「うううぅ~。こんな点数なんて……」
恨めしそうに一枚の紙を睨みつける中須さん。
しわがつくにも関わらず握られてるそれは期末テストの結果で、書かれている点数は二十二点。赤点である。
「二十二点でにゃんにゃん。可愛いじゃん」
「全然可愛くないよぉ!」
猫の真似をする桜坂さんに、中須さんは憤慨する。
怒るくらいなら勉強したらいいのに。
「まあまあ、テストの結果は置いといて。これで一学期はお終い!」
「明日から、いよいよ待ちに待った夏休み!」
「今から、スクールアイドル同好会、夏合宿出発です!」
いいのか? と思いつつも、テンションの上がっている二年生に迎合する。
そう。今から学業からは解き放たれ、遊びに部活にとやりたい放題の夏が始まるのだ。
△
合宿、といっても場所は虹ヶ咲。別のところで宿泊するお金もないし、下手なところより設備は整っている。
夏休みまるまる使うとなったら、ここほど適した場所はないのだ。
「わ~、こっちも広いですね」
取っておいた一人用の部屋に、荷物を置くやいなや、高咲さんがやってきた。
「そっちはどう?」
「みんなが寝そべっても余裕ありますし、布団もちゃんとありました。まさかニジガクにこんな施設があるなんて知りませんでしたよ」
「名目上は研修施設だけど、泊まって練習する部も使ってるから覚えておいたほうがいいよ」
部活動で使うなら、なんと使用料タダ。何日だって使い放題なのである。
そのぶん人気が高くて、こういった長期休みの時は奪い合いになる。かなり前から予約しておいた。危うく忘れかけて部室で寝泊まりするところだった。
女子たちは大部屋をひとつ貸し切っている。
別に一人部屋が余っていなかったわけではないが、『せっかくだから同じ部屋で泊まろう』という宮下さんの提案に全員が乗ったのだ。
璃奈も、こんなに大勢で一緒に泊まる経験がないからか、かなりわくわくしているようだった。
「かすみちゃんは、海辺の別荘がいいってぼやいてましたよ」
そんなお金持ちキャラ、うちにはいない。
△
さて、練習は明日から。
今日は一学期お疲れ様会。
調理室を占有して、買い込んだ食材を並べては調理していく。
「う~ん、いい匂い」
近江さんがオーブンを空けると、チーズのいい匂いが漂う。彼女はいい具合に焼けたピザを取り出して、カッターで切り分けていく。
料理専攻の近江さんを筆頭に、エマさんと宮下さんもその腕をいかんなく振るう。
和と洋が揃ってるのを見て、僕は中華を担当。一年生たちはデザートを作っていた。
今日はかなり豪華な夕食になりそうだ。
そんな中で、たった一人鍋をかき混ぜ続けている人がいた。
優木せつ菜である。
彼女は満足そうに頷くと、
「どうですか! せつ菜スペシャルスープですっ!」
にっこりと、自慢げに自分の作った料理を示した。
鍋。鍋いっぱいの紫の液体。
魚の頭とか、玉ねぎまるごととか、見えてはいけないものが浮かんでは沈んでいる。
謎にとろみがあるのもなかなかのポイントだ。逆に。
あと匂いが何もしないのが怖い。
「う、うん。なんというか、個性的だね。うわあ、スープなんだ、コレ……お、美味しそうだなぁ。じゃあこっちもすぐ出来るから、先にこれを運んでくれるかな」
「わかりましたっ」
エビチリの乗ったお皿を渡すと、満面の笑みで駆けていく優木さん。その姿が消えるまで見送った後、振り返るとジト目の近江さんがいた
「……湊く~ん」
「見ないでくれ。僕にはこれを地獄だと言う勇気はなかった……」
あんなペカっとした笑顔の前で、『いやこれクソ不味そうでんがな、ガッハッハ』なんて言えるわけもない。
「それに、見た目がアレなだけで、味は悪いかどうかなんてわからないし……」
「じゃあちょっと味見してみて味見」
「え、なんだ、殺す気かな?」
にやにやと、近江さんが僕に近寄る。
「え~、美味しそうだって言ったのは湊くんじゃーん」
「本人目の前にして不味いとか言えるかいな」
僕の抗議を無視して、近江さんはおたまで謎液体を掬うと、こちらに向けてくる。
「ほらほら、あ~ん」
