「最近は?」
「妹が、前より笑うようになった」
いつも顔を合わせる女性に返す。
「その割には、嬉しくなさそうね」
「そんなこと。璃奈が笑えるようになるのが、僕の願いだから。ただ……」
「ただ?」
「……」
「話してみて。ここで話したことは絶対に漏れないわ。それは分かってるはず。ゆっくりでいいから、思ってることを言ってみて」
「……僕じゃなかった」
本当は、こんな弱音を吐くつもりじゃなかった。でも彼女に会うということは、僕が弱っている証拠だ。
最近は特に頻度が多い。こんな状態じゃ、いつ誰に見られるかわかったもんじゃない。
落ち着くためにも、ほんの少しだけ心の内に向き合うことは……必要なのかも。
「璃奈の表情が分かるのも、璃奈に必要な言葉をかけられるのも僕だけじゃなかった」
「それで、あなたはどう思ったの?」
その問いには、答えられなかった。
「……つらいのね」
「そんなこと、思う資格なんて僕にはない」
僕は俯いて、言葉を続けた。
「少しだけ背中を預けて、次の瞬間には何事もなかったかのように心残りもなく離れる。僕はそんな、その時たまたまあった壁にしか過ぎない」
△
「お邪魔してま~す」
「こ、こんにちは」
「いらっしゃい」
用事があった僕が帰ってくると、すでに近江姉妹が我が家にやってきていた。
今日は、この間のお弁当交換の際に言っていた料理会の日。
お互い共に料理をしながら、気にしてることを言い合って、レベルアップを図ろうという集まりだ。
近江さんが言いだして、社交辞令だと思ってたけど、とんとん拍子に話が進んだ。せっかくだから、遥さんも呼んで一緒に食べようという話になったのだ。
その遥さんは、リビングの椅子に縮こまるように固まって座っている。
「遥さん、やけに緊張してるみたいだけど」
「彼方ちゃんのライブ見て以来、湊くんへの憧れがますます強くなったみたいで」
「なんで君のライブで、僕に憧れることに……」
「音楽とか映像とか演出とか、湊くんがやってくれたんだよ~って言ったからかな」
まるで僕が全部やったかのような言い方。
高咲さんもそうだったけど……一度、僕がやってることを羅列して、誤解を解いてやらねばいけんかもしれん。
「遥ちゃん、あの時以来だね。会いたかった」
「私もです。今日はお招きいただき、ありがとうございます」
「敬語いらないよ。同い年でしょ?」
「う、うん」
璃奈が遥さんと距離を詰める。
友達が増えてから、同年代に対しても積極的に話しかけるようになっていた。宮下さんの影響によるところが多いだろう。良い傾向だ。
「妹たちの心配はいらないみたいだ」
「うんうん。じゃあ彼方ちゃんも堪能しよ~っと」
「堪能て」
「この前は事情が事情なだけに、じっくりいられなかったから」
そういえば、この間みんなで押し寄せてきてたな。
じっくり家でくつろいでもらったのは、他には高咲さんと上原さん、宮下さんだけだ。
「湊くんの部屋見てみたいな~」
「……ちょっとだけだぞ」
確か、見られて困るようなものはないはずだ。少なくともすぐ手に取れる場所には。
やましいことはないですよ、と証明するために彼女を部屋に案内する。
「お~」
PCと本、机とベッドがあるだけで、目を見張るものはない。なのに興味深げにきょろきょろと見回している。
「男の人の部屋って、もっと汚いかと思ってたのに」
「勉強かパソコン触ってるかくらいしかしないから」
と話している間に、近江さんはおもむろに床に膝をついて、ベッドの下を覗きはじめた。
「うむむむ、何もない」
「何を探してるんだ」
「そりゃあ、健全な男子高校生には一つや二つくらい……ねえ?」
ねえって言われても、君が見たいような面白いものはないよ。
まあ、あっさり部屋へ案内したあたりからそのことは分かっていたようで、別に気にしてる様子はない。
「璃奈の部屋ならゲームあるよ。そっち行く?」
「ん~、それは後」
捜索は諦め、近江さんはベッドにぽすっと腰を下ろした。
