みんな、朝香さんから言われたことで、各々考え直したようだった。集まって、改めて立候補を募ると、全員が手を挙げた。
自分の実力を試したいというのもあるだろう。なら精神的にはイーブン。誰がステージに立っても文句はない。
だったら、と自分以外の誰かに投票をすることに決まり、全員が朝香さんを指すという結果になった。
過去のことから衝突を嫌う虹ヶ咲スクールアイドル同好会の弱さをきっぱり指摘する強さ。それこそが今回必要だったものだ。
隠れて努力してたおかげで実力も申し分なし。それに、綾小路さんの言う通り、モデルがスクールアイドルをやる話題性もある。
精神的な話だけじゃなく、そういったもろもろを含めて、僕も支持した。
ダイバーフェス当日は天気に恵まれ、雲一つない空には太陽しか浮かんでいない。
リハも準備も滞りなく終わって、あとは順番を待つだけだ。
着替えは高咲さんに任せて、僕は会場の様子を確認しに来ていた。
ただでさえ気温は高いのに、それをさらに増すような熱気が漂っている。
関係者の身分を活用して、ステージの近くをうろうろする。こういう大きなライブを直接見ることはかなり勉強になる。
機材、スタッフの人数や役割、動線、バミリに至るまで、見える全てを頭に入れて、自分なりに解釈する。
ふむふむ、これは高咲さんも一緒に連れてきたほうがよかったかな。他のみんなにも一度見てもらうのがいいだろう。
踵を返して虹ヶ咲の控えテントに戻ろうとした瞬間、とある人物が目に映った。
今日のライブに誘ってくれた藤黄の綾小路さんが、彼女たちのテントから出てきたところだった。
「綾小路さん」
「天王寺さん。今日はお互い頑張りましょうね」
突然声をかけられても、きちっとした立ち振る舞いをする彼女に感心する。
華道をやっているというのをどこかで見たことがある。それの賜物だろう。
「うん。と言っても、頑張るのは朝香さんだけど」
「その果林さんなら、先ほどお会いしました。スクールアイドルとして、虹ヶ咲学園代表として、恥ずかしくないパフォーマンスをする、と」
大きく出たな。
それが出来るだけの存在感と実力は確かにあるけど、豪語できるだけのメンタルまで持ってるなんて。
僕からしたら超人だ。
「あの凛とした佇まい。なんでも着こなしてしまう美しさ。あの果林さんが立つステージを見られるなんて……」
こちらが口をはさむ暇もなく、すらすらと褒める言葉が流れ出てくる。
この早口で熱を持った喋り方、高咲さんがスクールアイドルを話す時や、優木さんがアニメの話をする時と似ている。
人は好きなものを語る時、こうやって夢中になってしまうため、あらゆるスピードが速くなってしまうのだ。
彼女がはっと気づいた時には、もう遅かった。
「なるほど、ファンだったってわけか」
「あ、ああぁぁ……」
普段の大和撫子な姿から一転、顔を隠して伏せてしまう綾小路さん。
いや、恥じることはないと思うけどね。誰だってこういう経験あるでしょ、いわゆる、オタク特有の早口。
「こ、このことは黙っておいていただけると……私情を挟んだとなれば、こちらもそちらもいい気はしないと思いますし……」
「そうすると、朝香さんに近づきづらくなるしね」
「天王寺さんっ」
ちょっとからかうといい反応をする。藤黄の中でも意外といじられキャラだという情報は本当らしい。
「了解。遅かれ早かれだとは思うけど。でもあれだって嘘じゃないんでしょ。あの、桜坂さんの舞台を見たのがきっかけっていうのは」
「はい。あれだけの表現力をもって、劇も歌も踊りも高水準で歌えるスクールアイドルはそうそういません」
桜坂さんは元々体力もあったし、声も張れた。それでもステージに間に合わせるにはそうとうしごいたけど、こうやって同業者が理解してくれると報われた気分になる。あとで伝えておこう。
「それも、遥さんの話を聞けば納得いきましたけど」
僕をじっと見てくるのはなんの意味があるのか。
もしかして、遥さん、僕のことをまた美化して伝えたんじゃないだろうな。
あの子の誤解もそろそろ解かないと、とんでもない尾ひれがついてしまいそうで怖い。
「そういえば、以前、東雲学院に借りがあると」
「ああ。近江さんのことでちょっとあってね。ステージを貸してもらったんだ」
「聞けばその時、『なんでも』すると仰ったとか」
「まあ、そうだね」
「私たちにも、その権利はありますよね?」
う、と僕は詰まる。
確かにあの時、東雲の代表にそんなことは言った。別に冗談とか社交辞令とかではなく、本気で何でもやるつもりだった。
それだけ、あれは必要なステージで、必要なお披露目だった。
となると、藤黄にもこれだけでかいドでかいチャンスを貰ったんだから、仕方ない。
「ふふ、またご相談に行きますね」
僕の沈黙を肯定と受け取って、彼女は含みのある表情で微笑んだ。
△
時間は過ぎて、陽はとっくに落ちた。
それでもダイバーフェスの賑わいは衰えることなく、スクールアイドルのお披露目タイムになったことで若者の声が増していた。
東雲のライブが始まっている。もうあと十分も経たずに、虹ヶ咲の番だ。だが……
「遅いですね、果林さん」
「もうすぐ出番なのに……」
みんなが揃っているテントの中に、肝心の朝香さんが見当たらない。戻ってもこない。連絡を取ろうにも、スマホを含めて荷物はここに置いていったきり。
