天王寺湊は虹を駆ける【完結】   作:ジマリス

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3 それがやりたいことなら

「おはよう、お兄ちゃん」

 

 まだ眠気の残っている顔で、妹の璃奈(りな)が挨拶する。

 そこでようやく、僕は自宅のキッチンに立っていることを思い出した。

 ハッとして目の前のフライパンを見る。気を離したのは一瞬のようで、焼いているベーコンは焦げついていなかった。

 なんでもない顔を作って、後ろを振り向く。

 

「おはよう、璃奈。ご飯できてるぞ。先に顔洗ってきて」

「うん」

 

 とてとてと、150センチに満たない小さな体躯を揺らしながら、璃奈は洗面台へ向かう。

 姿が見えなくなったのを確認して、大きくため息をついた。

 朝から気分が悪い。変な夢を見たせいだ。

 

 嫌な気分を振り払って、朝食を卓に並べる。

 ベーコンと目玉焼き、そしてトーストとコーンスープ。ベタだけど、だからこそ朝食って感じがする。

 俺が机に座るのと同時、璃奈も顔を洗い終えて食卓についた。

 スプーンとお箸を渡して、手を合わせる。

 

「それじゃ、いただきます」

「いただきます」

 

 璃奈がもぐもぐと朝ごはんを食べる。

 僕が作り始めた当初は、あまりにも朝が弱くて食べてくれなかったけど……いまこうして食べてくれるのを見ると、なんだか感動を覚える。

 前に比べると、かなり血色も良くなってきたようだ。

 

 ぱっちりとした目と幼い顔つきは、まるで人形のように整っている。

 並んでいるところを見られると、いつも僕の妹かと疑われるくらい、僕に似ずに可愛い。

 

「お兄ちゃん、食べないの?」

「あ、ああ、食べるよ」

 

 ぼーっとしてた僕に疑問を覚えて、璃奈は首をかしげる。

 いかんいかん。変に思われるのは良くない。

 すぐに平静さを取り戻して、箸を進める。

 特に会話があるわけではないが、それはいつもの通りだ。僕も璃奈も、そんなに会話が得意なわけじゃない。 

 すぐに食べ終えて、食器をキッチンに運ぶ。

 

「はい」

「ありがとう、璃奈」

 

 空の皿を受け取って、軽く流す。ちゃんとした処理は食洗機任せ。

 ええと、洗剤洗剤……

 

「お兄ちゃん」

「どうした?」

「ペット、飼っちゃダメ?」

「ペット?」

 

 食洗機のセットを終えて、スタートボタンを押す。ちゃんと音を立てて動き出したのを見て、璃奈に向き直る。

 

「学校の近くで、猫見つけたんだけど……」

 

 曰く、捨てられてる猫を学校に匿っているが、それを家で飼えないかという相談だ。

 

「このマンション、ペット禁止だからなあ」

「そう……」

「その猫、もう学校に住み着いてたりする?」

 

 璃奈はこくりと頷いた。

 

「はんぺんって言うの」

「もう名前つけてるのか……」

 

 飼う気満々じゃん。

 知ってしまった以上、放ったらかしは可哀そうだとは思うが……ルールはルール。

 うーん、誰か飼ってくれそうな人探すか。

 

「あ、あと、そういえば、一昨日スクールアイドル同好会の部室を探してる人たちが……」

 

 そこまで言って、璃奈はしまったという表情をしたあと、しゅんとして俯く。

 

「ごめん、なさい」

「どうした、いきなり謝ったりなんかして」

「でも、お兄ちゃん……同好会の話をすると、つらそうだから」

 

 つらそう? 僕は、そんな顔をしてたのか?

 そんな表情を見せて、わざわざ妹に心配をかけるなんて、兄失格だな。

 なんでもないというふうに、僕はわざとその話題に突っ込んだ。

 

「その、部室探してた人って、ツインテールの子と、シニヨンの子?」

「そう。お兄ちゃんに連絡しようとしたけど……」

 

 ああ、やっぱり。高咲さんと上原さんか。

 

「昨日会ったよ。同好会に入ってくれるって。って言っても、廃部したからまた新しく作る必要があるけどね」

 

 僕がそう言うと、璃奈は少し驚いていた。

 

「また?」

「そう、また」

 

 璃奈に返しながら、お弁当を風呂敷で包む。

 また、と言いたいのもわかる。前に同好会を作ってから、ほんのちょっと経っただけで潰れて、また作ろうだなんて、呆れるよな。

 だけど、璃奈は、僕が予想した顔をしていなかった。

 

「無理しないで」

 

