昼休み。
食堂の奥の席に腰かけた僕は、呼び出してきた張本人──近江さんを目の前にして黙々と弁当を食べる。
彼女も弁当を机に広げて、ちまちまとおかずを口に運んだ。
「昨日の夜ね、遥ちゃんと話そうとしたの」
不満げな顔を隠しもせず、近江さんは言葉を続けた。
「遥ちゃん、せっかくスクールアイドルになったのに心配かけちゃって。彼方ちゃんはやりたいことやってるんだから、心配しなくていいのに」
ついには、はあ、とため息をついた。
「ね、湊くんが説得してくれない? 心配する必要ないよーって。遥ちゃん、湊くんに憧れてるみたいだから、言ってくれたら納得してくれると思うんだ」
「無理」
「えぇ~。なんでなんで?」
僕は箸を置いた。
憧れてる云々はこの際ツッコむのを置いといておく。
「近江さんは、遥さんのこと心配しなかった時なんてないだろ」
「それはもちろん」
「僕も大事な妹がいるからわかるよ。で、僕ら上の兄姉は言うわけだ、『心配いらないよ』って。妹のためにすることは苦になんかならないし、ちょっと無理してたとしてもそんなところを見せたくない」
「うんうん」
「でもね、近江さんが遥さんを心配するように、遥さんも近江さんを心配してる。遥さんはずっと、君が元気でいられることを祈ってる。やりたいことをやってほしいと願ってる。これはどんだけ言ってもやめてくれない。遥さんがどんなことをしても、君が何も思わないなら話は変わってくるけど」
「ど、どんなことをしても……」
何を想像したのか、近江さんが首をぶんぶんと横に振る。
僕だって無理。璃奈に危険なことはさせられない。そして同じようなことを、妹も思ってるんだろう。
高校に上がるとそういう自覚も芽生えてくるころで、今の近江姉妹がやってるような言い合いをした覚えがある。
「だったら交渉は無理。押しつけるような言い方になれば喧嘩になるし、お互いしこりが残るような結果は嫌なんだろ」
「うぅ、だったらいっそ、彼方ちゃんがスクールアイドルを辞めれば……」
僕は頭を振った。
そんなことをすれば、遥さんはきっともっと怒る。同好会のみんなも。
やりたい気持ちを否定するなら、僕たちは全力でそれを阻む。こんな状態で、近江さんを辞めさせる選択肢は存在しない。
「スクールアイドル、続けたいんだろ?」
「……うん。みんなと一緒に活動できるの楽しくて、やりたいこともいっぱいあって、幸せで……」
「やりたいなら、それを否定させることはさせないよ。じゃなきゃ、優木さんだって、いやみんな辞めちゃうことになる」
僕の言ってることをよく理解してるようで、近江さんはわしゃわしゃと髪を掻きだした。
「もー! どうしたらいいのー!」
一通り取り乱した後、彼女は机に突っ伏した。スライムのようにべったりと張り付くようにして、力なくうなだれている。
「遥ちゃんとすれ違って、悲しくなった彼方ちゃんは、湊くんに全てを託すのでした……」
「こらこら」
「だぁってぇ、あれもだめこれもだめで、私にはもう何も思いつかないんだもん」
悩みに悩んだのだろう。それでも答えは出なかった。だからこうやって僕に打ち明けてきた。
ふむ、と脳を巡らせる。
家庭の話も入ってきて、勝手なことは言えない。それぞれ抱える事情はあり、解決法は千差万別だ。
なんにしても、まずは話し合いの場を設けなければ先へは進めない。しかしそれもさせてもらえないとなると……
「言っても聞かないなら、スクールアイドルらしく歌で届けよう」
お互いスクールアイドルなら、これしかない。
言葉でダメなら態度と行動で。いつだって信頼を得るにはこれが一番のやり方だ。
言いたいことは歌で、伝えたいことは踊りで、表現する方法ならいくらでもある。
「頑張ってる。無理もちょっとする。だけどお姉ちゃんはこんなにも強いぞ、って思い知らせてやろう。全部解消ってわけにはいかないだろうけど、和らげるくらいは出来るはずだよ」
「……出来るかなあ」
「やるしかない。ここからは意地の張り合いだよ」
あっちが意地ならこっちも意地。
姉としての意地と強さを見せつけるんだ。思ってるよりももっと頼りになる存在であると、対抗心剥き出しで示してやろうじゃないか。
△
ヴィーナスフォート教会広場では、たくさんの人が集まっていた。
何を隠そう今日ここで、今から東雲学院のスクールアイドルがライブを行うからだ。
スクールアイドル激戦区の中でもトップクラスの東雲の人気は凄まじく、老若男女問わずごった返しだ。
「わ、来てくださってありがとうございます」
僕と高咲さん、優木さんが挨拶しにステージ脇まで来たところ、ちょうどよく遥さんがやってきた。
ステージ直前だというのに過度な緊張が感じられないところを見ると、やはり実力の高さがうかがえる。
「あの、お姉ちゃんは一緒じゃないんですか? 今日はどうしても見てほしいんです。だって……」
