走らされてひいひい言わされ、泳がされてひいひい言わされ、体はすっかり疲れきっていた。あんなに運動したのはいつぶりか。全身がだるいだるいと訴えてくる。
夜、動画編集している間も頭が回らず、続けるでもなく、早めに寝てしまうでもなく、ぼーっとしていた。
ふと、甘いものが欲しくなった。部屋を出て、暗い廊下を進むと、唯一光を放っている自販機の前に、先にお客さんがいた。
僕が気づくのと、彼女がボタンを押すのは同時だった。彼女が缶を取り出すのを待って、声をかける。
「高咲さん」
高咲さんは僕の方を振り返ると、嬉しそうに顔をほころばせた。
いつもはツインテールだからか幼い印象だけど、髪を下ろすとぐっと大人っぽくなるなあ。
「湊さんも、飲み物買いに来たんですか?」
「うん、ちょっと疲れたし、甘いのが欲しくなってね」
冷たいココアを選ぶ。
プルタブを開けて喉に流し込むと、夜でもだいぶ暑い夏のせいで蒸した体にひんやりと染み込む。
「なんだか、夜の学校って不思議ですね。昼間は人が多いのに、今はこんなに静か」
「僕は不気味に感じるかな」
普段、人が多いがゆえに、誰もいないこの時間・空間に寒気すら覚える。まるでここだけ、切り取られて隔絶されてしまったかのように錯覚してしまうのだ。
「お化けとか信じてるんですか? 私はあんまりだけど」
「僕も信じてるわけじゃないよ」
そんな存在がいてくれるならもう会ってる。とかそんな話はどうでもよくて。
「今日、君が言ったこと、すごく良いと思ったよ」
プールの後、彼女は一つの提案をした。
スクールアイドル自身も、見てくれる人も、これからスクールアイドルを知る人も全員を楽しませるお祭りをしたいと。
ファンとスクールアイドル、そしてスクールアイドル同士を結びつけ、知らない人もその旋風に巻き込む、題してスクールアイドルフェスティバル。
それが叶えば、高咲さんや、虹ヶ咲スクールアイドル同好会の集大成になる。全国へのアピールにもなるし、同好会のみんなもきっと楽しんでくれる。
現に、この話を聞いたみんなは賛同した。
それがやりたいからってだけじゃなくて、高咲さんの情熱を受け取ったからでもある。
熱に浮かされて、というと悪いように聞こえるけど、せっかくの夏休みなんだ。浮かれて浮かれて何が悪い。
「えへへ、実現するのは大変でしょうけどね」
「これまでよりも大きな仕事になる。僕らの力の見せ所だね」
「はいっ。頼りにしてくださいよっ」
ぐっと拳を固める高咲さんを見ると、なんだか根拠もないのに出来そうな気がする。
そうやって、彼女は今までみんなを励ましたり元気づけてきたり、一緒に遊んだり、分け隔てなく接してきたのだろう。
彼女にとっては当たり前にやっていることかもしれないが、それでどれだけ救われた人がいることか。
二人して、壁に寄り掛かりながら談笑を続ける。
お互いの推しは誰だとか、これまでのラブライブの話だとか、スクールアイドルオタク同士、話に花を咲かせる。
ここに優木さんやエマさんもいれば、もっと盛り上がったことだろう。
こういう話を普段あまりできないからか、僕も高咲さんもペラペラと早口になってしまう。ひと段落ついたときには、少し息を切らすほどだ。
ぬるくなった飲み物を一口飲むと、そういえば、と高咲さんは口を開いた。
「湊さんはどうして、スクールアイドルのサポートを続けてるんですか?」
「それは、『なんでお前ごときがサポートをやってるのか』という……」
「違う違う! 違いますよ! も~、ネガティブにとらないでくださいよ」
慌てた様子で首を横に振る高咲さん。
「こういう、マネージャーとかプロデューサーみたいなことをしてる理由って、そういえば聞いたことないなあって思いまして」
言ったことなかったっけ。そんな面白い話でもないから、わざわざ口に出したこともないのか。
「エマさんに誘われたんだ。スクールアイドルには曲が必要、だったら音楽を知ってる人が必要だってね。僕もスクールアイドルは前々から好きだったし、曲作りは経験もあるしね」
当時、エマさんの音楽科の知り合いと言ったら僕くらいだったのだろう。だから声をかけてくれた。
他の人に頼んでも、実際作曲する人はそう多くないし、何度も断られただろうから、僕を選んだのは早道ではある。
「それに、なんというか……みんな輝いてたんだよな。傍で見たいって思わせるほど、光ってた」
「わかります!」
高咲さんはぶんぶんと頭を縦に振る。
彼女は優木さんのステージを見て、トキメキを感じたのだからわかってくれる。
