夜も更けてきて、窓から見える景色も暗くなってきた。
あれだけわいわいとはしゃいでいた昼間と比べると、この一人部屋は寂しく感じる。
一学期が終わってホッとしたからか、張り切ってたくさん料理をしたからか、疲れがどっと出てきた気がする。
だからといって、休んでばかりもいられない。そう思ったところで、スマホが鳴った。通話。エマさんからだ。
出てみると、あっちの部屋はいま人数が少ないのか、周りが静かだ。
〈湊くん、今なにしてるの?〉
「動画編集中」
料理しているところ、食べているところを撮っていたので、その動画をPCに取り込んでカット作業から始めている。
夏休みこそ動画再生数が上がる。特にこういう合宿動画は、レア感があって伸びやすいのだ。
出来れば、今日投稿してしまいたい。
〈こっち来ようよ〉
「やだ」
〈えー、みんなも湊くんに来てほしいよね?〉
〈湊く~ん〉
〈一緒にお話ししましょうよ〉
ちょっと遠めに、近江さんと朝香さんの声が聞こえる。
「君らね……もうちょっと危機感を持ちなさい」
女子の部屋に男子を呼ぶなんてハレンチですよ。お兄さん許しませんからね。
〈むう、湊くんのけち〉
「けちで結構」
〈朴念仁、たらし、唐変木〉
「エマさんはどこでそういうの覚えてくるの?」
好奇心旺盛なエマさんは言葉を教わるのにも物怖じしない。大体は親切心や良心でまともな日本語を教えるが、たまーにいたずらでズレたものを教える人もいる。
ネットスラングだったり、死語だったり。あと本人が調べたりして、ガンガン使ってくることもある。
前に『とってもエモエモで嬉しみが深くて草だよ!』なんて言った時は、犯人捜しだってしたくらいで……
〈きゃああああ!〉
「!」
突然、高い叫び声が耳を貫いた。
今のは、一年生の声だ。
一体何が起こったのか、なんて考えるのは後だ。
僕はスマホを握り締めたまま、すぐさま部屋を飛び出した。
△
「一体何してるんですか! おふざけにもほどがあります!」
生徒会長モードの優木さんが、一年生と三年生を正座させて怒る。
「ちょおっと楽しくしようとしてただけなのに……」
「そうそう」
「そんなに目くじら立てなくても」
結論から言えば、何も問題はなかった。
みんなを驚かせようとしてホラーコスプレした中須さん率いる一年生が部屋に入った瞬間、同じことを考えていた三年生に返り討ちにあった、というわけだ。
白塗りの三人を見た時、僕も面食らった。あー、びっくりした。
「まあまあ、怒るのはそれくらいにして。可愛いイタズラみたいなもんじゃないか」
なおも眉間にしわを寄せる優木さんを、どうどうと落ち着かせる。生徒会長である彼女としては、納得いかないみたい。
しかしまあ、僕としては浮かれてしまう気持ちも分からないでもない。夏休み、合宿、夜。シチュエーションとしては否が応にもテンションが上がる。
「明日も早いし、今日はもう寝るだけだね。じゃ、僕はここで」
「えーっ」
なぜかブーイングの嵐。なんで優木さんまで驚いた顔するんだか。
「せっかく来たのに帰るんですか?」
「いや、あの、一般的には男女が同じ部屋にいるのはよろしくないと思いまして……」
それも夜に。なんなら、いまこの瞬間も部屋から飛び出したい気分なんです。来た時と同じスピードで。
非難を正面から受けながら後ずさると、桜坂さんが潤んでいる目で見上げてくる。
「だめ、ですか?」
「む、ぐ……」
ずるい。
桜坂さんほどの美少女に、上目遣いでそんな台詞を言われたら、くらっと来てしまう。
「今夜だけでいいですから、一緒にいたいです」
「ご、五分だけなら」
「一時間」
「一時間は長い長い。ほら、明日早いから、十時には寝ようって話だったでしょ」
「じゃああと三十分ありますね」
三十分ありますね、じゃないんだよ。三十分ありますね、じゃないんだよ、ねえ!