え、やば、この子本当に食べさせようとしてくる。
「大丈夫だよ~。味がアレだったら、彼方ちゃんが手直しするから」
「それは僕という屍が出来上がってからですよね!?」
数分後、外のテーブル設置を済ませた朝香さんが、調理室に入るなりぎょっとした。
「なに、なにしてたの?」
「うーん、新婚さんごっこかなぁ」
「拷問されてました」
「えらくかけ離れた二つね」
ぐったりしている僕を覗き込んできた二人の様子を見ると、まあまあ酷い顔色をしているみたいだ。
「だ、大丈夫なの?」
「無理させてごめんね~」
「いやまあ、結局飲んだのは僕だし」
僕だって近江さんの『あ~ん』を拒否できるならしたかったよ。でも無理でした。勝てませんでした。敗訴。
△
夜近くなっても、まだ陽は沈んでいない。夏はとっくに始まっているのに、実感できたのはいまさら。
今日はいい具合に風もそよいでいて、しかも湿度も低い。屋外で食事するには、絶好の日だ。
「いただきまーす!」
「うーん、ピッツァ、ボーノ!」
「でしょでしょ~? 彼方ちゃん特製ピザ、生地から作ったんだよ~」
両隣の二人が、美味しそうにピザを頬張る。
学校で、外で、こんなにたくさんの、スクールアイドルが作ったご飯を食べれるなんて贅沢の極みだ。
ファンに知られたら刺されるどころの騒ぎじゃないな。
「ほらほら、湊くんも食べて」
一歩引いた目で見ていたのを、遠慮していると捉えられたのか、エマさんが大きなお皿にいろいろ盛って、目の前に差し出してくる。
「あ、ありがとう」
「食べたいものがあったら、なんでも言ってね。取ってあげるから」
甲斐甲斐しくお世話をしてくれるのはありがたいが、僕はそんな人を顎で使う人間に見えるのだろうか。
「あなたはアピールしなくていいの、彼方?」
「彼方ちゃんは、さっき湊くんにあ~んしたから、ね」
ね、じゃない。それは言わない約束だろうよ。ほら、他から向けられる視線が痛い。受けても逆に得意げになっているのはなんなんだ、近江さん。
というかアピールってなんだ。僕が座った瞬間に始まった謎じゃんけんと関係があるのか。
「いつの間に……」
「料理できる人って、ずるい」
「ずるくない」
ただの偏見じゃないか。
「でも湊くんはずるいけどね」
「うん、ずるい」
「訴えたいくらいずるいですよね」
「勝手なことを……出るとこ出たら僕の勝ちだが」
「出るとこ出てるですって、エマ」
「湊くんのえっち」
「んなこと言ってないよなあ!」
どんどんと僕の評価がおかしいことになってる気がする。そのほとんどが僕のせいではなく、噂なり印象が独り歩きしているようだ。
アイドルじゃないのに、どうしてこんなことに……
「これも食べよう」
件の優木さん特製スープが入った鍋は、テーブルの中央にどんと置かれている。
高咲さんは自分の椀に注いで、躊躇うことなく飲んだ。
「こっちも見た目よりマイルドで美味しい!」
「それは良かったです」
まさか手を加えられてるとはつゆ知らず、ふふ、と笑う優木さん。
それを見て、近江さんがこっそりと耳打ちしてくる。
「湊くんのおかげだね」
「一回死んだ甲斐があったよ。いや、ほんとに」
苦笑して、僕もスープを掬う。
二人で魔改造したそれは、紫色の見た目こそそのままだが、味はまあまあイケる。土台がアレだったのにここまで出来たのは素直に褒めてほしいところだ。
「ところで、湊せんぱ~い、みんな一曲ずつお披露目できたんですし、そろそろ二曲目作ってもらえませんか?」
「もう、あまり無理言っちゃダメだよ、かすみさん」
甘える声の中須さんとたしなめる桜坂さん。
「だぁってぇ、私なんかもうしばらくずっと練習だけだよ? ね、いいですよね、湊先輩。湊先輩にとって、かすみんが一番なんだから」
「は?」
穏やかだったはずの空気に、緊張感が張り詰めだした。一年生の間だけで。
「かすみさん、暑いからっておかしなこと言ってるよ?」
「もう休んだほうがいいと思う」
三人ともあくまでにこやか。笑顔なんだけど、その背後からやけに黒いオーラが見え隠れしているのはなんなんだろう、幻覚かな。
