「や、朝香さん」
「湊くん?」
校舎から出てくる朝香さんに声をかける。彼女は目を丸くして、僕をじっと見た。
まさか放課後一番に話しかけられるとは思わなかったのだろう。それも僕に、なんて。
「もし時間があるなら、ほんの少しだけ、話でもどうかな」
△
場所を少し変えて、校舎をぐるりと回って、植え込みの近くで足を止めた。
彼女は意外にもすんなりついてきてくれたが、なんとなくこれからのことも予知しているようで、ちょっと固い。
「あそこで会ったのは偶然、じゃないのよね?」
「君がこの後に仕事も用事もないことは、エマさんから聞いた」
「それで、待ち伏せしてたってわけね。で、何の話をしたいのかしら?」
「スクールアイドルにならないか」
朝香さんはほんの少し唖然として、すぐにいつもの調子に戻った。
「あら、スカウトもするの?」
「普通はしない。君は特別だよ」
「あら、口説かれちゃった」
ふふ、と余裕さを見せて微笑む彼女に、手ごたえを感じない。どうしてもこの話題を避けたいような、終わらせたいような、そんな印象を受ける。
「エマに頼まれたってところかしら、ね」
「それだけならこんなことはしてないよ。単純に、朝香さんは綺麗だし、姿勢も良い。プロの現場にいる知識もある。こんな逸材を逃すのは惜しいと思った」
「……へえ。そうやってあの子たちを口説き落としたのね」
「くど……っ」
平静を崩されそうになって、こほんと咳払いして一呼吸。
「同好会にいるみんなは、やりたい気持ちがあって集まってきたんだ。僕は何もしてない」
「その割には懐かれてるようだけど?」
「良い人たちばかりだから、分け隔てなく接してくれてるだけだよ」
距離が近いのは感じてるが、彼女たちの性格に大きく起因してるだけ。
そんなことは置いといて。
「で?」
改めて聞きなおす。しかし彼女は即座に首を横に振った。
「返事はノーよ」
「どうして?」
「モデルもやってて忙しいし、それになにより、興味がないの」
事前に用意していたようにすらすらと話し、ふいと顔を背ける。
「あなたこそ、どうしてそんなに私に突っかかってくるの?」
「放っておけたら楽なんだけどね、朝香さんが苦しいって表情するから」
自分のコーヒーを置いて、僕は続ける。
「まるで、自分で自分を抑えつけてるような、ね」
「あなたに私の何が……っ」
「わかるよ」
僕はぴしゃりと言い放った。
「いろんな理由つけて、やりたいことをやらずに我慢してる人の顔なら、飽きるくらい見てきた」
さんざんこの目で見続けてきた。手が届くくらい近くで。最近、ようやくそのうちの一人を引き戻せたところだ。
だから、出来ないと思って諦めるなんて出来ない。その相手がまだスクールアイドルじゃないとしても。
高咲さんが優木さんの殻を壊したように、僕は僕に出来ることを頑張ると、そう決めたんだ。
睨みつけてくる視線から目を逸らさずに、じっと見つめ返す。
やがて、朝香さんは立ち上がりかけた腰を落ち着けた。口は固く結ばれ、肩はほんの少し震えているようにも見える。
「そう、よ。スクールアイドルに興味はあるわ。それどころか、やってみたいとさえ思ったの」
ついに、朝香さんは滔々と語り始めた。
「最初はエマの手伝いだけのつもりだった。でも、みんなと一緒に何かをやるのが……とても、とても楽しかった。そんなこと、ずっとくだらなくてつまらないって思って、避けてきたことなのにね」
堰を切ったように開いた口は留まらず、どんどんと溢れてくる。
「なんてことはないのよ。私は、私が築き上げてきた『朝香果林』が壊れるのが怖いだけ。新しい世界に踏み込んで、傷つくのが怖いだけなのよ」
クールで大人っぽい。朝香果林を知っている大多数が、彼女にそんなイメージを持っている。そのイメージは、彼女を縛り上げ、彼女が自分にストップをかける理由にもなっている。