 今にも泣きそうな表情。

 璃奈の表情はあまり動かないから、他の人にはわからないだろうけど、僕にはわかる。璃奈は優しいから、こうやって心配してくれる。

 

 僕は兄として、払拭しなきゃいけない。

 つらいのも、無理してるのも、僕じゃない。だって僕は何もできなかったんだから。

 そう言い聞かせて、笑顔でお弁当を渡す。

 

「大丈夫だよ、璃奈」

 

 

 

 

「かすみちゃん、いませんね」

「そうだね」

 

 時は飛んで放課後。

 また今日も自己紹介動画を撮るために集まろうとしたのだが……

 上原さんは自主練習してから来るらしく、遅れるのは知っている。けれど、中須さんが来ない。連絡しても通じず。

 知り合いの後輩からの情報によると、授業が終わってからすぐに教室から出ていったらしい。しかし、めぼしい屋内施設にはいないみたいだった。

 

 そういうわけで、僕と高咲さんは校舎の外にまで探しに出かけている。

 屋外だけでも候補は多すぎるから、そうそう簡単には見つからない。庭とよばれる場所だけでも数か所あるうえに、一つひとつが広大なのだ。

 

「昨日の話ですけど」

 

 辺りを見渡しながら、高咲さんは口を開く。

 

「かすみちゃんもせつ菜ちゃんも、ただやりたいことをやりたかっただけなんですよね」

 

 僕は頷く。

 

「だったら諦める必要はないんじゃないかなって……入ったばかりの私が何言ってんだって話かもですけど」

 

 えへへ、と気恥ずかしそうに頬を掻きながら、彼女は続ける。

 

「私は、みんなが輝く姿を見たい。だから、やりたいことをやれるように支えたい。そう思うのは、私がまだ何も知らないから……かなぁ?」

 

 ……正直、驚いた。

 スクールアイドルをこんなに真剣に支えたいと思っているなんて。昨日の時点ではわからなかった。

 優木さんのライブを見て触発されたのがきっかけだろうけど、彼女は本当に、この同好会のことを考えてくれている。

 

「いいや、高咲さん。君は正しいよ」

 

 僕たちに足りなかったのは、彼女が言うような単純なことだったのかもしれない。

 

「こんがらがったみんなには、君みたいな真っすぐな人が必要なのかも」

「じゃあ、二人で盛り上げましょう!」

 

 おー! と手を挙げる高咲さんに合わせようとした瞬間……

 

「あ」

 

 いた。

 夕陽の塔のすぐそこ、東京湾が眼前に広がるところ。物憂げに手すりに身を預けていた。

 

「中須さん」

「湊先輩、侑先輩……」

 

 駆け寄ると、陰鬱な顔がはっきりと見えた。

 いつもの元気な表情はなりを潜めて、陰が差している。

 

「今日はずいぶんと元気なさそうじゃないか」

「……」

 

 なんとなく、理由は察している。

 僕たちが下を向いてしまうのは、同好会のことくらいなんだから。

 

「優木さんと同じこと、しちゃったってところかな」

「!」

 

 昨日、上原さんの様子を見てショックを受けてたようだったからもしや、と思ったけど、図星だったみたいだ。

 潤んだ瞳で見上げてくる中須さんは、胸に手をあてて、また俯く。風に消え入りそうな声で、ぽつり、と話し始めた。

 

「いつでもみんなが戻ってこられるように頑張ってたのに……」

 

 その先は、出来るだけ言わせたくなかった。言ってもつらいだけ。

 僕がやるべきなのは、出来るだけ近くに寄り添って、中須さんのことを理解できるように努めること。

 

「そうだね。君は一番頑張ってた」

 

 生徒会から同好会のネームプレートを奪ってきたのだって、それだけ彼女が同好会を存続させたいと思っている証だ。

 残ったアイドルが自分一人になっても、諦めずに練習して、上原さんを指導した。

 彼女なりに必死だったのだ。だけどそれが、上原さんに『可愛い』を押し付けていたことに気づいたんだ。優木さんが中須さんの『可愛い』を否定したように。

 

「優木さんも、同じように頑張ってたんだ。どうしても表現したいことや伝えたいことがあって、必死だった」

 

 一人ひとり、別の方向に努力が向いていた。そして全員が全力だったからこそ、ぶつかってしまったんだ。

 

「誰が正しいとか、僕にはわからない。でもやりたいことをやろうとする心に、間違いはないと信じたい」

 

 自分の中にある信念を否定しなくていい。

 どうしても譲れないものがあって、衝突するのは仕方ない。グループなんだから、意見のぶつかり合いも喧嘩もおおいに結構。

 だけど、押し付けるとか、否定するとか、そんなのはもう無しにしよう。

 

