夏休みの間、昼はいつもみんなで揃ってご飯を食べることになっていた。
フェスティバルの準備で各々別の作業をするようになってから、顔を合わせる時間が少なくなってしまったからだ。
お互いの報告会も兼ねたそれは、進捗の把握にもなるし、午後からの活動の指針にもなる。
だけど今日は、僕はたった一人だけに用がある。
屋外テラスでミーティングをしていた彼女に手を振ると、その場にいた他の子に頭を下げた。
「湊さん」
こっちにやって来た上原さんは、表面上はなんともないように見えた。少なくとも、今この瞬間は本当に、ただ呼び出されたことに疑問を持っているだけだった。
「あれは、ファンの子?」
「はい。いっぱい手伝ってくれて、すごく助けられてるんですよ」
大々的に宣伝をしてから、フェスティバルの手伝いをしたいという有志は日々増えている。スクールアイドルのファンというだけじゃなく、友達だからという理由で手を貸してくれる者も多い。あの子たちも、そういった人たちの一部なのだろう。
「このあと時間あるかな。フェスティバルの前に、話しておきたいことがあるんだ」
「はい、大丈夫ですけど……昨日言っていた、ステージ案のことですか?」
僕は頭を振った。
「君と高咲さんとのこと」
そう言うと、はっと顔が変わる。
驚くような、焦るような、追い詰められたような表情。
ああ、やっぱりだ。
彼女は隠していたんだ。フェスティバルを成功させようとして、いま抱えている悩みを奥へ奥へと押しやった。
高咲さんに詰め寄ってしまうほど追い詰められているはずなのに、高咲さんが望む成功を実現するために自分を殺している。
大事な本番の前に、弱いところを見せまいとしているのだ。
きっと、痛いに決まってる。
あらゆる方向から引っ張られるような心の痛みが、止むことなく訴えてくるはずだ。
その痛さは収まることはない。時間は解決してくれない。いつかは破れてしまう。そうなってしまえば、スクールフェスティバルの成功なんてなんの意味もない。
彼女は一歩足を引いた。それを察して、僕は手を伸ばす。
「上原さん」
去ろうとする彼女の腕を、がっしりと掴む。振り払われるかもしれないと感じて 心臓がどくどくと鳴っていた。
しかし、だ。ここで逃がしてしまったら、僕は二度と上原さんに顔向けできない。
彼女たちの進む道をサポートするって決めたんだ。たとえどれだけ怖くても、どれだけ傷ついても。
「逃げないで、話をしてくれないかな。お願いだから」
逃げる女の子を捕まえるなんて、誰かに何か言われてもおかしくなかったけど、幸いにして通報するような人はいなかった。
とっさのことだったけど、しかし、しゅんとして屋外のベンチに座る上原さんを見て、これ以上の機はないと思った。
明日になれば、手を掴んで人を連れる強引さはなくなってるかもしれないし、上原さんが話す気を無くしてるかもしれない。
自販機で冷たい缶ココアを二つ買って、片方を彼女に手渡す。
「まずは、一口飲んで。甘いもの飲んだら、少しは落ち着ける」
「ありがとう、ございます」
遠慮がちに受け取ったのを見て、 ふう、と一息つく。ほんの少しだけ、上原さんが発しているピリピリとした空気が和らいだ気がした。とりあえず、拒否はないみたいだ。
芝生が敷かれてあるここは、昼の時間になると陰になる。夏は涼むのによしで、割と人気のあるスポットだ。
さすがに夏休みの今は、僕らの他に人はいないけど。
「侑ちゃんが……その……」
上原さんはそこまで言って、言葉を詰まらせた。口を開こうとして、やめるを繰り返している。話したくない、というより、どう言語化すればいいのかわからないといった様子だ。
「高咲さんが知らないうちに、どこか知らない遠くに行きそうで、怖い」
びくり、と上原さんは肩を震わせた。どうやら図星らしい。
「親友の成長は喜ばしいはずなのに、手の届かないところにまで行ってしまいそうなのが怖い。ずっと間近にいた幼馴染が離れて、自分の知らない人になってしまいそう」
高咲さんが消えてしまうような恐怖。高咲さんの未来を先に自分以外の人間が知ってしまった嫉妬。長い間、それらを感じたことはないのだろう。
幼馴染として一緒にいるのが当たり前で、お互い何かあったら話をする一番の相手。
だからこそ、そうじゃなくなった時、自分の気持ちを上手く認識できず制御することも出来ない。世界が崩壊するような不安に絶えず押しつぶされそうになる。
「どうして、どうしてわかるんですか?」
「似たようなことを、思うことがある」
大切な人が、もしかしたら、自分と別れるかもしれない。自分を置いていくかもしれない。それが事実でなく、幻想でも、不安を和らげる理由にはならない。