『こんなこと、朝香果林のキャラとは合わない』。
そうやって歩み出すことをしなくなった彼女は、いつしか怖くなったのだろう。作り上げられたアイデンティティが崩壊することに耐えられなくなった。
だから、『朝香果林といえば』という存在に、自分が成った。
真実の姿はこんなにも、普通の女の子なのに。
「本当は、私もみんなと……エマと一緒に、スクールアイドルやりたい……」
「だったら」
思わず声が出た。
朝香さんの想いを全部出し切らせてから受け止めるつもりだったけど、これ以上放っておけない。
僕たちを助けてくれた恩人でもある人が、今にも泣きそうなのだから。
「だったら、止まる理由なんて無いじゃないか」
朝香さんを見る視線はそのまま。出来るだけ熱が伝わるように。肝心の彼女は目を合わせないままだけど、それでも続ける。
「エマさんも僕も同好会のみんなも、君自身も、『朝香果林』と同好会をやれることを望んでる」
誰も止めてない。ブレーキをかけるのはいつだって自分だ。そのブレーキを、彼女は他の人よりも多くかけてきた。だから、少しくらい緩めても文句を言われる筋合いはない。
僕個人としてはもっと自分本位な朝香さんを見てみたいし、そのほうがエマさんにとっても、同好会にとってもいいだろう。
「それに、元気で可愛くてフリフリなのだけがアイドルじゃないよ。キャラじゃないって言うなら、君がやりたくて君に合うスクールアイドル『朝香果林』を、一緒に作ろう」
「そんな簡単に……」
「簡単じゃないだろうけど、実現はきっと出来る」
根拠がないわけじゃない。すでに実現した例がうちの同好会にいるんだし。
それに……
「僕は、そのためにいるんだから」
思わず、といった様子で彼女は息を吸った。
やりたいことはやっていいんだ。無理をして抑え込む必要はない。そんな当たり前のこと、高校三年生になっても気づかない人は多い。
君たちは、気にしなくていいんだ。
「果林ちゃーん!」
「お、来た」
聞き慣れた声は、エマさんのものだ。
こちらに手を振りながら、髪が乱れるのも構わずに走ってくる。
「僕が呼んだんだ。エマさんも朝香さんも吹っ切れられるように」
どうして、という表情の朝香さんに説明する。
朝香さんに声をかけるよりも早く、エマさんには連絡しておいた。最後に彼女を説得できるのはエマさんしかいないと思って。
「正直に、自分の気持ちをエマさんに話してみて」
「え?」
「エマさんもそれを望んでる」
あんな必死で駆けてきて、朝香さんしか目にないような視線を向けて、しかもその澄んだ目は親友のことを何も疑ってない純情さがこもってる。
誰がどう見ても、朝香さんのことを考えて考えて、寄り添う素敵な友だち。友だち同士。
……少し、嫉妬するな。
「ごめんね、湊くん。果林ちゃん借りてくね!」
「え、え?」
「ああ、行ってらっしゃい」
「ええ!?」
驚くまま、エマさんに手を取られて連れられるままの朝香さんに手を振る。
あっという間に姿の見えなくなった二人を見送って確信した。
あの二人は大丈夫だ。
△
ぱしゃり、とシャッター音が鳴る。
衣装に身を包んだエマさんは、花園のような柔らかい雰囲気を放っていて、レンズ越しでも癒されるほどだった。
今日はエマさんのMVの撮影日。
吹っ切れた彼女はどんどんと意見を言って、とんとん拍子にすべてが決まった。
すぐに撮りたいという本人のご要望に合わせて、先に授業の終わった僕とエマさんが先に準備をしていた。
「どうかな」
「可愛いよ、すっごく」
「えへへ」
にっこりと笑うエマさん。
そう、これだ。彼女にはやっぱり笑顔が似合う。
「エマ、湊くん」
「果林ちゃん!」