「まさか迷子?」
「子供じゃあるまいし、そんなはずあるわけ……」
高咲さんの呟きに呆れる中須さんだったが、方向音痴を知っている僕たちは困った顔をして、口を揃えた。
「あるかも」
「あるんですか!?」
△
「果林ちゃーん!」
エマさんが走り出す。
ステージからはそう離れていないところにあるベンチに、うなだれている朝香さんがいたからだ。
電飾のラインを飾り付けられている紺色の衣装から見える素足、腰、腕は彼女のセクシーさを際立たせている。
が、今はその体もひどく小さく見える。
「具合悪いの?」
「……ビビってるだけよ」
璃奈の問いかけに、彼女は下唇を震わせた。
「我ながら情けないったらないわね。こんな土壇場でプレッシャー感じちゃうなんて。ほんと、みっともない。あんな偉そうなこと言ったくせに。ごめんなさい」
朝香さんの小さな声をかき消すように、歓声が聞こえてくる。
この舞台裏の向こうには、スクールアイドルを見に来ている人ばかりじゃない。虹ヶ咲も、朝香果林のことも知ってる人は極少数。そんな中で、何千人を相手に一人で、最高を演じなければいけない難しさと恐怖に直面したのだ。
僕はエマさんと目を合わせ、頷く。
エマさんはゆっくりと朝香さんに近づいて、目線を合わせて手を握る。
「大丈夫だよ、果林ちゃん」
「でも、こんなんじゃ」
手も声も震えて、表情も作れなくて、足が竦んでいる。
確かにこのままじゃステージで踊るどころか、ここから立つことすらできない。
一人じゃ、もう限界なんだ。
だけど……
「大丈夫」
エマさんと同じく、璃奈が手を重ねる。近江さんと桜坂さんもさらに合わせた。
「私たちがいるじゃん」
「そうですよ。ソロアイドルだけど、一人じゃないんです」
朝香さんは顔を上げる。その表情は、どうして、と物語っていた。
「なんで……そんなに優しいのよ」
「わかるでしょ、そんなの聞かなくたってさ」
ソロアイドルでお互いライバル。だけど、同じ同好会に居て、同じ夢を見ている仲間だから。
こんなに単純なこと、頭からすっかり抜け落ちていたみたいだ。
彼女は深呼吸すると、ぱっと立ち上がった。
「うん、大丈夫」
「果林先輩!」
覚悟を決めた彼女へ、中須さんが手を掲げる。
「ほらタッチですよ! かすみんのエネルギー、分けてあげます!」
パン、と威勢のいい音が鳴る。中須さんに続いて、みんなが朝香さんの手を叩いていく。
一発ごとに、彼女を圧し潰そうとしていたプレッシャーが消えていく。
九回重なった後には、怯えていた朝香さんの姿なんてどこか遠くへ飛んで行っていた。
「行ってくる」
背を向けて行こうとする朝香さんの隣に並んで、僕もついていく。
「一人で行くと迷うだろ」
こんな土壇場で場所を間違えました、なんてしゃれにならないからね。サポート役として、ちゃんと連れて行かないと。
「そうね。あなたが引っ張って、湊くん」
ぐいっと強引に袖を掴まれた。今回に限っては、振りほどく気もない。
僕は、スクールアイドル朝香果林の実現を約束した。僕はそのためにいると大言を放った。
大層な人間じゃないけど、その誓いだけは守らないと。
「ところで、今回の衣装、けっこう露出が多いのね。湊くんの趣味?」
「リサーチの結果! モデルの衣装とファン層から判断して、これがベストだと思っただけだよ」
「あら、顔が真っ赤よ」
「あんまりからかわないでくれよ……」
「ふふ、君のそういう初心なとこ、好きよ」
「僕は、君たちのそういうところが苦手だよ」
軽口を叩きながら、ステージ袖に近づく。観客の盛り上がりは衰えることなく、ビリビリと伝わってくる。
きゅっと、掴む力が強くなった。
「……あなたは、失望した?」
弱さの残る声で、彼女は言った。
「私がほんとは、こんな怖がりだって知って、失望した?」
「いいや、むしろ安心したよ」
まだどこかで、凄い人だという認識があったのかもしれない。モデルとして働いてるから、場慣れしてるかも、とも。それとこれとはまったくの別だということは分かっていたのに。
だから彼女が弱音を吐いた時、僕は安堵した。
朝香さんもやはり普通の女の子なのだ。大舞台を前にして心が竦んでしまう、普通の女の子。
怖さを感じて、自覚して、吐露してくれたのもまた単純に嬉しかった。同好会を、心を預けられる場所として見てくれているってことだから。
「……また悪い癖が出ちゃったみたいね。どうも完璧にしなきゃって思っちゃうの。どうあがいても、私は私なのにね」
言葉の雰囲気とは裏腹に、吹っ切れたような顔をしていた。
朝香さんの言う通り、彼女は彼女だ。その朝香果林だけが出来るステージを待ってる人がいる。
「そうだね。方向音痴の朝香さん」
「……湊くんには、なんだか恥ずかしいところばかり見られてる気がするわ」
「君の怯えるところも見たしね」
「いじわるね」
「君には負ける」
言い合いも、そろそろ終わりだ。
舞台袖に来てみるといよいよという感じがしてくる。観客のはしゃぐ声は直に聞こえてきて、体を揺さぶってくる。
そんな衝撃を一身に受けても、朝香さんは一歩も引かず、僕が何を言わずとも前へ踏み出した。
最後に朝香さんはくるりと振り向いて、屈託のない笑顔をしてみせた。
「いってらっしゃい、朝香さん」
「ええ。見てて、湊くん」