「先輩……」
演技だ。僕をここに留まらせようと、しおらしい後輩の演技をしている。
それはわかってる。わかってるんだけど……
「……三十分だけ。十時になった瞬間に、僕は戻るからね」
「はいっ」
彼女のぱっとした笑顔を見て、僕はしてやられたと思った。
……やっぱり、敵わないな。
「しず子! 今の教えて!」
「わ、私も」
もう僕帰っていいかなぁ。
△
次の日は、朝からランニング。
特殊メニューを組んでいるが、基礎練習は欠かさない。何をするにもやはり体力があるに越したことはない。
その様子を眺めながら、僕は寝不足の目をこすった。
桜坂さんの指導により、おねだりの仕方を覚えたみんながそれを駆使して何回も留めてきたのだ。
囲まれてそんなことをされてみろ。飛ぶぞ。
「はあ……」
面白い反応をしてしまうからからかわれるのはわかってるんだけど、こればっかりはコントロールできるもんでもない。
いや、結局は言い訳つけて、僕も楽しんでるだけなのかも。
「はあ……」
「なーに朝からため息ついてんの、みーくん!」
先にノルマを達成した宮下さんが、あり余る元気を放ってくる。
「いや、僕はこんなに弱い人間だったかな、と思って」
ダメだ、と強く払えるくらいの精神力があればいいんだが。でもどうしても、振り払えない。どうせ自分のためなんだ。自分が傷つきたくないから、強気にぶつかれないだけ。
そうだよ。僕が弱い人間だなんて、わかりきってたことじゃないか。
「何の話?」
また思考の渦に囚われるところを、宮下さんの言葉で引き戻される。
僕は何を言ってるんだ。みんなのサポート役だぞ。悩みを聞きこそすれ、吐いてどうする。
「いやいや、何でもない。今日はなんだかポエミーな気分だなぁ。作詞が捗りそうだ」
「あはは、何それ」
実際、こういう時のほうが作業が進んだりするのだ。
沈んでる時こそ語彙力が増したり、腹が減ってるほうが集中力が増したり、人間とはなんとも不可思議で不便なものである。
「そんな暗い顔してると、みんな心配するよ?」
「それは良くないかな」
「だったら、ほらほら、みーくんも一緒に動こう!」
無理やりに手を引っ張られる。
タイムを計っていた高咲さんの手も取って、宮下さんは駆け出す。
ランニングはいつの間にかみんなを巻き込んで、鬼ごっこに発展しだした。それだけじゃなく、かくれんぼとかケイドロとか、とにかく身一つでできる遊びがどんどん提案され、僕も付き合わされる。
もちろん体力のない僕が一番に捕まり、次に高咲さん。順当に捕縛された非運動組は揃って部室に閉じ込められ、何をするでもなく、ただPCで動画を流し見していた。
「外国にもスクールアイドルっているんですかね?」
「少数だけど、いるにはいるよ」
ぼうっと画面を眺めながら、僕は返す。
「でもやっぱり主流は日本だから、スクールアイドルやるのを目的に留学してくるってのもそれなりにいるらしいね」
「エマさんもそうですもんね。すごい情熱だなあ」
僕も二年生の時に外国へ留学したことがあるけれど、それはあくまで一時的な、数か月間の留学だ。エマさんのとは全く毛色が異なる……と思う。
思い立って、頼りになる人もいない外国へ行く勇気。さすがエマさんといえよう。
「外国の、か……『school idol』で検索したら出てくるかな……」
高咲さんは見ていた動画を止めて、外国のスクールアイドルを調べ始める。
さすがに『school idol』で検索してもたいがい日本のが引っかかってくるが、それを押しのけて何件かヒットする。
「わ、これとか凄い再生回数ですよ! ええと、A、l、p……」
「ようやく全員確保です!」
高咲さんがその動画を再生しようとした瞬間、ガラっと扉が開いた。
全員集まっているから、どうやら終了したらしい。