なんだか、自分の寝てるとこに女の子が座っていると背徳感が湧き上がってくる。いやいやそんなことを思っていては失礼だ。
「ありがとう、湊くん」
急にしっとりとした雰囲気で、彼女は礼を言ってくる。
いつもより真剣で、真面目な目つきだった。
「それは何についての礼?」
「全部だよ、全部。スクールアイドル同好会を守ってくれたのも、みんなを戻してくれたのも、曲を作ってくれるのも、お悩み解決してくれたのも」
元に戻って、問題が片付くまで、ずっと不安に思って胸が張り裂けそうな気持ちだったことは知っている。
でなければ、連絡を無視するなんて彼女がするわけがない。そのつらさは、傷が癒えた後もずっと残ってる。経験として残ってる。
そんな苦い記憶があるはずなのに、まだ僕を信じてくれる。
感心するほどに殊勝。応えなくちゃな、って感じさせるほどに。
△
「これが、私が四歳の時」
「か、かわいい……こっちが湊さん?」
「そう。お兄ちゃん六歳」
「こっちもかわいい~」
「なにしてんの」
なんて聞かなくてもわかる。璃奈が開いているのは、家族のアルバムだ。
最近になるほど写真が残ってなくて、小っちゃい時のばっかりだけど。
「懐かしいもの出してきたな」
「わ、ほんとだ。璃奈ちゃんかわいい~」
後ろからひょっこり顔を出した近江さんも覗き込む。
わかる。璃奈かわいい。世界一。
「うちのも持ってきたらよかったねえ。遥ちゃんの可愛さを存分に教えてあげられたのに」
「お、お姉ちゃん!」
「今度見せて。興味ある」
「湊さんまで!」
「照れる遥ちゃんも最高だよ~」
うりうりと妹に頬ずりする姉。
この二人の小さいころ……なんとなく想像つくけど、実際に見るとそれ以上なんだろうな。
「ね、妹を称える歌でも作らない?」
「いいね」
「よくない」
「やめてくださいっ」
姉である近江さんなら、ものすごーく感情込めて歌ってくれるだろうからちょうどいいと思ったのに、妹二人に猛烈に否定されてしまった。
本気百%なんだが。
さて、今日の本題である。
「よぉーし、璃奈ちゃんと遥ちゃんのため、腕によりをかけるぞー!」
「おー」
「わあ!」
「楽しみ」
キッチンに食材を並べて、上の二人で拳を挙げる。
近江さんが着けているエプロンは、本当は璃奈用だけど、全然使わないからほぼ新品だ。ちょっと小さいけど、今回限りだし我慢してもらおう。
事前に揃えておいた食材を並べて、それぞれ使うぶんを手に取る。
二人で下ごしらえをしても余裕あるほどキッチンが広くて助かった。
ちらりと隣を見る。
さすがに包丁さばきも速い。他人の家の台所なのに手際もいい。
それよりもちょっと意外だったのは、イメージしていた作り方とは違うところだった。
焼き色を細かく見ているわけじゃないし、調味料も目分量。適当というわけじゃない。これが家庭における近江彼方の料理の仕方なのだろう。
当然といえば当然だが、ある程度入れるべき量が分かっていれば、いちいち計るよりこっちのほうが時間短縮になる。
「ボウルボウル……」
「そこの棚」
「あ、あった」
頭上の棚から、目当ての物を取り出す。肩が触れそうなほど近づかれて、僕は慌てて目と体を逸らした。火にかけたばかりの鍋を不自然なほど注視する。
「料理」
「ん?」
「どうして料理専攻に?」
近江さんの所属はライフデザイン学科フードデザイン専攻。実技だけでなく、もちろん栄養学などの理論にも基づいたちゃんとした勉学を行っている学科だ。
最初、それを聞いた時には驚いた。なんというか……てきぱきこなしている印象が、見た目では無かったからだ。しかし、知れば知るほど、納得せざるを得なかった。緩い印象はまだだいぶ残っているが。
「うちはね、お母さんもお父さんもお仕事で忙しいから、彼方ちゃんがご飯を作るようになったんだ。で、お料理してるうちに好きになって、今に至るってわけ。半分は、遥ちゃんにいいものを食べさせてあげたいってのもあるけど」
「姉バカだな」
「兄バカな湊くんと一緒だねぇ」