「だからさっき、高咲さんと話して決めたことがあるんだ。ね、高咲さん」

「はい」

 

 高咲さんは一歩前に出て、中須さんの肩を掴んだ。

 

「一人ひとり違うのは当然なんだからさ、じゃあ、みんなのやりたいことを叶えようよ。我慢してやるスクールアイドルなんて、そんなの楽しくないでしょ?」

「侑先輩……!」

 

 みんながバラバラでも、その個性は決して抑えるべきものじゃない。

 優木さんは高咲さんに情熱を与え、退屈なこの世界に、彩りを加えてみせたように、個々の色は人に影響を与える。

 スクールアイドルは単に歌って踊るだけじゃない。夢を体現しているのだ。

 そのスクールアイドル自身が夢を叶えなくてどうする。叶えさせなくて、僕らは支えていると言えるのか。

 

「もし、そんなことが出来るなら……」

「出来るよ、かすみちゃんなら」

 

 否定される痛みと押し付けてしまう傲慢さを知り、反省する心を持ち、芯がある彼女になら、と僕も頷く。

 俯きがちだった中須さんは、潤んでいた目をがしがしと拭い、満面の笑みを咲かせた。

 

「もちろんです! 可愛いかすみんに出来ないことなんてありませんから!」

 

 

「遅れてごめんなさーい」

「あの、自己紹介なんだけど……いま撮ってもらっていい?」

「虹ヶ咲学園普通科二年、上原歩夢です。自分の好きなこと、やりたいことを表現したくてスクールアイドル同好会に入りました。まだまだできないこともあるけど、一歩一歩、頑張る私を見守ってくれたらうれしいです。よろしくね」

 

 画面越しに見ても、息が止まってしまうくらいに素敵なアイドルがそこにいた。

 昨日までの躊躇や恥ずかしさもなく、真心を直撃させてくる真剣で優しい目。

 応援したくなるような女の子っていうのは、こういう感じなんだろうなあ。

 

「今のすっごく可愛かったですよね、湊先輩!?」

「うん。何の手を加えなくても……いやむしろ、そのまま投稿したほうが良いくらい」

 

 少し頭を捻ってイメージしても、どうしても編集が邪魔になる。

 まさか昨日の今日で、こんな真っすぐなものを仕上げて来るとは……

 

 上原さんは、中須さんの『可愛い』を信じた。そのうえで、自分らしさも大切にした。

 自分も相手も尊重するその姿勢は、本来最初に持つべきだったものなのに、僕たちに足りないものだった。

 

「中須さん、どう思う? 君のと比べて、可愛さを前面に押し出した自己紹介じゃないけど」

「ま、まあ及第点ってところですかね!」

 

 口は素直じゃないなあ。僕が話しかけるまで、目をきらきらさせてたくせに。

 でも、呆然とする気持ちもわかるよ。

 自分の指導を越えて、自分なりの真っすぐを表した上原さんは、直視するには眩しすぎる。

 

「でも、可愛さでは負けませんから!」

 

 強がりというか自分自身への宣言というか、中須さんは胸を張って、上原さんを指差す。

 すっかり立ち直ったようだ。

 うん、やっぱり、中須さんはそうやって自信満々で元気で可愛いのが一番似合う。

 

「じゃあ、そんな中須さんにプレゼントを一つ」

 

 僕は人差し指を立てて、彼女の注目を集める。

 

「ようやく出来たよ、曲が」

「本当ですか!?」

 

 ますます表情を輝かせて、詰め寄ってくる。

 そんな彼女の猛進を避けつつ、中身の入ったCDケースを手渡すと、まるで宝物を扱うように受け取った。

 

 僕が感じた、中須さんの可愛さを詰め込んだ一曲。

 けっこうな難産だったけど、その分かなーり自信がある。

 

「これから練習して、ちゃんと見せられるようにしないとね」

 

 感激のあまりこくこくと頷く中須さんの様子を見て、僕も報われた気持ちになる。

 こんなに喜んでくれて、作曲家冥利に尽きるってもの。

 

「それを、新生虹ヶ咲スクールアイドル同好会の最初の動画にしよう」

「さんせーい!」

 

 高咲さんがいの一番に手を挙げる。

 

 彼女はわかっているだろうか。ここにいてくれて、話してくれたことがどれだけ僕らの助けになっているか。

 高咲さんがいてくれたらきっと、集まったスクールアイドルたちは崩れることなく繋がってくれることだろう。

 

 虹ヶ咲スクールアイドル同好会は、まだ始まったばかりだ。

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