「遥ちゃん、彼方さんが待ってるよ、来て!」
問答無用。高咲さんが手を引っ張る。飛び出して、ステージの下へ。つまり観客の側へ。
「あの、なんなんですか?」
無言でステージを指差した。その瞬間、ぱっと照明が光りだす。
遥さんは目を丸くした。だって、そこにいたのは近江さん。東雲のステージで出るはずのない、近江彼方だからだ。
妖精のような、踊り子風の衣装。お姫様のようなティアラも頭に乗っけて、それまでのイメージとはマッチしながらも全く違う印象を混ぜている。
醸し出す雰囲気もゆったりしながら、きゅっと引き締まった二つを見事に放っている。
遥さんも、観客もまだ困惑する中、音楽が鳴り始めた。そして近江さんが踊り始める。
これは近江彼方のファーストライブ。同時に、妹に向けた宣戦布告でもある。
たった一人しかいない、味方のいないステージ。
ともすれば誰も近江さんのことを知らないかもしれない。東雲学院のステージを期待していたのに、あれは誰だと不満を感じてる者もいるかもしれない。
それでも、そんな中で逃げ出すことなんてせずに立ち向かう近江さんその姿に、弱さを感じる人なんていない。
美しく舞い、艶やかに歌う近江さんに、やがて誰もが吐息を漏らし、目を奪われる。
遥さんも同じで、一人のファンのように目を輝かせて、見入っている。
強くて、強くて、強い。だから信じて。
遥さんに届くように、近江さんは自分の思いを羽ばたかせる。
気づけば、あっという間に近江さんのライブは終わった。
最初は静かだった観客も、ぱちぱちと拍手しだし、ついには万雷と呼べるほどに称え始める。
僕も、息するのを忘れてたのに気が付いて、遅れて手を叩いた。
いてもたってもいられなくて、遥さんは壇上へと駆けていった。
「お姉ちゃん! 素敵なライブだった!」
近江さんは、目じりに涙を浮かべる妹をよしよしと撫でる。
「ごめんね、遥ちゃんのことわかってなくて。遥ちゃん、彼方ちゃんのこと、とっても大事に思ってくれていたんだね。ありがとう」
すれ違いのあった二人だが、ようやく目線を合わせられた。一方的な甘える、甘えられるだけの関係じゃなく、対等な姉妹として。
「あのね、二人とも同じ思いなら、お互いを支え合っていけると思うの」
「支え合って……」
「これからはうちのこと、いっぱい手伝ってね。お互い助け合って、スクールアイドル続けて行こう。二人で夢をかなえようよ」
「お姉ちゃんはそれでいいの? アルバイトしながらスクールアイドルって、やっぱり大変だよ?」
「平気平気。だって遥ちゃんがスクールアイドルをするのも、彼方ちゃんの夢なんだもん」
「お姉ちゃん……」
まだ何か言いたげな遥さんだったが、近江さんは余裕のある笑みで返した。
「あれえ? 遥ちゃんは、彼方ちゃんはこんな素敵なライブをしたのに、今日で辞めるなんて悔しいって思わないの?」
「それは、思う」
「スクールアイドルではお互いライバルだよ。お互い頑張ろ」
「……うん!」
姉妹の仲直りを見せつけられて、胸が熱くなる。見るのに夢中になっていて、高咲さんが隣でにっこり笑っているのにようやく気が付いた。
「ふふ、安心しきった顔ですね」
「大見得切ったのに失敗したらどうしようかと」
「心配だったんですか?」
「いいやまったく。近江さんならやってくれると思ってた」
あんなに見事にやりきってくれたのは想定外だったけど。
「続ける決心をしたようですね」
余韻に浸ってる間に後ろから声をかけてきたのは、クリスティーナさん。東雲学院のスクールアイドルだ。さらにその後方には、同学院代表の支倉かさねさんもいる。
「急なお願いだったのに、ステージを貸してくださり、ありがとうございます」
「あと、遥さんに黙っていてくれたのも」
優木さんに続いて、僕も礼をする。
このステージ、近江さんが踊れたのは、もちろん東雲学院が協力してくれたからだ。
頼み込んで頼み込んで、いざとなれば土下座もするつもりだったけど、彼女たちは二つ返事で了承。しかもオープニングを任せてくれた。
遥さんが辞めそうだという話は、あっちでも問題になってたらしい。そりゃそうか。
「おかげでメンバーの危機が救われたよ。それに、とっても素敵なライブで、やる気貰っちゃった!」
「本当にありがとうございました。僕に出来ることでしたら、なんでもご協力いたしますので」
「あら、その言葉、本気で受け取りますよ?」
「あの天王寺湊さんに『なんでも』……してほしいことがありすぎて、困っちゃうね」
「お、お手柔らかに」
ああそうだった。変な噂が蔓延してるんだった。
しかしここまでしてくれた彼女たちには、本当に返しきれない恩が出来た。無茶ぶりされても断れないなあ。
なんて思いながら……とにかく今は、壇上で近江姉妹が抱き合う姿を、目に焼きつけておくとしよう。