雲一つない晴天。歓声が空気を震わせる。それと同時に満足感が胸をいっぱいにした。
地面も空気も揺れるほどの大喝采が、あたりをびりびりと響かせる。
この日のために作った『スクールアイドルフェスティバル』の文字が書かれた黒いスタッフTシャツを着た僕は、舞台裏から覗き見をしてよしよしと頷いた。
虹ヶ咲から数百メートル離れたステージでは、スクールアイドルフェスティバル開始と同時に藤黄のパフォーマンスが始まった。
それを見ながら、僕は片耳に着けたワイヤレスイヤホンのボタンを押す。僕と高咲さんはスマホの無線アプリを常に繋いでいて、四六時中、誰からの緊急コールを受けられるようにしているのだ。
「そっちはどう?」
〈ステージばっちり、音もばっちりです。そちらも順調みたいですね〉
「うん。お客さんもいっぱいだし、だいぶ盛況だよ」
キャパを大幅に超える人数が集まり、その全員が熱く迸るエネルギーを放っている。一曲終わり、一度スクールアイドルが袖にはけていったのも構わずに、拍手が止まない。
僕はインカムを外して、一息つく。
「お疲れ様」
汗をタオルで拭く紫藤さんに声をかける。
「天王寺さん、わざわざ確認に来てくれてありがとう」
「藤黄が盛り上がってくれると、後のステージにも人が集まってくれるだろうからね」
フェスティバル最初のステージ。 各地で行われるそれらのうち、東雲は選ばれたアイドルたちのみが舞台に立ち、虹ヶ咲はそれぞれが対応。ほぼ全員が出演する藤黄だけ、僕が裏で音響と照明を調整していた。
さすがと言うべきか、炎天下の中、続く曲を心待ちにしている観客はそこから動かない。
「あとはこっちでやるから、君は虹ヶ咲のステージを見てきたら?」
「気になるんですよね?」
「そりゃそうだけど……」
「なら、行った行った! そっちのみんなも、天王寺さんを待ってるだろうしさ」
「何かあったら、お呼びしますので」
時計をちらりと見る。何か問題がないか、一通り回っておきたい。
藤黄はあと、ユニット曲が多めで全体曲は数えるほど。さらにステージ運営はこちらより経験豊富。最初さえ上手くいけば、あとは彼女たちに任せておけば問題ないだろう。
せっかくの申し出だ。僕はお言葉に甘えることにした。
「ありがとう」
脇に置いておいた鞄を背負って、僕は会場を後にした。
△
「湊せんぱ~い!」
行きかうたくさんの人がいても、中須さんの声はよく通る。おかげで、木陰で涼んでいる彼女たちを見つけられた。
中須さん、桜坂さん、優木さんはまだまだ元気そうで、こちらに手を振ってきていた。
「こっちは上手くいった?」
「はい」
「大成功でした!」
「あーあ、湊先輩ももう少し早く来てくれれば、かすみんの可愛いやられ姿を見られたのに~」
ちょっとした演劇。スモークを使ったり、手作りの大きな乗り物に乗ったり……ちょっとというには豪華で手間がかかってるけど。来てくれた人に楽しんでもらうための余興だ。
脚本は桜坂さん。監督・演出は演劇部の部長。
彼女たちと周りの客の笑顔を見れば、上出来だったことはわかる。
出演したご本人たちは、揃いも揃ってジト目でこちらを見てくるけど。
桜坂さんですら上目遣いで、拗ねるように口を尖らせた。
「私も、見てほしかったです」
「ごめんごめん」
「じゃあ、お詫びに次のかすみんのステージは最初から最後まで……」
中須さんの言葉を、手で制した。耳元で宮下さんの声が聞こえたからだ。
「機材トラブル?」
どうやら宮下さんのところで音が出なくなったようだ。話を聞く限り、音響機材に問題はないそうだから、おそらくPCの不調だろう。技術的な問題か、あるいは暑さのせいか。
ここから彼女のステージまでは、急いでもかなりかかる。それまで舞台を空けておくのは……
〈お兄ちゃん、私が行く〉
璃奈だ。
距離的には、二人の位置は近いはず。璃奈の次の演目まではまだ時間があるし……
「任せるよ、璃奈。高咲さんもそっちに向かって、何かあったら対処できるようにしておいて」
