと返答を避けてきた男からこんな言葉が出てくるなんて、彼女は思ってもみなかったことだろう。
彼女は僕を窺うように、潤んだ目と紅潮した顔を向けてきた。僕もすっごく耳が熱くなってるから、同じように真っ赤になってるかもしれない。
「ほ、本当に?」
「本当」
「……どうしていきなり?」
「実は、言うほどいきなりじゃなくてね」
僕は大きく息を吸って吐いて、再び覚悟を決めた。この数日間、ずっと考えていたことを果林に話すために。
「告白されてから、色々と考えてきたつもりだった。僕の事や君の事を。だけど、逆だった。君と僕なんかが釣り合うはずがないって思いこむために、考えないようにしてただけだった」
「そんなことは……」
彼女が続きを言おうとするのを、手で制す。
自分が情けない男だってことは自覚している。友人に怒られて、発破をかけられるまで逃げようとしていたくらいだ。
「果林、僕は良い男じゃない。僕自身がそう思ってるのは変わらない。そんな僕が、君の隣に居ていいかどうかは、まだ懐疑的だ。でも僕は君と一緒に居たい。君が思うような男でいたい」
素敵な人。果林は僕のことをそう言ってくれた。
最初はぴんとこなかった。いや、今でもそうかもしれない。しかし、考えが及ばないからというのは何の言い訳にもならない。
大事なのは、逃げることじゃなく、好きになった女性のために、その想いに恥じない男なるべきなんだということ。
僕の想いを真っすぐぶつけた。それに対して果林は……
「……何よりの答えだわ、湊くん」
その目には小さく涙が溜まっている。でもこれまでに見たよりも綺麗で、可愛くて、どうしようもなく愛おしく思える。その存在まるごと、独占したい気持ちに駆られる。
友情でも、親愛でもなく、でも感情が溢れ出る。ああそうか、そう、こういう気持ちなのか。
「ずいぶん待たせた。僕がもっと自分に自信のある男なら、君の理想の男ならその場で答えてやれたのに」
「そうね。白馬に乗った王子様じゃない」
「今も昔もそんなのは本の中だけだよ」
「体も細いし、私とほとんど身長一緒だし、女たらしの朴念仁で、私の告白を長いこと保留する意気地なし」
「言いすぎ」
「だけど」
いくらか落ち着きを取り戻した果林が、僕の胸に指を這わせる。これまでのアピールより控えめな接触だけど、触られた部分が今までされたことのどんなことよりも熱く感じる。
「幼い頃に夢見た燃えるような恋じゃないけれど、でも、理想なんかよりもっと素敵だわ」
そんなことを言われて、僕の理性は吹っ飛びかけた。いや実際吹っ飛んだのかもしれない。
いつの間にか、彼女のことを抱きしめていた。熱いのに、ずっとこのままでいたいと願った。
果林も抱き返してくれて、お互いの鼓動が伝わる。
「愛してる、果林」
「私を待たせた分、もっと情熱的に言ってほしいわ」
わざとらしく拗ねた口調で言う。
「さっきの、何よりの答えじゃなかったのか」
「それはそれ、これはこれよ」
「意地悪だな」
「あなたのが移ったのよ」
それだけはまだ全然否定したいところだけど、まあ今はいいや。
「世界で一番、誰よりも君のことを愛してる」
「嬉しいわ」
「君のことだけしか見れないくらいに」
「ちょ」
「僕のすべては君のもの」
「ま、待って!」
弾かれたように、果林は僕から離れる。せっかく収まってきた顔の赤みが、また満面に広がっていた。
「情熱的にって君が言ったんじゃないか」
「もう十分よ。まったく、極端ね、あなた」
「燃えるような恋が理想とも言った」
「顔が熱くなるだけよ」
「確かに。顔赤い」
指摘されて、果林は顔を手で隠した。
「落ち着くまで待って。今の私の顔、見せられないわ」
「いいや、その顔も可愛くて綺麗だよ、果林。僕が出会ってきた中でも、これから出会う中でも一番」
彼女の言う情熱的というのがこれで合ってるのか分からないけど、あいにく参考資料はない。心の内を出来るだけ熱烈に伝えるしか、今の僕には出来ない。
その言葉が少しは琴線に触れたのか、果林は指の隙間から覗いてくる。
「言い切っていいの?」
「言い切っていい」
僕は果林に近づいて、その手を掴む。抵抗もなくすんなりと、蕩けた顔を見せてくれた。
「だって言っただろ、君を愛してるって」
△
寮の前まで送ると言ったら、果林はすぐさま腕を組んできた。その密着度合いはこれまでの比じゃなく、もう半身くっついてるだろってレベル。
遠慮無しのバカップルみたいな距離。といっても寮は学校のすぐそばにあるから、十分そこらでこれは終わってしまうんだけど。
「アピールはもうしなくていいよ」
「ええそうね。だからこれは、私のしたいこと」
「じゃあ君は前から自分のしたいことを繰り返してたってこと?」
「……否定は出来ないわね」
おい。
「でもあなたも嬉しかったでしょ?」
「……否定出来ないな」
嫌だったらもっと注意してるし、最悪引き剥がしてる。そうしなかったってことは、つまり最初からそういうことだったのだ。
分かりきっていたことを、まあこんなにもグダグダと悩んだものだ。
「慣れてもらわないと。私はやめる気ないわよ」
「僕も、もうやめてくれって言うつもりはないかな」
「だったら問題ないじゃない」
「……そう、かも」
人に迷惑かけないならそれでいいのかも。いやそうか? 浮かれすぎて正常な判断が出来なくなってる気がする。
「それに、牽制は続けないとね。あなたに私という美人な恋人が出来ても狙ってくる女の子は多いから」
「それ本当なの? この学校に三年いるけど、全然そんな気配ないよ」
「少しでも何かあれば崩れるようなバランスの上で、あなたの健全で平和な学校生活は保たれてるのよ」
………………??
「そんなに難しい顔しなくてもいいわよ。これからは私のことだけ見ていればいいから」
「それなら簡単」
二人で笑い合う。
僕が恋しているのは果林だけ。だから簡単か難しいかというより、無意識から既に虜になっている。
「ここでいいわ」
視界に寮が映ってきたところで、彼女はそう言った。
「それじゃあね」
「うん、また明日」
するり、と果林が腕をほどく。言いようのない足りなさを感じるけど、それはまた、明日満たせばいい。僕らはもう、ただの天王寺湊と朝香果林じゃなくなったんだから。
「ねえ湊くん」
背中が遠くなっていく。そう思い始めた瞬間、果林は振り向いて呼びかけてきた。
もうすぐ太陽が沈みきる。その間際、最後の閃光が煌めく瞬間、この世の全てが止まったみたいに、彼女の言葉だけが耳に届いた。
「私、幸せよ」