確かに、きっかけは似ている。妹に対する愛情も。さすがに極めようなんて思わなかったけど。
「将来は料理の道に?」
「ん~、そういうお仕事ができたらいいなって思うけど、まだわかんないなぁ」
「お店出すとかも?」
「憧れではあるけど、今は保留かな」
「もう三年生なのに」
「青春は今だけだよ、湊くん、今を楽しまないと」
彼女は手を止め、じっとこちらを見た。
「ちゃんと楽しまないと」
「何度も言わなくても」
「何度も言わないと分からない人だから、湊くんは。や、何度言っても分からない人かも」
「そこまで分からず屋じゃない」
「鈍感ではあるけどね」
「どういう意味?」
「ほら、鈍感」
得意げな顔になって、再び手を動かす。僕は頭にはてなを浮かべながらも、同じく調理に戻った。
妹たちが楽しげに喋ってるのを見ながら、同級生と並んでご飯を作る。他人と料理するのってどういうのかと思ったけど、いつもより楽しい。
近江さんはどう思ってるだろう、と横目で見ると、
「なんだかこうしてると夫婦みたいだねぇ」
そんなことを不意に言われて、指を切りそうになる。
「急に変なこと言わないでくれ」
「んふふ、どきどきしちゃった?」
「ノーコメント」
美人な近江さんにこんなこと言われて、平静でいられる奴なんているのか。
エマさんも天然でそういうことを口にするし、朝香さんなんか分かっててからかってくる。
同級生の男たちはさぞ困らされていることだろう。
「なんか、こういうのいいねぇ」
本当に、困る。
△
お互いのご飯は大成功。
筍と鶏の煮物、かぶと人参の酢の物。わかめの味噌汁。あとはサラスパと玉ねぎときゅうりのサラダ。かぶの葉を使ったじゃこ炒めはお好みで。
そんな凝ったものではないが、妹たちにも絶賛の言葉をいただいた。あの璃奈がおかわりをしてきたほどだ。
近江さんの料理で舌が肥えている遥さんも美味しそうに頬張っていた。
お互いに相手の作った料理を堪能し、褒め合い、レシピの交換をし合い、お茶も飲んで一息。そこから学校のことだったりスクールアイドルのことだったりを一通り喋り終わると、いい時間になった。
今日はこれでお開きにすることにして、深々と礼をした近江姉妹に、こちらこそと返事して腰を上げる。
「送っていくよ」
「私も」
「璃奈は残っててくれ。もう夜遅いんだから」
「そんなのいいのに」
スクールアイドル姉妹なんて美人二人組を、東京の夜に放り出すわけにはいかない。
エプロンを外して、玄関に向かう。
玄関を開けて外に出ると、どっぷりと更けているが、街灯がそこかしこにあって光は足りてる。
それでも夜というのは危険極まりない時間帯だ。
当の二人は、そんなの気にしてないみたい。
「今日はありがとうございました。湊さんのご飯、とっても美味しかったです」
「僕のほうこそ、来てくれてありがとう。楽しかったよ。近江さんの手料理も食べられたしね」
「ふっふっふ、湊くんの胃袋はがっちりいただいたぜ」
「私もお姉ちゃんに習ってるんですけど、まだまだで……」
習ってる。ああ、そういえば、少しでも負担を減らすために、頼りきりだった家事を覚えようとしているんだっけ。健気な妹だ。
近江さんとしては、居てくれるだけで癒しになるんだろうけどね。
「回数こなしていったら上手くなるよ」
「あ、あの……美味しくできるようになったら、食べてくれますか?」
「もちろん。楽しみにしてるよ」
なにせあれだけ美味いものを作れる近江さんの教えを受けているんだ。今に僕以上の腕になることだろう。今から期待が持てる。
「あー、だめだめ。遥ちゃん口説くの禁止でーす」
「口説いてない」
「でも、遥ちゃん顔真っ赤」
「い、言わないでよ、お姉ちゃん!」
暗くても分かるほど、頬を紅潮させた遥さん。庇うようにして抱き着く近江さんは、彼女に耳元で囁いた。
「お料理、頑張ろうね。それで湊くんの胃袋を掴んで二人占めして……」
「わ、私は別に、そんな……」
というような会話は、聞こえないふりをしておこう。