「力が抜けてる」
現れて開口一番、彼女はそう言った。
「それは……良いこと? 悪いこと?」
「あくまで私個人としては……無気力に見える」
僕はため息をつく。
言い当てられて当然なんだけど、厭な気持ちになる。
「疲れてるだけだよ。放課後だし」
「隠すクセは変わらないのね」
心底残念そうに、そして非難するような口調でそう言った。
その顔は苦手だ。僕が悪いことをしたような気分になる。ひどい罪悪感に苛まれる。
でも僕は決して、つらいだなんて言うつもりはなかった。言わなければ発散もできないが、どうせいつかは薄れていく。無いのと同じだ。
であれば、わざわざ吹聴して回ることもない。
「私はあなたを助けたいの」
「助ける? どうして。どうして助ける必要なんて」
自嘲気味な苦笑とともに、反射的に言葉が口をついて出た。
「あなただからって全部肯定することなんてないだろ。『君は間違ってる。酷い人間だ。助ける価値なんてない』って言っても、いいじゃないか」
そう言ってくれたほうが楽になる。所詮その程度の人間なんだと納得できる。
この人は、僕の心をざわつかせるようなことしか言わない。たまには、望むとおりの発言をしてくれてもいいのに。
怒って、罵って、罵詈雑言を吐き捨てるくらいしても、僕は文句は言わない。言えない。
「そんなことないわ。自分を責めないで。あなたは被害者なのよ。だって家族を……」
「それはお父さんだって同じだ」
その言葉で思い出した光景を、嗚咽ごと飲み込んだ。
「僕だけがつらい目に遭ってるわけじゃない」
△
「み・な・と・くん」
「っ!」
ぽんと肩に手を置かれて、僕は飛び上がる。
みんなが来るまでの間、部室で一人編集作業をしていたところだったから、気が緩んでいた。
僕に挨拶した当の本人である朝香さんと、その後ろについてきていた桜坂さんは目を丸くしていた。
「そんな、取って食べたりしないわよ」
「びっくりした……」
今の一瞬で、寿命が何年か縮んだ気がする。ほんと、いきなり話しかけられるのは心臓に悪い。
すぐそこに来るまで気づかなかった僕が悪いんだけど。
「……ほんとに?」
「そんな感じには見えませんでしたけど。触られるのが嫌、とか?」
「そういえば、最初に会った時も握手しなかったわね。かすみちゃんのタックルも避けるし、遥ちゃんに手を握られた時は焦ってたみたいだし」
「女の子に免疫がないと、挙動不審になるもんだよ」
特に、君たちみたいな美少女に僕が触れるなんて。ファンだってお願いしてからの握手が精いっぱいだっていうのに。
「だからって、今のは……ちょっと驚きすぎじゃないですか?」
「僕だって、急に話しかけられたりしなければ驚きはしないよ」
「なーにか隠してるように見えるのよね」
「白状するなら早いほうがいいですよ、湊先輩」
まあ、たしかに、この二人相手ではことさら距離感に気を付けているのは認めよう。それにはいくつかの理由がある。
本人に言いふらすのはあまり褒められたことではないが……仕方あるまい。
「実は、朝香さんと桜坂さんのスキンシップは危険だから気を付けろとお達しを受けまして……」
「誰からですか?」
「……君たちと同学年の方たち」
曰く、しず子は強引なところがあるから注意してください。
曰く、しずくちゃんがお兄ちゃんを見る目、本気の目だった。
曰く、果林ちゃんと二人っきりになるのは絶対に避けてね。
曰く、油断してたらぱっくりいかれちゃうかもね~。
誰がどれを言ったかは、個人を尊重して伏せておこう。
「エマも彼方も、あなたに相当近づきすぎだと思うんだけど」
「璃奈さんとかすみさんも、やたらとベタベタしてる印象がありますが」
そんなことはありません……ないよな?