〈了解ですっ〉
〈こっちもいいかしら〉
お次は朝香さんだ。
〈衣装が少し破けちゃって。誰か裁縫道具持ってない?〉
「届けに行くよ。ちょっと待ってて」
多少ではあるが、あちらこちらで不具合が起こり始めた。事が大きくならないように、早く向かわないと。
「そういうわけだから」
ステージは見れない、と言おうとするよりも早く、優木さんが頷いた。
「大変ですね。頑張ってください。応援してますから」
「言う人と言われる人が逆な気がする」
頑張るのは君たちで、応援するのは僕のはず。僕を応援してもしょうがない気がするのだが。
「そんなことありませんよ。湊さんがいてこそ……」
「じゃ、僕は急ぐから」
「最後まで聞いてくださいよ!」
△
「だ、大丈夫?」
エマさんが、肩で息をする僕の顔を覗き込む。
「ここにきて、日ごろの運動不足を痛感してるよ」
急いで来たから、予想以上に体力を奪われた。汗がだらだらと流れて止まらない。
朝香さんはくすくすと笑った。
「これから一緒に練習するべきね、湊くんも」
「考えておくよ」
学生でこの体力の無さは、自分でも心配になる。楽器を演奏するとき、最後まで表現を伝えようとするには、それなりの力と持久力がいる。
最近ではインドアでも出来るフィットネスゲームがあるくらいだし、利用してみてもいいかもしれない。
さて、と息を整え、腰に掛けたポーチから小さな裁縫箱を取り出す。
「糸と針が入ってるから、それで大丈夫?」
「うん。ありがとう、湊くん」
こちらもすでに演目が終わっていて、二人ともすでに着替え終わっていた。
問題となっている朝香さんのステージ衣装である短いスカートは、エマさんが持っている。子どもが強く掴んだらしく、スカートの端がほんの少し破けている。
彼女はベンチに座って、慣れた手つきで針を動かした。
「今日は楽しんでほしいところだけど、そうもいかないみたいね」
「むしろ今日こそ気が抜けない日だよ。ぼーっとしていて問題に気が付きませんでした、じゃシャレにならないからね」
「だったら、出来るだけ心配かけないようにしないとね」
「じゃあ次のステージはどこかわかる?」
「もちろん。あっちよね」
「逆」
朝香さんが指差したのは、見事に目的地の反対。訂正してやると、季節のせいとは別の汗が一筋、朝香さんの頬を流れた。
「……エマに連れて行ってもらうわ」
「エマさんがいない場合は、すぐ僕か高咲さんに連絡を取ること。いいね?」
「わかってるわよ。その時はちゃんと引っ張っていってね」
了解、と軽く頷いて、ぱたぱたと手で顔を扇ぐ。
蒸し暑さでじっとり。シャツも体に張りついている。それはここにいるスタイル抜群女子二人組も同じで、思わず視線が向いてしまいそうになる。
いやいや、真面目にやらないと。彼女たちの信用を預かってる立場なんだから。
「出来た!」
エマさんは直した衣装をこちらに向けてきた。煩悩を消してそちらに注目する。
うん、これなら破けたところ目立たない。次も大丈夫そうだ。
「みんなの様子はどう?」
「上手くやってるみたいだよ。宮下さんのステージもトラブル直ったみたいだし。近江さんは……応答ないけど」
「一緒にお昼寝、なんてプログラムだものね」
リハーサルもただ寝てるだけだったからなあ。ちょっと心配になってきた。
「そっちの様子も見てくるか」
「終わったら、また戻ってきてね」
「行けたら行く」
「それは、戻ってこない人の言い方ね」
△
近江さんのステージへの道すがら、見知った顔がいた。
「遥さん」
呼ぶとぱっと笑顔を咲かせて、僕のそばに寄ってきた。
「この時間、東雲は一旦休憩中だっけ」
「はい。この間にお姉ちゃんのステージを見ようと思って」
それほど近くはないうえに長くない休憩のはずなのに、ここに来るあたり見た目以上に期待しているのがわかる。
「あ、あのあの、改めてお礼を言わせてください。このフェスティバルに誘っていただいて、ありがとうございます。それに、お姉ちゃんのことも」
近江さんのこと?