東雲や藤黄にも負けないくらいのポテンシャルを、虹ヶ咲は持ってる。それを引き出してみたくなったのだ。
「君は、もともと上原さんを応援するためだよね」
「はい。歩夢の夢を応援して、一番近くで見られたら幸せだなって」
普通の女の子がスクールアイドルに変わるその瞬間を見るのは、えもいわれぬ高揚感がある。それがよく知った相手ならなおさら。
特に幼馴染なんて、しかも上原さんだなんて、憧れて応援してしまうのも頷ける。
「今は、みんなの夢を叶えたい。みんなの姿をもっと見たいって、そう思ってます」
それは、普段の高咲さんを見ていればわかる。ただのファンというだけじゃなく、アイドルたちの理想を実現するために、自分も併走している。
実はその健気さも推せると、校内で隠れファンクラブが存在するくらいなのだ。
高咲侑。
虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会の、唯一の女子マネージャー。
人の夢を応援し、自分のトキメキのままに邁進する二年生。
未熟なところは多いけれど、情熱は誰よりも強く、行動力はこっちが気後れするほど。みんなの中心と言えるほど、もう欠かせない存在だ。
虹ヶ咲スクールアイドル同好会にとっての、夢の導き手。
「もっともっと力になりたい。もっともっとみんなのためにしてあげられることをやりたい! で、そのために相談したいことがありまして……」
恥ずかしそうに、手をもじもじとさせる。
「実は、音楽科に転科しようかなあって思ってて。無謀、かもしれないけど」
……正直、面食らった。
音楽のことについて、彼女から請われてほぼ毎日レクチャーしていた。音楽室を借りてピアノの練習まで付き合った。
高咲さんはそれはもう熱心に、真面目に取り組んで、数か月習った程度とは思えないくらい上達している。『CHASE!』なら楽譜を見ずに弾ける。
が、まさか、音楽科に移ろうと考えてるなんて、夢にも思わなかった。
「……転科試験は、簡単じゃないよ」
「はい、わかってます」
即答する彼女の目に、舐めたような感情はない。大真面目だ。
転科なんて並大抵の覚悟で出来ることじゃない。特に普通科から音楽科なんて、文系理系を選ぶよりもよっぽど修羅の道だ。
否定するのは簡単だ。音楽科の立場から、芸術の道がどれだけ難しいことかを滔々と語ることだって出来る。
しかし、だ。
やりたいことをやる。それをスクールアイドルたちへ肯定し続けてきた。難しいこともしんどいこともある。でもその先にはきっと、望んだ景色が待っている。
高咲さんにだって、自分の楽しいことをとことん追及して、行きたい未来へ進んでほしい。
なら僕としては、後輩のためにやることをやるだけだ。
「わかった。僕でよかったら、試験対策とか練習にも付き合うよ」
「ほ、本当ですか!?」
「曲がりなりにも音楽科だしね。アドバイスは出来るよ」
転科試験がどういうものなのか先生に訊けばわかるだろうし、たしか同じクラスに実際に転科してきた子がいたはずだ。その人たちに直接聞けるのが、音楽科にいる者の強みだ。このコネを使わない手はない。
「湊さん、ありがとうございます!」
「礼を言うのは、受かってからだよ」
「はいっ。絶対に受かってみせますから!」
そう言ってVサインを掲げてみせる姿に、やはり失敗のイメージはなかった。
「実は、止められるかと思ってました」
心底安心しきった顔で、彼女はそう言う。
「湊さんは、音楽をやる大変さを私よりもよくわかってますから」
芸術の道で成功するのは、普通に勉強して進学してというのよりも遥かに難しい。
高咲さんがこちらへやってくるのを歓迎するが、同時に心配する気持ちも湧いてくる。ほぼ素人がどこまで出来るのか。転科したとして、その後授業についていけるか。
しかしそんなことは、きっと彼女は承知なのだろう。
夢を語る高咲さんの目は真っすぐで、真剣そのもので、熱意がある。それを止めるような無責任な言葉を、僕は持ち合わせてはいない。
それに音楽科に移ったからといって、音大に行かなければならない決まりもない。音楽に関係する仕事につく必要もない。
将来のことに関しては、彼女が頑張る限りどこまでも可能性が広がる。
……まあ意外と彼女みたいな人が、大物作曲家になったりするんだけど。
「大変は大変だけど、楽しいよ。それに音楽を知ってくれる人が多くなるほうが、僕も嬉しい」
「『だからこれは僕のためでもある』ですか?」
言おうとした言葉を先取りされて、僕は目を丸くした。
「よくわかったね」
「よく見てますから」
じっと目を見つめて、高咲さんはそう言ってくれた。