言葉に詰まっていると、二人はジト目で僕を睨んでくる。
「ずるいわよね。他はよくて、私たちはダメなんて」
「扱いに差があるのは、良くないですよ」
「つまり等しく距離を取れと」
「逆です」
「私たちとももっと仲良くすべきだと思うわ」
迫ってくるなんてことはしてこないが、視線の迫力は異常に強い。
思わずじりじりと下がってしまう。冷や汗も出てきた。
「今日はいやに聞き分けが悪いね」
「だって、同じ同好会の仲間なのに、湊先輩だけなんだか一歩離れてるんですもん」
そんなこと言われましても。
性別、学科、学年……感じようと思えば、壁なんていくらでも感じられるものなんだからしょうがないんじゃないかな。
「名前で呼び合うくらいしてもいいんじゃないかしら?」
「そうですよね。湊先輩、エマさんのことしか名前で呼びませんし」
「いやあ、それを言ったら、桜坂さんも……」
「今は湊先輩の話です」
「だったら、逆に僕を天王寺って呼べば……」
「それは璃奈さんと被るのでダメです」
「天王寺、と、璃奈で分けられるじゃないか」
「却下です」
ひえぇ。
有無を言わさない威圧感。この子本当に一年生か? 去年まで中学生とは信じられないんだが。
持ち前の演技力をどこで活かしてるんだ、まったく。
「一回だけでいいですから」
「一回?」
「そう、一回だけ。演技すると思ったら、少しは楽じゃないですか?」
こういうのは、一発芸と同じで、振られたら即やってしまうのが一番あっさりと終わるもんだ。
長引かせれば長引かせるほど、どんどん深みにはまってしまう。
よし。覚悟を決めよう。
「じゃあ……」
「あ、待ってください。目はちゃんとこっちに向けて、体も正面にして、そうそう、そうです。それでお願いします」
互いに向き合うようにして、見つめ合う。
まるでなんか、大事なシーンみたいじゃないか。
そう、シーン。これは一つのシチュエーション。だから僕がすべきは、これに合うセリフを言うだけ。演技だ、演技。彼女の言う通り、演技をするように。
後輩の名前を一度呼ぶだけだ。何を恐れることもない……はず。
「しずく」
「っ」
息を呑んだ音がした。
何かを抑えつけていた様子の桜坂さんは、みるみる耳まで赤くして、最終的には声にならない声を上げて顔を手で覆った。
ええぇ、どういう反応?
「次は私の番ね」
「あの、桜坂さんは……」
「大丈夫よ」
「そう見えないけど」
ソファに座って、近江さん専用の枕に顔を埋めているじゃないか。
気に障ることをしてしまったか、あるいは可笑しかったか。
朝香さんは、心配しておろおろしている僕と桜坂さんの間に割り込んで、強制的に視線を遮った。
「今は、私を見て」
そんな挑発的なことを言って、彼女は立ちはだかる。
これもまた仕方なし、だ。
桜坂さんにした時と同じように、正面を向いて、目を合わせる。
朝香さんの身長は女性にしては高く、僕とほぼ変わらない。だからだろうか、こうやって正対すると、実際よりも近くに感じて綺麗さがより際立って見えた。
意識してしまうとまずい。静かにきらめく瞳に吸い込まれていきそうだ。
「果林」
どうにかなってしまう前に言い切ると、彼女は硬直したまま、動かなくなった。
……
…………
………………まだ動かない。石化魔法でも打たれたみたいに、一切微動だにしない。
まばたきもしないし、なんなら呼吸をしている様子もない。
「朝香さん?」
大丈夫か、と声をかけようとした直前、彼女は大きく息を吐いて髪先をいじり始めた。
「なるほど。なるほど、ね。これは危険だわ」
何かを得たように、しきりに頷く朝香さん。まだプルプル震えている桜坂さんもこくこくと同意している。
「そうですね。こちらも甘く見ていたというか……とにかく、危険です」
何をもって危険としているのかは分からないけれど、名前で呼ぶのは一旦諦めてくれたみたいだ。
よかった。呼び方を変えるのは、大きくなればなるほど恥ずかしいものだ。
仲良くするはずが、なんだかよそよそしくなってるのはちょっと寂しいけど。
「かすみんが来ましたよ! ……ってなんですかこの空気」
ナイスタイミング!
恥ずかしさと高鳴る心臓、あとなにかしらのせいでで誰も口を開けなくなった空間に、中須さんが来てくれた!
この変な雰囲気を感じ取った彼女は、首をかしげてしばらく考えた後、目をパチクリさせた。
「はっ! まさか湊先輩が、しず子と果林先輩の毒牙に……」
「そんなこと思ってたのね、かすみちゃん」
朝香さんががしっと、頭を掴む。
微笑みを湛えてはいるが、手には青筋が浮かんでいる。あと、ミシミシ音が鳴ってるんだけど、中須さんの頭破裂したりしないかな。
「ちゃんとした教育が必要みたいね。ええ、気にしないで。先輩として、あなたをちゃぁんといい子にしてあげるから」
「かすみさん、湊先輩に『気を付けて』って警告したらしいね。そのことについて色々、聞きたいことがあるんだけどなあ」
桜坂さんも、逃がすまいと腕を掴む。
まあ、仲がよろしいこと、なんてのはこの状況を初めて見た人でも思わないだろう。だって二人とから黒いオーラが出てるんだもの。
入ったら殺られそうな間合いが見える。
状況を理解するにつれて、中須さんの顔がみるみる青くなる。
気分が悪くて顔が真っ白になるとか、真っ青になるとかって、比喩表現じゃないんだなあ。
「それじゃ、私たちはお話合いがあるので」
「また後でね、湊くん」
いい笑顔で、涙目を浮かべる中須さんを、ずるずると引きずっていく。
助けを求める視線がぶつかってくるが、僕は首を横に振った。諦めろ。
「み、湊せんぱ~い! 助けてぇ!」
すまない、僕に出来るのはこれだけ。
手と手を合わせて、合掌。