僕が不思議そうな顔をすると、遥さんは言葉を続けた。
「お姉ちゃん、毎日本当に楽しそうで……湊さんのおかげだって、いつも聞かされてるんですよ」
璃奈や宮下さん、スクールアイドル界隈だけでなく、近江家でも僕の話か。姉妹での楽しい会話のタネになるなら、別に構わないけど。
「僕のほうこそ、何万回も君のことを聞かされてるよ。遥さんがいるから、近江さんは頑張れるんだって」
可愛い遥ちゃん、という言葉を何度聞いたことか。思い返すだけで嬉しそうに喋る近江さんの顔が浮かぶ。
「今回のスクールアイドルフェスティバル、東雲も一緒にって言ったのは、近江さんなんだ」
「お姉ちゃんが?」
「このフェスティバルをやるにあたって、やりたいことは何か聞いたら、君と一緒に盛り上げたいって」
「お姉ちゃん……」
「あと、ファンとお昼寝したいってさ」
「お姉ちゃん……」
同じセリフなのに、トーンは真逆。僕が遥さんだったとしても、同じ反応をしただろう。
などと話していると、近江さんのステージに着いた。
ヴィーナスフォート広場。
壇上で人をダメにするソファに横たわっているのは、我らが近江彼方。衣装で、ああもぐっすり寝ていると、まるでどこかのお姫様みたいに見える。
客席に用意されているソファにも、同じようにしてファンがいる。いるというより、ご就寝。
「今さらですけど、これってありなんですか?」
「なし……とは言えないかな。僕も生徒会もOK出したわけだし」
「自由、ですね……」
姉の本当にやりたいことに、複雑な表情で返す遥さんだった。
△
お祭りは、まだまだ続く。
朝から始まってもうだいぶ経過したけど、客足は減らない。それどころか人が人を呼んで、どんどんと増えつつあった。
いったん虹ヶ咲学園に戻ってきた僕は、校舎近くのベンチに腰を下ろす。背もたれにぐったりともたれながら、おにぎりを口に放り込んだ。
「天王寺さん」
呼ばれて、首をひねった。
最近、優木さんのファンになったらしい生徒会副会長が、いつの間にか後ろにやってきていた。彼女も他に漏れず、フェスティバルスタッフのTシャツを着ている。
「盛況ですね」
「ありがたいことに、予想の何倍もお客さんが来てくれてるみたいだね。どこのステージもパンパンだってさ」
さらに、生放送視聴者数もとんでもない数値になっている。東京に来れないファンたちが一斉に見てくれているのだ。
一つ終わったら次へ、もしくは違うステージへ、簡単に飛べるようにリンクも貼ってあるから、見だしたら止まらない。終わるころには推しが何人もできていることだろう。
「休憩ですか?」
「お昼ご飯」
「もうすぐ五時ですけど……」
「走り回ってたからね。気づいたらこんな時間」
「大変ですね」
「嬉しい悲鳴だよ。そんだけ色々なところで色々なことやってるってことなんだから」
どこもかしこも激しい歓呼の声。それだけでみんなが素晴らしいパフォーマンスをしていることがわかる。
ちょっとした機材の不具合とか、ファンの押しかけとかはあったけど、大きな危機もないままで終わりも近い。
「ありがとう。ステージの確保とか準備とか、色々手伝ってくれたみたいで」
「いえいえ、これも生徒会の仕事ですから」
「言うほどそうか?」
学校生活を円満に、という意味では部活のサポートも職務の内なのだろうか。だとしたら僕が思うよりよっぽど、忙しいに違いない。
勉強にスクールアイドルに生徒会長の中川さんを、もっと労わらなければならないかもしれないな。
「高咲さんとはご一緒ではないんですね」
「別々のところでアクシデントが起きた時、対処しやすいようにしてるんだ。それとは別に、今回は高咲さんにも目いっぱい楽しんでほしいから、ステージをやるところ重点的に見回るようにしてもらってる。これは内緒にしておいてね」
今ごろはたぶん、宮下さんのところあたりにいるんじゃないかな。
彼女はこのフェスティバルを実現させるためにたくさん頑張った。経験もないのに、調べて、人に聞きまくって、そしてようやくこの日を迎えられたのだ。そうして叶えられた夢を存分に見てほしい。
もちろん、そのぶん仕事の量は僕に多く降りかかってくる。それがバレたら、不公平だと不満を言ってくるだろう。だから、ここだけの話。
「あなたは?」
「ん?」
「あなたは、みなさんのことを見に行かないのですか?」
「見に行ってるよ。さっきも映像機器のトラブルが……」
「そうではなくて」
彼女は不思議そうに僕の目を見てきた。
「あなたは、同好会のみなさんのステージを、観ないのですか?」
陽は傾いて、夜へと近づいていっている。
しかしオレンジ一色になるはずの空には雲がかかっていて、太陽が隠れてしまっていた。