上原さんと話をして、時間を置いた次の日。昨日までとは逆に、僕を呼び出した彼女のところへ足を運ぶ。
虹ヶ咲の正門から出てすぐ、駅前でもある広場は一面花で埋め尽くされていた。
生徒たちの憩いの場でもあるそこは普段、豊かな緑色が広がっているはずだった。植えられ整えられた草木と、道。
その入り口で待っている上原さんはこちらに気づくと、開いた花のような朗らかな笑顔を見せてくれた。
「湊さん、こっちです!」
呼んでくる彼女のほうへ向かい、蒸し暑さを団扇で追いやりながら、彼女とその後ろを交互に見比べた。
「良いステージだね」
「はい」
それまで構想が考えつかなかったとは思えないほど、完成度の高い舞台がそこにあった。
特設のステージ。身長を越える木たちに装飾されたピンクのハート風船や、大きなリボンがそこかしこにちりばめられている。女の子らしいといえば古臭いが、古くから愛されている象徴に文句は出ない。
完成するかどうか、一番気がかりだったここがこの様子なら心配はいらないだろう。
右から左へ、下から上へ、見回してその綺麗さにため息をつく。この壇上に上がって歌う上原さんを見たら、誰だってファンになるに違いない。想像だけでもワクワクが止まらないくらいだ。
「私、侑ちゃんと……」
「もうわかったよ。このステージと……君と高咲さんを見ればね」
迷いはなくなっている。ファンと作り上げたこのステージを、彼女が受け入れていることが全てだ。報告なんてなくとも、僕にとってはそれで十分。
演者だからって、努力努力努力だけして頑張れ、なんて言うつもりはない。高校生らしく、部活らしく、真剣でありつつも楽しんでほしい。
きっと今の上原さんと高咲さんなら……今の同好会のみんななら、それが実現できるはずだ。
「もう大丈夫そうだね。じゃあ僕は……」
「あ、あの……もう少しここにいてくれませんか?」
去ろうとした僕を、上原さんは留める。
「えっとあの、昨日出来たばかりですし、いろいろ直さないといけないところがある、かも……?」
なんで疑問形なんだ。
「それなら、高咲さんに見てもらおう。ちょっと待って、いま連絡取るから」
「ま、待ってください! み、湊さんの目線からステージ見てほしいなあ、なんて……」
やたらと必死に、電話するのを辞めさせようとしてくる。仲直り……したんだよな?
いやしかし、今まで上原さんのことは高咲さんに任せっきりだった。贔屓はよくないし、たまには時間をゆっくり取って確認してみようか。
二人並んでステージを眺めながら、ゆっくり歩いて観察をする。手直しの必要なんてないくらい、完璧だった。もし僕が作ろうとしても、こうはならなかっただろう。
ちょっと捻ったことをしたくなる僕のそれは、見方の一つとして、無駄あるいは蛇足だと感じる時がある。最近では朝香さんのステージがそうだ。衣装を着た彼女が壇上に上がるだけで、華々しい。
上原さんも、きっとここで輝いてくれる。真っすぐなパフォーマンスには、余計な装飾はいらない。
「ありがとうございます。湊さんが背中を押してくれなかったら、私、侑ちゃんと離れ離れになってたかも……」
「そんなことないよ。他にもいっぱい、君のことを気にかけてた人たちはたくさんいる。ほら、あの子、君のファンの……」
「今日子ちゃん?」
「そう、その子。それに優木さんもすっごく心配してたよ」
「後で謝りにいかないとですね」
「謝るよりか、お礼を言ったほうが喜ぶよ、あの子たちは」
「そうですね」
優木さんのことだ。謝られても困るだろう。手をぶんぶんと振って、『謝らないでください』と慌てる姿が目に浮かぶ。
ファンの子だってそうだろう。好きなアイドルが申し訳なさそうな顔をされたら、逆に申し訳ない気持ちになる。逆に、感謝されたら天にも昇る気持ち。どちらが良いかは明白だ。
ステージの周りを囲む花壇に、ずらりと差されたガーベラ。その中で小さく主張するように一輪だけ差してあるのは、ローダンセ。これは高咲さんが加えたものだろう。
「高咲さんとは、本当に仲が良いんだね」
「喧嘩しても、次の日には仲直りして遊びに行くくらいですから」
なんか、容易に想像できるな。謝って謝り返して、そこでスッパリ喧嘩終了、笑顔でお出かけという図が浮かぶ。
今回のことは、本当に珍しいことだったのだろうと察せられる。
「湊さんは、璃奈ちゃんと喧嘩したりしないんですか?」