一度心に芽生えてしまったものを取り除くのは、そう容易じゃないのだ。
想像の中の相手はみるみる間に離れていき、距離ができ、手が届かなくなってしまう。嫌な気持ちはぐるぐると巡って増幅していき、やがては関係にヒビを入れる。
「抑え込まなくていい。今、僕に何を言っても怒らない。怖がりもしないし、失望もしない。だから思ってることを素直に話してほしい」
上原さんは俯いて、ぎゅっとスカートの裾を掴んだ。
僕が缶の中を飲みきるくらいの時間が経った後、彼女は話し出した。
「最初は、侑ちゃんが見てくれたらそれでいいって思ってたんです。人気になりたくはあったんですけど、でも、侑ちゃんがいてくれたらそれで……」
一度話しだすと、堰を切ったように言葉が流れてくる。
「だってずっと一緒にいたんですよ! ちっちゃい時から一緒にいて、何をするにも一緒で、それがずっと続くと思ってたんです!」
感情の蓋も取っ払って声を荒げる姿は、普段の上原さんからは想像もつかない。
「なのにだんだん侑ちゃんが、私の知らないことに挑戦して……どんどん前に進んで、私のことなんて見てくれなくなる気がして……」
吐き出された言葉は尻すぼみになって、止まった。
気づかずに缶が凹むほどに全身を強張らせた上原さんは、身を縮こまらせて、今にも涙を流しそうだ。
たぶん、ずっとこの思いを蓄積させてきたのだろう、最初はほんの些細に思う程度だったんだろうが、積み重なって、爆発した。
誰であれ、溜めているものがある。この数か月で特に実感した。
解消する方法は、結局話すことと行動すること。
「高咲さんが努力して、どんどん大きくて高い存在になっていく。大人になっていくには必要なこと……なんて、そう簡単に割り切れることじゃない。やりたいことを応援したいけど、変わってほしくない。これは自分のわがままだから、高咲さんに打ち明けることもできない」
上原さんの言葉を引き継いで、僕なりに噛み砕く。
理詰めで突き詰めて納得できるならそれでいいけど、あいにく人間はそんな単純じゃない。高校生は特に不安定で曖昧な時期なのだ。
「湊さんは、どうやって克服したんですか?」
「僕の話は参考にならないよ」
でもね、と続けて、僕は口を開く。
「高咲さんが変わっても、君たちの関係が変わるわけじゃない」
そう告げて、次は僕が言葉を連ねていく。
「君だって変わった。入部当初より歌もダンスも上手くなって、カメラの前でも緊張することがなくなって、ファンとの交流もこなせるようになって……もはや別人みたいだ。それでも、上原歩夢の本質は変わらない。フリフリで可愛いものが好きで、アイドルに憧れる一人の少女。高咲侑の一番の親友で、幼馴染。高咲さんだって、そんな君だからこそずっと一緒にいるんだ。君が、他でもない上原歩夢だから」
平等に接しようと思っても、無理だ。僕が璃奈を贔屓してしまうように。
本人は近すぎて、一緒にいる時間が長すぎて分からないのだろうけど、他人が見たら一瞬で分かるくらいに、高咲さんは上原さんのことを特別視している。
「ちゃんと話して、ちゃんと受け止める。それができるのは上原さんだけだ。そこから逃げるなら、そこらへんの人間と何も変わらない」
「……」
「上原さんは、高咲さんと離れ離れになりたいわけじゃないだろう?」
「そんなの、当たり前に決まってるじゃないですか」
「だったら、近くにいられる今のうちに、想いを伝えに行くんだ」
君は伝えたいことがあって、高咲さんは待ってる。そこに躊躇う理由なんてない。躊躇っていい言い訳なんて存在しない。
「繋がりが途切れてしまうのは一瞬、あっという間だ。本当に、君が思ってるよりもあっという間なんだ。伝えられるときに伝えたいことを伝えないと、きっと後悔することになる。明日、君の気持ちがどうなってるかわからない。怖くなって先へ伸ばしてしまうかもしれない。高咲さんがいなくなってしまうかもしれない。チャンスは君が思ってるより、簡単に消えるんだ」
話さないうちにだんだんと絆が消えて、なんてフェードアウトはまだ救いのあるほうだ。
目の前で、関係が突然断ち切られることだってある。どれだけ言葉を尽くしても、二度と届かなくなることだってある。
この二人には、そんなことになってほしくない。
「だから、お願いだ。今、勇気があるうちに、このままじゃいけないと思ってるうちに、高咲さんと話をしてほしい」
いつの間にか、熱くなっているのは僕のほうだった。
心もざわついて、心臓も高鳴って、目じりに涙さえ浮かばせているのは、僕だった。
「二人の関係が変わらないように」