「かすみんのためにずっと同好会に残ってくれたんだから、かすみんこそ一番っ!」
「アイドル活動だけじゃなくて、演劇のほうも手伝ってくれたりするよ。そこまでしてくれるのって、私が一番だからじゃないかな」
「何にも代えがたい妹。練習の時もライブの時だって、ずっと一緒にいてくれる。だから、私が一番」
「どうなんですか、湊先輩!」
ぐりん、と三つの顔がこちらへ向く。
「はあ……桜坂さんも、璃奈も、そんな話に乗るほど馬鹿じゃなかっただろうに」
「かすみんも馬鹿じゃありませんよ!?」
ちらりと一瞥して、ため息。
「仲が良いのは結構だけど、悪いところは影響されずに……」
「いま! いますごい呆れた顔しましたよね!?」
そりゃ呆れもする。こんな男掴まえてする話でもない。華の女子高生が集まってるんだからもうちょっと楽しい会話を……
「でもここは譲れない。お兄ちゃんにとって、一番は私」
「私のことを、綺麗って言ってくれましたよね、湊先輩?」
「かすみんのことをこんなにいじってくるのは、愛がある証拠ですよね!?」
「あのねえ、誰が何番だとか、決められるわけないでしょ。君たちはそれぞれに良いところがあって、比べようがないんだから」
「あ、そういうのいいんで」
「いまめっちゃ良いこと言ったじゃん。納得してよ」
そんな小競り合いを繰り広げながらも、早めに各々の二曲目を作ると約束したことでその場は収まってくれた。
日は傾いてきても食べる手は止まらず、あっという間にデザートまで美味しくいただいて、空になった皿だけが積まれた。
「こんなに楽しいと、合宿だって忘れちゃいそう~」
「明日の朝ごはんもパーティみたいにしちゃおうか!」
「あ、みんなで卵かけごはんとかどう?」
「卵かけごはん、好き」
「なに言ってるんですか。そんな時間ありませんよ」
盛り上がりかけたところを、優木さんが制する。
「この合宿では、日ごろ足りていない練習と、私たちのライブの内容をまとめるんですから」
全員デビュー出来て、人気もどんどん上がっている。そこで、虹ヶ咲スクールアイドル同好会でライブを行うことにしたのだ。
しかし、各々持ち歌一曲を披露するならともかく、それ以上をこなすとなると足りないものが多すぎる。
単純に始めたばかりで練習時間が少ないのもあるが、自分をじっくり見直す機会がなかったのも大きな要因だ。
この合宿では、普段やってることよりもっと踏み込んだ、高い難度の練習をしてもらうつもりだ。
こういうのはいつかやらないといけないと思っていたが、途切れ途切れじゃ意味がない。夏休みはちょうどよかった。
「ライブかあ、ダイバーフェス、ほんとに凄かったなあ」
高咲さんがキラキラと目を輝かせる。
音や舞台だけじゃなく、数千人が掲げるサイリウムで彩られた景色。あのステージは、これまでとは全く違うものだった。
観客側で見ていた彼女は、強くトキメキを感じたことだろう。
「かすみんも早くステージに立ちたいです! その時はかすみんのめちゃかわパワーで、お客さんをメロメロにしちゃいます!」
「私は自信をもって自分を表現したいです!」
「彼方ちゃんはベッドの上でリラックスしたいな~」
「愛さんは、ライブでダジャレぶちかましたい!」
「来てくれた人みんなと、手を繋いで踊ったりしたいな~」
「オンライン中継で、離れた人とも繋がりたい」
「ダイバーフェス以上に、本気の私を見せるつもりよ」
「私も、私の大好きを叫びたいです」
「ステージに立つだけで、胸がいっぱいになっちゃいそうだよ」
九者九様。言ってることがバラバラなのが、やっぱり彼女たちらしい。でもその中心にあるのは、良いライブをしたいという気持ち。
まったく別の方向を向いているのに一丸となっているなんて、なんだか不思議だ。だからこそ、彼女たちに惹かれるファンもいるのだろう。
したいことが、たくさんある。
叶えるのが僕の仕事。
アイドルとファンを繋げることが、僕の責務。
じゃあ、一番のファンともいえる高咲さんは……みんなを陰で引っ張ってきた高咲さんは、何が見たいんだろう。