「したことないね。璃奈も僕も怒ることないから。それに、璃奈が何しても、許しちゃうんだよ」
「璃奈ちゃん、可愛いですもんね」
「ほんとにそう」
「愛されてるなあ、璃奈ちゃん。ちょっと羨ましいかも」
「上原さんも、高咲さんからだーいぶ愛されてると思うけど」
「えへへ、そう見えます?」
「そうにしか見えない。お互いにまあまあ独占欲強いみたいだし」
「そ、それはもう言わないでくださいっ」
昨日の夜、二人から別々に、電話で事の顛末を教えてくれた。僕が彼女たちに感じたことはある程度の推測でしかなかったが、どうやらそれなりに合っていたようだ。
その心の引っかかりが解けた反動は大きかったようで、特に高咲さんは僕が訊くまでもなく、詳細を語ってくれた。たとえば、不安を感じた上原さんが高咲さんを押し倒したこととか。
そんなことを嬉々として……とはいかないが、淀みなく話してみせるあたり、もう過去のこととしている。いつかは笑い話として二人の中で消化されていくことだろう。
「そういう湊さんは、もうちょっとこう……自分勝手な部分を出したほうがいいんじゃないですか?」
「それは、僕らしくない」
「らしくないのもたまにはいいですよ」
「嫉妬する上原さんみたいに?」
「必死になって私の腕を掴む湊さんみたいに」
くすり、と微笑んで返してくる彼女に、僕は小さくため息をついた。こういう軽口は誰に似たんだか。三年生の面影を感じる。
「あの時はほんとびっくりして……でも今思えば嬉しい気持ちもありました。今まで頑張っていたのを知ってましたけど、心の底から同好会を……私たちを気にかけてくれていたのが分かって……湊さんの一生懸命な言葉が聞けるなら、もう一度強引に連れ去られてもいいって思えるくらいには、嬉しかったですよ」
上原さんとはこれまで一定の距離があった。先輩と後輩という壁が大きかったし、彼女の練習は基本的に高咲さんが見ることが多く、一対一で喋ることもあまりしてこなかった。だからだろうか、僕に向けられていた笑顔は少し固い印象があった。
だけど今は、自己紹介動画の時のような、ステージの上で見せるような、高咲さんと一緒にいる時のような柔らかい表情がそこにある。
「……僕が勝手になった姿を想像してみろ。例えば、君たちにわがままを言ったり、軽々しくあれやこれやと口出ししたり……気持ち悪いだろ」
「……悪くないかも」
おいおいおい。
そういうのは『ただしイケメンに限る』ってやつじゃないのか。僕がやっても到底許されそうにない。
「そこまで変わったら驚きますけど、でもちょっと見てみたいです」
「変わることを怖がった君が、言うようになったね」
「今はもう、怖くありませんから」
ぽつり呟くように、上原さんは言った。
「最初は、侑ちゃんの、侑ちゃんだけのスクールアイドルでいれたらそれでいいって思ったんです。でもスクールアイドルになって、ファンが出来て、楽しくて……スクールアイドルになって、私は、侑ちゃんだけのアイドルじゃなくなりました。侑ちゃんも、私だけを見ることはなくなって、それがすごく怖かったんです」
強い絆で結ばれたからこそ、離れる時に不安定になってしまう。それがどれだけ短い間でも、どれだけ近い場所でも。
だから現状維持を選んだ。でも高咲さんは自分が留まることも、上原さんが止まってしまうことも考えなかった。
彼女が望んだのは先。自らの夢を叶え、幼馴染の夢を推した、その先。
この結果がどうなるか、誰にも予測はできない。
高咲さんは、僕が危惧しているようにあくまで勉強程度に留まるかもしれないし、天才音楽家になるかもしれない。
上原さんは、またしても不安を抱えるかもしれないし、まっすぐに成長するかもしれない。
どうなるかは結局、その時、本人と見届ける人にしかわからない。
「後悔してる?」
「まだ分からないです。でも後悔しないように、やってみようと……」
そこで彼女は言葉を止め、
「やってみせます」
そう言い直した。
上原歩夢。
可愛く美人で清楚な、王道的な印象のスクールアイドル。
初めに会った時は、流される性格に感じた。幼馴染に連れられて、あれよあれよという間になってしまったのだと。
今はもうそんなイメージは払拭された。
優木さん並に固い芯があって、ここぞという時ほどブレない人。周りを愛して、周りに愛される素晴らしい人。
上原さんならきっと、この先も大丈夫。そう思わせるには十分な、晴れやかな顔をしていた。