朝香さんがふりふりと手を振って、僕たちに近づいてきた。
「ちゃんと来てくれたんだね」
「ええ、約束したもの」
前よりも柔らかい顔に、僕はほっとする。
あの後、エマさん経由で連絡を貰って、彼女から礼を言われた。そして、同好会に入りたいということも。
でも直接聞きたくて、ついつい訊いてしまう。
「昨日の今日で心境の変化がなければいいけど。スクールアイドル同好会には?」
「入らせていただくわ」
即答。
「あなたが作ってくれる新しい『私』に、興味が湧いたの」
「元々興味あったんだろ。聞いたよ、エマさんに部屋を片づけされてる時に、アイドル雑誌持ってるのバレたってこと」
ま、僕はそれよりも、君が部屋を片付けられない人だってことのほうが驚いたけど。
目線で考えてることが分かったのか、珍しく狼狽し始めた。
「べ、別に片づけられないわけじゃないわ。その、いろんな物が手の届く範囲にあったほうが……」
「うちの妹もそう言う」
苦笑する僕に、朝香さんは顔を赤らめてそっぽを向いた。
「じゃあ、はい」
僕が持っていたカメラを受け取った彼女は、指でそれをさすりながら眉をひそめた。
「ねえ、やっぱり慣れてるあなたがやるべきじゃないかしら」
「なんで?」
「なんで、って……カメラの扱いは湊くんのほうが上手でしょ?」
「慣れてる慣れてないの話だったら、モデルの君のほうが良い角度とか知ってそうだけど」
「湊くんってほんと、ああ言えばこう言うの慣れてるわよね」
「褒めてる?」
「褒めてるわよ、これ以上なく。その口に唆された身としては、褒めざるを得ないの」
「唆されたなんて、人聞きの悪い」
「でも、事実でしょ?」
事実じゃありません。勘違いされそうな言い回しをしないでほしい。
「あなたの言葉に乗って同好会に入るんだもの。責任はとってもらうわよ」
ウインクする姿は、流石モデルと思えるほどサマになってる。
ちょっとしたポーズでこれだ。その仕草を勉強すれば、みんなの実力アップにも繋がるだろう。
「わかってるよ。できうる限り、全力でサポートさせてもらいますとも」
「ふふ、すっかり仲良しだね。でも、近すぎじゃないかなあ」
「そうかしら。湊くんはどう思う?」
「僕に振るな」
そんなこと言われても、僕としては適切な距離を保ってるつもりだ。朝香さんのパーソナルスペースが狭いのだ。
「あとは、みんなが来るまで待ちだね」
「ねえ」
ほんのちょっとだけ、朝香さんの声が低くなった。
「みんな、私を受け入れてくれるかしら」
ああ、エマさんはともかく、他の同好会メンバーが歓迎してくれるのかが不安なのか。
既に出来ているコミュニティの中に入る気まずさというか難しさは、どこの世界でも一緒。でも受け止めるほうは割とオープンなものだ。
「大丈夫だよ」
「……あなたが言うなら、信じるわ」
長々と説明するより、あえて一言だけで済ませたが、本当にそれだけで納得したみたいで、憑き物が落ちたようにスッキリとしていた。
「緊張してたんだね」
「そうよ。私だって、普通の女の子なんだから」
分かってる。
そうやってにこにこ笑ってるのが、何よりの証拠だ。
「むう」
こちらは対照的に頬を膨らませるエマさん。さっきまでのいい顔はどこへやら。
睨みつけてくるのも可愛らしくて怖くないが、踊る前に機嫌が悪くなるのはいただけない。
「今日は私の撮影なんだから、私を見てほしいなあ」
珍しくわがままを言う彼女は、恥ずかしげに少し顔を俯かせて、上目遣いで僕をうかがう。
「ね?」
エマさんにそんな顔で、そんなことを言われて断れる男がどれくらいいるのか。
僕も例に漏れず、大多数の人間と変わりなく、彼女の期待に応えたい欲求に駆られる。
そうじゃなくても……
「見てるよ、ずっと」
「うん、見てて。今日だけじゃなくて、ずっと」