最初は渋っていた優木さんもいい汗を出している。体力もついて楽しめたならまあいいか。
「みんな、お疲れ様」
「結局、トレーニングと変わらないくらい走りましたね」
「汗もびっしょり」
「だったら、もう次は決まりね」
「……次?」
□
連れてこられたのはプール、である。
虹ヶ咲には当然、水泳の施設だって良いものが揃っている。屋内プールには綺麗な水が張ってあり、ビート版や浮き輪、ビーチボールなんかもある。
水泳部以外の生徒が使うこともあるから常設されていないが、飛び込み台だって用意しようと思えばあるのだ。
「やっぱりみんな水着持ってきてたんだね~」
「せつ菜もちゃんと可愛い水着あるんじゃない」
「え、ええ、まあ、一応念のため」
本当に、ちらりとだけ目を見やる。
水着というだけあって露出度が高い。当然衣装よりも肌色面積が多く、非常に目のやり場に困る。
僕はいい、と言ったのに、めちゃめちゃ強引に連れてこられた。
璃奈に言われて一応自分用の水着を持って来たが、こういうことか。
「泳がないの?」
プールサイドに腰かけていると、すいすいと泳いできたエマさんがやってきた。
「パーカーまで着ちゃって」
「僕はいいって」
下手に君たちに触ってしまったらなんて考えただけで悩んでしまう。それに、あんまり貧相な体を見せたくないし。
「エマさんもほら、あっちでみんなと遊んできたら」
ビーチボールを浮かすみんなを指差す。にも関わらず、彼女はプールから上がって僕の隣に座った。
「料理の時みたいに、ビデオ回さないの?」
「水着なんて撮って出しできるか」
世のスクールアイドルファンには刺激が強すぎます。
それに、本人たちがいいと言うなら別だが、プライベートな水着姿を投稿するようなやり方はしないつもりだった。
「あんまり構ってくれないと、みんな寂しがっちゃうよ」
「幼子か。十人いて寂しくなるなんて贅沢すぎ。それに、男にじろじろ見られて楽しいもんでもなかろうに」
「私ならいいよ」
「君だと、僕が困る」
エマさんのスタイルは高校生離れしている。健全な男子高校生としてはパンチが強すぎるのだ。
ガン見して許されるなら穴が空くほど見つめてる。そして鼻血を噴出させるなんてみっともない姿を晒していることだろう。
「私だったら、困っちゃう?」
「そう、困る」
エマさんが横目でにやっとしたのがわかった。
あ、やばいと危機を察知したときにはもう遅い。
「えいっ」
「うわっ」
ばしゃん、と水しぶきが上がる。
エマさんが僕の手を掴んで、プールへと引きずり込んだのだ。濡らすつもりのなかった上着もびしゃびしゃだ。
すぐさま水面に顔を出して息を吸うと、同時に彼女も目の前に現れる。肉感的な胸の谷間に目が行ってしまって、体が反応しそうになった。
どぎまぎしていると、彼女はずいっと顔を寄せる。目と鼻の先まで近づいて、微笑んでくる。
正面から見たエマさんはいつもより綺麗に見えた。このシチュエーションと水に反射された光で、余計に。
「やっと見てくれた」
はにかむエマさんは、年相応に可愛らしく、しかし高校生よりもずっと大人っぽく見えた。
顎から滴る水滴すら、艶めかしく映る。
「エマ、さん……」
水の中にいるのに、やたらと体が熱く感じる。目を逸らしても、首を動かして目線を合わせてくる。熱を帯びた目は、だんだんと近づいてきて……
「湊せんぱーい!」
ざばざばと波立つ音に振り返る。すると、中須さんがものすごい勢いでこちらに向かって泳いできていた。
その鬼気迫る表情に恐怖を覚えて、僕は思わず反対方向へ向かう。諦めるかと思ったのに、逆に音が増えた。
「おっかけっこだね~、彼方ちゃんが捕まえちゃうよぉ」
「待て待てー!」
「なんで追いかけてくるんだ!」
逃げるからでしょ、という朝香さんの呟きは、僕には届かなかった。